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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編集ー文芸系

鏡の中の私

「玄関に八角形の鏡を置くと、風水的に運気がアップするんですって!」


 そう言って、母が玄関に鏡を置いた。

 置かれた時は特に気にしていなかったが、ある日、ふと気づいた。


「合わせ鏡じゃん、これ」


 玄関脇の靴箱には、全身鏡が貼られている。

 反対側の棚の上に置かれた八角形の鏡とは向い合わせになっており、覗き込むと、幾重にも自分の姿が見えた。

 面白がって子どもの頃はよくやったが、合わせ鏡は良くないものだと聞いてから、怖くなってやらなくなった。

 風水がどうとか言うのなら、これはいいのだろうか。

 疑問に思うも、母が置いたものを勝手に動かすと怒られる。私は、八角形の鏡は気にしないようにして、出かける時は全身鏡だけをチェックした。


 私は今、華の女子高生だ。未成年だから、まだ親の庇護下にある。

 高校生は、22時まで。バイトも、ゲーセンも、みんなそう。

 だから、(うち)の門限は22時だ。外にいていい時間が、22時まで。

 結構厳しいと思う。だって22時まで遊んでいていいんだから、それから帰ったら22時を過ぎるのは当然だ。

 ていうか、そもそも22時までっていうのが無理過ぎる。高校生なんて、一番遊ぶのが楽しい時期なのに。

 だって大人になったら仕事に家事に忙しくて、休む間もないって言う。だったら、今遊ばないでいつ遊ぶの?

 だから私は門限を破ることも多くて、しょっちゅう母から怒られている。

 今日も、友達とファミレスでだべっていたらあっと言う間に22時を過ぎてしまった。でも慣れているので、一応警察沙汰にされないように「遅くなる」と連絡だけは入れて、カラオケに行った。

 制服では絶対に補導されるので、もちろん私服。大人っぽいメイクをしていれば、案外バレない。そのまま朝までオールしようと思っていたが、運悪く店員に知り合いがいて、年齢詐称がバレた。

 カラオケを追い出されて、終電も終わっているので、みんなで割り勘してタクシーに乗った。順に降りて、私が最後。

 そーっと音を立てないように玄関を開けて、慎重に閉じる。時刻はもう深夜の2時を過ぎている。丑三つ時って言うんだっけ、と思いながら、ふと視線を感じて、鏡を見た。


「っ!?」


 悲鳴を上げそうになって、慌てて両手で口を塞ぐ。

 そこに映っていたのは、何重にもなった私の顏。

 びっくりした。心臓が飛び出るかと思った。そうだ、合わせ鏡。

 

「こんな時間に見ると怖いな……」


 まるでホラー映画の演出のようだ。思わず、まじまじと八角形の鏡を覗く。

 うん、なんてことない、ただの鏡。

 でも気味悪いから、夜になったら布とかかけてくれないかな。

 そんなことを思いながら、奥行きのある虚像を眺めていると。


 鏡の奥の奥、たくさんの私の内、一人だけが、にぃと笑った。


 ばっと体を引くと、後ろの全身鏡にぶつかった。

 どっと冷や汗が吹き出る。

 落ちつけ、幻覚だ。私は笑っていない。鏡の中の私が、笑うはずがない。それも、一人だけ、なんて。鏡なんだから、全部同じに決まってる。

 丑三つ時という時間が、夜の暗さが、鏡に対する私の心理が見せた、幻覚。

 うるさい心臓を宥めて、私は鞄にぐしゃぐしゃに丸めて入れっぱなしにしていたハンカチを、八角形の鏡にかけた。



 ×××



「ちょっと、早穂! あんた昨日いったい何時に帰ってきたの!」

「あーあー、うるさい」

「ちゃんと聞きなさい、早穂!」


 だるい母の説教を右から左に聞き流して、今日も遊びに行く。

 現在時刻は午前11時。休みなんだから、別に遅くに起きたって文句を言われる筋合いはない。

 軽く食べてから出かけようと思って、冷蔵庫を開ける。

 いつも置いているヨーグルトが、ない。


「あれ? おかーさん、私のヨーグルトは?」

「何言ってんの。あんた、自分で食べたんでしょ。容器捨ててあったじゃない」

「は? 知らないけど」

「こっちだって知らないわよ。まさかあんた、酔っぱらって食べたんじゃないでしょうね」

「んなわけないじゃん!」


 私の記憶が曖昧だと疑った母が、厳しい目を向ける。

 でも、私は飲酒なんてしたことない。ちょびっとしか。酔っぱらっていたはずがない。

 むしろ母の方がぼけて食べたのではないか、なんて思いながらも、それを口にしたら更に説教がヒートアップする。仕方なく、私はオートミールに牛乳をかけて食べた。




「早穂、昨日だいじょぶだったん?」

「全然、ヨユー」


 いつメンで集まって、ショッピングモールで買い物をする。

 コスメショップでメイクしてもらって、最新の美容液を試して、マネキンのファッションを採点して、タピオカドリンクを飲みながら、アイドルの話をする。

 代り映えしない毎日だけれど、友達といるだけで、それなりに楽しい。

 時間はあっという間に過ぎて行く。名残惜しいけれど、明日は普通に学校だ。さすがにオールとはいかない。

 別に、してもいいんだけど。遅刻が多すぎて、学校でも目を付けられている。次遅刻したら単位がやばい。

 だからちょっと早く帰ったつもりだったけど、結局22時は過ぎていた。

 そーっと帰って、そーっとお風呂に向かう。すると、途中でばったり母と出くわした。

 怒られる、と思って思わず身構えると。


「あら、あんたまだお風呂入ってなかったの」

「え、あ、うん」


 だって、今帰ってきたところだし。と思っていたら。


「早く帰ってきたんだったら、早く済ませちゃいなさいよ。寝るの遅くなるじゃない」


 そう言われて、首を傾げた。早く帰ってきた、って、どういうことだろう。

 でも、さっき帰ってきたところだなんてバカ正直に言ったら、怒られるに決まってる。

 考えて、回りくどい聞き方をした。


「私、帰って来てから、おかーさんと喋ったっけ?」

「何言ってんのよ。8時くらいに会ったじゃない。『今日は早いのね』って言ったら、あんた『まあね』って返事したでしょ。覚えてないの?」


 母の言う8時は、つまり20時。その時間、私はまだショッピングモールにいた。

 ぞっとした。なら、母が会ったという『私』は、いったい。

 顔色を悪くした私に、母は怪訝な顔をした。


「ちょっと、早穂。あんた、ほんとに大丈夫なんでしょうね。なんか、変なクスリとか」

「そんなもん、やってるわけないじゃん!」


 言い捨てて、私は風呂場にこもった。

 心臓が、嫌な音を立てている。なんだ、なんなんだいったい。

 ふいに視線を感じて、風呂場の鏡に視線を向けた。

 そこには、私が映っていた。

 ただの、鏡だ。いつもの鏡だ。映っている私は青白い顔をしていて、ちゃんと私の顏だった。

 でもなんだか不気味に感じて、私はなるべく鏡に映らないようにしながら入浴を済ませた。




「やっば、寝坊した!」


 スマホのアラームを早々に止めてしまい、私は爆速で支度をした。

 朝食も取らずに、母に一言もかけずに家を飛び出す。

 全速力で走ったが、もう朝のホームルームには間に合わない。

 でも、ホームルームくらいなら、セーフだろう。

 タイミングを見計らって、ホームルームが終わってから一時限目が始まるまでの休憩時間に、こそこそと席に向かった。


「おはよー」

「あれ、早穂、なんかぐったりしてない?」


 私の前の席のクラスメイトが、振り返って声をかけてきた。

 それに、私は鞄を置きながら、溜息混じりに返事する。


「もー、マジ焦った。寝坊しちゃってさー。でも授業には間に合ってるから、セーフだよね?」

「は? 何言ってんの? さっきもいたじゃん」

「え?」

「だから、朝から普通にいたじゃん。ホームルームも受けてたし。この一瞬で疲れてるから、何してきたのかと」


 ざあっと血の気が引くのを感じた。

 足元がふらついて、思わず机に手をつく。


「ちょっと、早穂!? 大丈夫? 保健室行く?」

「……や、もう、授業休めないし。受ける」

「ほんとに? 体調悪いなら無理しない方がいいよ。先生だってわかってくれるって」

「ううん、いい。受ける」


 だって。保健室で寝てて、戻って来た時に。

 もし、「授業受けてたよ」なんて言われたら。

 そんな恐怖に取りつかれながら、じっと椅子に座って授業を受け続けた。

 

 その日の記憶は、ほとんどない。

 友達には体調を心配されて、放課後はどこへも寄らずに、まっすぐ家に帰った。

 玄関を潜ると、八角形の鏡が目に入る。

 それだけで嫌悪感が湧き上がり、私は鏡を伏せた。


「ねえ、おかーさん。あの鏡、気味悪いから退けてよ」

「なによ急に。鏡なんて、どこにでもあるじゃない。別にいいでしょ」

「だって、あれ、全身鏡と合わせ鏡になるじゃん。縁起悪いよ」

「やだ、あんた縁起とか気にするの? 大丈夫よ、そのくらい。あの場所が風水的にいいんだから」


 母のスピリチュアル趣味には付き合っていられない。もう、あの鏡を捨ててしまおうか。

 でも、後で見たら、伏せたはずの鏡は元に戻されていた。捨てたところで、また買ってくるだけだろう。

 気味が悪い。でも、どうしようもない。

 私は、八角形の鏡を睨みつけた。


 


 夜中に目が覚めて、トイレに行った。

 ついでに喉が乾燥していたので、台所で水を飲む。

 静かだ。母はもう寝ているから、当たり前だけれど。

 しんとした空間に、時計の秒針の音が響く。

 深夜2時。丑三つ時。

 時刻を意識した瞬間、全身に鳥肌が立った。

 私は衝動的に周囲を見回して、目についたボールペンを握った。

 そのまま小走りに、玄関に向かう。

 八角形の鏡。伏せても、捨てても、母は戻してしまうだろう。

 でも、鏡が割れていたら。さすがに、母も気味が悪いと思ってくれないだろうか。

 呼吸が浅くなる。鏡面には、怯えた私の表情が映っている。

 そんな私の顔に突き立てるように、ボールペンを振りかぶった。


『――ダメだよ』


 振りかぶった手は、背後から掴まれて止まった。

 この場には誰もいないはずなのに、後ろから声がした。

 確認したいのに、振り向けない。

 振り向けなくても、私には見えていた。

 鏡に映る、私の後ろの『私』が。


『やっぱり、鏡の向こうの「私」は悪い子だね。物を壊そうとするなんて』

「なに……なんなの、あんた、誰」

『私は早穂だよ。いい子の早穂。夜は門限通り帰ってくるし、朝はちゃんと起きて学校に行く、いい子の早穂』

「はあ……?」

『お母さんだって、いい子の私の方が好きだもの。だから、悪い子の早穂は、もういらないよね?』

「っバカ言わないでよ、このニセモノ……っ」


 無理やりにでも振りほどこうとした時。

 背後のニセモノが、私を強く押した。

 体が傾ぐ。八角形の鏡が目の前に迫って、ぶつかる、と目を閉じた瞬間。


 私は、鏡の中にいた。


「はぁ……?」


 目の前には、『私』がいる。

 鏡の壁を隔てた『私』は、柔らかく微笑んで、鏡を覗き込んでいた。


『ばいばい、悪い子の「私」』


 そして、世界が壊れる音がした。



 ×××



「早穂ー! 朝ごはんできたよー!」

「はーい!」


 母の声を聞いて、私はダイニングに向かう。

 母の作った朝食をしっかり食べて、時間に余裕をもって学校へ向かう。

 玄関で靴を履いていると、置かれていた八角形の鏡がなくなっていることに気づいた。


「あれ? お母さん、鏡どうしたの?」

「ああ、あれ? 朝になったら割れてたのよ。割れる音なんてしなかったんだけどねぇ。早穂も気味悪いって言ってたし、捨てちゃおうかと思って」

「そうなんだ。なら、代わりにぬいぐるみ置こうよ。なんか可愛いやつ、買ってくるね」

「あら、ありがと」


 全身鏡で制服の乱れをチェックして、私は笑顔で玄関の扉を開けた。


「行ってきまーす!」


 こうして、『私』の新しい一日が始まる。

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