霜ノ原廃病院 ―― 癒王(後)
第2話 霜ノ原廃病院 ―― 癒王(後)
【202x年3月3日 午後8時47分 旧・月寒山病院跡】
――ドン。
金属の音が、闇を叩いた。
咲が反射的に結界を張る。
花弁の光が瞬き、床の影を焼く。
「待って……!」
奥から聞こえる、聞き慣れた低い声。
「おーい、いるか?」
スコップを肩に担ぎ、くたびれた作業着の大男が立っていた。
筋肉と脂肪がみっしりと付いた身体は昭和のプロレスラーのようだ。
安全長靴の爪先が、血の床を軽く叩く。
富士見野 不二美。
「おぉー、ここに居たか」
「……なんで来たんですか。不二美さん」
「……ツンデレ?」
「…………」
「……呼ばれてな」
「……誰にです?」
「内緒だ」
わざとらしく胸を張る不二美に、咲が眉を押さえる。
背後の壁が蠢く。
包帯の隙間から、巨大な影がゆっくりと立ち上がった。
「我が名は癒しの王、癒王――」
「いえおう?……まじで?」
咲が小声で
「あの雰囲気だったので、吹き出すのを我慢しました」
と呟く。
癒王の包帯がピクピクと震えた。
「あー、これだから凡人は!」
「えー、マジで自分で付けたの? かっこいいと思ってる? 相談出来る友達いなかったの? お母さん泣いてない? 人生もう少し真面目に考えた方が……」
怒涛の不二美さんのラッシュだった。
「う、うるせぇ! これでいいんだよ! 俺は王だぞ!」
癒王が足を打ちつけて怒鳴る。
「名前は、もう少しまともに考えたほうがいいと思うがな?」
「うるせぇ! 黙れぇぇ!!」
癒王が叫ぶと、病院も吠えた。
天井からチューブが垂れ、床が割れ、無数の注射針が飛ぶ。
「うれせぇのはてめぇだ。ちっとは黙れや」
不二美さんが軽く右腕を振るったように見えた。
だが――
『ボゴォン』
病院が震え、癒王の頭が壁にめり込んだ。
「たかが名前くらいの事でごちゃごちゃ言ってるんじゃねえぞ。カスが」
追撃で何度か蹴りつけると、癒王はピクリとも動かなくなった。
「えっー、あれだけ名前をいじったのに……」
咲の頬に冷や汗が光る。
その瞬間、壁が崩れ、天井が落ち、雪混じりの風が吹き込んだ。
咲が口を覆う。
「……あなた、手加減って言葉を知ってます?」
「いい加減は座右の銘だな」
「確かに……」
不二美さんは、癒王がめり込んだ壁を見つめながら
「掃除完了だな。請求は社宛でいいか?」
「請求書に破壊処理って書かないでください」
「壊し屋とかどうだ?」
「……もう十分壊し屋ですよ」
雪が吹き込む中、ナースコールが一度だけ鳴った。
ピンポン。
不二美は耳を掻きながら、
「もう少し壊しとくか?」
と呟いた。
咲はため息を着くと。
「……帰りますよ。迎えに来てくれたのでご飯でも奢ります」
「お、ケツの穴がでかいな」
「……殺しますよ」
「なんで?」
不二美さんはいつも通り、平常運転だった。
【蛇足】
日本では古来より、言葉には霊力が宿るとされた。
悪口もまた、呪詛の一種である。
癒王には、よく効いたようだ。




