第10話 私の居場所は、もうここにある
北方魔導研究所・中央制御室。
巨大な魔法陣が床一面に展開されていた。
王都と接続する遠隔術式。
「同期率、四十%」
「魔力経路安定しています!」
研究員たちが緊張した声を上げる。
リリアは中央に立ち、深く息を吸った。
王都結界の全構造。
それが、頭の中に広がっている。
歪み。
誤訳。
積み重なった応急処置。
(……無理をしていたんだ)
まるで限界まで働き続けた機械のようだった。
「リリア」
背後からアルヴィンの声。
「準備はいいか」
「はい」
もう迷いはない。
「接続開始します」
魔力を流す。
古代語が唇から零れる。
言葉は光となり、術式へ染み込んでいく。
意味を解く。
構造をほどく。
本来の姿へ戻す。
ひとつ、またひとつ。
誤った翻訳を修正していく。
やがて――
ゴォォォン……。
遠くから低い共鳴が響いた。
「王都側、反応あり!」
「結界再構築始まっています!」
水晶が白く輝く。
崩れかけていた魔力流が整列していく。
乱れていた層が重なり直す。
「維持率上昇!六十五%、七十%――!」
歓声が上がる。
だがリリアは集中を切らない。
最後の核心部。
王都結界の根幹。
そこには――。
(私が書き足した補助式)
かつて誰にも知られず組み込んだ、小さな調整構文。
それを正式な構造として再定義する。
「……これで」
最後の一節を紡ぐ。
光が弾けた。
次の瞬間。
観測水晶が眩く輝く。
「維持率九十五%突破!!」
「結界、完全安定です!」
拍手と歓声。
研究所が揺れるほどの喜び。
リリアはその場に座り込んだ。
力が抜ける。
「終わった……」
静かな達成感。
その時、水晶に映像が映った。
王都中央広場。
空を覆っていた歪みが消え、青空が広がっている。
民衆が歓声を上げていた。
誰も彼女の名前を知らないまま。
それでいい、とリリアは思った。
◇
同時刻、王城。
レオンハルトは窓から空を見上げていた。
安定した結界の光。
理解していた。
救ったのは誰か。
「……リリア」
返事はない。
もう隣にはいない。
ようやく気づいたのだ。
自分が見ていたのは“結果”だけで、
支えていた人間ではなかったことを。
後悔は遅すぎた。
◇
数日後。
研究所の庭。
雪が溶け、春の気配が漂っていた。
「王都から正式通達だ」
アルヴィンが書類を差し出す。
「研究所への国家支援決定。術式導入も承認された」
「本当ですか?」
「ああ。君の条件はすべて通った」
研究員たちが歓声を上げる。
ここが正式に王国の中核研究拠点になった瞬間だった。
リリアは空を見上げる。
少し前まで、自分には何もないと思っていた。
けれど今は違う。
やりたい仕事があり、
仲間がいて、
居場所がある。
「……良かった」
小さく呟く。
その隣に、アルヴィンが立った。
「後悔しているか」
「いいえ」
即答だった。
「追放されたこと?」
「はい」
少し考えて、笑う。
「今なら、感謝できるかもしれません」
彼は小さく息を吐いた。
「なら安心した」
「?」
「君がここに来なければ、研究所は退屈なままだった」
珍しく冗談めいた声。
リリアは笑った。
沈黙。
春の風が吹く。
「リリア」
名前を呼ばれる。
振り向くと、彼は少しだけ真剣な顔をしていた。
「これからも、ここにいるか」
問いの形をしているけれど。
どこか不安が滲んでいた。
リリアは頷く。
「はい。ここが私の職場ですから」
「……仕事として、か」
なぜか少し残念そうな声。
その表情が可笑しくて、思わず続ける。
「それに」
彼を見る。
「アルヴィンもいますし」
一瞬、彼が固まった。
珍しく言葉を失っている。
「……そうか」
短く答える。
けれど耳が少し赤い。
リリアは気づかないふりをした。
空は晴れていた。
王都でも、ここでも、同じ空。
けれどもう。
戻りたいとは思わない。
だって――
私はもう、知っているから。
自分を必要としてくれる場所を。
自分を理解してくれる人を。
そして。
本当の居場所を。
――完――




