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あなたの近所の魔法販売会社ブリガント

作者: 諫山菜穂子

30代のとき投稿した小説です。

西暦二二〇一年。

謎の地殻(ちかく)変動(へんどう)により、ユーラシア大陸やアメリカ大陸のあちこちの地面が割れ、地下深くから謎の微生物(びせいぶつ)が吹き出した。

この微生物に覆われた土地は、植物も生物も、今まで地上に存在しなかった、あらゆる面で謎のものに変異してしまった。

例えば、海は、オレンジ色やピンク色に変色。

海洋生物が巨大化。色も、青と黄色の水玉模様や、紫と赤の(しま)模様などの巨大イカやタコらが、近海を走っていた漁船を度々襲い掛かった。

 ニューヨークは、全ての高層ビルが花に包まれ、お花畑になり、自由の女神は巨大な人食い花が生えて、度々、通行人を襲う。

ワシントンD・Cは、高さ二十メートルはあるだろうキノコがびっしり生えた森に変わり、ロンドンはジャングルに変わり、色とりどりの巨大な蝶がたくさん飛んでいた。

東京都心も、今は、黄緑色のネバネバしたスライムの海の底になってしまった。

多くの人が「まるで、ゆずの香りの入浴剤を入れた風呂みたいな色だ」と言った。

 皇居や官公庁は、現在は黄緑色のスライムの湖の上に浮かんでいる。

 皇居や官公庁周辺は整備されているが、少し外を出ると、巨大化した虫や、人食い花や、鳥や、わけのわからない謎の生物がたくさん住み着いていて、(おそ)()かってくる。

大概(たいがい)のことは、知り尽くされたと考えられていた地球。

だが、この微生物は、人類にとって再び未知の存在を()み出した。

この微生物は『ミステイル』と名付けられた。

各国政府は、民衆(みんしゅう)を『ミステイル』に侵された土地……『ミステイル汚染地域』から避難(ひなん)させ、各国軍が、科学の粋を込めた重装備や新型兵器を用いて『ミステイル』に(おか)された土地を捜索(そうさく)

『ミステイル汚染地域』を危険度から、七段階に区別した。

このとき、各国軍が『ミステイル汚染地域』を探るために使用した、科学の粋を込めた技術(テクノロジー)兵器(ウェポン)

 ……それが、『魔法』だった。

魔法という技術(テクノロジー)は一気に注目を集め、各国の軍用兵器から、一般に広がった。

 時が経てば、人は慣れるものだ。

 やがて、『ミステイル汚染地域』は各段階別に魔法の免許次第で、一般人も出入り可能になり、『ミステイル』に侵された土地を探る『探検者』が急増した。



「チョコちゃん、凄いね!」

「綺麗!」

千代子(ちよこ)が手のひらから出したカラフルな火花を見て、石井(いしい)()()と、眼鏡を掛けた沼田由奈(ぬまたゆな)が目を輝かせて称賛する。

「まあね」

千代子は少し得意気に言った。

 眼鏡が日差しに光り、高く二つに結った金髪が揺れる。

「じゃあ、もう一発」

千代子は右手首に()めた、星の形をしたブレスレットタイプの魔法(まほう)端末(たんまつ)の液晶画面を見つめた。

眼鏡のレンズに浮かび上がる光る文字で座標を確認すると、千代子は『呪文』を唱えた。

「ファイア、レベル十二!」

空には、大きくカラフルな火花が打ち上がった。

「うわー。綺麗!」

「ピンクや緑や水色だ!」

学校が夏休みに入ってから、三人はヒカリ町の第三フシギ公園で、毎日一緒に遊ん

でいた。チョコは千代子の渾名(あだな)だ。特技は火の魔法だ。

二二十三年の現在、地球上の全ての土地が七つのレベルで区分され、魔法レベルに応じて立ち入りを許可されている。

魔法は、義務教育の必修科目の一つとなっていた。科目名は情報処理だが。

 フシギ公園は危険度レベル一の領域(りょういき)で、初級魔法使いの子供だけでも立ち入りを許され、魔法使用も許可されている。

 『ミステイル』に汚染された動植物も、安全レベル。

小学生の理科の教科書に出ている、紫やピンクのキノコや、目玉みたいな草が生えてたり、水玉模様のヘビ苺が生えてる程度。

子供の頭の大きさぐらいあるアリやハチやクモがいるが、比較的(ひかくてき)(おだ)やかで、子供の魔法の練習にはもってこいの場所だ。

 大体、公園で千代子が魔法を自慢(じまん)()に出して見せ、二人を感嘆(かんたん)させていた。

「チョコちゃん、学年で一番魔法レベル高くて上手いもん」

「まあね」

 千代子が火花を消すと、公園の外から声が聞こえた。

「千代子!」

 小太りのお婆さんが買い物袋を持ち、大きく手を振っていて、千代子は顔を上げた。

 祖母の喜子(よしこ)だ。

「あれ、お婆ちゃんだ」

「千代子、ちょっと来なさい」

 千代子は赤いランドセルを引っんで背負うと、真耶と由奈に手を振った。

「お婆ちゃんが呼んでる。またね」

「またね」

「また明日!」

 千代子が喜子の傍へ走り出すと、ランドセルの横に取り付けたパンダ柄の給食袋が揺れた。

 千代子は自宅に向かって、祖母の喜子と道路脇を一緒に歩いた。

「千代子、今日も魔法の練習をしていたのかい?」

「うん」

「千代子。ちょっと話があるんだけれど?」

「話?」

「そう。話だ。家に帰ってから話すよ」

 

 千代子の家……星田家は、ヒカリ町の二丁目にあった。

 ミステイル汚染の無い居住区画。

ごく普通の、住宅街に並ぶ一軒家の一つだ。

周囲も半径五キロ程は、比較的安全とされているレベル1の一般(いっぱん)開放(かいほう)区域(くいき)がそこかしこに点在する程度だ。

 千代子の父は大学教授で、ミステイル関係の研究を行っている。

母は警察で、ミステイル関連の捜査を行ってる。

 どちらも遠く離れて暮らしていて、千代子は母方の祖母、喜子と二人暮らしだ。

 星田家に帰ると、千代子はすぐに自分の部屋に行き、ランドセルを置いて一階の居間

に降りた。

「話って?」

「ちょっと待ってな」

 喜子は、台所で袋の中身を冷蔵庫に仕舞(しま)っていた。

 千代子がテレビを見ていると、喜子が居間に来て、テーブルの傍の座布団に腰を下ろした。

 そして、近くの戸棚の引き出しから、何かのパンフレットを取り出して千代子に渡した。

「千代子。お前に、これを見せたかったんだ」

「何、これ……」

 パンフレットには、デカデカと『あなたの近所の魔法販売会社、ブリガント』と書かれていた。

『貴方の近所の魔法販売会社』の部分は少し字が小さい。

 千代子は、パンフレットを(めく)って(なが)めた。

『あなたの近所の魔法販売会社ブリガント。

当社は呪いの魔法は、一切取り(あつか)うつもりはございません。魔法取扱い委員会認定、安心のNO! 呪いマーク。ナチュラルにこだわった自然魔法取扱店です。

取り扱い商品。

魔法端末……杖型。昔の魔法使いスタイルにこだわる方に人気です。

装飾品型(そうしょくひんがた)……現在はこちらが主流です。

魔法眼鏡、または魔法コンタクトレンズ……魔法使用に必須です。

魔法……我が社では、炎系、氷系、雷系、回復系、補助系の五種類、レベル一から九十九までを取り揃えています』

 後は、パンフレットには、様々な最新型の魔法端末や、売れ筋の魔法が色々と()っていた。

千代子は、パンフレットから顔を上げた。

テーブルの向かいに、喜子が座布団に正座して、湯呑みに緑茶を注いでいる。

「お婆ちゃん、これ……」

「魔法販売会社ブリガントのパンフレットだよ。お前もブリガント社製の魔法端末を使っているだろう」

 喜子が、千代子の右手首に嵌められた、星の形をしたブレスレットタイプの魔法端末に目をやって、千代子もそちらに目を向けた。

「それはわかる」

 ちょうど、テレビでは魔法販売会社ブリガントのCMが放映されていた。

 イメージキャラクターのアイドル、杉野みるくちゃんが、ハートのブローチタイプの魔法端末を手にしていた。

『貴方のハート、きっと伝わるよ! ブリガント社製、子供用魔法端末HARTシリーズ。パッションローズとレモンイエロー、アクアブルーの三色出たよ!』

 みるくちゃんが、ハート型の魔法端末にキスをする。

「これでしょ。ブリガントのCMでしょ」

 千代子はテレビ画面を指差した。数十秒でみるくちゃんは画面から消えて、テレビはカップラーメンのCMに変わっていた。

「そう。魔法会社ブリガント」

「ブリガントはわかるってば。そんなの、もっと小さい子でもわかるよ」

 喜子は茶を(すす)り、湯呑みをテーブルに置いて、千代子の方を見つめた。

「千代子。あんた、魔法使いの修行として、夏休みの間、ブリガント社にバイトに行きなさい」

「……ブリガントの?」

「そう。ブリガントの」

呆気(あっけ)に取られた顔で、パンフレットを手にする千代子に、喜子は静かに言った。

「これ以上ない、いい社会勉強になると思うよ。ブリガント社の会長とは古くからの知り合いでね……」

 喜子は少し、眉根を寄せて何かを思い出したように、少しだけ苦い顔をしたが、話を続けた。

「私も昔、手伝いに行かされてね。随分(ずいぶん)、勉強させて(もら)ったよ。あんたの母親の千也子(ちやこ)も勉強がてら手伝いに行ってたんだ。だから、千代子。あんたも、修業に行くといいと思う」

「……修業?」

「うちの家系の、しきたりみたいなもんだと思ってさ。取りあえず、先方には話しておいたから」

 喜子は戸棚の引き出しから、一枚の茶封筒を取り出して千代子に差し出した。

「はい、紹介状だよ。これを持っていきなさい」

「……招待状。ブリガント社のお手伝いの?」

「そう。お手伝いの」

「……お手伝いね」

 千代子は、渋々(しぶしぶ)、茶封筒を受け取った。

「……行かなきゃダメ?」

「行ってらっしゃい」

「えー……」

千代子は溜息を吐いて、茶封筒を見つめた。

「ブリガント社か……」

「行っておいで。千代子」

 喜子は、茶を啜りながらニッコリと笑った。

 

ブリガント社はなんといっても、魔法端末を(あつか)う国内有数の、一流の大企業だ。

 今、現在の日本で知らぬ者はいない。

 千代子は喜子に「ちょっと、おしゃれしなさい」と言われ、自室のクローゼットからそれなりに見られる黒いワンピースを引っ張り出して着て、小さな白いポシェットを肩に掛け、黒い靴を履いた。

それと、高く結っている二つの金髪の根っこを、白いレースのリボンで結んだ。

 祖母は一緒に行ってはくれないらしい。

 千代子は、「行ってくるね」と、パンフレットを手に、一人、星田家を出た。

 目的地まで、行き方を調べるのは簡単だ。

 右手首に嵌められた星型の魔法端末で、マップ操作をすればいい。

 千代子は、魔法端末の液晶画面を幾つか操作した。

すると、眼鏡のレンズ越しに地図や文字、画像が光を帯びて半透明に、宙に浮かび上がる。

千代子は宙に浮かぶ幾つかの文字に触れて文字を入力し、地図の行き先をブリガント社本社に指定した。

 後は、眼鏡のレンズに浮かび上がる光の帯が、どこの道を曲がるか、どこを通るか、行先を示してくれる。

 住宅街から駅前の通りに出ると、途中でブリガント社のお店があった。

 様々な新機種が置かれ、美人のお姉さん達がカウンターで客とやり取りするのが、ガラス越しに少しだけ見える。

 何故、少しだけしか見えないかと言うと、窓ガラスは巨大電子盤を兼ねていて、キャンペーンアイドルの杉野みるくちゃんの宣伝動画が、繰り返し映し出されているからだ。

『ブリガント社製、子供用魔法端末、HARTシリーズ。安全に使えるよう呪文規制(きせい)がかけられてるから、小さい子でも安心!』

「……このCM、三パターンぐらいあるよね」

 千代子はボソリと呟くと、目を眼鏡のレンズに表示されたマップに向け直した。


二二十二年。

人類は重力や物理の力を、随分、自在に操作出来るようになっていた。

ワームホールで瞬間移動したり、未来や過去を行き来するタイムマシンの技術も生まれた。他の時代への干渉には厳しい規定が多々あるが。

街も、重力操作によって、空には建築物があちこちに浮かび、縦横無尽(じゅうおうむじん)に光の道路が()かれ、自動車が宙を浮かんで行き交っている。

千代子は眼鏡に表示され、マークが点灯されている……案内キャラの、ペンギンのもなかが『ここ』と、指定している……空中走行バス停に並んだ。

光の道が目の前に敷かれていて、この光の道は、空へ続いていた。

空中走行バスは、宙に敷かれた光の道路上に浮かんで、走行するのだ。

やがて、空中走行バスが千代子の並ぶバス停にやって来て、真ん中らへんのドアが開いた。

学校は夏休みの頃合いだとは言っても、平日の昼過ぎという時間帯だからか、並ぶ人間は千代子の他、三人しかいなかった。

千代子は、右手に嵌めた星型の魔法端末を、バスの入り口にある赤いセンサーにかざして支払いを済ませ、バスの一番後ろの端っこの席に座った。

バスは光の帯の上を浮かび上がり、空高く敷かれた光の道を走り出す。

 千代子は、(しばら)くは窓の外、離れてゆく地上を(なが)めていたが、少し経つと飽きてきたので、白いポシェットからブリガント社のパンフレットを取り出して、開いた。


『魔法の購入方法。まず、身分証を提示、契約に同意して頂きます。契約者様が呪文を唱えたら魔法を転送致(いた)します。(速度や範囲(はんい)は契約時に選べます)

魔法使用時にはその都度(つど)、契約した通りのMP(マジックパワー)を頂きます。(お金をMPに交換しておく必要があります)

MPが不足すると、魔法は転送できませんのでご注意下さい。なお、消費MPの中には消費税と送料も含まれます』

 一通り目を通すと、千代子はパンフレットを折り畳んで、ポシェットの中に戻し、外の風景に目を戻した。

 やがて、空中走行バスは、ヒカリ町転送駅に到着した。

 転送駅は、地上からは随分高く離れた空中に浮遊している。

 もちろん、人が地上に落ちてしまわないように、分厚いガラスの高い柵が張り巡らされている。

バス乗り場も出入り口は開閉式で、客が乗り降りを済ませたら、柵で閉まってしまう。


千代子は空中走行バスを降りると、ヒカリ町転送駅に入った。

千代子は、魔法端末をかざして改札口を通る。

ヒカリ町転送駅は星田家にとって最寄りの、ワープゲートのターミナルだ。

東京行きのホーム……五番線には、昼過ぎでも、スーツ姿や学生服姿の人、老人や親子連れなどが何人も並んでいた。

ワープゲートは、直径三メートルぐらいの大きさの円形で、次々と並ぶ人々がワープゲートに立ち、光の奔流の中に吸い込まれていく。

 ワープゲートは、ワームホールというものらしい。

つまり、転送駅は、離れた場所に瞬間移動出来る場所なのだ。

千代子も、ワープゲートに立ち、東京駅に着き、乗り換え。

もう一つ、他の線路に行き、他の駅に転移した。

 現在、東京の東半分は『ミステイル』に汚染されてしまい、危険区域になってしまったので、都心の役割は東京都の西部分が果たしていた。

「駅の西口から徒歩五分……」

 駅前から、眼鏡に表示された地図と印にそって歩いていると、目の前に公園が見えて来た。

だが、公園の出入口からボールが転がって来て、そのボールを追い掛けて小さな男の子が道路に飛び出してきた。

道路は、向こうからトラックが走って来る。

千代子は吃驚して、右手に嵌めた端末で、魔法を発動させた。

「危ない! 緊急(エマージェン)(シー)魔法(マグス)! (スモーク)!」

眼鏡に、光る文字が次々に表示され流れて行く。

千代子は魔法で煙を出し、操作して停止標識の形にする。

 続いて、千代子は息も吐かずに次の呪文を唱えた。

大音声(ハイサウンド)!」

 千代子は息を吸うと、思い切り大声を出した。

「小さな子供がいます、止まって!」

千代子は、大きい声で車に停止するよう指示を出した。

(初級魔法使いは、街中での魔法は禁止されてるけど……。緊急時だから大丈夫だよね)

千代子がそう思っていると、脇で声がした。

緊急(エマージェン)(シー)魔法(マグス)! 浮遊(レビテーション)!」

 千代子と同じぐらいの身長の少年が、腕の魔法端末で緊急時魔法を発動させていた。

千代子の知らない魔法だった。

千代子がボンヤリしている内に、少年は魔法を操作し、小さい男の子を浮かせて、脇の道に戻した。

「えっ?」

「道路に飛び出したら駄目だぞ」

少年はボールを拾って子供に渡すと、偉そうに腕を組んで、少し吊り目がちな細い目で、大きな態度で子供を諭していた。

「あ、ありがとう」

 男の子はそう言うと、ボールを手にして、公園に戻って行った。

「待って」

声を掛ける千代子を、少年は「ああ?」と睨み返した。

 千代子は臆し掛けるが、頑張って声を出した。

「……人体に対しての魔法使用は、子供には禁止されているはず。中級以上の資格じゃないと……」

 千代子は躊躇って口を閉ざし、男の子の腕に嵌められた魔法端末に目をやった。

(それに浮遊(レビテーション)って、私が知らない……新しい魔法だ。この子、私と同じぐらいの年齢なのに……)

「……ん? ああ。子供向け端末じゃあ、規制されているだけで、中級以上なら使用OKなんだよ」

 少年は、右腕に嵌めた魔法端末を、千代子に見せつけた。

「これは今年の冬に発売予定のブリガント社製、新作魔法端末。BLACKシリーズ。b05。浮遊(レビテーション)は、冬にブリガント社から発売予定の新作魔法だ」

少年は偉そうに説明した。

「それに、俺は上級魔法使いの資格を持っている。緊急時の、人体への特定呪文の使用の権限を持っている」

「じょ、上級……」

「そう。上級」

 男はフフンと、口許に笑みを浮かべる。

「まあ、お前みたいな、初級のお子様魔法使いとは、俺は格が違うんだよ。じゃあな」

 男の子は片手で手を振って、歩いて行った。

 それを、千代子は少し苦い思いで見送った。

(あの子、私と同い年ぐらいなのに。……凄いな。……私、学年では自分が一番魔法レベルが高くて、上手いと思っていたのに)

 千代子は小さく溜息を吐いた。

(ああ、早くブリガント社に行かなくちゃ。約束の時間に遅れちゃう)

千代子が走り去るのを、後ろを振り返った少年が見つめて、ボソリと呟いた。

「あいつ自在操作法を使っていた……。ガキにしては高等テクだな。それに、あの魔法端末、ブリガント社製、STARシリーズ、B―087……。」子供用だし最新ではないが、良品の型だ。目のつけどころもいい。まあ、俺には及ばねえけどな」


千代子は、ブリガント本社に着き、巨大なビルを仰ぎ見た。

恐らくは三十階程はあるだろう。

外側は全体が鏡張りで、太陽の光を反射している。

(ここが、ブリガント本社)

ブリガント社からは、何人かスーツ姿の男女が出入りしている。

千代子も、恐縮しながらブリガント社に入り、すぐ目の前の受付席で座っている、受付嬢に話し掛けた。

「あの、すみません。星田千代子といいます。ここに行けと祖母に言われて……祖母が会長さんに話を通している筈です」

「少々お待ち下さい」

受付嬢は、空中のキーボードボタンを淡々と操作して、電話モードにして通話し出した。

「会長、星田千代子様が面会にいらっしゃいました。……はい、はい。わかりました」

 受付嬢は、通話をオフにすると、千代子の方を向いて言った。

「星田様、それでは三十階の会長室でお待ち下さい」

「……はい」

千代子は、転送(ワープ)(ゲート)から三十階に転移した。

 大理石で出来た広い廊下に警備員がいて、千代子が来るのに気付くと、案内をしてくれた。

「どうぞこちらへ」

千代子は、警備員の後ろを少し距離を取りながら歩く。

やがて、会長室と書かれた部屋に出た。

警備員がノックをすると、秘書らしきスーツ姿の女が出て来た。

「ああ、あなたがお話の。会長は今、会議の途中なので、中で座って待っていて下さい」

 秘書らしき女が千代子を会長室に通し、黒いレザーが張られた高級そうな待合スペースの椅子に座るよう促した。

 千代子が黙って座ると、秘書らしき女は千代子にお茶を出して、そのまま行ってしまった。

 誰もいない。高級そうな時計の音だけがチクタク響き渡る。

 机の向こう、窓の外には高層ビル街が一面に広がり、光の道が幾つも見下ろすことが出来た。

 千代子は、ポシェットからパンフレットを取り出して、それを再び、ぼんやり見ながら待つことにした。

 さっき、バスで読んだ続きからだ。

パンフレットには、会社説明や商品について書かれていた。


『二二〇三年。謎の地殻変動により、ユーラシア大陸のあちこちの地面が割れ、謎の微生物が地表の多くを覆い、地球上に人類にとって再び未知の土地を産み出した。この微生物は「ミステイル」と名付けられた。この「ミステイル」に侵された土地を探る「探検者」が急増し、魔法という技術(テクノロジー)が注目を集め、各国の軍用兵器から一般に広がった。地球上の全ての土地は七つのレベルで区分され、魔法レベルに応じて立ち入りを許可される。レベル一から四の領域(エリア)は一種のアトラクション化や商業利用化され、一般人にも開かれている』


 そういえば、千代子はまだレベル三ぐらいまでしか、行ったことがない。

 それも、祖母や親と一緒に、だ。

(レベル五からは軍人や、それなりの免許持ってる人じゃないと無理って聞いたな。特殊な訓練を積んだ相当の手練れじゃないと無理だって)

千代子が考えていると、暫くして会長が入ってきた。

「待たせてすまないね。君が星田千代子ちゃんだね」

「いえ。そんなに待ちませんでした。大丈夫です」

千代子は、慌ててお辞儀をして、会長は千代子の前の椅子に座った。

「君のお婆さんの喜子さんとは幼馴染みでね。良く喧嘩したもんだよ」

 千代子は、会長に茶封筒を渡した。

 会長は、机からハサミを取り出し、封を切って中の手紙を読んだ。

「手紙はやはりいいね。今は魔法というテクノロジーの時代だが、そう思うよ」

会長はそう言うと、魔法端末で空中に浮かぶボタンを操作した。

「ああ、そうだ。彼を呼んでくれ。営業一課の。こちらに来るように」


 暫くして二十代半ば程の黒いスーツ姿の若い男が、ノックをして中に入って来た。

 緊張しているみたいで、額に汗を浮かべて苦笑いしている。

「来たね。山本くん」

「す、須藤会長。あの、私に話とは……」

「営業部一課の山本大福くん。君は今期成績が最下位だと聞いた」

 山本大福と呼ばれた男は、びくっと肩を震わせて、頭を下げた。

「うっ……。す、すみません!」

「戦国時代支社に、君を飛ばす話が出ている」

「えっ!」

 山本大福は、目を開いて会長を見上げた。

 窓の高層ビル街に目をやっていた会長は、振り向いて微笑んだ。

「嫌だね。だったら、君がこの子の面倒を見て欲しい」

「……あの、この子とは」

 会長は、千代子の肩に手を当てて、山本大福に紹介した。

「星田千代子ちゃん。小学六年生。わしの幼馴染みのお孫さんで、魔法使いの修行中だ。修行の一貫として、夏休みの間、バイトとして雇うことになった。君が面倒を見て魔法や会社について教えてやってくれ。実家は秋田だから、君の家で預かってくれ」

「よろしくお願いします」

 丁寧にお辞儀をする千代子に、少し驚きながら大福は答えた。

「は……はあ……。わかりました。あの、俺が面倒を見ればいいんですね」

それから、会長に促された山本大福に連れられ、千代子は会社の駐車場から、山本大福の赤い自動車に乗った。

「これから、俺んちに向かうから。君、色々と持ってきた?」

「……えっと。一応。言われたものは」

「君、ちょっと表情が硬いな」

「……そうですか」

 少し、場に沈黙が流れた。

「えーっと。俺、何て言ったらいいかわかんない。取り敢えず、俺んちで、面倒見ろって言われたから」

「……はあ。わかりました。じゃあ、お願いします」


 ブリガント社からは数十分で、山本家に着いた。

閑静な住宅街のマンションだった。

「俺んち、社宅なんだ」

 六階の一室で、山本大福がドアを開けて「ただいま」と言うと、中から千代子と同じぐらいの年齢の男の子が出迎えた。

「お帰り兄ちゃん」

「ああ、ただいま。杏介」

 その横から、茶色と白のシマシマの猫が出てきて「ニャーン」と鳴いた。

「兄ちゃん、その女の子、誰?」

「星田千代子ちゃん。暫くうちで預かることになった。こいつ、俺の弟の杏介。あと飼い猫のもなか」

猫のもなかがにゃーんと鳴く。

千代子は淡々とお辞儀をした。

「星田千代子です。はじめまして」

「うちで預かるの? ふーん。はじめまして。戦国時代支社に飛ばされなくて良かったね、兄ちゃん」

「うん」

 杏介は、千代子をじっと見つめながら言った。

「ちょっと愛想が足りないね。クールと言うか」

「な」

そう言う大福と杏介兄弟に、千代子は何と言っていいのかわからなかった。

「……すみません」

「いや、別にいいんだけど」

「夏休みの宿題、持ってきた?」

 千代子は、小さく頷いた。


 後日、千代子は大福に連れられて、再び赤い自動車に乗り、ブリガント本社へとやって来た。

 今日から、本格的な修行が始まる。

 スーツ姿の大福の後をついて、エレベーターに乗り、二十五階で下りる。

 エレベーターは全面ガラス張りで、良く外の景色が見えた。

千代子は会長室に来たときも思ったが、高い階への移動は中々に怖い。

二十五階に着くと、山本大福が下りて暫く進み、こっちこっちと千代子を手招きする。

 目の前の扉には、ブリガント社、人事部と紙に書かれて画鋲で、ドアに張り付けられていた。

「千代子ちゃん。ここの萩田さんって人に話して、バイトの手続きをすればいいから」

そう言うと、大福はノックをして人事部の扉を開け、中に入った。

中には、事務机が幾つか並べられ、スーツ姿の男女が書類やパソコンを手に作業をしていた。

奥の机に座っていた眼鏡の男が、山本大福と千代子を見て、やって来た。

「ああ。営業一課の山本くん。おはよう」

「おはようございます」

「今期、成績が散々で会長に呼ばれたんだってね」

「うっ……。よ、良く知ってますね。話が早いなあ」

「まあ、頑張りなよ。応援してるからさ」

 荻田は、千代子の方に視線を移した。

「須藤会長から話は聞いてるよ。新しいバイトの星田さんだね。じゃあ契約書を書いて、判子押してね」

千代子は近くの事務机に座らされて、何枚かの書類とボールペンを渡された。

近くの女の人が優しく教えてくれる。

「ここの、太い黒枠の中を書いてね。あと、ここに判子押して」

「はい、ありがとうございます」

 千代子は、ボールペンを持って黒枠の中……住所や名前などを書いた。

「あれ? この紙は……」

何枚か書いて、千代子は紙の中の一枚に目を落として呟いた。

勤務表と書かれていて、後は数行の空欄だ。

「ああ」と山本が視線を落とした。

「勤務表。須藤会長から、これを君に渡すように言われたんだ」

「……勤務表」

「そ。勤務表。色んな部署で仕事を手伝って、うまく出来れば部署の人間が判子を押す。判子の分だけ給料を払うって話だ。俺は明日から、君のバイトの送り迎えをするように言われてる。宜しくな」

「……よろしくお願いします」

 千代子は、山本大福にペコリとお辞儀をした。

「あっ、やばい。時間だ。俺は取り引き先と約束がるから……。それじゃあね」

そう言うと、大福は右腕の魔法端末で時間を見て、焦って出ていった。



一日目。

大福の運転する赤い自動車の窓から、千代子は外を眺めていた。

窓が少し開いていて、入って来る風が気持ちいい。

外の風景は都心から郊外に移り変わって、千代子は田舎ののどかな風景を眺めていた。

やがて、広い田園地帯の中、ビニールハウスが並ぶ辺りで大福は車を停め、千代子に出るよう促した。

車を駐車して外へ出ると、大福が千代子を手招きする。

「ここは株式会社ブリガント、ノドカノ農場」

沢山のビニールハウスや畑を見渡しながら、大福が言う。

「ここは契約農家の桃山さんの畑だ。ミステイル汚染地域のレベル五領域(エリア)から採ってきた種から、色々と品種改良を繰り返して薬草エリクシスを作っている。細胞活性の作用を持ち、最も利用される治癒魔法『ヒーリング』の原料の一つだ。炎系なら原料は火薬だね」

「……ヒーリングの魔法の原料?」

 大福は千代子を連れると、ビニールハウスの中に入って行き、タオルを首に巻いて作業している人の一人に聞いた。

「すみません。責任者の桃山さんは」

「ああ。桃山さんなら、あそこだよ」

 指差す方を見て、大福は桃山のところに行って色々話した。

 桃山は、何やら妻と話していたようだった。

「この子をうちで一日?」

「ええ。まあ、仕事体験ですよね。俺は本社に戻って、夕方五時頃迎えに来るんで、その間、この子をよろしくお願いします」

「そうだなあ」

 桃山はキョロキョロと辺りを見回して、傍にいる妻に言われた。

「一緒に収穫でもしたらいいじゃないの」

「うーん。そうだなあ。それじゃ、一緒にエリクシスの葉を収穫しよう」

「……収穫ですか」

「うん」

「荷物とかはこっちで預かっとくよ。これ、はいカゴ。一杯になったら、ここにある袋の中に入れてって」

 桃山の妻の傍には、幾つもの麻袋があって、その中にたくさん薬草の葉が詰まっていた。

 千代子は、桃山の妻にポシェットを預かって貰い、プラスチックのカゴを渡されて受け取った。

 桃山の妻が、千代子にやって見せて教えた。

「こうやって、横に、対になって生えてる葉っぱを取って。真ん中や上のは、まだ生えて来るから」

「わかりました」

千代子は、葉をもいでカゴに入れた。

 暫く葉を摘んでいると段々汗だくになるし、何やらニョロニョロした緑色の虫がいて、千代子は驚いて手をのけた。

「わあ、毛虫だ!」

 同じ作業をしていた他の人達が笑う。

 千代子は、恥ずかしい思いをしながら葉っぱを摘んでカゴに入れていった。

 何だかんだあったが、夕方、千代子は随分、麻袋の中に薬草を詰め込んだ。

作業が終わって千代子はポシェットを受け取り、桃山にボールペンと勤務表を渡した。

桃山はスラスラと勤務表にサインをする。

「はい。星田さん、一日ありがとうね」

千代子の勤務表、一日目の欄には『契約農家、桃山』と書かれていた。

それを見て、千代子はなんだか嬉しい気持ちになった。

もう、辺りは薄暗い。

 ビニールハウスの傍には、ブリガント本社に戻っていた大福が赤い車の前に立って、待っていた。

「あ、山本さん」

「よ。千代子ちゃん。どうだった」

「褒めて貰えました」

「そうか。良かったね」

「はい」

 千代子はそう、はにかんで笑うと、勤務表をポシェットの中に仕舞った。

 大福に促されて、千代子は車に乗った。大福が車を運転し出す。

「千代子ちゃん、今日一日どうだった?」

 山本が話し掛けて来たが、千代子は何も言えなかった。

 というのも、すっかり疲れて寝てしまっていたからだ。

 「あー。寝ちゃってるな」

千代子がグッスリ眠っているのをミラー越しに見て、山本が苦笑した。


二日目。

千代子は、再び山本の車に連れられて、東京郊外へ出た。

 国道を暫く走ると、やがて工場地帯に入った。

 大福の車も、大きな工場の駐車場に停まった。

車から出て大福の後を歩いて行くと、工場の正門に入って行った。

正門には、ブリガント社製造部、サイノ魔法製造工場と書かれていて、脇に警備員が立っている。

大福が警備員に会釈をして歩いて入って行き、千代子も警備員に会釈をして大福の後をついて行った。

やがて、栗林という、全身白い作業服に白い帽子を被った、寡黙そうな男が二人を出迎えた。

大福が千代子に説明する。

「千代子ちゃん。ここはブリガント社の魔法製造工場だ。栗林さん、どうも」

「……どうも」

 千代子も、慌ててお辞儀をする。

「先日、電話でお願いしたんですが、まあ、この星田千代子ちゃんを、魔法の修業として職業体験させて欲しいとのことで。私は、これから本社で自分の仕事があるんで。……夕方五時辺りに迎えに来ますので、千代子ちゃんをお願いします」

「ええ。わかりました。五時までですね。それでは、工場の方に案内します。どうぞ、星田さん、ついて来て下さい」

「あ、はい」

栗林は工場の方へ歩いて行き、千代子も慌ててその後を歩いて行った。

 中では、巨大な機械が動いていて、ベルトコンベアーが敷かれ、その上を透明なガラスのような容器が流れて行く。

 ガチャガチャと鳴る機械を通り過ぎると、ガラスの容器の中には赤や青、緑や紫の炎が

入れられていく。

 コンベアーの両脇には、作業員達が立っていて、色とりどりの炎が詰め込まれたガラス容器を、横で詰まれたケースの中に詰め込んでいた。

 ぎっしりとガラス容器を詰め込まれたケースは、フォークリフトに運ばれていく。

「この工場では、主に魔法を作っている。機械でエーテルという物質を造り、その中に真空を、その真空の中に魔法を入れている。契約者が呪文を唱えると、魔法端末が魔法眼鏡やコンタクトから目の動きを読み取って対象の座標を認識する。

そして、エーテルが座標上の対象を一定の範囲で包み込み、魔法を放つ仕組みだ。全てのエーテルや魔法は、魔法塔や魔法柱で作用が一定に操られている」

工場内を歩く栗林と千代子。

製造科、魔法工場で次々に魔法が造られていく。

「君には、コンベアで炎系魔法『ファイア、レベル一』の不良品をはじく仕事をして貰おう」

「不良品をはじくんですか」

「横にケースがあるね」

「はい」

「エーテルの中の火が、大き過ぎたり小さ過ぎたらはじいて。横のケースに入れてって」

「はい。わかりました」

千代子は、流れるベルトコンベアーの前に立った。

だが、ベルトコンベアーは、千代子の想像以上に速く流れて行った。

(はっ、速い! ついていけない!)

 千代子は必死に、火が入っていない容器を掴んでケースに入れていくが、次から次へと容器が流れて行って、ついていけない。

 千代子の横で同じ作業をしていた、おじさんが溜息を吐いた。

「ああ、もうしょうがないな」

千代子が出来ない分、おじさんが不良品をはじいてケースに入れていく。

「君は、不用品が詰まったケースを脇に積んでいって」

「……わかりました」

 千代子は息を荒げながら、溜息を吐いた。

 やがて、時計の針が五時を差した。

「星田さん。もう上がっていいよ」

「あ、はい」

 千代子は、勤務表とボールペンを栗林の元に持って行った。

 栗林が溜息を吐く。

「作業が遅かったからね。……悪いけど、判子はあげられない。会長から厳しめに、と言われてるから。……すまないが」

 栗林はサラサラと勤務表に書いて、千代子に渡した。

『ブリガント社、製造部サイノ魔法工場栗林。残念ながら判子なし』

 返された勤務表を見て、千代子は肩を落とした。

 千代子は夕暮れの中、大福の車が来るのを待った。

 大福の運転する赤い車は、十分ぐらい遅れてやって来た。

「ごめん。ちょっと遅れちゃった」

 大福の言葉に、千代子は首を振る。 

「……いえ。別に平気です」

「どうだった? 上手くやれた?」

「判子なしです……」

「そっか、残念だったね」

 帰りの車の中で何も言わず、千代子はぼんやりと車から流れる夕暮れの風景を見つめた。


 三日目。

大福の車は千代子を連れて、国道や高速道路のインター近くにある、巨大な倉庫にやって来た。

大福に連れられ、千代子も倉庫の中に入って行く。

千代子は、少し疲れていた。

でも、どうにか頑張ろうと思った。

(……今日は、上手く出来るといいな)


入り口には、魔法宅配流通センター、第二倉庫と書かれていた。

トラックが何台か並び、二台程のフォークリフトがダンボール箱をぎっしり積め、ラップに巻かれたケースを運んでくる。

そのケースを、作業員達がトラックに入れていく。


「ここは魔法宅配流通センター。ブリガント社がお世話になっている物流会社の倉庫だ。

会長が、魔法を使うまでの流れを知るにはいいだろうって」

 大福が千代子に説明していると、軍手とエプロン姿でカッターを持ったおばさんがやって来て、話しかけてきた。

「あたしが、世話するように言われたんだけど……。酒倉由利と言います。よろしく」

エブロンと軍手をつけカッターを持った酒倉由利が話す。

「じゃあ俺は本社に戻ります。五時に、この子を迎えに来るんで」

「ああ。わかったよ。じゃあね」

 大福はペコリをお辞儀すると、倉庫を出ていく。

 千代子は、坂倉由利に軍手を渡された。

「まず、軍手をして。ここは倉庫だから、主に梱包の軽作業だよ。まず、コンベアから流れてくる商品を一般転移用(ワープ)包装(パック)に包んでくれる?」

千代子は他の人達と共にコンベアの前に並んだ。

バイトらしい、若い女が多い。

(……良かった、ここのコンベアはゆっくりだ)

「ブリガント社から転移されてきた魔法達は、ここで一般転送(ワープ)にも耐えられるように、転送用(ワープ)包装(パック)に入れられ、魔封じ止め金できっちり封印される。そして一般転送(ワープ)室に運ばれ、お客さんのところに魔法として届くのさ。他に速達や超速達もある」

「へえ……」

 千代子は、包装されていく、エーテル容器に入った魔法達を眺める。

「星田さん。出来上がった魔法達をケースに入れてくれる?」

「あっ。はい」

ケースには「関東、関西、九州~など、地名が書かれた紙が張られていた」

 千代子は、包装された魔法をケースに入れていった。


夕暮れ。

「はい、判子。お疲れ様」

千代子は、紙に酒倉の判子を貰った。

『魔法宅配流通センター、第二倉庫』とボールペンで書かれ、『坂倉』と赤い判子が押されている。

「頑張ったねえ」

「ありがとうございます」

簡単な作業とは言え、判子を貰えたのだ。

千代子は嬉しくなってお辞儀をした。

 大福は、今日は二十分ぐらい遅れて「ごめん、ごめん」と笑っていた。


四日目。

 千代子は、車から外の風景を見て「あれ?」と思った。

「なんだか、昨日と同じ道ですね」

「ああ。今日も、昨日と同じ。魔法宅配流通センターだよ。今日は、一般転送操作室だ」

昨日、働いた倉庫を通り抜け、千代子は大福に連れられて転送室に入った。

『商品転送、お届け』と、大きく書かれたポスターが張ってある。

 大福は事務所に入り、スーツを着た男の事務員に挨拶をして、千代子を紹介すると、ブリガント本社に戻った。

千代子が事務員の人に連れられて階段を登り、二階のロビーに入ると、そこでは、巨大な空間がガラス越しに見えた。

下には、転送駅のようなワープゲートのもっと大きなものがたくさん並んでいて、Aー04だとか、Bー020だとか、アルファベットや数字が大きく書かれていた。

ワープゲートには、パッケージされた魔法の入ったケースがたくさん積まれていて

「ここが、巨大な一般転送室だよ」

カートに積まれた沢山のケースの中から、魔法達が次々に消えて行く。

「どうも。転送室を操作している梨井卓己です。俺が担当するように言われました。よろしくお願いします」

「星田千代子です。よろしくお願いします」

「えーと。ここでは、魔法契約者が魔法を唱えたら、それぞれ指定された座標に魔法を転送します。転送装置は地方別に分けています。海外用転送室も別にあります」

 梨井が指を差しながら説明する。

「ガラスの向こうにある大きな一般転送室に、巨大な転送装置があります。転送装置の上には沢山の魔法を置いているわけです」

「ここから、転送されるんですか」

「ああ。殆どは機械が処理するけれど、不備や特注もあるから、たくさん手作業で転送しないといけないんだ。君には不備の注文について客に伝えて貰おうかな。はい、これ不備のリストね」

「……は、はい」

千代子は、空中の画面に表示された不備リストを見ながら、一般転送操作室に座った。

「あ、あの、魔法宅配流通センターです。何度もサンディーレベル二十三について注文されてますが、サンダーレベル二十三の間違いでしょうか」

「いいから早く送ってくれ! ヤバイんだよ! サンダーレベル二十三!」

 千代子は、あたふたしながら聞いた。

「え……。えっと……どうしたら」

 千代子が慌てていると、梨井が変わって客に伝えた。

「わかりました。ブリガント社制商品ナンバー、MA0303FF転送先、座標OK!」

「魔法宅配流通センターです。ヒーリングレベル8のご注文ですが、まだ品物が開封されていないようで……。魔法端末の設定で自動開封オートオープンに設定されてないと……」

「そんなの知ってるよ。忘れてただけ。一々言わなくていいよ」

「……す、すみません」

「魔法宅配流通センターです。ダイヤモンドダスト、レベル九十九を何度も注文して頂いてますが、お客様のレベルでは足りなくて……。コールド、レベル十五なら契約頂いてますが……」

「じゃあ、それでいいよ。出来れば十分後に届けて欲しいんだけど……。罠張りたくて」

「えっ? すみません、梨井さん……」

「はい、変わりました。はい、十分後に特定の座標にコールドレベル十五のお届けですね。可能です。注文時……つまり、呪文詠唱時に、魔法眼鏡か魔法コンタクトに、発動条件を指定しますか? と表示されますので、これからはその際に、十分後発動、と指示して下されば。はい」

「……」

 千代子は、溜息を吐いて肩を落とした。

「ちょっと君には難し過ぎたかな。一日だし。でも頑張ってくれたから、判子をあげようかな」

「……すみません」

千代子は、梨井から『魔法宅配流通センター、一般転送操作室』とボールペンで書かれ、梨井と判子を押された勤務表を受け取った。

「はい」

「ありがとうございます」

迎えの大福の車内で、千代子は何だか落ち込んでボンヤリしていた。

 大福の言葉にも「はい」とか「いえ」とか、そんな返事ばかりだ。

「……何か、落ち込んでるね」

「……判子を頂いたんですけれど、余り、上手くやれなかったので」

「あんまり落ち込むなよ」

「……ありがとうございます」

千代子は小さく呟いて、黙り込んだ。


五日目。

大福に連れられて、千代子は街中のビルに入った。

エレベーターに乗り、三階で下りると『ブリガント社、コールサービスセンターの関東支部』という表札が、扉近くの壁に掛かっていた。

「今日はブリガント社のコールサービスセンター関東支部で、電話による商品の質問、意見、苦情受付係だ」

「……苦情受付係ですか」

「クレーム対応だね」

 中から、少しおどおどした、普段着姿の女の人がやって来た。

「あ……。えっと。あの、私が担当しろって言われました。矢島美緒といいます。よろしくお願いします」

「お願いします」

「はい。あの、こちらこそ」

「あの、電話を取らせるように上から言われてるので……。とにかく電話を取って下さい。それで、時間や内容なんかの情報をこのソフトで記入して行って下さい。わからなかったら、私か、傍にいるチーフという名札が付いた人に変わって下さいね」

「はい。ありがとう」

千代子に、矢島美緒は微笑みながら、分厚い紙のマニュアルを渡した。

「これ……。新人用のマニュアルです。どんなとき、どう言えばいいか書かれているので。これをめくりながら話して下さい。付箋を置いておくので、目印に使って下さい。あと、これ商品カタログです」

「はい。ありがとうございます」

 千代子は臆しながら、ぶ厚いマニュアルと商品カタログを受け取った。

(電話……。昨日もやった。怖いな)

 何故だか、電話を見ると急に、凄まじい恐怖感が千代子を襲った。

(え、何でだろう。何でだか、急に。凄く怖くなった。何で? ……どうしよう。私、何も出来ないような気がする。何で。何でだろう?)

 千代子はすっかり怯えきって、電話を見つめた。


あちこちから電話のベルが鳴り、女の人達が受け取って行く。

千代子も、電話が鳴ると受話器を取った。

「お、お電話ありがとうございます! ブリガント社コールサービスセンター関東支部です」

「注文したんだけど。イグニッションのレベル八十。速度は超速、範囲は超広で。座標は関東のレベル五領域エリア内。発動がどうも遅くて」

 千代子は、早速、言われた内容に固まってしまった。

(うわあ。いきなりレベル高い人が来たー!)

「え……えっと……。あの……し、し、少々お待ちください。矢島さん! 七番にイグニッションのレベル八十、速度は超速、範囲は超広を注文したら発動が遅いそうです」

「はい。お電話変わりました。はい、毎度お世話になっております。上級呪文の発動が遅い……。発動場所の座標を、過去使用データから抽出して調べてみます。少々お待ちください」

矢島は空中に光るキーボードを叩いた。

「お世話になっております。私、ブリガント社コールサービスセンターの矢島と申します。魔法宅配流通センター様に確認したいお客様が……」

再び千代子の机に置かれた電話が鳴り響き、矢島から小声で電話取っての指示。

チョコ、電話を取る。

「おたくのライトニングボルト、レベル十二を買ったんだけど、思ったより効果低くない? 他の会社の方が同じ消費MPの雷系呪文で、もっと効果高いよ。MP返してくれない?」

「え……えっと。少々お待ち下さい。矢島さん……。あ、電話してる」

 近くに座っていた若い男の人が「どうしたの」と千代子に聞いてきた。

「どしたの?」

「はい。……ブリガント社のライトニングボルトは、効きが悪いって」

「ちょっと貸して」

 近くに座っていた男の人はそう言うと、千代子から受話器を受け取った。

「はい、お電話変わりました。はい。申し訳ございません。はい。貴重なご意見ありがとうございます。はい、これからの商品作りに参考にさせて頂きます」

再び、千代子の机の上で電話が鳴る。

「星田さん。怖がり過ぎ。焦りすぎ。そんなに焦らなくていいから。ゆっくりやって。わからなかったら、他の人にすぐ変わればいいから」

「あ……。ありがとうございます」

 千代子は、震える手で受話器を取った。

(何でだろう。……何で私、こんなに怖いの?)

「おっ……。お電話ありがとうございます。あのっ。ブ、ブ、ブリガント社コールサービスセンターですっ!」

「あなたじゃなくて、さっきの矢島さんて人に変わってくれる?」

「は……。はい」

 千代子は、キョロキョロ首を回して矢島を探した。

「あ、あの。矢島さん!」

 矢島は、他の人と商品カタログを手に話していたが、千代子に呼ばれてやって来た。

「矢島さん、三番に先程のお客さんが……」

「はい、お電話変わりました。矢島です。はい。申し訳ありません。はい。はい」


 夕暮れ。

 矢島美緒が千代子の勤務表を見て、返した。

「星田さん、お疲れ様。頑張ってくれてありがとう。残念だけど貴方にクレームが来ちゃって……。声が怯えてて、不安になるって。クレームが来たら判子は押さないよう、言われてて……。ごめんね。クレームなんて私達だって来るのに。会長ったら厳しいのよ」

『ブリガント社、営業部、電話営業所。矢島りんご。残念ながら判子なし』

 矢島美緒は、先程、千代子を助けてくれた男の人と話している。

 千代子は、勤務表を見て溜息を吐いた。


 外の駐車場には既に赤い車が停まっていて、大福が迎えに来た。

「どうだった? 千代子ちゃん」

「……私にクレームが来た。判子貰えなかったし、余り役に立たなかった」

「そっか。……残念だったね」

 山本家に入ると、千代子は溜息を吐いた。

「今日は肉じゃがだよ。あれ、千代子元気ないな」

「……色々ダメだったの」

「ふうん」

 近寄って来て、足にスリスリと頭をこすりつけて来た猫のもなかを、千代子はよしよしと撫でる。

 それを、大福が何とも言えない表情で見つめていた。

 千代子はとにかく疲れていて、そのまま与えられた部屋の布団に転がって寝た。


 土曜日は休みだ。

 杏介が洗濯物を篭に抱えながら、千代子の部屋のドアを開けて言った。

「千代子ー。布団干すから、早く起きてくれー」

「……眠い」

「早く―! 朝ご飯出来てるから、自分でよそって食べてくれ」

 千代子は、目をこすりながらゆっくりと起きた。

 持ってきた荷物から、星柄のパーカーと半ズボンを取り出して着替えた。

 眼鏡は外していて、長い金髪も結ばずにそのままだ。

 千代子は欠伸をしながら、ミルクちゃんのポスターまみれの、杏介の部屋を横切った。

 杏介は、洗濯カゴを手にしながら大福の部屋のドアも開けた。

「兄ちゃんも起きろー」

「うわー。勘弁してくれ。ねむい……」

「朝ご飯! 冷めちゃうよ!」

 千代子は洗面台で歯を磨き、顔を洗った。

 猫のもなかが、チョコの足元に「にゃーん」とすり寄ってくる。

 白壁に映写機のように映されるプロジェクショッピング式のテレビを見ていると、人気アイドル杉野みるくちゃんによるブリガント社の魔法端末のCMが壁一面に映し出された。

「ブリガント社、未成年向け魔法端末、HARTシリーズ!」

 リモコンを片手に、杏介が乗り出す。

「おっ、みるくちゃんだ!やっぱ、可愛いよなあ~」

「あっ、画面サイズでかくするな。吃驚するだろ。小さくしろよ」

「うるさいなあ。わかったよ」

 大福に言われて、杏介は渋々、画面サイズを戻した。

 千代子は、味噌汁を食べながら俯いた。

 ぼんやりと、いつか見た男の子を思い出す。

 ブリガント本社に来た日、出会った男の子だ。

『俺はお前みたいな、初級クラスのお子様とは格が違うんだよ』

 あの男の子の言葉を、千代子は思い出した。

(私、学年で一番魔法が上手いって思ってた。自慢に思ってた。でも、私なんか…全然、まだまだなんだ。そうだよね。魔法だって初級クラスだし)

 テレビを見ながら、杏介が聞いて来る。

「千代子は魔法端末、なに使ってるんだ?」

「ブリガント社製のSTARシリーズ。二年前に出たやつ」

「ふーん。兄ちゃんはブリガント社のREDシリーズなんだよな」

「杏助は?」

「みるくちゃんが宣伝してるやつ」

「HARTシリーズ?」

「うん。俺、みるくちゃんファンだから」

 杏介は右腕に嵌めた魔法端末を、千代子に見せて笑った。

「千代子は何の魔法が得意? 兄ちゃんは炎系以外、からきし駄目なんだけど、炎系だけは得意でレベル七十なんだ。俺は治癒が一番高い。レベル二十三」

「雷系かな。レベル三十五。あと氷系はレベル二十八」

「俺と同じ小六なのにすげーな。俺はミステイルの区域エリアレベルも精々レベル2だよ。兄ちゃんは一人でレベル四も行けるけど……。炎だけで」

「全然。まだ初級だよ」

 向こうの部屋から、大福の声が聞こえる。

「えぇー、今日もですか?」

 寝ぐせ頭にスウェットの大福が、右手に嵌めた魔法端末で通話しながら顔を出した。

「千代子ちゃん、会長が今日明日もだって。取り敢えず七日間だってさ」

「……え」

「疲れてるところ、ごめんね」

「……はい」

 休めると思った千代子は、がっくりと肩を落とした。

 大福は、Tシャツにジーンズ姿で赤い車で、千代子を指定されたバイト先に届けた。

「無茶言うよなあ、子供に……。全く」


 大福は、新宿駅前通りにある、魔法端末や魔法を店頭販売している支店に入って行った。

 大福が「おーい」と手を振って、明るい赤毛に林檎を象った髪飾りを付けた、制服姿の綺麗なお姉さんがやって来る。

「あれ? 山本さんじゃないですか。どうしたんですか?」

 大福は、その美人のお姉さんを見て、デレデレしている。

「花梨ちゃん、相変わらず可愛いなあ~」

「大福さん、このお姉さんが好きなんですか?」

「……えっとお。いや、まあ。うん。いやあ。照れるなあ」

 大福は、両手の人差し指を合わせて、顔を赤くして照れている。

「……美人ですしね」

 花梨ににやける大福から、花梨は千代子に目を移した。

「山本さん、この子は?」

「……星田千代子です」

 奥から、眼鏡を掛けた制服姿の女の人が言う。

「花梨ちゃん、その子よ。会長から電話で言われた……。職業体験をさせてやってくれって子。花梨ちゃん、担当してくれる?」

「ああ……。はい。わかりました」

 花梨は千代子の方を向いて、丁寧に説明した。

「私は野村花梨。このブリガント社新宿支店で、魔法端末や、様々な魔法を売っています。今日一日よろしくね。千代子ちゃん」

「……よろしくお願いします」

 千代子は、花梨にペコリとお辞儀をした。

「花梨ちゃんは優しいから大丈夫だと思うよ。毎日、走り回って頑張り屋さんだし。じゃあ、五時に迎えに来るからね」

「はい」

 千代子が言うと、大福は照れながら店頭を後にした。

 なんだかとてもご機嫌そうだ。

「会長が、客に声を掛けさせて販売させろって」

「ええ?! こんな小さい子に? 無茶ですよぉ」

「ウチの会社は社長も社長だからねぇ……。はあ」


 千代子は、渡された制服に着替えた。

「これがうちの新製品の商品カタログ」

 千代子は、商品カタログを渡されて捲った。

(……コールセンターのときも見たな)

(BLACKシリーズ……。あの男の子が使っていたのとは型が違う。……冬に発売予定の試作品って言ってた。上級魔法使い向けだし。あの子、一体……)

「千代子ちゃん、とにかく笑顔よ、笑顔!」

 花梨が千代子に笑い掛ける。

 千代子は花梨の隣、三番窓口に腰掛けた。

 やがて、ヤクザ顔の男が整理券を持ってやって来た。

「おぅ、姉ちゃん。他社の魔法端末から乗り替えたいんだけどよ」

「ありがとうございます。現在、他社からブリガント社の魔法端末に乗り換えされると、一年間、魔法端末の基本使用料が無料のサービスがございます」

「取り敢えずPOWERシリーズが欲しいんだけどよ」

 千代子は。はきはき答える花梨を見やる。

(うう……。凄く緊張する。とにかく、お客さんに声を掛けなくちゃ!)

 千代子は、魔法端末を見ている女の客に話し掛けた。

「あの。何かお探しですか?」

「母に新しい魔法端末をプレゼントしたくて……。機能が多いものよりシンプルなものがいいんだけれど」

「……こちらのSIMPREシリーズはいかがですか。魔法、通話、メール、ネットなどの基本機能に絞った魔法端末です。色は桃、菊、すみれの三色がございます」

「じゃあ、すみれにしようかしら」

「あ、ありがとうございます! じゃあ、あちらの窓口で……」

「でも、他の店も見たいから……。それじゃ」

「……はい」

 客は出ていってしまって、千代子はがっかりした。

 でも、それから千代子は客に話しかけまくった。

「何をお探しですか」

「いや、見てるだけなんで……」

「何をお探しですか」

「あっ、おかまいなく……」

 千代子は疲れて、溜息を吐いた。

(……無視されるなあ)

「ちょっと」

「はっ、はい……」

 突然、若い男の客に声を掛けられて、千代子は固まってしまう。

「この機種は、プロジェクションマッピングTV機能はついているの? 初期は、どれだけ基本魔法がついてるの?」

「あっ、あの。そこの商品説明に書いて……」

 千代子は、魔法端末が置かれた場所に行ってみた。

 どんな機能がついているか、他の魔法端末には説明が書かれた札が置かれていたが、その魔法端末だけ、説明札がなかった。

(ない!)

「す、すみません。今、他の人に聞いて参ります」

 だが、他の人は皆、客の相手をしていた。

「まあ、いいや」

「はあ……」

 千代子が溜息を吐いていると、今度は中年の女の人に声を掛けられた。

「あの……」

「はっ、はい!」

 千代子は吃驚し、肩を震わせた。

「ポイントが五千ポイント貯まったんですが、何に使えるんですか?」

「……す、すみません。知りません。ちょっとお待ちください。……今聞いてきますから」

「ちょっとあなた、店員なのに知りませんはないでしょう」

「はっ……はい。すみません」

「新人さんなんだろうけど、客にはそんなの関係ないからね。あなたをブリガント社の顔だと思って、皆、来てるんだから」

「……は、はい。すみません」

 中年の女の人は、離れたところで客と話していた花梨に話し掛けた。

「ちょっと、あなた」

「はい!」

「新人さんの教育なってないわよ。知りませんはないでしょう」

「はい。申し訳ございません。私の教育が至りませんでした」

「全く……」

 千代子は、何も言えずに黙り込んだ。


 店内の時計が、午後五時を差した。

 花梨が、溜息を吐いて申し訳なさそうに、千代子に勤務表を渡した。

「ごめんね。クレームが来たら、判子押すなって、会長から言われているから……」

「……はい」

(…また、判子なしか)

 千代子が落ち込んでいると、花梨が声を掛けて来た。

「……余り落ち込まないでね。人には、向き不向きがあるから」

「……はい」

 千代子は溜息を吐いた。

(魔法を使うのは自信あったけど、出来ないことばっかりだ。私)

 千代子は勤務表を見つめた。

『ブリガント社、魔法端末ショップ、新宿店。野村花梨、残念ながら判子なし』

 また一つ、千代子の勤務表に判子なしのサインが入った。

「千夜子ちゃん」

 大福が迎えに来て、千夜子は花梨に頭を下げ、大福の赤い車に乗った。

「今回はどうだった? 花梨ちゃん、優しかっただろ」

 帰りの車内で大福に言われて、千代子は首を振った。

「はい。野村さんは優しかったです。でも、私は全然駄目です。またクレームが来てしまって……。判子を貰えませんでした」

 千代子は俯いた。

少し泣きそうだった。

 大福が溜息を吐く。

「初めてじゃ、そりゃ失敗だってするよ。クレームだって食らうさ。会長、厳しくしろって言うけど、厳しすぎるんじゃないかなあ」


 社宅マンションの山本家で、杏介と猫のもなかが迎えた。

「お帰りー。あれ」

「ただいま」

「……ただいま」

「今日の夕飯は、オムライスだよ」

「おー」

 千代子は何も言う気力がなくて、杏介が顔を覗き込んだ。

「今日は一層暗いな、千代子」

「ああ。また、客からクレームが来たんだ」

「ふーん」


 食事を終えて、風呂に入って、千代子は布団に潜り込んだ。

(家に帰りたい……。夏休みの間、ずっとこうなんて)

(私、何も出来ない。失敗ばかり。何の役にも立たない。迷惑かけてばかりだ……。私がいることで、皆に迷惑を掛けている気がする……)

 慣れない部屋で、千代子はうずくまった。

(帰りたい)

 猫のもなかが部屋にやってきて、千代子の布団の中に入ってきた。

 千代子は猫のもなかの、ふわふわした背中を撫でた。

 大福も、部屋で端末を弄りながら溜め息を吐いていた。

「……はあ。どうするかな」


 七日目。日曜日。

「がんばれよー、千代子」

 杏助が、猫のもなかを抱いて、もなかの前足を振った。

 スーツを着た大福とチョコは、大福の赤い車に乗り込んだ。

「今日は、大福さんはTシャツにジーパンじゃないんですね」

「……今日は本社だからな」


 ブリガント社本社ビル、二十五階。商品開発部。

 大福は扉をノックした。

 中から、「はーい」と返事が聞こえ、寝癖をつけて眼鏡をかけた男が出てきた。

「梅柴さん、彼女が星田千代子さんです。チョコちゃん、こちら商品開発部の梅柴栄さん。ブリガント社の魔法端末や魔法を作ってる人だ」

「どうも」

 商品開発部は、壁のあちこちに魔法端末が飾られ、杉野みるくちゃんのポスターが飾られていた。

 人がたくさん、机に座り、空中にびっしり膨大なデータが表示され、凄いスピードでプログラムを打ち込まれていく。

 透明なガラスで閉め切られた隣の部屋ではホワイトボードが置かれ、社員達が話し合っている。

「うーん、どうしようかな。それじゃあ、こっち来て」

 千代子は、ガラスで閉め切られた部屋に梅柴と共に入った。

「こちら、会長からバイトとして働かせるように言われた星田千代子さん」

「子供じゃないですか」

「うん。でも働かせろって」

「はー」

「じゃあ、千代子ちゃん。何か考えてみて」

「えっ、何を?」

 梅柴は煙草をくわえながら言う。

「今、新作の魔法について話し合ってるんだ。千代子ちゃんはどんな魔法があるといいと思う? どんな魔法を使いたい?」

「……私は」

 千代子は、小さい子が道路に飛び出したことを思い出した。

「以前、小さい子が、道路で車に轢かれそうなのに出会しました……。私は、初級なので緊急時用の魔法で車が停止するよう呼び掛けるので精一杯でした。でも、上級の男の子がいて、浮遊の魔法で男の子を道路の脇に運んだんです」


「中級以上の資格を持たない魔法使いは、回復や緊急時用魔法以外、人体に魔法を使うのは禁止されています。そんな私達が、他人が事故に遇いそうなとき、咄嗟にその人を守れる魔法があったらいいのにと思います」

「護身魔法だな」と社員が呟く。

「緊急時用魔法か……。確かに、最新の車には緊急時停止装置が搭載されているが……。旧式の車を好む人も多いからな」と他の社員。

 話し込む社員達を、千代子はぼーっと見ていた。

 煙草を吸いながら、梅柴が言う。

「千代子ちゃんは、魔法を何となく使っていたかも知れない。でも、沢山の人達の手で魔法という技術(テクノロジー)は作られ、成り立っている」

 千代子は、梅柴の方に目を向けた。

「魔法を造るためにはそのための知識と技術も学ばなければならない。ぽんと簡単に出るが、そのように作るのは大変だ。まず、そういった商品はどう作られるか、その構造を分かっていなくちゃいけない。大変なんだよ」

「……はい」

 夕暮れ。

 千代子は、勤務表に梅柴から判子を貰った。

「君のアイデアが生かされるかもね」

 梅柴から勤務表を返されて、千代子は手に取って見つめる。

『ブリガント社本社、商品開発部。梅柴』

(判子、貰えた。……あれ?)

 千代子は勤務表を見て、不思議に思った。

(七日間って聞いてたけど……。あともう一個書く欄がある)

 大福が迎えに来て、千代子にジュースを奢る。

「一々、へこんでなんかいられないよ。営業なんかね。色々酷いこと言われたり、どれだけ頭下げて回っても、一個も契約取れなかったり。契約するつもりがないって人達に対して、どうにかして契約を取ってこいって言われたり。迷惑がってる相手にしがみついて、頼んで、頼んでさ」

 千代子は、大福の方に目を向けた。

「紙にはもう一つ、空いてる欄があるだろ」

「……はい」

「俺に、そんな資格がある気はしないけれど……。会長に言われてるから。だから、営業課の判子を持つのは俺だ」

「……大福さん」

「君はブリガントといううちの企業に、どうにか自分の価値を営業しなければならなかった。働くっていうのはそういうことだ。失敗して落ち込んで愚痴って……。でも、それだけじゃ駄目だ。自分には何が出来るか、自分の価値を主張しなければ。でも、君は泣きそうになりながらでも頑張ったと思う。だから、判子をあげる。営業課の判子をね」

大福は、千代子の紙の八番目の欄に判子を押した。

『ブリガント社本社、営業一課、山本大福』

 全て埋まった勤務表を手に取って、千代子は何だか感慨深く眺めた。

「全部、埋まったね」

「はい。全部埋まりました。全てが完璧ではないですけれど」

 大福は、千代子の頭をぽんと撫でた。

「……はあ。俺も頑張んなきゃな……。だから会長、俺に任せたのかな。小さい子供が頑張ってる姿を見て、励めってことなのかな」

 大福は、とほほと苦笑いした。


 その頃、社長室では、梅柴が書類を持ち、扉をノックをしていた。

和茶(かずさ)社長、商品開発部の梅柴です」

「あいよ。入って」

 中から女秘書が出てきて、梅柴を中に入れた。

 梅柴が中に入ると、奥の机では黒い革が張られた椅子で、黒髪の男の子が寄り掛かり、黒い携帯ゲーム機でゲームをしている。

「社長、新作の魔法案です。全レベルの魔法使いが使える、緊急時用魔法です」

男の子は、机の上に置かれた書類を見た。

「へえ。前もってかける護身魔法か」

「カテゴリーは回復系で、対人間です。術を掛けられた人間に強い衝撃や負荷が掛かりそうになると、その人間周辺のエーテルが硬化するんです。これからの新作魔法端末にも緊急時用魔法として初期からセットしようかと」

「いいんじゃねえの」

「星田千代子ちゃんという、お手伝いバイトをしていた小学生の女の子のアイディアです」

「小学生?」

「和茶社長と同じ、小学六年生らしいですよ」

「……俺と同じ小六ね。生意気な。緊急時用魔法か。そう言えば、一週間前ぐらいに使ったな」

その頃、社宅のマンションで、千代子は大福と杏介と共に、食卓を囲んでいた。

祖母からの手紙だった。

「お婆ちゃん、もう少し修行させて貰いなさいだって」

「ははは……」

 杏介が、お盆でカレーライスの入った皿を運んできた。

「カレー出来たぞー」

 大福は鞄から何か書類を取出して、千代子に渡した。

 何だろうと目を瞬かせて書類を見る千代子に、大福が説明する。

「上級魔法使用証だってさ」

 大福はそう言って、千代子にウインクする。

「本当だ」

 千代子は上級魔法使用証を見つめた。

修業もまんざら無駄じゃなかったのだなと思えた。

〈終わり〉


30代のとき投稿した小説です。

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