夕焼けに歌う日
早希さんの様子が変だ。
僕らは下宿先でそれぞれカフェオレを作り、その匂いが好きなミケがどっちに反応するかで勝負している。でも最近の彼女は作ろうともせず、僕のカフェオレを飲む事が多い。何か悩み事があるのかと尋ねるのだけど、顔を横に振るばかりだ。そして一人になりたいから、と言って外に出ていった。同じ下宿仲間の春樹先輩に相談すると、「そういや大家さんの様子もおかしかったな」と首を傾げていた。ということは早希さんとその母である大家さんに関係することかもしれない。でも家族の問題に他人があれこれ言うのはどうなんだろう。
「透、お前は踏み込んでもいいと思うんだがな」
「え、何でですか」
「そりゃ……言うのは野暮ってもんだ。ほら、早希ちゃんを探しに行ってこい」
背を押されて下宿先を飛び出した。後ろで小さな足音がするなと思えば、同じく心配をしていたミケがついてきていた。商店街のみんなに聞いて回っても場所は分からずじまいだったけど、悩みの理由は教えてくれた。
早希さんが小さいときに家を出ていった父親から手紙があったらしい。酒癖が悪く、外にまで聞こえてくる大きな声に近所の人もいい思いをしていなかったとのことだ。そんな父親からの手紙には病気で死期が近いことが書かれていたという。
探しだせないまま夕方になり、僕が焦り始めた頃、ミケがふんふん、と鼻を動かして駆けだしていった。早希さんの服に残るカフェオレの匂いを嗅ぎつけたのだろうか。追いかけると夕陽の土手に早希さんが座っていた。
「早希さん、お父さんのこと――」
「……私、どうすればいいか分からないんだ。ひどいお父さんだった。でもね、お酒を飲まない時は優しくて、よくこの土手で手を繋いで散歩してくれたの。そう、ちょうど夕方には歌を歌って――」
早希さんが震える声で歌い始める。
夕焼、小焼のあかとんぼ
負われて見たのはいつの日か
次第に泣き声に変わるその歌を聞きながら、僕は手を握る。どう声をかけたらいいのか悩んでいると、早希さんが強く手を握り返してきた。
「お父さん、お父さん――」
僕は早希さんを抱きしめることしかできない。やっと出たのは「一緒に帰ろう」という言葉だけだった。ミケが帰る道を案内するとばかりに先導して歩く。
夕焼、小焼のあかとんぼ
負われて見たのはいつの日か
ミケの向かう先には夕陽の最後の欠片が土手にかかっている。
僕らはその光を踏みながら家路についたのだった。