第4話 失われた魔法は、ただ読めなかっただけでした
研究所に来て三日。
私はようやく理解し始めていた。
――ここは、楽しい。
廊下では魔導具が浮かび、
誰かが爆発させ、
誰かが歓声を上げている。
王都の魔導塔とはまるで違う。
失敗が叱責ではなく、発見として扱われる場所。
「リリア、時間はあるか」
背後から声。
振り向くと、アルヴィンが書類束を抱えていた。
「はい」
「見てほしいものがある」
案内されたのは地下階層だった。
重厚な扉がいくつも並び、空気がひんやりしている。
「ここは?」
「封印庫だ」
鍵が外される。
扉が軋みながら開いた。
中には――石板。
壁一面に並ぶ、古代文字の刻まれた板。
思わず息を呑む。
「全部……古代魔法ですか?」
「ああ。だが誰にも読めない」
アルヴィンは淡々と言った。
「王国が三百年解読できなかった遺産だ」
三百年。
私は石板へ近づく。
文字を見た瞬間。
――理解してしまった。
「……あ」
「どうした」
「これ……」
指が震える。
「魔法じゃありません」
「何?」
「生活術式です」
沈黙。
「灯りの維持、温度調整、水循環……全部、生活補助」
アルヴィンの眉が動いた。
「つまり?」
「古代文明の“家電”みたいなものです」
後ろで研究員が素っ頓狂な声を上げた。
「三百年研究して暖房装置!?」
「はい」
私は思わず苦笑する。
「戦闘魔法だと思われていたみたいですけど」
石板に触れる。
言葉が流れ込む。
やさしい命令文。
危険性はない。
「起動できます」
「……やれ」
短い許可。
私は魔力を流し、正しい発音で古代語を紡ぐ。
空気が震えた。
石板が淡く光る。
次の瞬間――
ふわり、と暖かな風が部屋を満たした。
「暖か……」
誰かが呟く。
冷えていた地下空間が、一瞬で快適な温度になる。
さらに別の石板が反応し、水の球が生成され循環を始めた。
静かな稼働音。
完璧な制御。
研究員たちが固まる。
「……三百年」
「三百年、俺たちは何を研究していたんだ」
アルヴィンだけが、装置を見つめていた。
その目に――初めて明確な驚きがあった。
「リリア」
「はい」
「これは再現可能か」
「可能です。むしろ量産向きです」
空気が変わった。
「王都の燃料問題、解決しますよ」
私は何気なく言った。
だが次の瞬間。
研究員全員がこちらを見た。
「……今なんて?」
「え?」
アルヴィンがゆっくり言う。
「それは国家規模の問題だ」
あ、と気づく。
王都では慢性的な魔力燃料不足が起きている。
でも、この術式なら――。
「魔力消費、従来の十分の一です」
完全な沈黙。
誰も動かない。
やがて。
アルヴィンが小さく笑った。
本当に、わずかに。
「確信した」
「?」
「王都は愚かだ」
珍しく感情の乗った声だった。
「君を追放した時点でな」
胸が、少しだけ熱くなる。
「……偶然です」
「違う」
即答だった。
「理解している者だけができる仕事だ」
彼は石板に触れ、静かに言った。
「三百年止まっていた文明を、君は十分で動かした」
視線が合う。
まっすぐで、揺らがない。
「君は、自分が何をしたか分かっていない」
私は言葉を失った。
ただ読んだだけ。
それだけなのに。
「――報告書は俺が書く」
アルヴィンは踵を返す。
「王都にはまだ知らせない」
「え?」
「準備が整うまで、君を守る」
その言葉の意味を、私はまだ理解していなかった。
けれど。
この日。
北方魔導研究所は確信する。
王国の未来を変える鍵が、
一人の令嬢の手の中にあることを。
そして同時に――
王都では。
リリアが去ったことで、
静かに歯車が狂い始めていた。




