エピローグ おかえり! 前編
「山市良太さんがここに来るって?」
「ああ今日電話があって、この土曜日にな」
仕事から帰ると夫が言った。
山市良太さんは姉が12年前から、勤める会社の社長さん。
夫の再従兄弟にあたる人だけど、私は一度もお会いした事が無い。
姉ともこの13年、一度も会ってないが、すっかり優しかった頃の姉に戻った事は良太さんから定期的に届く手紙で知っていた。
「急にどうして?」
不安から嫌な胸騒ぎを覚える。
また姉の精神状態が悪くなって、何かしでかしたんじゃ...
「史佳の事に違いないが」
夫の歯切れが悪い。
姉の事なら、尚更心配な気がするんだけど。
「詳しくはこれから話すよ、お義父さんとお義母さんも呼んだから」
「今からお父さん達が?」
今は午後10時よ、こんな夜遅くに?
「早く言った方が良いかと思ってな」
それなら深刻な話じゃないか。
やっぱり政志さんの元に帰りたいとか...
しばらくすると両親がやって来た。
私達はリビングに集まる、子供達に聞かせる訳にいかないので、みんな部屋で眠っているのを確認した。
「どうしたのかね政志君、突然に」
「史佳に何かあったの?」
両親も不安そうにしている。
ずっと会ってない娘に何かあったのではと親は心配が尽きない、痛い程分かる。
「実は良太さ...山市良太さんが、史佳との結婚を考えていると」
「は?」
「まあ?」
「まさか?」
今政志さんは、なんて言ったの?
いや言葉は理解出来たよ、姉さんと山市さ...良太さんが結婚って。
「...いやいや待ってくれ」
「そんな史佳が結婚だなんて...」
お父さん達が手をブンブン振り回し始める。
余りに意外な言葉、私は何と言っていいやら、分からない。
「本当です、まだ良太さんは史佳に伝えてないそうですけど」
「...そうかね」
「そうよね...」
政志さんの真剣な様子に、冗談を言ってるのでは無いと分かる。
でも良太さんだって、姉のやらかした事をを知っているだろうに。
「とにかく、山市さんの話を聞こうじゃないか、先ずはそれからだ」
お父さんはそう言って話を締めた。
そして迎えた土曜日。
さすがに子供達を同席させる訳にもいかず、留守番をさせて、良太さんを私の実家に招いた。
「史佳さんと結婚を前提にお付き合いをしたいと考えております」
スーツに身を固めた良太さんは、実家のリビングで正座の姿勢を崩す事なく頭を下げた。
初めて見る良太さんは政志さんの再従兄弟だけあって、何処となく似た雰囲気を感じさせる人だった。
「その...どうしてまた?」
お父さんはゆっくり聞いた。
悩ましい所だ、ズバリ止めておけとも言えないし。
「母がすっかり史佳さんを気に入りまして、私もいつしか彼女の事が」
「ほう...」
姉が仕事以外に良太さんの母親の介助をしたり、良き話相手をしているのは知っていたが...
「もちろん史佳さんの過去について、私達親子は重々分かっております。
その上での話で、お願いしたいのです」
「良太さん...」
政志さんが複雑な顔で良太さんを見る。
姉の事を頼んだ手前、心中複雑だろう。
何しろ政志さんは姉から一番の被害を受けた人間なのだから。
「政志さんが嫌な気持ちになるのは分かります。
でも彼女は変わりました、それは私もなのです」
「そんなつもりじゃ...」
頭を下げる良太さんに政志さんは困惑した表情を浮かべる。
若くして恋人を亡くし、結婚はしないと決めていた良太さんの心を姉が解かしたのか。
「しかし、入籍に拘らずとも」
「そうよ、貴方は初婚でしょ?史佳はバツイチだし」
お父さん達は良太さんの戸籍にバツイチの姉が入るのを気にしてるの?
いや、そうでもして翻意をして貰いたいのだろう。
「まあ...僕は構わないと思います」
「政志君...」
政志さんの言葉に場の空気が動き始める。
「バツイチなら私もです」
「それは史佳のせいじゃないか」
「そうよ、政志君は全く悪く無いわよ」
両親の言うことは尤もだ。
政志さんの戸籍を汚したのは姉の不倫が原因なんだから。
「良太さんは、お母さんが元気な内に安心させたいんでしょ?」
「ええ」
「それは痛い程分かります。
俺は両親に紗央莉を、娘を見せる事が出来なかったし。
あと、昔の人は籍に拘りますから」
「政志さん...そんな事を」
確かにそうだけど、姉と結婚した時、政志さんの両親は既に亡くなっていたから...
「良太さん、史佳には確かに傷つけられました、人生を滅茶苦茶にされましたし、死ぬ程恨んだ事もね」
「そうでしたね...」
政志さんの言葉に良太さんだけじゃなく、私達も息を呑む。
当事者だからこそ言える言葉だ。
「でも俺は紗央莉に救われました。
紗央莉だけじゃありません、お義父さんお義母さん、みんなのお陰で。
それは美愛もなんです」
「美愛...史佳さんの娘だったね」
「私の娘です」
良太さんに悪いが、これは譲れない。
「確かにそうでした...申し訳ございません」
「いいえ」
少し強く言い過ぎたがな、でも美愛は私の娘なんだから。
「たまに史佳さんが母に溢すそうです、この前は娘の誕生日だったとか、来年高校生になるとか」
「...姉さんがそんな事を?」
自分で捨てた娘の成長。
正気に戻っていたなら、きっと激しい後悔だろう。
なにしろ姉には美愛の写真を一枚すらも渡して無いのだ。
「自業自得だよ...」
「...そうね、分かっていた事なのに」
辛辣な言葉と裏腹にお父さん達の表情は苦悶に満ちていた。
「しかし、良太さんが結婚してくれと言ったところで、史佳は了解しますか?」
「それは...分かりません」
「下手をすれば、また逃げるかもしれませんよ?」
政志さんの言葉は真に迫っていた。
実際に姉は不倫生活に精神を追い込まれ、逃げたのだから。
「全力で説得します。
私には彼女しか居ないのですから」
「なるほど...分かりました」
強い決意を秘めた良太さんの瞳に政志さんは静かに頷いた。
「私達も行くか...」
「...そうですね、お父さん」
お父さんとお母さんが静かに頷く。
行くってまさか?
「あんなどうしようもない娘だが、ここまで必要とされているんだ」
「そうね...良太さんのお母様の気持ちも考えたらね」
どうやらお父さん達も決意を固めたみたい。
政志さんも小さく頷いている。
「良太さん、姉を...どうか...お願いします」
「はい...」
私は何を言ってるのだろう?
だけど、気持ちと裏腹に心から出る言葉は止められない。
「...姉さんは愚かな事をしました。
娘を捨て...家族を捨て...自分を壊してしまう様な...でも本当は優しい...私にとって大切な...」
数々の想いがごちゃ混ぜになって意味を成さない。
「紗央莉...大丈夫だ、良太さんには伝わったよ」
政志さんは優しく私の肩を抱き締める。
なんて素晴らしい人なんだろう、私は本当にこの人と出会えて良かった...
「安心しなさい、史佳が嫌だと言ったら処分してくれる」
「次裏切ったりしたら、この手で、それが親のつとめ...」
底冷えする様な両親の声。
こうして話し合いは終わり、翌週両親は姉と良太さんが住む町を訪ねた。
...そして1ヶ月後。
姉と良太さんの結婚が決まったのだった。
[...ありがとう]
姉から届いた手紙。
私は小さい頃から今までの成長を撮った美愛の写真数枚を封筒に入れた。
[おめでとう]の一文を添えて...
次ラスト!