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おっさんボックス

作者: ともさんず

おっさんの荒い鼻息が顔にかかり、一樹は顔をしかめる。


通学の満員電車でおっさんと密着することには慣れている。

だが、バーコード頭で脂汗をたらし、歯を食いしばり震える拳を固めながら無言で瞬き一つせずこちらを睨んでくるブリーフ一丁のおっさんと密着することに、一樹は慣れていなかった。


「あのすみません。」一樹は再度おっさんとコミュニケーションをとることを試みてみた。

「本当、ここから出してもらえないですかね。」


おっさんは依然無言で歯を食いしばりながらこちらを睨む。

コミュニケーションは失敗した。





このご時世、一樹のような田舎の三流大学生を採用してくれる企業というのはそうそう多いものではなく、それだけに今日の面接は本気で臨みたいと思っていた。

数々の企業の採用試験を受け、ことごとくダメだった一樹にとって社長面接まで進んだ今日の会社は最後の望みだった。


その辺のところがやっぱりプレッシャーだったのだろう。駅に向かう道の途中で急激におなかが痛くなり、内股になりながらへこへこと公園のトイレに駆け込む。

何とか緊急事態は回避できたものの、乗るはずだった電車はすでに逃してしまい次に来る電車は20分後。田舎の電車の本数の少なさは半端ない。


とりあえず会社に電話しなきゃと携帯を出す。が、電池がもうわずかしかない。多分電話かけたらすぐに電池切れる。

そういや昨日充電してないや、おれのアホ。


どうしようかと思ったが、とりあえずすばやく携帯のアドレス帳を開き、会社の電話番号を紙にメモる。そして、公園の傍らにあった電話ボックスに駆け込む。

そっから何かがおかしくなった。





10円玉を取り出し、電話機に入れようとしたその時、背後からだだだと走る音が聞こえ、振り向いた瞬間一樹のいる電話ボックスに汗だくでブリーフ一丁のおっさんが飛び込んできた。


「え?えええ?あえ?」

人はびっくりすると、ちゃんとしたことが言えなくなる。

電話ボックスに飛び込んできたおっさんは一樹の5cm手前で立ち止まり、ふがふが鼻息を出しながら一樹の前でとまる。



あまりにもシュールな出来事に一樹はしばらくの間あうあう言っていたが、とりあえず何とかしなければならないことに気づく。

まずはおっさんとのコミュニケーションを試みることにした。


「あ、あの、電話、先に使いますか?」なんか論点がずれてる気がするが、とりあえずおっさんになんかしゃべって欲しい。

できる限りのことはするからこのワケの分からない状況から解放されたい。


おっさんは無言で歯を食いしばりながら、一樹を睨みつける。せめて、なんかしゃべってください。



1分なのか、10分なのか、1時間は経っているのか、耐えがたい無言の状況が続く。この状況に何をしていいのか分からないのは一樹がゆとり世代だからとかそういう問題ではないはずだ。


この沈黙に耐えきれなくなった一樹は再度動き出す。

「すみません!」と言いながらおっさんの脇をすり抜け電話ボックスから出ようとする。会社に電話をしなければならないが、まずはこの状況から抜け出したかった。


だが、その瞬間おっさんは腰を低く落とし一樹にがっぷりと組みつき、相撲の要領で一樹を再び電話ボックスの奥まで押し込む。

このおっさんが何をしたいのかが全然分からないが、力では勝てないことは分かってしまった。


一樹が改めてうんざりした顔になった時、おっさんがゆっくりと口を開く。


そして


ゆっくりと口を閉じる。


何か言えや。



そんなこんなでもう数十分が経過した。その間、一樹は色々と試みていた。


再度コミュニケーションを試みてみたり、食べ物で釣ってみたり、人生相談をしてみたり、バイトでの恋愛の話を面白おかしくしてみたり、おっさんの頭をぺちぺちしてみたり、鳥羽一郎のものまねをしてみたり。

だが、おっさんは依然無言で血走った目で一樹を睨みつける。


一樹がおっさんのまつ毛を引っ張ってみている時、おっさんが不意に動き出す。

おっさんは無言でブリーフの中に手を突っ込み、何かを取り出そうとしている。


おい、やめろ!!それはいかんよ!!


それはいかんよー!!


だが、出てきたのは携帯電話だった。一樹がほっとしたのは単におっさんがアレを取り出そうとしたわけではなかったからだけではなく、このおっさんが文明の利器をを扱うことの出来る生命体だということが分かったからだ。

携帯を使いこなすことのできる現代人なら、我々ともコンタクトが取れるに違いない。


おっさんはポチポチと携帯のボタンを押す。携帯を両手で扱うのがいかにもおっさんだが許す。大丈夫だよー。

密閉された空間は些細な音も響く。おっさんの携帯から漏れる呼び出し音が一樹にも聞こえる。

電話に出たのは意外にも若い女性の声だった。


「はーい、もしもー」

ガシャン!


おっさんは力任せに携帯をコンクリの床に叩きつける。飛び散った破片が一樹の足に虚しくぺそっと当たる。

あー、もう駄目だ。一樹はその場にへたり込む。



もー、何なんだよー、俺はただ就職がしたいだけなのに何でこんな目に合うんだよー。

総理はコロコロ変わるし、政治が悪いのにゆとり世代とか言われるし、悪いのは不景気なのに車離れを若者のせいにされるし、目の前にはブリーフがいるし。

何なんだよこいつ、と一樹はへたり込みながらおっさんの脛を軽くこつんとける。


どうせ依然無言で血走った目で睨むだけなんだろ?って思ってたが、意外にもおっさんは変化した。


「うおーーーーーーー!!!!」


「むんぐぉーーーーーーん!!!」


突如の咆哮で一樹は再度固まる。

電話ボックスのガラスはびりびりと震え、ライブ会場でよくあるお腹にずんずん来る重低音に襲われる。

ぎゃー、怖い怖い怖い、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

おっさんの咆哮は止まらず、一樹は恐怖でへたりこんだ体をさらに小さく丸める。


ぷるるるるる


ぷるるるるるる


重低音の咆哮に交じり、高音の電子音が聞こえる。

電話の呼び出し音だが、一樹の電話はマナーモードだしおっさんの携帯は「元」携帯になって床のあちこちにある。


あれ?どうやら鳴っているのはこの電話ボックスの電話らしい。なんで?


恐怖と混乱で一樹の頭は訳が分からなくなっている。なぜか昨日食べたチャーシュー麺の事とか思いだしている。



「もしもし」

不意におっさんが電話に出た、というか初めて喋った。


「うむ、うむうむ、問題はなさそうだ、その方向で進めてくれ」

意外すぎるほどビジネスメンな口調でおっさんは淡々と話す。


おっさんはガチャンと受話器を置き、相変わらず血走った目で一樹を見下ろす。

そして落ち着いた、それでいて威厳のある口調で一樹に声をかける。「Congratulation!」

なんだそりゃ。


そのままおっさんは一樹に背を向け電話ボックスを出て、ダッシュで去って行った。

一樹は放心してその場を動けない。



一樹がやっと正気を取り戻した頃、すでに面接開始の時間から二時間が経過していた。


あぁ、そうだ、会社に電話しなくちゃ。

何て言えばいい?変質者に襲われたので面接遅れまーす。すみましぇーん。って言うの?信じてもらえるの?


何を言えば良いか頭がまとまらないまま電話をかける。あの、すみません、本日面接を予定していた伊藤一樹ですが変質者に襲われってしまってもにょもにょ。


俺が言ってることも良く分からないだろうけど、採用担当者はもっと分からないことを言ってきた。

「社長から話は聞きましたが、伊藤一樹さん、本日の面接の結果、採用になります。」


ん?どういうこと?いつ面接した?


え?もしかしてさっきのあれが?



こうして、就職先が決まった。

明日、辞めますって言う予定。

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