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大人になりたいわたしたちは

作者: 璃月りよ


「わ、わたしに、……できることって、あるかな」

「……ごめんなさい。ないと思う」



 わたしは今でも、この時の絶望感を言い表すことができない。






 りんと友達になってから、一年が経っていた。


 高校に入って、席が隣で喋るようになって。

 勉強を教え合ったり、一緒にお弁当を食べたり、たくさんの時間を過ごして。二年生になって、同じクラスで喜んで。


 もはや親友とも呼べる関係となっていたわたしと凛。


「凛、一緒に帰ろ!」

「ごめんみなみ、ちょっと今日は用事があって。また明日ねっ」


 放課後になりすぐ声をかけると、眉を寄せ、両手を合わせて申し訳なさそうにする凛。

 

 全然大丈夫だよと笑って、足早に教室を出ていく姿を見送る。



 これはよくあることだった。


 週に一、二回、凛は「用事」で一緒に帰るのを断る。その曜日は不規則で、「用事」の内容を教えてもらえたことは一度もない。いつも若干気にしながらも、プライベートなことだからとなかなか聞けずにいた。


 別に、隠しごとをされていると思っているわけではない。凛に悪気はないことは態度で分かっている。





「でも気になっちゃうんだよねー。そろそろ教えてくれてもいいような気はするんだけど……」


 つぶやきながら、一人で帰路につく。

 と、いつも通るスーパーの中に、知った顔を見たような気がして、立ち止まった。


「凛……?」


 外から改めて中を覗き込むと、間違いなくそれは凛だった。カートを押し、真剣な表情で何かを見ている。


 凛の用事って、これ?

 毎週何回か、スーパーで買い物をしてたってこと?


 いや、わたしが凛を見かけるのはこれが初めて。さすがに毎回スーパーに行ってるなら、もっと早く気付いてもよかったはず。


 どうしても気になってしまったわたしは、意を決してスーパーの中に入った。そのまままっすぐ凛に近づいて、声をかけようとする。


「り——」

「おねえちゃん!」


 私の言葉を遮ったのは、男の子の声だった。

 

 見ると、小学校低学年くらいの、凛に目元がよく似た男の子が、目を輝かせて凛に駆け寄っていくところだった。

 その小さな手には、お菓子が握られている。


「おねえちゃん、これかって!」

「……それは買わないよ、りく

「えーなんでなんで! これほしいー!」

「ダメ」


 凛は途端に怖い顔になって、弟くん(おそらく)を睨んだ。凛のこんなに怖い顔は、初めて見た。


「それは戻してきなさい。早く帰るよ」


 凛がスタスタと歩いて行こうとしたので、わたしはあわてて声をかけ直した。


「待って、凛!」

「わっ!? え、みなみ!? どうして」

「どうしてって……ここ、私の通学路だし」

「通学路……あの、今日はたまたまいつも行くスーパーが臨時休業で、それで、えっと」


 凛はひどく動揺していた。

 

 言い訳のようなことを口走った後、口をぱくぱくさせて固まる。


「用事って、いつも買い物だったの? 実はね、ずっと気になってたの」


 わたしは、不思議そうにわたしを見つめてくる弟くん(おそらく)と少し目を合わせて、続ける。


「凛、一人っ子って言ってなかったっけ。弟がいたなんて知らなかったよ? 少し、話せないかな」


 わたしはもちろん、怒っているわけではなかった。

 

 嘘をつかれていたことは少しショックだったけれど、凛の本心を知りたくて。

 凛は弟くんと私をかわるがわるに見たあと、観念したように頷いた。






 凛の家についていく道中、彼女はほとんど喋らなかった。弟くんの言葉にほんの少し返して、あとは晴れない表情でずっと俯いている。

 

 到着し、家の前で待っていると、買ったものをしまった凛が玄関から顔を覗かせた。


「ごめん、みなみ」


 開口一番、凛は謝った。そのまま家の隣の公園のベンチに、二人で腰を下ろす。


「ずっと嘘をついていてごめんなさい。私、実は弟がいて」

「うん」


「私、みなみにたくさん嘘ついてた。……実はね、中学生の時、両親が亡くなったの」


「えっ」


 予想もしていなかった言葉に、今度は私が固まる番だった。


 だって、だって凛は


「だから。お母さんがお弁当作ってくれてるって言ったのも嘘。お父さんと一緒にゲームしたって言ったのも嘘。全部嘘だったの。本当にごめんなさい」


 そう。凛から両親の話を聞いたことがあった。

 そういうときは、決まってわたしがわたしの両親の話をしたときだった気がする……。



 察する。凛が、いったいどんな気持ちで日々を過ごしていたのか。



「ごめんなさい! わたし、凛の気持ち何にも考えずに」

「ううん、私が嘘ついてたんだから。みなみは悪くないでしょ」

「でも……」


 それなら、どうして嘘をついたの? と聞こうとして、口を押さえた。あまりに失礼なことを口走るところだった。もしかしたら、凛は両親が亡くなったことを実感したくなかったのかもしれないのに。


「あの……あのね、みなみ。私の話、聞いてくれる?」

「うん」


 凛は、今まで誰にも話したことがない、と緊張した面持ちで口を開いた。







 両親が事故で亡くなった。弟はまだ小さいから、私が世話をしなきゃいけなくって。

 中学生のうちは、親戚が手続きや手伝いをしてくれたけれど、高校に入ってからはそれも減っていたの。

 っていうのもね。私は、「しっかりしなきゃ」って、ずっと思ってきて。私がしっかりしないと、弟を育てないとって。お母さんの代わりに、お父さんの代わりになろうとして。まだ子どもの私には、できるわけないって分かってたけれど。それでも両親の代わりでいよう、大人の代わりでいようって。


 そしたらね。

 そのうち、子どもらしく振る舞えなくなった。自分のことがよく分からなくなったの。

 皆といるとき、私も表面上は笑顔でいながら、頭の中ではいつも今日の晩ごはんのことを考えてる。皆は私のこと、しっかりしてるって褒めてくれるけれど、そんなことない。しっかり者に見える私は、私じゃない。私は必死なだけ。

 自分が本当の自分でいられているのか分からないまま、なんとなく毎日生きてるだけなの。自分の気持ちに正直に答えようとしても、自分の気持ちが分からない。嘘をついたのも、本当の自分が分からないから。


 でもね。大人でいようとすればするほど、周りの大人は私を信用して、安心していく。だから親戚も、私がしっかりしてるから大丈夫ねって。大人でいれば、安心してもらえるんだよ。だから私は、また大人でいようとして。






「何も気にしていないふりをして、大丈夫なふりをして、しっかり者のふりをしてた。それが私」

「……凛……」


 かける言葉が、思いつかなかった。


 凛の言うとおりだった。

 わたしは子どもで、どこまでも子どもで。

 いつも楽しく喋ってくれた凛は、本当は子どものように振る舞っていた。でも大人でいようとしていた。


 それに、ずっと気づかなかった。


「ちゃんと休めてるし、お金も余裕がある。弟も、たまにわがままは言うけれど、協力してくれてる。全然不自由しているわけじゃないの。でも、でも、私って……」


 言葉に詰まった凛の顔を見ると、瞳に大粒の涙がたまっていた。




「本当の私って、ただの子どもだった私って、どこ行っちゃったんだろうって……!」




 わたしは、わたしは。

 

 わたしは、凛の手を握ることしかできなかった。

 

 ぎゅっと握り返された手をわたしも握り返す。

 凛は、静かに涙を流す。


 どうしよう。どうしよう。

 凛に絶対何か言ってあげなきゃと思えば思うほどに、何を言っていいのか分からない。


 慰める? 励ます?

 どちらも違う気がする。握られた手から、凛の苦しみがわたしにも伝わってくる。


 胸が苦しい。わたしが言えることは……?

 わたしができることは……。


「わ、わたしに、……できることって、あるかな」


 あれだけの話を聞いた最初の言葉としては、我ながら頼りなさすぎると思った。声も震えている。


 凛は一瞬わたしの目を見たあと、そっと手の力を緩めた。

 涙を一筋流し、ゆっくりと首を振る。


「……ごめんなさい。ないと思う」

「…………」



 息を、呑んだ。



 十数年の人生で、初めて感じた気持ち。


 数秒遅れて、「無力感」という言葉がどしん、と胸に着地した。


「みなみは……みなみは、こんな私といつも仲良くしてくれて。みなみと話していると、家事のこととかを少し忘れられて、楽しいの。だからみなみは私といてくれるだけで……」



「なんでなの……!!」



 わたしも堪えきれなくなって、涙が溢れてきた。凛の涙の何倍もの勢いで溢れてくる。


「凛が……わたしの大事な友達が、こんなに頑張ってるのに気づけなかったのはなんでなの! 一生懸命話してくれたのに、わたしにできることがないのはなんでなのっ! なんで何にもできないの、なんで凛の助けになってあげられないのっ……!」


 独り言でしかなかった。

 緩められていた凛の手を、両手で包んで握り直す。

 ぎゅううっ、と音が聞こえるほど握りしめる。


 感情が整理できなくって、全部言葉に出しながら泣きじゃくる。


「わあああああんもう凛、なんでもっと早く言ってくれなかったのってそりゃあ簡単に言えるわけないよね……! なんで一人でずっと抱え込んできたのってそんなのずっと頑張ってきたからに決まってるじゃんねもう……! わたしのばかぁ!」


 自分でも何を言ってるのかよく分からない。


 とにかく、凛に何もしてあげられない悔しさと無力感でいっぱいで。それから、泣きたいのは凛のはずなのに、騒いでしまったことに対して恥ずかしさと申し訳なさでいっぱいで。

 最後のほうは凛にすがりついて、肝心の凛がわたしを慰めているみたいになってしまっていた。


 本当に、わたしって子ども。





 わたしも凛もしばらく泣いていたけれど、少し経って落ち着いた。ベンチに座ったまま、正面を向いて無言の時間が続く。


 凛の話を噛み砕いて、自分で自分の気持ちも噛み砕いて。ふと、思ったことがあった。


「ねえ、凛」

「……うん」





「大人って、なんだろうね」





「えっ」


 凛は、何か初めて見るものを見るように、わたしの顔を見た。


「なんかね、今ふとそう思ったの。大人ってなんだろう。大人になるってどういうこと? 大人でいようとしてる時点で、わたしたちって子どもだよね。だって、子どもだから大人になろうとするんだもん」


「……たしかに、そうだね。子どもだから、大人になりたかったり、なりたくなかったり、する」


「でしょ? でもね、肝心の『大人になる』っていうことがどういうことなのか、実は何にも分かってないなってことに気づいて。ただ十八歳になったら大人……ってわけじゃ、ないよね」


「……そう、だね。私、大人でいなきゃって思ってきたけど……大人ってなんだろう。明確に言えないのに、ずっとそれになろうとしてた。そのことにずっと、気づかなかった」


 凛は自分で自分に言い聞かせるように、ゆっくりとそう答えた。


 そうなのだ。

 大人のなり方は、誰も教えてくれない。

 周りの大人たちは、当たり前のように大人で、たくさんのことを教えてくれるけれど。大人のなり方なんていう、一番大切で、一番些細なことは、誰一人として教えてくれないのだ。


「……分かんないなぁ。大人のなり方」

「……分かんないね。大人のなり方」


 それっきり、また無言の時間が続いた。

 考えても分かるわけはない。だって大人の定義も、なんなら子どもの定義さえも、明確に言えないのだから。





「おねえちゃん? いつまで公園にいるの?」


 振り向くと、弟くんが心配そうに歩いてくるところだった。そうだ、話し込んでしまったけれど、凛には弟くんのお世話がある。


「ごめんね、陸。今からささっとごはん作る。……あ、ねえ、みなみ。ごはん作ってる間、陸と遊んでくれる?」

「……! もちろん」


 あった。

 「わたしにできること」、あった。


 本当に小さいことだけど、本当に短い時間だけど、それが嬉しい。わたしはこの数十分、凛の力になれるのだ。







「はじめまして、陸くん。わたし、凛の友達でみなみっていいます。よろしくね」

「よろしく。じゃあブランコのろ」

「いいね! 乗ろっか!」


 頬に残る涙を拭って、わたしは陸くんと隣り合ってブランコに乗った。


 前に漕ぐたび、ブランコが高くなるたび。視界いっぱいが空で、夕焼けがとても綺麗だった。


「ぼく、わるいこかな」


 唐突に、陸くんがそう言った。


「ぼくしってるもん。パパとママがお空にいっちゃってから、おねえちゃん、いつもぼくのためにがんばってる。ぼくがいなかったらおねえちゃん、らくかな」

「そんなわけない!」


 わたしは慌てて陸くんの言葉を否定した。


 間違ってもまだ小さい男の子に、そんな風に思ってほしくなかった。


「凛は、陸くんがいるから頑張ってるんだよ。陸くんがいるからきっと頑張れるんだよ」


 陸くんの、ブランコを漕ぐ足が止まる。


「でも、ぼくなんにもできないもん。おねえちゃんはぼくのためにがんばるけど、ぼく、おねえちゃんのためになんにもできないもん」



 …………あ。



 わたし、さっき、今の陸くんと同じ気持ちだった。


 凛のために何にもしてあげられないって思ってた。大切な誰かのために、自分が何もしてあげられないことが、どれだけやるせないか、悔しいか。

 それを身をもって知ったのだ。


「……わたしも同じだったよ、陸くん」


 わたしも、ブランコを漕ぐ足を止めた。


 ブランコは、ゆっくりと振り幅を狭めていく。


「おなじ?」


「うん、同じ。わたしね、さっきまで凛が頑張ってること、知らなかったの。やっとそれが分かって、何かしてあげようと思ったんだけどね。凛にできることはないって言われちゃって。すごく悲しかったの。何もできないって悔しいよね」


「……うん」


 陸くんはこくりと頷いてくれた。


「でも、子どものわたしたちには、できることは本当にほとんどなくて。早く大人になりたいなって思ってたところだったんだ」

「うん。ぼくもおとなになりたい」


 そう。

 大人になれば、できることが増える。色々なことに挑戦できる。誰かを助けられる。役に立てる。

 たくさんのことをするためには、大人になる必要がある。大人になるしかない。


 でも。


「でもね。早く大人になろうとする必要は、ないんじゃないかな」


 わたしは、一番は他でもないわたし自身に言い聞かせるように、声に出した。


 そして再び、ブランコをゆっくりと漕ぎ始める。


「……きっと、どんな大人も、分かってないんだよ。自分がいつ大人になったかなんて。いつ大人になるかなんて、誰にも分からない。大人っていうのは誰にとっても、いつの間にかなってたものなんじゃないかな」


 ブランコはゆっくりと揺れる。


「だから今は、大人になりたいなって思っていればいい。今の自分にできることを、小さなことでも頑張り続けてたらいいの。もちろん、頑張りすぎるのはダメ。だってわたしたちは、まだ子どもなんだから。大人と同じようには頑張れないもの」


 ブランコは揺れる。


「一人で頑張れないときは、二人で、三人で、みんなで頑張ればいいの。力を合わせればいいの。だってわたしたちは、まだ子どもなんだから。でもね、子どもが何人も集まれば、大人以上の頑張りができる。そういうものなんじゃないかなぁ……って」


 ブランコは大きく揺れる。


 いつの間にか陸くんのブランコも揺れている。

 夕日が、目の前いっぱいに広がった。


「……うん。わかった」


 陸くんは、真剣な顔で頷いてくれた。わたし自身でも今の今感じたこの思いが、どこまで通じたかは分からないけれど。





「陸、ごはんできたよ。よかったらみなみも食べていって」


 ちょうど凛が呼びにきた。


 陸くんは勢いよくブランコから飛び降りて、凛へ駆け寄った。


「おねえちゃん! ぼく、おさらならべるのてつだうから」

「え、ほんとに? 助かるよ」


 凛は少しびっくりしたあと、ふわりと笑った。

 そして、わたしのほうを見る。


「あのね、凛」


 わたしはブランコを漕ぎながら思ったことを、もう一回自分の中でも整理しながら語った。


「だから。これからもよろしくね。一緒にいようね。たくさん楽しいことしようね」


「……うん。私もみなみのこと、もっと頼る。それで、みなみと一緒に楽しい思い出をつくりたい。これからもよろしくね。本当に本当に、ありがとう」


 凛は、晴れやかにそう言いきって笑った。

 凛の中の何かが吹っ切れたのなら、わたしがその力になったのなら、本当に嬉しいなと思った。


 どちらからもともなく、手を握り合う。わたしも凛も、両手でしっかりと握手をする。


「こちらこそありがとう、凛」


 これは、まだまだ子どもなわたしたちの、子どもらしい一歩。

 大人になりたいわたしたちの、大人になるための一歩。




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― 新着の感想 ―
今なら区切りをつける境界線の意味を知り、行動を起こすことは簡単ですが、当時は手探りで、ひたむきに、駆け引きなしで、思い出すとくすっ!ですね。素敵なお話しをありがとうございました。がんばって下さい。
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