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長編版 縁結びの狛猫②

 優一郎先輩と香織さんを近づけるための撮影が始まった。

 とはいえ、先輩は商店街の依頼を果たすため、撮影にはいっさい手を抜かない。香織さんとしばらくカメラの位置や、出演者の動き方などを現場で確認していた。

「よし、では午前の内に仮撮りをして、午後からが本番だな。主演の二人は今のうちに着替えをしておいて」

 ……そうだった。荷物持ちと雑用ばかりして忘れていたけど、僕の表向きの役割は出演者だった。

 社務所へ行き、部屋を使わせてもらって着物に着替える。

 優一郎先輩が僕の着付けを手伝ってくれた。少し落ち着かないのは、衝立(ついたて)の向こうで早希さんも着替えているからだ。映研の早希さんはこういう現場に慣れているらしく、香織さんと会話をしながらためらいなく着替えている。

 衣擦れの音が聞こえると、どうしても何かしら意識をしてしまう。衝立で仕切られたその倫理の境界線を、猫の身であるミケは気軽に飛び越えて様子を見に行った。

「お、ミケちゃん。私の着物姿はどう?」

「みゃおん」

 ミケの鳴き声に満足そうな早希さんの笑い声が重なった。

「透くんもこの姿を見れば褒め言葉の一つも出てくるよね、ミケちゃん」

 聞こえよがしに発せられたその言葉を聞いて、僕は頭を抱える。この十八年、女性の服装を褒めたことなんてないのだから。

「あはは、そう緊張しなくても大丈夫だって」

 優一郎先輩が帯を締めながら笑う。でも僕としては機嫌を損ねると死活問題となってしまうのだ。――主に下宿生活の。

「考えすぎて演技になると、相手にとっても失礼だからね。だから自然と出た言葉でいいんじゃないかな」

 先輩はそう言うと、結んだ帯を背中に回してくれて、着付けが終わったとばかりに肩を叩く。そして根付などの小道具を並べ、着物と合うものを選びはじめた。何事もそつなく、そして自然にこなすことのできるこの人を少し羨ましく思う。

 やがて早希さんの方も終わったらしく、衝立の向こうから足袋が畳を擦る音が聞こえてきた。

 ミケが感想を言う準備ができたかとばかりに、先に出てきて僕を一瞥する。

 ――考えちゃだめだ。自然に、自然に。自分の感性を信じて言葉にするだけだ。

「へっへーん、どう?」

「きれい――きれいです」

 とっさに出た言葉はありふれたものだったけど、誠意はちゃんと早希さんに伝わったようだ。少し目を逸らした彼女は、指で髪をいじりながら「……ありがと」と素直にお礼を言っていた。しばらく続いた奇妙な沈黙は、シャッター音が鳴り響くことで打ち破られた。

「あれ、優一郎先輩? どうしてカメラを持っているんですか。それに香織さんもマイクを向けて――」

「ごめんね、これも撮影の計画に含まれてるんだ。やっぱり演技ではなく純粋な言葉は重みが違うね。とりあえずシーン1はOKかな」

 どうやらこれも撮影の一環だったようだ。なるほど、あの早希さんがしおらしい態度を取っていたわけだ。

 むくれている僕をよそに仮撮りが始まった。今回の撮影コンセプトは「猫から見た人の生活」であり、香織さんのミラーレス一眼レフカメラ以外に、ミケの首輪と狛猫にミニカメラを設置して撮ることになっている。猫が見守っている街をアピールしつつ、浴衣を着ることで近く行われる夏祭りの集客を図るらしい。

 ひと通り仮撮りが終わり、昼食休憩中となる。

 とはいえ、優一郎先輩と香織さんはモニターを前に真剣な顔をしながら打ち合わせを始めていた。仕事ばかりで仲が進展しそうにない様子を見て、早希さんが文字通り地団太を踏む。

「ああ、じれったい! もっとこう肩を寄せあうとか、偶然を装って手を握るとかあるでしょうに!」

「昭和のセクハラみたいな発言はやめてください」

「だってさあ」

「優一郎先輩の勝負は打ち上げの時でしょう? なら今はこれでいいんじゃないですか」

 真面目な二人が真面目に時間を共有してるのだ。これはこれで進展と言っていいのではないだろうか。

 さて、午後の本番に向けて僕もエネルギーを蓄えておくことにしよう。最後に残していた唐揚げを頬張ろうと箸を動かすものの、かち、かちと箸がぶつかる音ばかり聞こえる。

 あれ、おかしいな。

「どほしたほ?」

 くぐもった声の方に視線を向けると、早希さんが小さな口に何かを頬張っている。

 ……お姉さんぶるのであれば、辞書でちゃんとその意味するところを調べて欲しい。

 せめてもの復讐、もとい反抗に、早希さんの弁当箱に残った卵焼きを箸で掴んで口の中へほうり込もうとする。しかしすんでのところで手首を掴まれ膠着状態になった。仲裁に入ったかのように見えたミケが卵焼きを奪い去ったことで、醜い争いは中断する。

「仲がいいことだね」

 優一郎先輩が苦笑する。

 どう反論しようかと考えていると、本番の撮影が始まった。

 町内のボス猫でもあるミケが境内をひとっ走りし、大勢の仲間を境内に集めてくる。その中を僕と早希さんが歩いたり、また階段から街を見下ろしたりしながら撮影は進んでいく。気づけば夕方となり、取り残した映像は狛猫を取り囲んで遊ぶ猫達のシーンのみとなった。赤く染め上げられた境内と狛猫、そしてまどろう猫達の光景は、異世界ではないかと思うほどに美しい。

 陽が沈み、撮影もこれで終わったと思うのだけど、まだ香織さんはカメラをこっちに向けている。そしてミケの首輪からもカメラを外そうとしない。

「香織さん? 暗くなったことだし、撮影はもうできないんじゃあ?」

「この時間を待っていたのよ。今に分かるから、狛猫の近くにいてね」

 悪戯を企む子供のように香織さんは笑った。早希さんと目を合わせて首を傾げた時、境内が大きな音とともに白く光った。

「花火! でもお祭りはまだ先のはず」

「試し打ちがあるって聞いたの。絶好のシチュエーションでしょ?」

 でも大きな音に驚いて野良猫たちは逃げてしまった。ミケも驚いたらしく、くるくると僕の足元をまわっている。やがて次の花火と共に、情けない声をあげて僕の胸へ飛び込んできた。僕は体勢を崩し、狛猫に向かって倒れ込んでしまう。

「あぶない、透くん!」

 早希さんが身を乗り出し、僕とミケを受け止めてくれる。

 でも勢いの方が勝り、僕らは狛猫の間に倒れてしまう。ぺたんと地面に座りこみ、おでこが痛いな、と思って前を見れば早希さんの顔が近くにあった。お互いミケを掴んでいたので動くこともできず、またびっくりして顔を離すことも忘れて硬直する。

 やがて最後となる花火が上がり、僕らは白い光に包まれた。


 ハプニングはありつつも、撮影を取り終えた僕達は片づけをして打ち上げ会場へと向かうことになった。

 僕と早希さんは一度荷物を置いていくからと、先に階段を降りて下宿へと向かう。優一郎先輩と香織さんを境内に残し、告白のチャンスを作ったというわけだ。

 道すがら、香織さんからカメラを預かっていた早希さんは、僕とミケに向かってしきりにシャッターを切っていた。いつもは撮られる側なので、逆の立場は面白いらしい。

「優一郎先輩、大丈夫かな。残念会にならないといいけれど」

「うーん、きっと大丈夫じゃない?」

「なんで分かるんですか?」

「だって、これを見てよ」

 早希さんが肩を寄せて、カメラの撮影記録を見せてくれる。最初は僕やミケの写真、つまりは早希さんが撮っていた写真だらけだった。はしゃぎながら撮っていたためピンぼけしたり、超アップで撮っていたりと、まあ需要がない、どうでもいい写真記録が続く。そのうちに本番の映像が多くなってきて、その中でも優一郎先輩の写真が多いことに気づいた。そしてそのどれもが、仕事に対して誠実な、そして優しい雰囲気を感じさせるものばかりなのだ。

「カメラ越しにじっと見ていないとこんな写真は撮れないよね。これは脈があるんじゃないかな」


 ここからは後日談。

 優一郎先輩が編集したPV動画はかなりの反響を得た。

 でも初期設定に変更があったらしく、恋人達を見守る猫と狛猫、というものになっていた。着物を着てた彼女にどぎまぎする男、というのは分からないでもないけれど、唐揚げと卵焼きを奪いあったシーン(撮影されたことに気づかなかった)を弁当を分け合う、微笑ましいものに加工されていたのにはびっくりした。また、狛猫が見守る中、花火が二人を照らし出すクライマックスは、出演者が自分でなければドラマかと思っただろう。

 ともあれ、縁結びの狛猫として好評を博し、観光客が増えてきているらしい。商店街のお婆ちゃんらも喜んでいるようだし、良かった良かった。

 優一郎先輩と香織さんがどうなったかは下世話な話なので、早希さんみたいに言いふらす必要はないだろう。

 だから誰かに聞かれた時は、僕はこういうつもりだ。

 この神社の狛猫は霊験あらたかなんですよ、と。

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