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長編版 ラテとオレとミケ

 僕はこの四月から大学へ通う。

 東京に出てきたのは、自分の引きこもりがちな性格を直したいからだ。

「素直にご両親に追い出されたっていいなさい。お母さま、実家から離せば社交的になるかもって言っていたわよ」

 そう断言するのは、大家さんの娘である早希さんだ。

 大学二年生である彼女は小遣いを稼ぐため、下宿人に朝食を作ってくれている。僕はミケの餌の用意と自分のカフェオレを作るため、早希さんと同じ時間帯に台所へ行くことになる。人見知りの僕としてはこの狭い空間で二人きりという状況がとても気まずい。カフェオレを飲んだり、ミケの相手をするふりをしたりしてその場をしのいでいたら、彼女はそんな僕に業を煮やして夢は何だ、大学はどこだと聞いてきたのだ。

「それで、君は何の学部で学んでいるの?」

「動物看護学です」

「それなら、なおさら飼い主さんとかとコミュニケーション取らないといけないじゃない。よーし。お姉さんに任せなさいっ」

「任せるって?」

 早希さんが咳払いをした後、腕を組んで椅子の上に立って見下ろしてきた。

 ……もしかしてこの人、背が低いということを結構気にしているのかもしれない。

「君を鍛えてあげるって言っているの。まずは自室にこもる原因から取り除かないと」

 早希さんはそう宣言して椅子から降りると、温めていたみそ汁の火を止め、エプロンで手を拭きながら僕の横に座ってきた。そして僕が抱いたままのミケに向けて甘い声を出す。

「ミケちゃんは私のところにおいで~。これからは私も面倒を見てあげるからね」

 どうやら早希さんは僕がミケの世話にかこつけて部屋に入り浸っていると考えているらしい。確かにその一面はあるので否定はできない。しかし、長年培ってきた僕とミケの絆に割って入ることなんてできないだろうに。

「みゃおん」

 でもミケはこの場の権力者が誰であるか認知したらしく、僕の喉に髭をすりつけていたのをやめて食卓に飛び降り、僕と早希さんのちょうど中間に座りこんだ。

 おのれ、裏切り者め。

 ふて腐る僕を見て、早希さんが苦笑まじりに注意する。

「君のお母様からも頼まれているんだから、しっかりしてよ」

「……ちなみに母さんは何と?」

「油断すれば引きこもる、コミュ障だって」

 ――母さん、せめて他人にはもう少し含みのある言い方をしてくれないでしょうか。

 僕が困って黙っていると、早希さんは戸棚からなにやら本格的な道具を出して珈琲を淹れ始める。

「それってエスプレッソマシン?」

「そ、朝はミルクを入れてカフェラテにするの。ふっふっふ、私も珈琲の匂いをつければミケちゃんが甘えてくれるはず」

 どうやら早希さんは僕の心配をしていたのではなく、単純にミケと遊びたかったらしい。鼻歌を歌いながら極細挽きの豆を取り出し、ホルダーに詰めてタンパーでぐっと押し固める。手慣れた感じから、僕は油断ならないライバルができたと冷や汗を流す。ちらりとミケを見れば早希さんの様子をじっと見ている。ううむ、これは僕の方が不利なのか。

 心地よい抽出の音とともに、エスプレッソの強く深みのある匂いが漂ってくる。そしてその匂いをミルクが軟かなものに変え、台所に広がっていく。

「さあミケちゃん、私の胸に飛びこんでおいで。カフェラテの匂いで君を染めてあげる」

「いいや、ミケ。長年、僕が入れたカフェオレこそ至高のはずだ。こっちにこい!」

 僕と早希さんを発信源として、台所がラテとオレの匂いで二分される。ミケはその匂いの中間でうろうろと、どっちに行こうか悩んでいる。

「もう一押しかな? ミケちゃん、こっちに来て~」

 早希さんが、カフェラテが入ったカップの上で息を吐く。強いラテの香りがオレを押しはじめると、その分、ミケがオレの方へと動いていくのだ。つまり、僕の方へ近づいていくことになる。

「そんな! ――いいやまだよ。ミケちゃん、ご飯も作ってあげるからこっちへおいで」

「少し高級な猫缶を買ってあげるから、僕の方へくるんだ!」 

 台所で奇妙な買収合戦をしながら、僕と早希さんは声を張り上げた。ミケが不思議そうな顔で僕達を眺めながらも、少しずつ僕の方へと歩みよる。

 あと二十センチ、あと十センチ――。

「勝った!」

「ああ、負けちゃった!」

 食卓に突っ伏して悔しがる早希さんを見て僕はガッツポーズをする。そんな僕の様子がおかしかったのか、早希さんは向日葵のような明るさで笑い始めた。

「なんだ、ミケちゃんを介してなら結構他人と話せるじゃない。ふたりでセットというとこか」

 ミケが同意を示すように短く鳴いた。その様子がおかしくて、僕と早希さんは顔を見合わせて笑う。

 その時、頭上から、ごほん、とわざとらしい咳払いが聞こえた。椅子に座ったまま振り返ると、僕以外の下宿人――和樹先輩と優一郎先輩が困ったような顔で立っていた。

「あの、朝ごはんいただいてもいいですか?」

「ごめんなさいっ! 勝負に夢中になって忘れちゃってた。いまおみそ汁を温め直すね」

 慌てて立ち上がった早希さんに続いて、共犯である僕も朝食の準備を手伝う。

「透くん、わたしがするから大丈夫よ。アルバイト料をもらっているんだから」

「僕とミケのせいだから申し訳なくて。少しだけ手伝わせてください」

 椅子に座って上目遣いの僕と、早希さんの膝に取りすがったミケの様子を見て早希さんは吹きだした。

「君達って本当に面白いコンビね。よーし、なら遠慮はしないわ。透くんはご飯をよそって食卓に置いて。それに昨日の残りの肉じゃがをレンジで温めてね」

 思ったより作業量が多いな、と思うのはミケの労働力を一人分と考えていたからだ。確かに猫と人では手伝う割合が減るのは分かるのだけど。

「うんうん、ミケちゃんはそのまま膝に密着していてね。わたしの幸福度が高まるから!」

「みゃおん!」

 参った、これが猫と人との格差社会というものらしい。

 朝食の準備を終え、先輩達と食卓を囲む。

 昨日まではいたたまれない沈黙があったけど、今日はドタバタしていたせいか、なぜか会話ができるのだ。もちろん、話題はミケであり、今朝の僕と早希さんの勝負についてだった。早希さんはみそ汁を飲みながら、ミケを僕から奪うと改めて宣言し、その勢いに押されたみんなから拍手をもらっていた。

 朝食が終わり、食事の片づけも手伝う。その時、早希さんが背伸びをして僕の耳もとに口を寄せてきた。距離の近さにドキリとして硬直した僕に、早希さんはこう言った。

「負けたことは悔しいから明日再戦ね。勝つまで続けるから覚悟して」

「僕が負けたら?」

「その時は私に挑戦しなさい。お姉さんはいつでも受けて立つ」

 ……どうやら僕はこれから毎日、早希さんと勝負をしなければならないらしい。

 

 四月、新生活の始まりの月。

 僕は高校生の時とは全く違った生活を始めることになる。

 だってこれからの日々は、背が低くて負けず嫌いで、笑顔が素敵な早希さんと騒ぎながら始まるのだから。

 僕とミケだけで過ごしてきたこれまでの朝よりも、少し色がついたような気がして、僕は明日が楽しみになった。

 


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