エピローグ おかえり! 後編
昨日からおばあちゃん達の住む家の近所にある神社で夏祭りを楽しんだ。
祭りは平日だから、仕事のお父さんとお母さんは一緒じゃないのが残念だけど、おばあちゃんが浴衣を着付けてくれるし、おじいちゃんは夜店で色々な物を買ってくれるから、私達姉妹は毎年楽しみにしていた。
そして今年も楽しんだのだけど...
「ほら行くよ、みんな忘れ物はない?」
「「はーい!」」
おじいちゃんの車に乗って家に帰る前に、五歳下の妹美里が下の妹美春と美冬に確認を取る。
今年小4の美里もすっかりお姉さんが板についた。
ちょっと前までは私にベッタリで、妹達と遊んでるだけで、不機嫌になってたのにね。
「姉さん、準備完了です」
「ご苦労様、後は宜しく」
「分かりました、姉さんもクラブ頑張ってね」
「ありがとう」
美里の報告に笑顔で応える。
私はみんなと分かれ、高校のクラブに直接向かうと話したので、これから別行動。
おじいちゃん達の家から私の通う高校は近い。
だってお母さん達も通っていた高校だから。
「さてと」
みんなを乗せた自動車が見えなくなるのを確認して、私は再び玄関の鍵を開けた。
合鍵は預かっている。
昔からお父さん達が仕事の忙しい時はここに来ていたから。
廊下の奥にある階段を上がり、二階の部屋に向かう。
普段は一階のリビングしか使わないから、上の部屋は殆ど行った事がない。
だけど今日はその部屋に用があるの。
その為にクラブを休むと顧問の先生に連絡したのだから。
二階には二つの部屋が並んでいる。
一つはお母さんが結婚するまで使っていた部屋、その隣が...
「ここが伯母さんの使っていた部屋か」
母の姉、史佳伯母さんが大学を卒業するまで使っていた部屋。
卒業した後、伯母は就職した会社の近くへ引っ越したから、この部屋は20年以上使われていない。
「スイッチは...これか」
壁際にあったスイッチを入れ電気を点ける。
古い蛍光灯がチカチカとした後、室内を照らした。
「思った程カビ臭く無い、それに部屋も綺麗ね」
てっきり室内は物置かと思っていたが、フローリングの床に段ボール等は見当たらず、綺麗に整頓されていた。
「よっと」
雨戸を開き、室内の空気を入れ換える。
部屋にクーラーはあるが、コンセントは抜かれている。
「...暑い」
八月の日差しに照らされた空気に汗が滲む。
着ていた高校の制服に大量の汗が張り付くのを感じていた。
「うわ難しそうな本」
本棚に並ぶ専門書。
タイトルを見ても何の本かサッパリ分からない。
マンガやラノベが1冊も見当たらないよ。
「伯母さんって勉強出来たから」
昔から伯母は頭が良く、高校こそ私と同じだが、大学は国立大学を出たと以前聞いていた。
「無い...そんな事って」
部屋の中を探しまわるが、アルバムどころか、写真の一枚もみつからない。
これは予想外だ、ここなら写真の一枚でもあると思ったんだけどな。
「どんな人だったんだろ?」
伯母の姿を私は知らない。
家には一枚の写真すら置いて無いのだ。
まるで伯母という人間を家族から存在を消したかの様に。
「真下史佳さん...か」
勉強机の椅子に座る。
高さは私と変わらない位、って事は私と大体身長は同じだろう。
「そんなに気になる?」
「おばあちゃん?」
いつのまにかおばあちゃんが扉の前に立って私を見ていた。
どうして、家に向かったんじゃ?
「鞄を持たないで玄関の鍵を閉めたら誰でも気づきますよ」
「あ...」
迂闊だった。
学校の鞄を家の中に置いたまま鍵をしたんだ、そこまで考えが及ばなかった。
「安心して、みんなは家に向かったから。
私だけ忘れ物したって、お父さんに降ろして貰ったの。
多分お父さんは気づいてると思うけど」
「...そうだったの」
何もかもお見通しって事なんだ。
「ごめんなさい、勝手に入っちゃって」
「いいのよ」
穏やかな顔でおばあちゃんは頷いた。
「あの...」
「なにかしら?」
じっと見つめるおばあちゃんの視線。
慈しむ様に優しくて、包み込まれてしまいそうな。
「懐かしいわね」
「懐かしい?」
「ええ、その椅子に座ってる姿よ。
史佳がそこに居るみたい」
「...そうなんだ」
複雑な気持ち。
なんでお母さんじゃなくて、伯母なの?
「史佳伯母さんって、どんな人だったんですか?」
「そうね...」
自然と私はおばあちゃんに聞いていた、目的は伯母に関する事なんだ。
「あの子はいつも無理してた」
「無理ですか」
それは何をだろう?
「誰からも頼られてしまうタイプなのよ。
家では良い娘、良い姉であろうって頑張って、外でも人から頼まれたら嫌って言えない、そんな娘だったわ」
訥々と話す言葉に伯母の情景が浮かぶ。
その姿ってまるで...
「私みたい?」
「...どうかしら」
明言を避けたおばあちゃんはゆっくりベッドに登り、クーラーのコンセントを差し込む。
机に置かれていたリモコンのボタンを押すと涼しい空気が送風口から流れ始めた。
「少ししたら窓を閉めなさい、飲み物を持ってくるから」
「うん」
つまり、この部屋に居なさいって事よね。
しばらくすると、おばあちゃんは大きな紙袋とボットに入った冷たい麦茶、そしてグラスを持って来た。
紙袋からタオルを取り出し、私に差し出す、流れていた汗を拭き取り、おばあちゃんに返した。
「知ってるでしょ?史佳の事は」
そう言って、おばあちゃんはベッドのマットレスに腰を下ろした。
「ええ...お母さんから」
私は自分の出自を知っている。
お母さんは私を生んで無い。生みの母は伯母...史佳さんだと。
「どう思った?」
優しい笑顔のおばあちゃん。
大好きなおばあちゃんに嘘は言えない、率直な気持ちを伝えよう。
「...そんな人間がって、素直な感想です」
私がお母さんの実子ではない事に気づいたのは些細な違和感からだった。
家のアルバムに貼られている私の写真。生まれたばかりの私、しかし宮参りの写真や、産科で写した写真にはお母さんが入っていなかった。
妹達の写真には全部お母さんが入っていたのに。
そして、私の顔。
妹達はみんな、お母さんやお父さんに似ているが、私だけどことなく違う。
僅かな違いは他の人に気付かないかもしれない。
でも、どこか違っている気がしてならなかった。
だから二年前に聞いたのだ。
私のお母さんはまさか...って。
お父さんがお母さんと結婚する前に史佳伯母さんと結婚していたのは知っていたからだ。
「まあ...信じられなかったでしょ」
「ええ、覚悟はしていたつもりだったけど」
お母さんには否定してほしかったが、それでは納得しない私の気持ちを分かっていた。
でも伯母が生みの母という事実はあっさりと受け入れられた。
なぜなら、お母さんから受けた愛情は疑い様の無いものだったし、元を質せば伯母もお母さんと血筋は同じ、他人だという疎外感は薄かった。
だが伯母のした事は許せなかった。
お母さんは言葉を選んでいたが、結局はお父さんを裏切った事に違いはないのだから。
「紗央莉も言いにくかったでしょうね」
「私が無理して聞いたんです、お母さんは最後まで悩んでました」
「あの子はお姉ちゃん子だったから」
「でも...」
だとしてもだ、お母さんの態度はおかしい。
もっと罵倒しないと、伯母はお父さんを苦しめたんだ、お母さんだけじゃない、私や妹達の大好きな人を。
お父さんを裏切って。お母さんやおばあちゃん達まで傷つけた、最低な人間。
そんな血が私に流れている、忌まわしい事実。
「美愛...ごめんね」
顔を曇らせてしまった、おばあちゃんは悪くないのに。
「伯母は...今どうしてます?」
伯母の現在は教えてくれなかった。
現在どうしているの?死んでないと思うが。
「三年前に再婚して元気でやってるわよ」
「元気なんですね」
このモヤモヤした気持ちはなんだろう?
もっと不幸に足掻いていてほしかったのか、それとも再婚した事に対する安堵?
分からない。
「おばあちゃんは伯母を許してるんですか?」
「私?」
「はい、母としてでもいいです」
「誰であっても許せる筈無いわね」
おばあちゃんの言葉は即答だった。
「だけど、人間万事塞翁が馬」
「それって、つまり...」
その意味は知っている。
不幸な事が実は後々、幸運に繋がっていたって意味だったと思う。
「紗央莉の元婚約者はどうしようも無いクズだった」
「うん、間違いなく」
これも知っている。
一方的に婚約を破棄しときながら、何年か前に元婚約者はお母さんを口説いた。
家へ謝罪しに来たが、元婚約者家族は不貞腐れた態度で、一緒に来ていた奥さんが激怒し、子供連れて実家に帰ったって聞いた。
結局離婚したんだっけ?
興味ないから覚えてないや。
「もし紗央莉がバカの家に嫁いでいたら、きっと苦労していたでしょう。
そうなったら政志さんと結ばれなかったわ、考えるだけで悪夢よ」
「まったくだよ」
間違いなく幸運だったと素直に思う。
お父さんとお母さんが結ばれたから、美里や美春、美冬に会えたんだから。
それにお母さんはお父さんが今も大好きで、娘の私から見ても恥ずかしくなる。
たまにお酒を飲み過ぎて怒られてるけど。
でも懲りないんだ、苦笑いしながら『ズズー』って。
「そして美愛、あなたも幸せでしょ?」
「はい!」
確かにその通り。
あのまま伯母が不倫を続けていたら、間違いなく今の幸せは無い。
お父さんの精神状態は更に計り知れないダメージを受けていたと思う。
「伯母が失踪する事で、私達に覚悟と準備が出来た...」
タイミングも良かった。
お母さんがクズに嫁いでしまった後だったら、全てが取り返しのつかなくなるところだった。
「そうね、史佳がそこまで考えていたか分からないけど...何せバカな事をした事実は変わらないから」
「おばあちゃん?」
吐き捨てるけど、実際そう思っているのかな?
「反省しても遅い、それだけの事を史佳はしてしまった。
だけど...私には娘」
少し苦しそうにおばあちゃんが呟いた。
「ひょっとして、この部屋を残したのは?」
「...もし帰って来る事があればって。
まあ再婚したから、無駄になっちゃったけど」
「そっか...」
だから部屋は片付いていたんだね。
もし、帰って来る事があったら、
『居場所はここにあるよ』って。
部屋が綺麗で、クーラーのリモコンも直ぐ使えた理由が分かった。
「これを」
「これは?」
おばあちゃんが紙袋の中から取り出したのは1冊のアルバム..まさか?
「...見ていいの?」
「ええ...」
手の震えを抑えながらアルバムを受けとる。
中を開くと、そこには...
「お母さん...それに母も」
初めてみる母の姿。お母さんと並んで笑っている。
こんな顔してたんだ...なんで?...なんて事?
「私似てる...」
「そうね...」
私は母似だったんだ。
こんなに...でも...私は嫌なのかな?
「誰に似ていようと、政志さ...お父さんはあなたを愛してるの、それが親子の情よ」
「うん...ありがとう」
伯母が憎いだろうに、でもお父さんは懸命に私を愛してくれた、今も妹達と変わらず...
「あなたは史佳じゃない...」
「...はい」
「大丈夫、紗央莉もあなたを娘として、妹達とずっと」
おばあちゃんの声が上ずっている。
無理をしてるんだ、本当はここで、この家で会いたいのに。
「いつか伯母がここへ...」
「そうね..生きてる内はないと思うけど」
引き裂かれた家族の絆。
それは伯母が余りに愚かで、本当に自業自得の結果。
例えどんな素晴らしい伴侶と巡り会おうとも、伯母が心の底から幸せを実感する事は出来ないだろう。
でもおばあちゃんはどうなるの?
親として、娘の不始末に今も自分を責めているじゃない。
私になにが...母の娘である私に出来る事は...
「お母さん...ただいま」
「美愛...なにを...」
せめておばあちゃんに、叶わぬ夢なら私が出来る事を...写真にあったよ、制服姿の母がこの椅子に座って笑ってたね。
「ただいま...」
「...おかえり」
おばあちゃんは私を抱き締めた。
小刻みに震える腕、私達は泣き続けた。
ありがとうございました。