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ここへ何をしに来たの?

作者:

 フェルマ王立学園。

 豪華で上品な造りの大広間では、卒業記念パーティが開かれていた。

 テーブルの上には華やかな飾りつけと共に豪華な料理やデザート、飲みものが並べられ、それらを手にした生徒たちは談笑をしつつ、明日からの希望と不安に胸を膨らませていた最中に、それは起こった。

「クリストフ・グランジュ様!」

 凛とした声が会場中に響き渡る。

 名を呼ばれた金髪碧眼の美青年……ミダル国王太子クリストフ・グランジュは穏やかな笑みを保ったまま、振り向いた。

「なにかな、マリーヌ? そんなに大声を出さなくても良いよ、君の声はよく聞こえるからね」

 マリーヌ……即ちマリーヌ・ジェラン侯爵令嬢は自身の翠色の瞳を僅かに細め、口を開く。

「貴方との婚約を、破棄させていただきますわ!」

 しん、と周りが一瞬だけ静まり返った。そして、さざ波のように騒めきが広がる。

「まずは理由を聞かせてもらえないかな? このような場所で言うのだから、やむを得ない理由があるのだろうね?」

 あくまでも冷静で穏やかな姿勢を崩さないクリストフ。それにマリーヌは僅かに眉を寄せたが、すぐに冷静な表情に戻り答えた。

「婚約者である私を差し置いて、他の令嬢をエスコートするなど……」

 鋭い視線がその令嬢……エミ・マドゥアス男爵令嬢を射抜く。エミはびく、と肩を震わせたものの、真っすぐにマリーヌを見据えた。

 それを他所にマリーヌは言葉を続ける。

「これを浮気と言わず、何と言うのですか! よってクリストフ様の有責により、この婚約を」

「そのことなのだけどね、マリーヌ」

 あくまでも穏やかに遮られ、反射的にマリーヌは口を噤んだ。クリストフは目を静かに細めてみせる。

「私はちゃんと君の家に迎えの馬車を向かわせたよ。しかし、帰って来た馬車に君の姿はなかったんだ」

 新たな騒めきが会場中に広がった。

「私は一週間程前からこの時間に迎えを寄こす旨を手紙で伝え、私の目の色と同じブローチとドレスも贈ったよ。なのに今君が身に着けているブローチとドレスは、全く別の色のもの……どういうことなのか説明してもらえないかな?」

 マリーヌはぐっと言葉に詰まった。

 ミダル国では、互いの目の色のものを身に着けていることは『婚約している証』となる。現にクリストフは、マリーヌの瞳の色と同じ、エメラルドのブローチを白地のコートの胸元に品良く身に着けていた。

 畳みかけるようにクリストフは言葉を続ける。

「ああ、届いていないということは無いよね。手紙は私の配下……即ち王宮付きのメッセンジャーが届けたということは確認済み。そしてドレスとブローチはそれぞれソーサルム商店とライネン洋服商に依頼をしたからね」

 それぞれ王室御用達として有名な高級商店だ。その商店が王族直々の依頼を蔑ろにするなど許されない。「卒業記念パーティ用」という一生に一度という晴れの舞台の衣装なら尚更だ。

 だというのに、マリーヌが身に着けているドレスはクリストフの目の色である青ではなく、紫色。身に着けているブローチにはアメジストが嵌め込まれている。

「……贈っていただいたドレスとブローチは私には似合わないデザインのものでしたので」

「それはすまなかったね。君の絵姿を元にデザイナーと幾度となく打ち合わせ、最先端の流行を取り入れたものだったのに残念だよ」

 不穏な騒めきは止まらない。マリーヌの発言は王家御用達商店に勤めるデザイナー並びに、クリストフを侮辱したと捉えられてもおかしくないからだ。

「それからエスコート役を務めてくれたエミ嬢だが、私が無理を言って会場に入る直前に頼んだんだ。さすがに王太子である私が、誰のエスコートもしないなど体裁が悪いからね。エミ嬢にはいらぬ負担を強いてしまい本当に申し訳ないことをしてしまった」

 頭を下げられ、エミはとんでもない! とばかりに少し跳び上がり、それでも何とか気を取り直して口を開く。

「い、いえ、勿体ないお言葉です。グランジュ殿下にそのような御事情がおありでしたら、断る理由などありません。どうか、お気になさらず……」

 その言葉にクリストフは頭を上げ、「そう言ってくれると救われるよ」と困ったように微笑んだ。

 そして、唇を噛みしめるマリーヌに向かってまた穏やかな笑みを浮かべてみせる。

「これが私が君をエスコート『出来なかった』理由だよ。そして、君が私のエスコートを『何も言わずに』断った理由は、そのドレスとブローチを贈った相手にあるのかな?」

 そう、そもそもマリーヌは会場に入った時、『一人では無かった』。王太子に続いてその婚約者まで? とパーティ前に不穏な騒めきが起こったのは言うまでもない。

 そしてそのマリーヌをエスコートしていた相手とは。

「グランジュ殿下」

 カッ、と靴音が高く鳴った。あからさまに安堵の表情を浮かべるマリーヌだが、クリストフの表情は変わらない。

「そのドレスとブローチは私が贈らせていただきました。どうか、罰するのならこの私だけを」

 胸に手を当てて礼をするのは、褐色の肌に黒髪、そして紫色の瞳の青年……ジェラルド・ロビンソンだった。その胸元には、ペリドットのブローチが光っている。

 ああ、やはり、と察するには充分過ぎる程だ。

「君はベルアゾバ国からの留学生だね。しかし、我がミダル国の風習を知らない訳ではなさそうだが」

「ええ、充分承知しております。我が国にも同じ風習がありますので」

 ぴん、と空気が張り詰める。

「なるほど。君たちは既に恋仲にあるということだね?」

 ものすごい衝撃発言がクリストフ自身から発せられ、ざわり、とさらに大きく会場中が騒めいた。ひそひそと何やら囁き合う声も響き渡る。

 それを意に介していないどころか、目にも耳にも入っていない様子で、ジェラルドはマリーヌの肩を優しく抱き寄せた。マリーヌは何も抵抗することなく、その胸元に頭を預け、うっとりとジェラルドを見上げる。

 一枚の絵画のように美しい光景……ともいえるが、こんな状況ではしらけるだけだ。むしろ冷たい視線を周りから向けられているのに気付きもしないのが逆に凄いともいえる。

「その通りです。私が一方的にマリーヌを見初めてしまい……グランジュ殿下が婚約者であるということは存じておりました。しかし私はどうしてもこの気持ちを抑えきれず……!」

「いいのよ、ジェラルド。貴方の気持ちに答えてしまった私も同罪よ。だからこそ私はこの場で婚約破棄を……!」

 何を見せられているんだろう、とんだ茶番劇だ、というのが全員一致の感想だ。自分たちの世界に入り込んでいる2人にはこの空気を察することなど出来ないのだろうけれど。

「……なるほど」

 だがクリストフの様子は変わらない。穏やかな笑みを崩さないまま、世間話でもするかのような気軽さでもって口を開く。

 何か不気味なものを感じた周囲は互いに顔を見合わせた。

「マリーヌ、君は私との婚約を破棄し、ロビンソン殿と新たに婚約したい、ということだね?」

「え、ええ、そうですわ」

 気を削がれたのか、マリーヌは肯定する。

「私をでっちあげの罪で有責に追い込もうとする程には真剣ということだね」

「……っ」

 目を伏せるマリーヌにクリストフは「ふむ」と一つ頷いて、今度はジェラルドに顔を向けた。

「では、ロビンソン殿。質問をしてもいいかな?」

「何なりと」

 ジェラルドはあっさりと頷いた。

 それを真っすぐに見据え、クリストフは口を開く。


「ここへ何をしに来たの?」


 思いもかけない質問に沈黙が落ちた。それに構わず、クリストフは言葉を続ける。

「君は『留学生』としてここ(学園)に来たのだよね? そもそも『留学』というのは国際経験を積むことでスキルアップしたり、多文化と触れ合うことで国際感覚を養ったりすることが目的の筈。君は、王太子の婚約者を略奪するのがここ(学園)に来た目的だったのかな? それは『留学』の定義を大きく外れていると思うのだけど」

「り、略奪するなど、私はっ……!」

「そんなつもりはなかった? ここまで説得力の無い言葉は滅多に聞けないよ、ある意味貴重だね。……『学園』は『学ぶため』の場所。クラスメイトと交友を深めるのは自由だが、本来の目的はあくまでも『勉学に励むこと』だ」

 すう、とクリストフの目が狭められた。

「もう一度聞くよ」


「君は、ここへ何をしに来たの?」


 ジェラルドは一瞬息を飲み、そして答えた。

「勉学のためです」

 クリストフは目を少しばかり見開き、また狭める。

「また説得力のない言葉だね。逆に感心するよ」

「クリストフ様、お言葉が過ぎますわ!」

 マリーヌが擁護するも、クリストフは肩を竦めるだけだった。

「ロビンソン殿の成績は、全体の平均にも満たないのに?」

「えっ……」

 マリーヌが心底ドン引きしたような声をあげた。それは周りも一緒で、完全に冷たい目をジェラルドに向けている。

 ジェラルドはわなわなと震えつつも、言葉を何とか紡ぎ出した。

「な、なぜ……」

「何故知っているのか? 愚問だね」


「君の身分はベルアゾバ国の第二王子だろう?」


 

 周りの騒めきがさらに大きくなった。

「まさか、ありえない」

「王族という身分で平均より低い成績など……」

「本当に何をしに来ているのかしら?」

「女漁りじゃないのか?」

「言葉が過ぎますよ。ですが、そう思われても当然ですよね」

 くすくす、ひそひそ

 嘲笑が容赦なくジェラルドに浴びせられる。そんな中、クリストフはあくまで冷静だ。

「君がどのような成績を修めているのか、それは君の母国に逐一伝えられている。その流れで私の耳にも入ったに過ぎない。まあ、留学をしてまでその程度の成績しか修められない時点で君が王太子になる確率は低くなっていたのだけど、私の婚約者を略奪した時点でゼロになってしまったね」

「……っ」

 ジェラルドの顔から、ざあっと血の気が下がる。汗がだらだらと流れ、その褐色の頬を伝うのが見えた。

「だとしても、君には優秀な兄と弟がいるからその点は安心だね」

「……」

「ねえ、マリーヌ。それでも彼との婚約を結びたいのかい?」

 呆然としていたマリーヌだが、クリストフに尋ねられ小さく息を吐いて彼を真っすぐに見据えた。

「も、もちろんですわ。ジェラルド様に捧げる愛に変わりはありません!」

「ロビンソン殿が君の家……即ちジェラン家に婿入りを目論んでいたとしても?」

「……っ!」

 ジェラルドの瞳が見開かれた。同じようにマリーヌの瞳も見開かれる。

「王位継承争いから転落したんだ。そんな打算を抱くのも当然だよね?」

「うそ……嘘でしょ、ジェラルド! あなた言ってくれたじゃない、私を好きだって、愛してるって!」

「そんな言葉一つで君が言うことを聞いてくれるのなら、幾らでも言ってくれるだろうね」


「恋とは怖いものだね。『言葉の真偽』を見抜けない程、人を愚かにするのだから」


 沈黙を貫くジェラルド。クリストフの言葉を肯定しているも同然の態度に、マリーヌの顔が絶望に染まった。

 クリストフは、ふ、と息を小さく吐き、改めて口を開く。

「ジェラルド・ロビンソン殿、貴方は強制送還させていただく。同時に婚約者を略奪したことによる、私に対する慰謝料を『貴国』を通じて請求させていただくので、そのつもりで」

 その通告が意味することを知ったジェラルドの顔もまた絶望に歪んだ。

「待て、待ってくれ、私は!!」

「見苦しいぞ、ジェラルド・ロビンソン!!」

 先程の穏やかな笑みから一転、クリフトフは険しい表情で叫ぶ。

「貴殿も王族なら、矜持に反する行いは慎め!!」

 今更言っても仕方がないことではあるけれど、言わずにはいられなかった。何故ならクリストフも王族だから。

 ジェラルドは目を見開き、そうしてがっくりと膝を突く。クリストフは表情を戻し、マリーヌへと顔を向けた。

「そしてマリーヌ、君との婚約は望み通り破棄だ。そして私に冤罪を着せようとしたこと、浮気をしていたことを含め、同じように慰謝料を請求させていただく。正式なものは後ほど文書によって通達させてもらう」

「そ、そんな……!」

 緑色の瞳から、ぽろぽろと涙が溢れだした。それを見るクリストフの顔は、穏やかなまま何も変わらない。

「私は君を蔑ろにしたつもりはなかった。王太子教育が厳しくなってからは、会えない代わりに折りを見て手紙や贈り物をしていた。……君からの返事が来なくなったのは、何時からだっただろうね」


「まあ、もうどうでもいいのだけれど」


 裏切られていたと知った時からかもしれないが、クリストフのマリーヌへの感情はもうそれだけだった。好きとか嫌いとかではなく、ただただ、『どうでもよくなった』。

「も、申し訳ありません……」

 マリーヌがそう謝罪をしても、クリストフの心が動くことはない。

「ああ、そうなんだ」

 口に出したのは、それだけ。穏やかな笑みのまま。

「ひっ……」

 それはマリーヌを打ちのめすには充分だった。青ざめた顔のまま荒い息を吐いて崩れ落ちる彼女に、差し出される手はない。

 クリストフは今度は周り……即ちその場にいた先生や生徒たちに向けて、口を開いた。

「晴れの舞台を台無しにしてしまったこと、心からお詫びする。王宮にパーティ会場を用意させたので、そこで仕切り直しをさせてもらえないだろうか?」

 わあっ、と歓声が響いた。

 「喜んでお受けします!」と口々に言われ、クリストフは安堵したような笑みを浮かべる。これは先程の上っ面だけではなく、心からのものと分かる笑みで。

 衛兵によって、会場のドアが大きく開かれる。

「では、行こうか」

 クリストフはそう言ってドアへと歩き出した。その後にぞろぞろと会場の面々が続く。

 そしてドアが静かに閉められるまでの間。

 蹲る二人を、振り返る者は誰一人としていなかった。


(終)

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