第5話 彼女がいなくなった日、王都の魔法は止まった
王都、宮廷魔導塔。
「――異常値、再上昇しています!」
朝から怒号が飛び交っていた。
巨大な観測水晶が赤く点滅する。
「結界維持率、八十七%まで低下!」
「昨日より五%落ちています!」
宮廷魔導士長グレインは額を押さえた。
「あり得ん……調整は済ませたはずだ」
「ですが術式が安定しません!」
机の上には、修正済みの魔法陣図面。
完璧なはずだった。
理論上は。
「原因を特定しろ!」
「それが……」
若い魔導士が言い淀む。
「術式の意味が……分からない部分が増えています」
「意味?」
「はい。翻訳記録と一致しないんです」
グレインの眉が寄る。
そんなはずはない。
王国最高の頭脳が揃っているのだ。
――なのに。
なぜか最近、魔法が“読めない”。
◇
一方、王城。
「また魔導暖房が止まったの!?」
新聖女セレナの声が響く。
侍女たちが慌てて頭を下げた。
「申し訳ございません!現在復旧作業中で――」
「寒いの嫌いなのよ!」
彼女は苛立たしげに杖を鳴らした。
金色の光が弾ける。
確かに派手だ。
だが――。
暖房は動かない。
「どうして私の魔法で直らないの!?」
誰も答えられない。
それは“修理”ではないからだ。
術式の理解が必要な領域。
そしてそれを担っていた人物は、もういない。
◇
王太子執務室。
レオンハルトは書類を投げた。
「なぜ問題が増えている!」
「殿下、魔導塔から緊急報告です」
側近が青ざめた顔で告げる。
「王都結界の維持効率が低下。長期維持が困難とのこと」
「は?」
あり得ない。
王国最大の防衛魔法だ。
「原因は?」
「……不明です」
沈黙。
「不明だと?」
「術式解析が追いつかないと……」
レオンハルトは苛立って立ち上がった。
「宮廷魔導士団は何をしている!」
その時。
ふと、記憶がよぎる。
地味な令嬢。
会議の隅で、静かに資料を読んでいた姿。
――違和感を指摘していた声。
『この部分、意味が少し違うと思います』
あの時、誰も聞かなかった。
いや。
聞く必要がないと思っていた。
「……いや、まさか」
首を振る。
あり得ない。
彼女の魔法は“何も起きない”のだから。
◇
魔導塔・解析室。
「三日前から全部おかしいんだ」
「術式同士の整合が取れない」
「まるで……」
一人が呟いた。
「翻訳者がいなくなったみたいだ」
空気が凍る。
誰も口にしなかった名前。
だが全員が思い浮かべていた。
リリア・フォン・エルセイド。
会議前に必ず資料を確認し、
誤記を直し、
術式の矛盾を指摘していた存在。
「……偶然だろ」
誰かが言う。
しかし声に自信はない。
「彼女がいなくなったのは、一週間前だ」
沈黙。
観測水晶が警告音を鳴らす。
赤い光が強まる。
「結界維持率、八十四%!」
「下がってるぞ!」
焦燥が広がる。
そして初めて。
誰かが、はっきりと言った。
「……あの令嬢、本当に無能だったのか?」
答えは出ない。
だが疑問は、確実に広がった。
◇
同時刻。
北方魔導研究所。
「できました!」
リリアが笑顔で振り返る。
新型生活術式が安定稼働していた。
暖かな光。
循環する水。
最小魔力での持続運転。
研究員たちが歓声を上げる。
「革命だ!」
「燃料費が十分の一だぞ!」
アルヴィンは静かにそれを見ていた。
そして空を見上げる。
遠く、王都の方角。
「……そろそろ気づく頃か」
「何がですか?」
リリアが首を傾げる。
彼は少しだけ口元を緩めた。
「自分たちが何を失ったのか、だ」
リリアは意味が分からず瞬きをした。
だがその頃、王都では。
小さな異常が、確実に連鎖を始めていた。
それはやがて――
王国全体を揺るがす事態へと変わっていく。




