婚約破棄された稀代の聖女は滅びの存在へと堕ちる
世界は均衡を保つ。
聖女とは、清らかな心を持ち、治癒の御手とも呼ばれる回復能力を持つ女性に贈られる称号である。いかに清らかな心を持っていても治癒の御手の持ち主でなければ、聖女の称号は持てず、治癒の御手の持ち主は数百年に一度の割合で産まれると言われている。
そして、今代の聖女は、稀代の聖女とも呼ばれる程の存在として産まれた。
病や傷によって苦しむ人々を救う治癒の御手。
不浄な環境を正常な環境へと導く浄化の御体。
様々な創造物を生み出す創造の心。
この三つを一度に持つ聖女は、産まれてすぐに教会に引き取られ、懇切丁寧に育てられた。
聖なる力により染まった銀髪と碧眼を持つ稀代の聖女セシリアは、毎日のように街を歩き、救いを願う声に応え続けた。どんな人にも分け隔てなく接し、その力に驕りを抱く事なく献身し続けるセシリアを人々は、心の底から聖女と信じていた。
そんなセシリアの献身に感心し、その美貌に惚れたセイントルイン王国第二王子であるギルバートは、セシリアとの婚約を申し出る。それを教会は了承し、二人は婚約関係となった。
週に二度会い、会話をして親睦を深めていった二人は二年の月日を経て結婚間近まで来ていた。
そんな二人を祝うパーティーが王城内で行われる。セシリアは白を基調とした教会が用意したドレスに身を包んでいた。聖女という事もあり露出は少なく身体のほとんどが布に覆われている。
「おお、聖女様は相も変わらずお綺麗だ」
「あれこそ聖女と言わざるを得ない」
「あの聖女様のお心を射止めたギルバート様の王位は近いな」
そんな声がセシリアの耳に届いてくる。
(いつも見た目やら王位やら権力争いが重要なのは理解しますが、それも自らの立場のため。結局民に目を向ける事はない。それはギルバート様も同じだった。いつも笑って話をしてくださるけれど、あの目に民は映っていない。私の事を愛して下さっているようですが、もっと民にも目を向けて貰わなければ。私が結婚する事でそのきっかけになると良いのですが)
セシリアには、貴族達の権力争いが降らない児戯のようにしか思えなかった。国を運営する上で民は必要不可欠。その民を疎かにする国の上層部に辟易しているセシリアは、このパーティーそのものも乗り気ではなかった。
このパーティーを開催する金で一体何人の民が救われるか。この時間で、一体何人の民を救えたか。聖女としての仕事をしている内に、セシリアの思考は基本的に自分を犠牲に人々を救う事に固執するようになっていた。
(最近の教会もお金に固執するようになってきてる。私の力は無償で振われるべきものなのに……)
そんな風に俯きながら考えているセシリアの耳に先程までの喧騒とは異なるざわめきが聞こえてきた。顔を上げたセシリアは、己の目を疑った。
上階から自分とは違う女性を侍らせながら降りてくるギルバートの姿があったからだ。女性の腰に手を回している点から親密さが分かる。肩を大胆に出し、谷間を強調するようなドレスを着た女性は煌びやかなアクセサリーを着けている。
本当に何もかもセシリアと正反対の女性だった。
「ギル……バート様……?」
ギルバートはセシリアを見つけると、鋭い目付きで睨んだ。それはこれまで接してきた中で一度もなかった表情であり、セシリアの背筋に鋭い痛みが走るようなものだった。
そして、ギルバートの隣の女性からは嘲笑される。その意味がセシリアには分からなかった。
ギルバートは、階段の中段で止まり声を張り上げる。
「皆聞いて欲しい! 我々は今日まで騙されていた! そこの聖女を騙るセシリアに!」
『っ!?』
パーティー会場にいる全員の視線がセシリアに注がれる。その注目を受けているセシリアは、ギルバートの言葉が理解しきれず呆然としていた。
「治癒の御手の持ち主はセシリアではない! このアラクネだったのだ! つまり! このアラクネこそが本物の聖女だった! これは教会にも確認している! アラクネが持つ力は治癒の御手そのものだった! だからこそ、俺はセシリアとの婚約を破棄し、このアラクネと改めて婚約する事を、ここに宣言する!」
「ま、待って下さい!! わ、私の力も教会が認めたものです!」
セシリアは、即座に主張する。実際教会が認めたからこそ、セシリアは聖女としての活動をしていた。つまり、治癒の御手の持ち主と認められているという事だ。
それを会場にいる面々も理解している。だからこそ、困惑が強く出ていた。
「類い希なる回復魔法の使い手であれば、治癒の御手と間違える可能性もある。教会もそう認めた。それだけであれば、まだセシリアが聖女の可能性もある。だが、一つ考えてみてくれ。セシリアには、治癒の御手の他にも二つの力が宿っているという事を。奇跡の存在。稀代の聖女。そうもてはやされるが、計三つの力を身体に宿すという事があり得るのか? だからこそ奇跡と呼ばれるが、その奇跡は本当に起こっているのか? 全てセシリアの欺瞞だったのではないか!? いや、そちらの方が可能性は高いだろう! 何故なら事実治癒の御手はここにいるのだから!」
ギルバートの言葉に会場にいた貴族達はセシリアから距離を取り始める。これまでのセシリアの献身よりもギルバートの言葉を信じている証拠だった。
「…………」
セシリアは反論したいところだったが、自分が力を持っている事を証明する方法がなかった。ギルバートの言葉から、自分が力を行使しても別の力をそう見せ掛けているだけと考えられてしまうからだ。
だが、そうした理論がなくても叫ばざるを得ない。
「わ、私は……私は聖女です! この身を粉にして皆に安寧をもたらそうと邁進してきました! 例え、この力が治癒の御手じゃないとしても、これまでの献身は嘘ではないはずです!!」
これまでの実績から自分は聖女であるという主張を出す。その声に頷く者も出て来たが、ギルバートがそれを許さない。
「そうしてまた人々を騙す気か? これまでの実績は俺の妻という立場を得るためのものだったのだろう? 権力を手に入れれば、聖女という立場を退いても安泰だからな! 衛兵! この者を捕らえろ!」
「そんなっ……そんな事考えていません! 私に野心がない事くらいギルバート様もお分かりでしょう!?」
「貴様は信用ならん。これまでの言葉も嘘である可能性が高い。王族を謀る……いや、それどころか国民全てを謀る悪しき存在め」
「ギルバート様。このような者を生かしておいては、国家の存亡に関わりますわ。即刻処刑するべきではないでしょうか?」
アラクネがギルバートに進言する。セシリアの処刑を促す言葉にセシリアは唖然とする。そして、同時にギルバートの突然の心変わりの原因がそのアラクネの言葉にあるとセシリアは気付いた。
「ギ、ギルバート様! その者の言葉に騙されてはいけません!」
「黙れ!! 貴様!! アラクネを愚弄するか!! 今確信した。貴様は聖女などではない! その罪! ここで裁いてくれる!」
セシリアの周囲に槍を持った衛兵達が集まり槍を向ける。動きを封じられたセシリアは周りに助けを求めようとするが、周囲から向けられる視線は失望と侮蔑のものだった。
「やっぱり聖女にしては鼻につくと思ったのよ」
「ああ、そんな力を三つも持っているなんて都合が良すぎる。奇跡の子として色々と騙していたのだろう」
「我らも騙されていた訳か。ギルバート殿下にも色目を使っていたのだろう」
「穢らわしい。聖女と呼べるものではありませんな」
先程までの好意的なものなどから一転して、セシリアの肩を持とうとする者は一人もいなかった。人の気持ちは移ろうもの。それを理解していても、ここまでの変わり身にはセシリアも絶望が強かった。
「やれ!」
衛兵達がセシリアに向かって槍を突き出す。囲むように突き出された槍をセシリアは避けられない。そんな戦闘経験などないからだ。身体に穂先が突き刺さる。
身体中から鋭い痛みが走った直後、焼けるような痛みが広がっていく。衛兵の中にも自分を助けてくれようとする人はいなかった。
(痛い……何でこんな……こんな……)
清らかな心を持つセシリアを強い絶望と憎しみが侵蝕していく。
世界は均衡を保つ。プラスがあればマイナスがある。それはこの世に存在する力も例外ではない。
治癒の御手があれば、奪命の御手があり、浄化の御体があれば瘴気の御体があり、創造の心があれば破壊の心もある。
負の感情に心の大半を塗りつぶされたセシリアは、その中に眠っていた負の力に目覚めた。一房を残し、綺麗な銀髪が黒く染まっていく。
「な、何だ……?」
口から血を垂れ流しにしているセシリアは虚ろな目で周囲を見る。
(こんな奴ら滅べば良い……)
まずセシリアに槍を突き刺した衛兵達が倒れる。
奪命の御手。周囲にある命を奪い尽くす呪いの力。
持ち主を失った槍がセシリアから抜けるが、そこに穴は空いておらず、既に塞がっていた。
「ち、治癒の御手……」
セシリアの回復速度を見た一部の貴族が呟く。その姿を見た瞬間に、治癒の御手の持ち主がセシリアなのだと再認識させられた。
「や、やっぱり、セシリア様が聖女っ……さっ……ま……こきゅっ……」
手のひら返しでセシリアを持ち上げようとした貴族は段々と呼吸が出来なくなっていくのに気付いた。それはセシリアの足元から広がる黒っぽい靄が原因だった。
瘴気の御体。周囲の空気や物質を汚染していく呪いの力。
呼吸が出来なくなった人々は次々に倒れていく。そして、倒れた端から身体が黒く染まっていった。
「ひっ……ひぃぃぃ……!?」
目の前で起こる惨劇にギルバートは後退ろうとして階段の段差で躓く。
「い、嫌っ! 助けてぇ!!」
アラクネも急いで上へと逃げていく。その判断は正しかった。セシリアの瘴気の御体による汚染は下に滞留しやすい。そして、奪命の御手の効果範囲もあまり広くはない。
上へ上へと逃げていくのは、セシリアから逃げるという意味では正しい。この二つのみなら。
逃げようとする二人の階段に亀裂が走る。それだけでは止まらず、パーティー会場全体に亀裂が広がっていき、さらには王城全体にも広がっていった。
「ひっ……ま、まっぺ……」
アラクネの言葉は最後までしっかりと紡がれる事はなかった。破壊の亀裂は建物から人にまで広がっている。それはギルバートも例外ではなかった。
「セ、セシリ……」
セシリアに手を伸ばしたギルバートの言葉も最後まで紡がれる事はなかった。その身体は粉々に砕け散っていった。
破壊の心。あらゆるものを破壊する呪いの力。
破壊は伝播し、王城全体を覆い尽くし、王城そのものを崩壊させた。そして、その内部にいる人々も同じく崩壊していく。
空中に浮いているセシリアは、片手を下から上に振り上げる。すると、崩壊した王城の残骸が持ち上がり融け合い、更に地面が大きく持ち上がっていった。
セシリアは創造の心を利用して、崩壊した王城の跡地を利用して大きな山とその上に建つ城を創造する。山は崖になっており地上からは登りにくくなっている。それはセシリアの拒絶の証だった。
その上に建つ城の中で、大きなベッドを創造したセシリアはその上で膝を抱えて、涙を流しながら横になっていた。
(もう嫌だ……お金ばかりの教会も……権力ばかりの貴族も……誰も信じられない……全部壊れちゃえば良いのに……)
一度の裏切り。そこからの絶望。それだけでセシリアは人間不信になり、全てを拒絶した。セシリアから発せられる瘴気は城が建つ山から地上へと落ちていく。
セシリアが献身的に人助けをしていた城下町がこの瘴気の最初の犠牲となる。瘴気に冒され、人々が死に、異形が生まれていく。異形は命を求めて駆け出す。
一人の女の妬みによる略奪がきっかけとなり、ここに一つの滅びが生まれた。
本当の両親も本当の愛情も知らない創世と滅びの力を宿したセシリアは、一人孤独な場所にてあらゆるものを拒絶する。
世界は均衡を保つ。この滅びにも均衡を保つための存在が生まれるのだろうか。




