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Limheim ―女神の目を持つ者―  作者: かや
冬の終わりに
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第11章 火囲む夜

「こんなところがあったなんて……」


 ランプの光に赤く煌めく岩壁を見つめ、イーリスは呆然として呟いた。

 古くから一族では【女神の目】の力の制御装置として使われていたスルト。だが【女神の目】の能力が廃り、この村でその姿を滅多に見ることがなくなってから久しい。もともとスルトは採掘量の多い場所が未だほとんど発見されていないため、貴重な石なのだ。

 それが、まさかこれほど近くに採掘される場所があったとは――膨大な埋蔵量に、イーリスは息を飲んだ。


「どうして誰も、気付かなかったのかしら……」

「……この洞窟、魔術が掛かっていた」

「え?」

「入口に、他の岩肌と同化するように目隠しの術が掛けられていた」


 思わぬ言葉に、イーリスは振り返った。マティアスは静かな表情でイーリスを見下ろしている。


「そうなの? ……どうして……」

「さあな。だが近づきさえすれば術が解かれる簡単なものだった」


 そうしてマティアスは、これ以上のことには興味がないとでも言うように肩をすくめてみせた。道理で今まで誰の口にも上らなかったはずだ。イーリスはもう一度辺りを見回した。


 いったい誰が、どうして、そのような大掛かりなことをしたのだろうか。

 そしてこの洞窟は、いつからここにあるのだろうか。

 この不思議な洞窟の中にあって、イーリスの疑問は尽きなかった。


 ランプを広場の中央に置き、ゆっくりと岩壁に近づく。

 そこにはこぶしほどの大きさをした赤い石が、岩に埋もれていた。原石のごつごつとした表面を、革手袋をした指でそっとなぞる。その冷たさを感じながら、イーリスは何とはなしに意識を集中させてみた。この赤い石を見ると、無意識に未来を手繰り寄せようとしてしまうのだ。……やはり、石は沈黙を保ったままだった。

 いい加減往生際が悪いと自覚しながら、イーリスは苦笑した。


「ふふ、やっぱり駄目ね」


 ランプの傍に佇むマティアスが、訝しげに眉を顰める。


「なんだ?」

「私には力がない、ってことよ」


 曖昧な言い方をしたからか、マティアスは怪訝な表情のままだ。岩壁から手を離し、ランプの方へと歩み寄りながら、イーリスが言葉を続けた。


「スルトには、魔力を取り込む特性があるの。自然界の魔力や、人が持っている魔力も絶えず取り込んでいるけれど、魔術師によって成形された魔力には特別な反応を示すのよ」

「特別な反応ねえ……」

「魔術師が成形した魔力の属性によって、いろんな色に輝くの。――【女神の目】の力にも、ね」


 そこでイーリスが【女神の目】を持たないことに思い至ったのか、マティアスが納得したような顔をした。 

 そういえば、と。重要なことを思い出してイーリスは小さく目を見開いた。


「【女神の目】に反応したスルトは、炎のような橙色の光を帯びるの。……さっき、こっちの方向から見えた光と同じ。……どういうことかしら」


 いつのことだったか一度だけ、ギルバートが見せてくれたことがある。

 透き通った石の中に爆ぜる炎をそのまま閉じ込めたかのような、まばゆい輝き。あの輝きは、【女神の目】に反応したときにしか宿らない色だ。

 それなのに、先ほど視界の隅でとらえた光の残滓は、確かに炎のような輝きを持っていた。

 イーリスが【女神の目】を持っていないことはすでに分かり切った事実だ。だとすれば……――


「……まさかあなたが、【女神の目】を使った?」


 恐る恐る男を上目にして尋ねてみると、マティアスは馬鹿にするように鼻で笑った。


「何くだらないこと言ってるんだ?」


 思った通りの反応が返ってきたことにほっとしつつ、イーリスは我ながら馬鹿なことを聞いてしまったと苦笑した。


「そうよね。言ってみただけよ、ごめんなさい」


 そう言ってもう一度、煌めくスルトをぐるりと見渡す。


「じゃあ、やっぱり気のせいだったのかしら……――」


 いくつもの赤い石は、ただただ見慣れた沈黙を保ち続けていた。



*



 夜が更けても、雪の勢いが衰えることはなかった。

 二人はその日のうちの下山を断念し、入口近くの広場へと戻り、そこで夜を明かすことにした。奥の広間では明りが一切ないため、ランプが切れた時に危険だからだ。

 準備してきた野営の装備で、簡単に火をおこす。燃料が少ないのであまり時間はもたないだろうが、そこは諦めるしかない。


「はい、あなたの分。こんなのしかなくて悪いけれど」


 そう言ってイーリスは、荷物に入っていた干し肉をマティアスへと差し出した。水分を持った食糧は外ではたちまち凍ってしまう。だから乾燥したものしか携帯には向かないのだ。マティアスは文句を言うでもなく、無言でそれを受け取った。


 二人並んで、黙々と硬い肉を齧る。

 穴の外でひゅうひゅうと風が鳴くのが、やけに大きく聞こえる。

 マティアスはもとより、イーリスも元来それほど多弁な方ではない。二人でいると沈黙はいつも自然に落ちてきて、それでも居心地の悪さは感じられなかった。


 その穏やかで静かな空間の中で、イーリスはこの洞窟の謎について考えていた。

 誰かがこの洞窟を――スルトを、隠そうとしていたことは明らかだ。スナールの人間だろうか。しかし入口に魔術がかかっていたとなると、それだけの実力を持つ者は自然と限られてくるではないか。

 ――そんなこと、あるわけない。

 イーリスはなだれ込むようにして至った思考を、首を振って頭の外へ追いやった。


「……何してるんだ」


 彼女の挙動不審な行動に気付いたのか、マティアスがちらりとイーリスを見て言った。その呆れた声に、自分の思考へ沈んでいたイーリスは、はっとして更に首を振る。


「ううん、なんでもないの」


 夜が更け、気温は更に下がってきた。この洞窟内も風が入らないとは言え、岩壁からはじわじわと冷気が伝わってくる。厳重に防寒の装備をしていても、だ。寒さに慣れているイーリスはこれくらいの冷えなど気にも留めないのだが、南部のクリヴァスが出身だというマティアスにはきついだろうと気付く。


「……それより、寒くない? 確かあなたの荷物の方に、お酒を入れたんだけど」


 体を温める効用のある酒を少量、荷物に入れたのを思い出して言うと、マティアスは自分の持ってきた荷物に視線をやった。


「ああ……そういえば入ってたな。飲むか?」

「私はそんなに寒くないから大丈夫。もし良かったら飲んで」

「……そうだな、貰うか」


 そう言って彼は、荷物の中から革製の水袋を取り出すと、直接口をつけて仰ぐ。

 次の瞬間、その顔が思い切りしかめられた。


「…………辛い。なんだこれ」

「ふふふっ。大丈夫、毒じゃないわよ。体を温めるためのお酒だからおいしさは二の次なの」


 思わぬ辛さのためか無防備な表情を見せたマティアスを見て、イーリスはいたずらが成功した子供のように笑った。

 これは、寒さの厳しい北方地域に古くから伝わる、一種の薬酒だ。味などは考慮せずに効力の強い薬草が調合されるため、特に辛みが強く、ありていに言えば不味い。


「先に言えよ」


 よほど不味かったのだろう。

 はあ、と息を吐いた男に横目で睨まれるが、それさえも可笑しくてイーリスはくすくす笑い続ける。


「私もね、子供のころに同じようにやられたのよ。洗礼みたいなものね」


 確か十を過ぎた年、初めて山に足を踏み入れる機会があったときのことだ。イーリスが寒いと訴えるとヴィクトールは同じようにこの酒を差し出した。そして何も知らずに口にして、あまりに刺激の強すぎる味に、ぼろぼろ泣いた覚えがある。思えば、にやにやしている彼の表情に気付くべきだったのだ。


「ヴィクトールったら、私をなだめもしないでお腹を抱えて笑ってるんだもの。あのときは恨んだわ」

「あんただって今、同じようなもんだろうが」

「……それもそうね」


 嫌そうな顔をしたマティアスにそう言われ、妙に納得して頷いたイーリスは、可笑しくなって再び笑い出す。

 マティアスは少しの間それをしかめ面で眺めていた。しかし、ふいにつられたようにゆるりと口元が緩められる。それは少し皮肉っぽいが、常よりもずっと自然な微笑だった。

 一瞬目を見張ったイーリスだったが、それに気取られないように微笑み返した。天邪鬼なこの男のことだ。珍しいものを見たような顏をしようものなら、すぐにいつもの表情に戻ってしまうに違いない。それはなぜか、もったいないような気がしたのだ。

 男は笑みを刷いたまま、遠くを見るように目を細めた。


「……子供のころ、か。可愛がられて育ったんだろうな、あんたは」


 ぽつりと落とされた呟きに、イーリスは首を傾げる。


「どうしてそう思うの?」


 今にして思えば確かに皆に大切にされていたと思う。だが、お世辞にもまっすぐな幼少時代ではなかったと彼女は自覚していた。

 するとマティアスは、片膝に頬杖を突いてにやりと笑った。


「お節介なところとか――」


 イーリスは苦笑する。先ほどすでに指摘されたことだ。とはいえ根っからの世話焼きなのだから仕方がない。

 だが、続く少し声音を落とした台詞に、イーリスは瞬いた。


「――人を疑うことを知らないところとか」


 声音の響きに違和感を覚える。

 じっとマティアスを見て視線で問いかけるが、彼は彼女を横目に笑うだけ。そうして何事もないように、話を続けてしまう。


「そういう性質から、そう見えただけだ」

「……どういうこと?」

「深い意味はない。気にするな」


 男がそのまま話を終わりにしてしまいそうになったので、イーリスはなおも食い下がった。


「そう言われたって、気になるわよ」

「じゃあ気にしとけ」


 マティアスはにべも無くそう言って、くっくと笑う声が洞窟内に反響する。イーリスは半眼でそれを見つめると、軽く息を吐いた。どうやら詳しく話してくれる気はないらしい。

 それ以上の追求を諦めた彼女は、しかし意趣返しとばかりに少し唇を尖らせて言った。


「そう言うあなたの子供時代は、どんな感じだったの」 

「俺の?」

「そう。師匠がいるって言ってたじゃない?」


 昼間に剣術の稽古をした後、少しだけ話題に出たことだ。あのとき浮かべた困惑したような表情は気になったが――彼の幼少期への興味が勝った。正直、この男の幼い頃などイーリスには想像もつかないのだ。

 マティアスは頬杖をついた手に頭を預け、ゆらめく炎を見つめて言った。


「師匠……というよりは、育ての親だな」

「育ての……。村が襲われたから?」


 男は視線を前に向けたまま、ゆるく首肯した。


「……まあ、そうだな……身寄りがない俺に、衣食住を与えてくれた」


 炎の光に照らされた静かな表情に、静かな声。 


「――だがそれだけだな、感謝できるのは」


 言葉とは裏腹に、その金の眼は優しく細められていることに、彼は気付いていないのだろうか。

 その穏やかな表情に気付いた途端に、ぽっと灯がともったような暖かさを感じて、思わず微笑んでしまう。


「……ふふ。天邪鬼なのは昔から?」


 イーリスが笑いながら言うと、頬杖から顔を上げたマティアスが、眉を顰めた。


「なんだそれ?」

「だって言ってることと表情が全然違うわよ」


 小さく笑い声を漏らして指摘する。それに対してマティアスはますます顔をしかめて、イーリスを睨みつけた。


「意味が分からない」


 そう言いながらも、睨みを利かせた顔にはあまり迫力がない。


「気にしてればいいわ」


 ここぞとばかりに先ほど言われた台詞を返したイーリスは、男の真似をしてにやりと笑ってみせた。

 彼はイーリスの言葉に不服そうな表情をしているが、そのことについて本気で怒ることはないだろうと思えた。それを証明するように、彼はふいっと顏を背けただけだった。

 どこか照れているようにも見えるマティアスの横顔を見てくすりと笑い、イーリスは揺らめく炎に目を移した。二人で囲む炎は先ほどまで暖かな光を放っていたのに、すでにその勢いを失い始めている。無理もない。この場所では継ぎ足す薪も見当たらないのだ。

 洞の外の雪もまた、どこか勢いが削がれつつある。ひゅうひゅうという風の唸り声も、いつの間にか聞こえなくなっていた。ただ、静かに白雪が舞い落ちる。

 それを見つめていると、世界から断絶されたような錯覚さえおぼえる。

 音のない森。

 そこに在る秘せられた洞窟の中で、炎は小さくぱちりと爆ぜて、力を失った。

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