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Limheim ―女神の目を持つ者―  作者: かや
冬の終わりに
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第12章 誓いの朝

 吹雪の夜を越え、朝がやってくる。

 あたりは夜明け前の刺すような空気を帯びているが、空にどんよりとした雲はすっかり見当たらない。本来のこの季節らしい薄絹を纏った空は、陽の光を抱く前の仄明るい群青色に染まっていた。冬の終わりの吹雪を、無事に乗り越えられたようだ。

 洞から一歩出てあたりを見回したイーリスは、空へ両手を突き出して思い切り伸びをした。肺へ入り込む空気はとにかく冷たいが、少し寝ぼけた頭にはこれくらいが気持ちいい。

 昨日たき火の燃料が切れてから、やることもないまま仕方なく眠りについた。その結果かなり長い間眠ったようで、いつもより身体が軽いような気がした。


「そろそろ出るか」


 ふいに背後から声をかけられて、振り返る。荷物を持ち、すっかり出発の準備を整えたマティアスが立っていた。

 無言で差し出された手荷物を受け取って礼を言うと、イーリスは洞窟内から外へと踏み出した。


「とりあえず、まずは村に帰りましょう」

「ああ。早くしないと俺たちの捜索も始まるぞ」


 やれやれと苦い顔をしてマティアスが肩をすくめた。救助のために山に入ったというのに、それでは本末転倒もいいところだ。できるだけ早く無事を伝えたい。


「……シモンも、見つかっていればいいんだけど」

「大丈夫だろ」


 何の根拠もない言葉であるはずなのに、不思議と勇気づけられてイーリスはこくりと頷いた。


 荷物を持ち直し、二人は一夜で積もった新雪へと足を踏み入れた。吹雪は激しかったが、粉雪だったためあまり積もらなかったようだ。膝下程度の雪を踏み固めながら、谷を下りはじめる。

 ――と、数歩進んだところで、突然ぞわりと背を撫でるような違和感を覚えてイーリスは振り返った。それは物理的な違和感ではなく、感覚的なものだった。足音が聞こえなくなったことを不審に思ったのか、前を歩くマティアスも振り返る。


「どうした?」

「なんか、変な感じが……あっ!」


 違和の正体に気付いたイーリスが大きな声を上げる。

 その視線の先には、薄暗い中、音もなく水面のように揺らめく岩壁があった。そこは夜を明かした洞窟があるべき場所だ。胎動のように激しく波打っていたそれは、急速に力を失って凪いでいく。

 やがて水面は完全に静まり、周りの岩壁と全く見分けがつかなくなってしまった。


「目隠しの魔術、ってこういうことなのね……」


 イーリスは、見たこともない光景に驚いていた。

 もっと単純な魔術だと考えていたのだ。だが思った以上に大掛かりで……強い魔力を感じた。先ほどの嫌悪感は強い魔力に対するものだったのだろう。このように強力な魔術を仕掛けられる魔術師がそれほどいるだろうか。

 彼女の背後で、マティアスがふうと息を吐く音がした。


「よっぽどあの洞窟を隠したかったんだな」


 その言葉に、イーリスも無言で頷いた。

 大掛かりな仕掛けに、秘された魔石。

 あの洞窟……あのスルトを巡る意思は、一体どこにあるのだろうか。


*


 日が昇るころには、二人は無事に山のふもとまでたどり着いた。積もった雪に苦戦しながらだったため、思ったよりも時間がかかってしまったのである。

 昨日捜索隊が出発した地点である森の出口に差し掛かったころ、遠くから声が響いてきた。すでに木々はまばらになっており、前方では、真っ白な雪をかぶった大地が朝日を受けて輝いている。イーリスは眩しさに目を細めて、声の方向を見やった。


「イーリス! マティアス! おおーい!」


 村の方向から緩やかな斜面を駆け上ってきた人物は、大声を上げながら右腕をぶんぶん振り回している。あの金髪頭は、エルメルだ。そのすぐ後方から赤毛を乱して走ってくるヴィクトールの姿も見えた。他にも十数人が後ろからついて来ており、今日は女性の姿も何人か見える。今から捜索が始まるのだろう。


「ああよかった、お前らまで遭難したのかと思った」


 二人の前まで息せき切ってたどり着いたエルメルは、その無事を確認して、膝に手を突いてうなだれる。すぐに追いついたヴィクトールが彼の肩をぽんと叩くと、イーリスに目をやって肩をすくめてみせた。同時に、ぞろぞろと周りに集まってきた人々を親指で示す。


「ちなみにこれは、お前たちのための捜索隊だからな? シモンは昨日の夕方に見つかったんだ」

「そうなの!? シモンは?」


 びっくりして尋ねると、ヴィクトールは大きく歯を見せて笑った。


「ああ、怪我はしてるがぴんぴんしてるぜ。どうも崖から足を踏み外して、骨を折ったらしい。崖の下でうずくまっているところをヨナスたちが見つけたんだ」


 心配していたシモンの無事を確認して、イーリスは詰めていた息をゆっくりと吐いた。

 ――よかった。これでアベルも寂しい思いをしなくて済む。

 それと時を同じくして、あたりに穏やかな談笑の声が混じり始める。イーリスらの無事もたった今確かめられ、緊張が解けてきたのだろう。


「この前の雪崩で崖に雪が迫り出してたんだってさ。危ないよな。オレも気を付けないと!」


 エルメルが事の発端を訳知り顔で説明するのを聞いて、にやっと笑ったマティアスがちらりとイーリスを見た。


「ふ、どっかの誰かみたいだな」

「う……えっと」


 迷惑をかけた手前、返す言葉もない。途端、ヴィクトールの目つきが厳しくなった。


「イーリス、お前もか。だいたい、昨日はいったい何があったんだ?」


 副長のしかめ面を視界に捉えたイーリスは、慌てて言葉を紡ぐ。


「そんなに大きな怪我はしてないの。ただ、崖から足を踏み外して気を失って、気が付いたら雪がひどくなってたから……」


 何とも情けない言い草だ。しどろもどろの言い訳を最後まで続けることが出来ず、イーリスは思わずうなだれた。毎度ヴィクトールとの間で繰り返される、同じような問答。進歩していないとはこのことである。

 余計な話題を振ったマティアスはというと、何が面白いのかにやにや笑いながらそれを眺めているだけだ。

 そのときイーリスは、うなだれた頭にやわらかい重みを感じた。顔を上げると、ヴィクトールがぽんぽんと彼女の頭を叩いている。


「ま、無事でなによりだ。シモンも無事見つかったことだし、今回はこれで勘弁してやる」


 目を丸くして見つめるイーリスに対してヴィクトールは表情を緩め、彼女の頭をぐしゃぐしゃにかき回した。

 ヨナスをはじめとする捜索にあたるために集まった人々も、ある者は嬉しそうに、ある者は呆れたように、思い思いの笑みを浮かべてこちらを見ている。そこに共通してあるのは「安堵」だ。それらの表情をぐるりと見渡したイーリスは有難さと申し訳なさで胸をいっぱいにして、頭を下げた。


「心配をかけてしまって、本当にごめんなさい!」


 昨日あれだけ大口を叩いたくせに、結局一番迷惑をかけてしまったのは族長である自分だったのだ。イーリスが頭を下げたまま自分のつま先を見つめていると、頭上から吹き出すような音が聞こえた。


「――ぶっ、族長、頭が鳥の巣みたいになってんぞ」

「ははは、まあ無事だったんだ。そんなに謝ることはねえよ」


 明るい笑い声に顔を上げると、不甲斐ない族長でも受け入れようとしてくれている仲間たちの笑顔がある。何にもかけがえのない、大切な仲間たちだ。

 その笑顔が痛くて、彼女は目を落とした。


「でも、こんな頼りないのに、私――」

「あんまり自分を貶めるのはやめたほうがいいぜ」


 なおも言い募りかけたイーリスを冷静な声でとどめたのは、昨日シモンの捜索前に彼女へ詰め寄った男だった。


「昨日、言ってくれただろう? 俺たちの命も大事なんだって。あのとき思ったんだ。うちの族長は、みんなをほっぽり出したりせずに、大事によく見てくれている、ってな。少なくとも俺は、あんたを頼りない族長だなんて思ってないぞ」


 そう真剣な表情で言うと、彼は「俺も昨日は熱くなりすぎちまった。悪かったな」と照れ臭そうに笑う。すぐにそれに同調して、からかい気味の声が上がった。


「だいたい族長は責任感が強すぎるんだよ」

「そうそう、あんたみたいにいつも適当ならいいのよね」

「なんだとっ」


 あたりに笑い声がはじける。

 笑いあう人々、雪原の向こうには、そのよりどころとなるスナールの村。

 イーリスは、朝日と白い雪できらきら光るその光景を、しっかりと目に焼き付けた。

 ――まだまだ自分は未熟だ。だけど、こうして支えてくれる仲間がいる。彼らをどんなときでも守れる族長になりたい。

 改めて心の底から湧き出た決意に、身が引き締まるような思いをしながら、イーリスは微笑んだ。


「……みんな、ありがとう」

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