プロローグ 不二美さん、踏む
夜の線路に、風が鳴った。
雪が積もった廃線跡。そこに何かが這っている。
白い腕が、ざり、ざりと地面を掻いた。
腰から下はない。
声を殺して進むたび、血が雪ににじんでいく。
目だけが異様に見開かれ、闇の中でこちらを探していた。
冷たい空気が、吐息のように震える。
――それは、生きものの動きではなかった。
「……みィつけたァ」
その声を聞いた青年は、振り返ることさえできなかった。
風が悲鳴をさらい、赤い線が雪にのびて、消えた。
――そして翌朝。
「……あれ、なんか踏んだ?」
スコップを担いだ大男が、雪の中で立ち止まった。
身の丈は二メートル近く、熊のような体だ。
大きめの作業着も肉の圧力ではち切れそうで、無精ひげの奥で目だけが優しい。
安全長靴の下、何かがぺしょりと潰れている。
その横で、黒髪ショートの若い女がスマホを掲げた。
白いコートの裾が揺れ、指先に光が灯る。
「不二美さん、それ……妖怪では?」
「雪の下で動いてたし、まあ人ではなかったな」
「動いてたんですか」
「うん、タッタッタッって音がしてた」
「……テケテケですね」
「てけてけ? 変な笑い方だな」
不二美はスコップを軽く回して、肩をすくめた。
「雪かきの邪魔にならなくてよかったな。埋めとく?」
「いえ、私が……」
咲の指先が空中をなぞると、花びらのような光が散り、女の姿は風に紛れて消えた。
残ったのは安全長靴の跡と、雪に突き刺さったスコップの影だけ。
「……さて、現場に行く前に灯油買って行くか」
「灯油は帰りで……」
しんしんと降る雪の下、錆びた軌道は静かに埋もれていく。
――噂は、今夜もひとつ、雪の下。




