13 熱気と煩悩
あっつい。
夏はあっという間にやって来て、ずっと居座ってくれるのだからたまったものではない。
子供の頃天気予報で言っていた猛暑日という言葉に恐れ慄いた記憶があるのだが、いつの間にか追加された酷暑日なんて単語にはもう絶望感しか感じられない。
年々、気温が上がってきている気がする。じりじりと照り付ける太陽に負けて、セミですら早朝に一瞬鳴いているくらいで、日中に声を聞かない。
幸い俺は現場に出る機会が少ないので比較的楽をさせてもらっているが、現場の連中はそうもいかないよな。
こまめな水分補給を呼び掛けたり、数年前から不評だった塩飴を塩タブレットに変えたりと色々してきたが、とうとう今年は空調服の支給に踏み出した。
田中のじーさんとかは面倒臭がって着ていないが、椎名と柿崎さんが面白がって来ているので、その内ちゃんと着てくれるだろ。
それなりに痛い出費だったが安全には変えられない。経理を引き受けてくれている母さんには悪いが、今後の働きで賄うので許してもらおう。
そんな熱中症対策に頭を悩ませる俺の前に、今日も今日とてにっこにこのお嬢さんが現れる。
「海行ってきました!」
ほんのり日に焼けたさくらちゃんが、いつものように俺を見付けて口を開いた。
この暑い中、随分と元気だなぁ。制服じゃないってことは、そろそろ夏休みに入ったのか? そりゃいい、社会人にも夏休みをくれ。盆休みだけじゃこの暑さは乗り切れねぇよ。
「よかったなー。いつものお友達と?」
「はい! かもめに持ってきたおにぎり取られたりして、大変だったんですよ」
「はは、そいつは貴重な体験したなぁ」
さくらちゃんに答えつつ、小銭を入れたまま放置してしまっていた自販機のボタンを押す。ガコンっと音がして、受け取り口にペットボトルのコーヒーが転がり出した。
そのままもう一度ポケットから小銭入れを取り出す。適当に小銭を入れて、さくらちゃんがよく飲んでいるミルクティーのボタンを押した。
最近小銭入れを使い始めたが、この一手間が面倒なんだよなぁ。
ファスナーではなくスナップボタン式なので、まだ何とかなっているが、数ヶ月持つかどうか。いつまたポケットが小銭でじゃらじゃらし始めるか、我ながら見ものだな。
それにしても海なぁ。高校の最後の夏休みに仲間内でイキって、原付で走ったのが最後かもしれない。
唐突に「夏らしいことしようぜ」と一人が言い出して、着の身着のままバイクを走らせた。
着くころには日も傾きかけていて、おまけに誰も水着を持ってきていないしで。海に入るのは諦め、暗くなるのを待ってから近くのコンビニで買った花火をして騒いだんだったか。
「ほら、ちゃんと水分補給しなさいよ」
「ありがとうございます! えと、孝樹さん」
汗のついたミルクティーを渡せば、さくらちゃんが笑った。
あーあー。赤くなっちゃってまぁ。日に焼けかかっているのか、この暑さのせいなのか、ほんのり顔が赤くなっている。若いからって気を抜いていたら本当に熱中症で倒れるぞ?
さすがに自分と会った後に倒れられた、なんてことになったら寝覚めが悪い。おまけとばかりに、ポケットに小銭入れを仕舞うのと同時に取り出した会社経費の塩タブレットを渡しておく。
これで多少はマシになるか? 帰ったらちゃんと汗も拭いて、今度はクーラーで冷えないようにしなさいよ。
「孝樹さんは夏の予定って、決まってますか?」
「社会人は基本的にお仕事ですよ。海なんて、久しく行ってないしな」
悲しいなぁ。社会人は一週間程度しか休みがないんだぜ?
こう暑いんだしもうちょい長めに休みを取ってもいいんじゃないかとも思うのだが、そうすると倒壊の恐れがある建物を放置することになるわけで。
対策として美空町にある同業他社と連携して、休みを一週間ずつずらして取る運びとなった。子供が小さい柿崎さんや高橋さんには悪いが八月の四週目の休みになったことを許してくれ。
それも全部、土日祝関係なくやってくる怪物のせいなんだよなぁ。
しかしまぁ、よくここまで気温が上がったものだ。夏という概念は好きだが、暑苦しいのだけ何とかならないものか。
お陰でうっかり幻聴が聞こえたのかと思ったぞ。
「じゃあ、一緒に行きましょうよ」
時折あるが、このお嬢さんはとんでもないことを平気な顔して言ってのける。
わかってて言ってんのかこの娘は。さすがにもう高校生になって三ヶ月も経つんだからもうちょっとこう、色々気を付けなさいよ。
いや、信頼? されているのは有り難いと思うよ? でも花の女子高生が二十六の成人男性相手に海へ誘うのはダメだろ。
あ? 運転手役とかそういうの? それも色々良くないのには違いないか。とにかくご両親が誤解しちゃうような発言は控えなさい。
「……バカ言ってないで、帰って宿題やんなさい」
「えー? いいじゃないですか。宿題もちゃんとやりますし」
「はいはい。熱中症になる前に帰りなさいよ」
ポケットから車の鍵を取り出してさくらちゃんを帰宅するように促す。
全く。なんてこと言い出すんだ、あのお嬢さんは。
こっちは一応健全な成人男性なんだから、勘弁してくれ。
煩悩退散。




