エピローグ ただいまに向けて
エピローグ、三つに分けます。
先ずは史佳!!
私がこのサナトリウムがある町に来たのは7年前の事。
当時私は泥沼不倫から家族を捨て、三年間失踪の末、心を病み旦那の家に戻った。
当然だが、誰も私を受け入れてくれる筈もなく、そのまま両親によって精神科のある、このサナトリウムに強制入院となった。
あまり覚えてないが、入院当初の私はかなり暴れたらしい。
何度も脱走を計り、最終的に鍵の付いた部屋へ隔離されたりもした。
随分迷惑を掛けてしまったが、一年もすると、私の精神状態も落ち着き、一般の病棟に移される事となった。
しかし、それは私にとって新しい地獄の始まりでもあった。
自分の人生を台無しにしてしまった事への後悔。
そして私だけでなく、不倫相手の家族や、私の家族。
なにより旦那と娘の人生を滅茶苦茶にした事の後悔...
カウンセリングは何度も受けた。
被害に遇わせてしまった人達にも、弁護士を通じ手紙を書いた。
不倫相手だった男の奥さんからは、
[済んだ事、思い出したくもないから、もう手紙は書かないで]と返事が来た。
慰謝料は請求されなかった。
何度も払いますと言ったが、
[再構築したので不要]と。
それまで奥さんと男が再構築をしていたなんて知らなかった。
子供が居るから、苦渋の決断だったらしいが、夫婦は元々円満だったから、特に驚きは無かった。
それなのに、どうして男は私を口説いたのだろう?
私はどうしてあの男にあれだけ惹かれたの?
男と出会ってから最初の三年は単なる上司と部下の関係だった。
奥さんと子供の写真を嬉しそうに見せてくれた男はあれだけ幸せそうだったのに。
彼が私を必要としたから?
私が彼を必要としたから?
身体の相性も良く無かった、政志さんとの結婚生活で感じたから間違いない。
それじゃどうして?
答えは出ない、おそらく一生出る事はないだろう。
お互いに殺したい位憎しみ、喧嘩を繰り返し別れ...いや男は逃げてしまったのだから。
『なんであんなヤツと私は...』それが今の男に対する感情だ。
政志さんとの離婚も入院中に成立した。
こちらは当然だが慰謝料300万が発生した。
でも失踪の際、私が置いていった通帳に残されていたお金で足りてしまった。
美愛の養育費は断られてしまった。
慰謝料を払ってもまだ少し残金が通帳に残されていたが、それさえも、
[お前の金なんか受け取れない]
そう書かれた政志さんの手紙と、残金が入った通帳が弁護士さんから届けられた。
両親は最初の一年間は何度かサナトリウムに足を運んでくれたが、特に話す事は無かった。
本当は申し訳なくて、情けなくて、話す事が出来なかった。
以来両親からの連絡はない。
こちらから連絡すれば出来るかもしれないが、それは出来ない。
紗央莉はきっと政志さんと結ばれ家族仲良く暮らしてるに違いない。
美愛がどうなったか気になるが、私に母と名乗る資格は絶対に無い。
5年前に退院の許可は出たが、両親の迎えを断り、私は施設近くにある会社を紹介され、そこに就職した。
地元の農産物を扱う従業員30人程の会社で、私は事務員として雇われた。
当然だが、私の事は会社の人達はみんな知っている。
不倫の果てに結婚相手を騙し、娘を捨てて逃げた気狂い女だと...
「真下さん」
「はい」
名前を呼ばれ仕事の手を止める。
私を呼んだのは、ここの社長、山市良太さん。
歳は私より二歳上の41歳だけど、この会社を30代で作ったのだからたいした物。
「今日の出荷明細出来てる?」
「はい出来ております」
出来上がった明細書を山市さんに渡す。
これは今日出荷される野菜や果物、その他加工品の明細書。
「さすがだね、完璧だよ」
「いいえ」
褒められて嬉しい。
何の役にも立たないと思っていた私なのに。
「本当に史ちゃんは凄いね」
「全くよ、私なんか何回在庫ミスしちゃったか」
同僚の言葉が恥ずかしい。
確かに私はこの会社で一番若いけど、今年で39歳になる、ちゃん付けされる歳ではない。
「本当に良い人が入ったわね」
「そうね一流大卒で仕事も出来て、それで綺麗と来たら、嫉妬も出来ないわ」
「...そんな事無いですよ」
褒めすぎだ。
私は良い人なんかじゃない。
学歴なんか関係ない、綺麗なんかじゃない。
私は薄汚れている。
たくさんの人を不幸にし、自らの心を壊して、醜く過去に縋りついたクズなんだから。
「ほらほら仕事の手を休めない」
「「は~い」」
私を見た山市さんがパンと手を叩き、話を終わらせてくれた。
穏やかな気性で、周りからの人望も厚い山市さん。
そんな彼に気を使わせてしまった事に申し訳ない気持ちになる。
「ごめんね真下さん」
「いいえ大丈夫ですよ」
少し困った顔で謝る山市さん、彼は全く悪くないのに...
「明日なんだけど」
「はい朝10時にお伺いします」
「悪いね、母さんが無理言ってない?」
「大丈夫です、凄く楽しみですから」
私は毎週土日に山市さんの自宅に行き、彼のお母さん、早由利さんの世話をしている。
早由利さんは2年前に、交通事故で両足に大怪我を負ってしまい、介護が必要な身体になってしまった。
それで介護ヘルパーを雇っていたのだが、半年前にそのヘルパーさんが用事で来られない事態が発生してしまった。
代理を頼んだが、高齢化の進むこの町は介護ヘルパーの数が足りず、直ぐに手配が出来なかったので、息子である山市さんが母親の介護をする事になってしまった。
山市さんは母親との二人暮らし。
お父さんは山市さんが小さい頃に亡くなっていて、結婚をしなかったので他に頼れる人が居なかった。
『お疲れですね』
『介護がこんなに大変だと思わなかったよ』
仕事と介護、二つを掛け持ちする山市さんは疲れきった表情を浮かべた。
『あの...宜しかったらお手伝いします』
『そんな、真下さん...悪いよ』
『大丈夫です、社長のお母さんには世話になりましたから』
早由利さんには私が入社した時に住むアパートの斡旋や、近所の人達から好奇の目に晒されない様、上手く紹介してくれたりと色々して貰った経緯があった。
私の過去を...女として最低の行為をしたクズの為に良くして貰った恩返しの意味もあった。
毎朝と夜の二回、次の介護ヘルパーさんが見つかる迄の3ヶ月、私は早由利さんのお世話をした。
介護は大変だったが、私には経験があった。
忌まわしい記憶だが、失踪中の一年半、私は知り合った男の母親を見る為、オムツの処理や、食事の世話をした経験があった。
手際に山市さんや、早由利さんは凄く驚いていたが、それは私もだった。
あれほど嫌だった糞尿の処理や食事作りも全く苦にならなかった。
『ありがとう史ちゃん』
『いいえ』
感謝の言葉が心地よく聞こえた。
『良かったらまた頼めるかしら?
週一回で良いのだけど』
最後の日、お世話が終わった私に早由利さんが言った。
『母さん何言ってるの?真下さんに悪いだろ』
『だって...凄く丁寧で、お話も楽しかったから』
『母さん...』
『ごめんね史ちゃん...忘れて頂戴』
そんな会話をする二人に私を思わず言った。
『こんな私で良ければ...』と。