第2話 役立たずを拾ったのは、王国で一番怖い公爵でした
王都を出る馬車は、驚くほど静かだった。
護衛もいない。
見送りもない。
王太子の元婚約者とは思えない扱いに、思わず苦笑が漏れる。
(……本当に、終わったのね)
窓の外では、石畳がいつの間にか土道へ変わっていた。
王都の白い城壁が、遠ざかっていく。
胸が痛むと思っていた。
けれど実際には、不思議なほど穏やかだった。
三年間。
私はずっと「証明」し続けていた。
自分は役立たずではないと。
けれど――もう証明する相手はいない。
「本日の終着は、クロイツェル領境です」
御者が告げた。
聞き慣れない地名に、私は顔を上げる。
「……辺境、ですね」
「ええ。魔導研究施設がある以外は何もありませんが」
研究施設。
その言葉に、少しだけ胸が動いた。
◇
到着したのは、夕暮れだった。
想像していた“辺境”とは違う。
巨大な石造建築。
幾重にも重なる魔法陣。
空中を漂う光の結晶。
王都の魔導塔よりも、ずっと実験的で――自由な空気。
「ここが……?」
「クロイツェル公爵家直属、北方魔導研究所です」
門が開く。
その瞬間。
――ビキィン。
頭の奥で、何かが軋んだ。
「……え?」
視界の端に、歪んだ魔力が見えた。
結界術式。
だが構文が崩れている。
魔力の流れが逆転しかけている。
(危ない……!)
考えるより先に、私は走っていた。
「お、お嬢様!?」
門柱に刻まれた魔法陣へ手を伸ばす。
触れた瞬間、言葉が流れ込んできた。
古代魔法語。
意味。
構造。
意図。
「第三節が誤訳されてる……!」
私は指で空中に文字を書く。
魔力が淡く光る。
「契約対象を“固定”じゃなく、“循環”に――」
修正。
たった一文字。
次の瞬間。
暴れていた魔力が、すっと静まった。
風が止む。
光が安定する。
そして――
「……は?」
背後から、低い声がした。
振り返る。
黒い外套を纏った青年が立っていた。
銀灰色の髪。
鋭い眼差し。
感情を読み取らせない表情。
周囲の研究員たちが、一斉に姿勢を正す。
「公爵閣下!」
私は息を呑んだ。
――クロイツェル公爵。
つまり、この研究所の主。
青年――アルヴィン・クロイツェルは、壊れかけていた結界と、私を交互に見た。
「今、何をした?」
責める声ではなかった。
純粋な確認。
「……術式の誤訳を、修正しました」
「誤訳?」
研究員たちがざわつく。
「この結界は宮廷監修だぞ」
「最高位術式のはずだ」
アルヴィンは一歩近づいた。
視線が、真っ直ぐに突き刺さる。
「説明しろ」
逃げ場はない。
けれど――なぜか怖くなかった。
「古代語の“保持”が、現代語訳で“固定”に置き換えられています。本来は循環型維持式です。固定すると魔力圧が蓄積して、いずれ破裂します」
沈黙。
研究員の一人が青ざめた。
「……三ヶ月前から出ていた異常値と一致する」
「まさか……」
アルヴィンの目が細くなる。
「誰に習った?」
「独学です」
「……独学?」
「魔法は、読むものだと思っていたので」
しばらく、彼は何も言わなかった。
ただ、じっと私を見る。
値踏みではない。
観察。
理解しようとする視線。
それは――初めて向けられる目だった。
「名前は」
「リリア・フォン・エルセイドです」
一瞬。
空気が止まった。
「あの王太子に捨てられた令嬢か」
噂は早い。
「……はい」
否定しない。
すると。
アルヴィンは、わずかに眉を上げた。
「なるほど」
そして、あっさりと言った。
「王都は、ずいぶん高価な人材を捨てたな」
――え。
理解が追いつかない。
「えっと……?」
「君、行く場所はあるのか」
私は言葉に詰まった。
ない。
だからここへ送られてきた。
沈黙が答えになった。
アルヴィンは即座に言った。
「では決まりだ」
くるりと背を向ける。
「研究所所属として雇用する」
「……え?」
「異論は?」
あるはずがない。
けれど。
「わ、私……役立たずで――」
言い終わる前に、彼は振り返った。
少しだけ、呆れた顔で。
「今、研究所を爆発から救った人間が?」
言葉が出ない。
「自己評価が壊れているな。後で修正しよう」
さらりと言って歩き出す。
「部屋を用意しろ。最高等級研究員待遇だ」
研究員たちが騒然となる。
私はその場に立ち尽くしたまま。
胸の奥が、じんわり熱くなるのを感じていた。
――初めて。
初めて。
何かが報われた気がした。
夕焼けが研究所を染める。
王都で終わったはずの人生が、
静かに、もう一度動き始めていた。




