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ペリエの黒騎士   作者: ヴェルネt.t
7/15

それぞれの想い


ネスバージの宮廷に初めて立ったマリアナは、そのあまりの大きさに圧倒され、たじろぎながらヨルムドの袖を掴んで身を寄せた。

王都に入って3日目、ようやく国王への謁見の日を迎えることになり、今まさに謁見の間へと歩を進めている…

マリアナは王宮の侍女達によって磨き上げられ、今や貴婦人のような華美なドレスを身に付けていた。着慣れない服や靴は動きも窮屈で歩きにくく、ヨルムドが横にいなければ、何度も転んでしまうところだった。

「…やっぱり謁見の間に一緒に入ってはもらえないの?」

マリアナはヨルムドを見上げながら訊ねた。この国で頼れるのは彼一人…この腕だけが支えだ。

「お気持ちを強く…大丈夫、常にお側に控えております。」

マリアナだけに聞こえる小声でヨルムドは言った。

マリアナの体は震えていて、自分の袖を掴む手にも力が込められている。出来ることなら傍にいてやりたいところだが、それは実際、無理からぬことだった。

荘厳な大扉が迫ってくると、ヨルムドは周囲に気づかれないよう配慮しながらマリアナの手を一度だけ握った。

無言の励ましの直後、ヨルムドがマリアナから離れて控える。

代わりに大扉の前に立つ国王の側近アルファムドが歩み寄り、マリアナに向き合って一礼した。

「さあ、先へ…国王陛下がお待ちです。」


「おお…」

マリアナの姿を見たアドモスは思わず声を上げた。

目前に立つ麗しい乙女に目を奪われ、一瞬で心が囚われる。

「ゼナ…」

アドモスは無意識に立ち上がった。玉座を離れ、心細げに立っているマリアナのもとに歩み寄った。

抱きすくめようとして、マリアナが怯えた様にたじろぐのを見定め踏みとどまる。

…さもあろう。

アドモスは自嘲した。これはゼナではない。あの者はもうこの世にはいないのだ…

「よくぞ戻った。ゼナの娘よ…」

アドモスは穏やかな口調で告げると、今度こそマリアナを優しく抱き寄せた。緩くはあるが、両腕でしっかりと包み込む。

きちんと挨拶をしなければと気を張っていたマリアナは、初めて拝謁する国王に抱き止められて戸惑った。

「国王陛下…」

マリアナは勇気を出して言った。

「あの...ご挨拶をさせていただきたく存じます…」

鈴の音のような声を聞いたアドモスは、我に返ってマリアナの顔を見遣った。

「おお、そうであったな!」

解放されたマリアナは一歩下がってすぐに膝を折り、俯きながら姿勢を低くする。胸に手を当て、ヨルムドに教えて貰った通りにしっかりとした口調で挨拶の言葉を口上した。

「お初にお目にかかります。ゼナ・ヴェルネスの娘、マリアナと申します。お会いできて光栄です。国王陛下。」

「うむ。会えて嬉しいぞ、マリアナ。」

玉座に戻ったアドモスは満面の笑みを浮かべた。

茶褐色の髪色と鳶色の瞳…頬から顎にかけて立派な髭を蓄えており、まさに大国の王らしい威厳を感じさせる。

「父のことは不幸であった…この2年、ルポワドの地で一人過ごしておったそうだが…その間、何も問題は生じなかったか?」

マリアナの心臓が早鐘を打ちはじめた。

落ち着かなければいけない…カインのことは絶対に知られてはならないのだから…

「はい、と申し上げれば偽りになります。父亡き後のお城の管理が上手く出来ず、城内を蜘蛛の巣だらけにしてしまいました。」

「なんと!」

アドモスは声を上げた。

「それは大問題ではないか。ゼナの作りし最期の城が蜘蛛の巣窟とは…」

「はい。本当にお恥ずかしい..」

頬を染めながら正直に答えるマリアナの素直さが愛おしく、アドモスは思わず目を細めた。年甲斐もなく心が躍る…まるで未熟な少年のようだ…

「恥じることはない…城の管理を一人でするなどあり得ぬ話…よく2年ものあいだ耐え抜いたものよ。」

アドモスは心から称賛した。たった一人の肉親を失ったうえ、深い森の中で孤独に生きていたマリアナ…

…まこと、不憫な思いをさせた。

アドモスは贖罪を感じていた。ゼナが王宮を去らねばならなかったのは自分の愚かさゆえであり、遠くルポワドの森の奥に身を潜めねばならなかった理由もそこに起因している。何も知らないマリアナがその責を担うのは、いかにも理不尽というものだった。

「そなたの父はかつてネスバージの要となる重臣だった。理由あって追放の憂き目に遭い、ルポワドへと蟄居せざるを得なくなったが…」

「…追放?」

「…うむ。だがこれよりはそなたを厚く遇すると約束しよう。ゼナの称号であったハーツの名を復刻し、ハーツ卿としての身分をそなたに与える。」

アドモスは一方的に告げると、傍に立つアルファムドを促し、彼が手にしていた見事な装飾の首飾りを手に取った。

…まだ告げねばならないことが山のようにある…それはおそらくマリアナにとって酷なる事実になろう…

「さあ、近う寄れ…」

手招きに応じて前へ進み出たマリアナに、アドモスは自らの手で首飾りを掛けた。

「マリアナ・ヴェルネス・ハーツ。そなたに父と同じ伯爵の地位を与える。今後も余のために尽くし、ネスバージに貢献せよ。」

「…はい、この身のすべてを捧げます。」

マリアナは従順に応えた。さまざまな事実に混乱していたが、カインの存在を知られずに済んだことだけには安堵した。


「グリスティアスの呪いは…余が必ず払拭する。」

その呟きはマリアナの耳には届かなかったが、アドモスは美しいマリアナに目を眇めながら、遠い日に見たゼナの姿を重ねた…


国王への謁見を終えたマリアナは、その後、王城から少し離れた場所にある小さな城に居を移した。

その城は父ゼナが設計を手掛けたものだとヨルムドが教えてくれたが、その構造たるや、本当に驚くばかりのものだった。

「信じられない!」

マリアナは言った。

「ヨルン見て!こんなにたくさんの本を見るのは初めてよ。」

マリアナがいるのは書庫で、そこに足を踏み入れるのは初めてだった。図書室は別にもあり、そこにも多くの本が収められてはいたが、この書庫にある本はそれとは比べ物にならない量だったのだ。

マリアナが歓喜の声はすでに数回に及んでおり、ヨルムドは驚きもせず扉越しに部屋の中を覗き込んだ。

「ああ、どうしよう…一生かかっても読みきれない…」

ブローボーニを後にして以来、ずっと暗い表情だったマリアナを案じていたヨルムドは微笑みを浮かべて安堵した。帰還してなお傍で支えられることが嬉しい。何か欲しい物はないか?」とアドモスに問われたマリアナが即答したのは「ヨルムドをこのまま護衛として側に…」との願いだった。

「失礼します。」

ヨルムドは言い、マリアナの方へと歩み寄った。裾の開いた青のドレスを身にまとい、鮮やかな色の髪に花飾りをつけたマリアナの後ろ姿が麗しい…

「本当に、驚くべき量ですね。」

「もう…びっくりよ。」

マリアナがヨルムドに視線を移した。その顔には笑顔が浮かんでいる。

「久しぶりに笑顔を拝見いたしました。我が君。」 

「…拝見?」

マリアナは目を丸くした。

「ヨルン…その話し方辞めてくれない?やっぱり馴染めない…」

「ですが…」

「それじゃなくても窮屈なのに…あなたぐらい普通に接して欲しいわ…」

「マリアナ様…」

「ヨルンはブローボーニでの私を知っているでしょう?私はただのマリアナよ。洗濯も掃除も一人でしていた…蜘蛛の巣だらけのお城の魔女。」

ヨルムドは言葉を失ってマリアナを見つめた。自分を卑下するのはマリアナの悪い癖だが、それはあまりに酷すぎる…

「どのような接し方をお望みでしょうか。」

ヨルムドは問うた。

「その敬語と“我が君“は禁止。呼び名は呼び捨てでいいわ。」

マリアナは容赦なく言い放った。それはヨルムドにとって破滅的なな願いだったが、どんな贖罪も厭わないと誓ったからには拒絶もできず、彼は困惑しながら頷いた。

「承知しました。二人の時は対等に会話をさせていただきます。」

「ありがとう、ヨルン。」

二人は互いに微笑みあった。ヨルムドがブローボーニ城を訪れて以来、初めて心から打ち解けることができた瞬間だった。




「王都から勅使?」

ユーリは報告に来たシセルに反問した。

「はい。パルティアーノ公爵閣下の遣いの者が訪れ、この書状を閣下にお渡しせよと...」

シセルはパルティアーノ公の封蝋が押された書状をユーリへと差し出した。ユーリはそれを受け取るとすぐに封を解き、その内容に目を走らせる…

「偉いことになった…」

ユーリは渋面になって唸った。

「本当に魔女に食われたかもしれん…」

「は…」

シセルは目を丸くした。

「それはどう言う…」

「…リオーネに聞いておらんのか?」

「いいえ何も…」

「そうか…知らんならいい。」

ユーリはそれ以上言及せず、書状を傍に押しやって机上で指を組んだ。

「カインが発って100日以上…帰還が遅れていることから調査の者を差し向けたが、現地にはもう誰も居なかった。…故に、パルティアーノはカインが失踪したと判断した。そう記されている。」

「カイン様が…失踪?」

シセルは衝撃を受けて眉根を寄せた。

「事実でしょうか?」

「分からん…だが、少なくともフォルトの嫌がらせではないようだな。」

「閣下…」

「…とすると、亡骸でも見つからん限り生死の判断は難しいぞ。特務の潜入捜査は常套手段だ。一度敵地に入れば外部との接触は一切断たれる。カインが沈黙を続けるのは、恐らく何らかの事情あっての事だろう。」

シセルもそれには納得せざるをえなかった。カインが『黒騎士』と呼ばれる理由は容姿のせいばかりではなく、彼が優れた密偵だからに他ならない。研ぎ澄まされた洞察力と感性を備えたカインの能力は類い稀なものであり、それは英雄と呼ばれた父さえも凌駕する才能なのだ。

「…とは言え、このまま放っておくわけにはいかん。俺は王都に出向いてフォルトに会う。今後の話をせねばならんからな。」

ユーリは深くため息を吐いた。カインの安否も心配ではあるが、それ以上に、この事実をシャリナが知れば卒倒するに違いないからだ。

「さっそく手配いたします。」

シセルは頷くと、躊躇なく踵を返して背を向けた。

「ちょっと待て、シセル…」

ユーリは呼び止めた。応じてシセルが振り返る。

「お前は留守番だ。」

「は?」

「リオーネの側に居てやるといい。悪阻が酷いのだろう。」

「ですが…」

「この件もリオーネに伏せておけ。心配事は身体に障る…今は大事な時だ。」

ユーリの寛容さに感動し、シセルは思わず目頭が熱くなった。

「ご配慮、感謝いたします。」

「何を改まってるんだ。あいつの中にいるのは俺の初孫だぞ。気遣うのは当然だ。」

ユーリは笑って言った。

「カインのことを気に病む必要はない。シャリナに報告をするのもまだ少し後だ…今泣かれては敵わんからな。」

「承知いたしました。」

頷いて見せたものの、シセルは心からカインの無事を願うばかりだった。カインはリオンの半身であり、彼の身に万が一のことがあれば、リオンの心身にも影響が及ぶに違いない。それがないのは、カインが生存している証拠…そう信じたかった。

「4、5日は戻らんから留守を頼むぞ。」

シセルは一礼してからユーリに背を向け、今度こそ執務室を出て行った。

ひとりになったユーリは感慨深げに目を細めた。懐かしい過去に思いを巡らせる...

出会った頃は少年だったシセル。初めて会ったのはシャリナと出会ったあの槍試合の日だ。

…俺に憧れていると言って目を輝かせていた子供が、娘と恋をしたあげく、結婚するとはな…

今や義理の息子となったシセルがリオーネの子供の父親になる…本当に不思議な巡り合わせだ。

「カインも帰還後はグスターニュを継承する。老公爵の罠にはまって以来、俺はずっとシャリナの保護者だった。…だが、それももうじき退任だ。」

本音を言えば、カインの失踪はユーリの心に暗い影を落としていた。嫡子であるカインを失えば、ペリエ領の継承者が不在となり、リオーネの子が男児であっても継承にはその成長を待たねばならない…

ユーリにそれを見届ける時間は残されていなかった。なんとしてもカインを帰還させる必要があった。

「愚か者め…あれほど忠告しておいたと言うのに...」

ユーリは愚痴を呟きながら立ち上がり、そのまま執務室を後にした。


回廊を歩くユーリの視界にシャリナの姿が見え、ユーリはほっと安堵した。

春を迎えた『貴婦人の庭園』で、妻が楽しそうに花を積んでいる…

美しい花々が咲き乱れるその場所は、シャリナが丹精込めて造り上げた花園だった。ペリエ領でも北東に位置する自然豊かな湖水地方で育ったシャリナは、季節の花々に囲まれて暮らし、グスターニュ城に居を移してからも中庭に花を植えては、少しづつその範囲を広げていたのだ。

「シャリナ。」

ユーリは呼びながらシャリナの方に歩み寄った。

「あら、旦那様。」

ユーリの姿を見てシャリナは笑顔になった。近づいてくる夫へと

腕を伸ばして身を寄せる。

ユーリも両腕で抱きしめキスをした。

二人が仲睦まじいのはいつものことで周囲の召使い達は特段気にする様子も見せず各々の仕事をこなしている。

シャリナは初々しい表情でユーリを見つめ「何かご用?」と問いかけた。

「王都に行くことにした。4、5日留守にするからそのつもりでいてくれ。」

「…まあ、急な話ね。何かあったの?」

「…いや、たいした要件ではないが、パルティアーノ公爵と少しばかり話さねばならんことがある。」

シャリナは大きな菫色の瞳でユーリを瞠目した。

「それじゃあ準備をしなくてはね。」

「頼むよ。」

二人はそのまま腕を組んで歩き始めた。上背のあるユーリの肩にも届かない小柄なシャリナは、いつも彼の腕にぶら下がるような姿勢になる。いっそ抱えて歩いた方が早いとユーリは常日頃から思っていた。

「用事が済んだら、すぐに戻って来てくださいね。」

「勿論だ。俺はすぐにお前が恋しくなる…言われなくたってそうするさ。」

「まあ…」

シャリナはさも嬉しそうに微笑んだ。

「それなら安心。」

視線を絡めた二人はさりげなく目配せを交わした。夫婦にしかわからない暗黙の同意だった。



ボルドー公国、西の都ソラム

催事に招かれていた騎士は、数人の伴とともに街を歩いている最中、ふと何処か懐かしさを感じて立ち止まった。

馬の手綱を引きつつ歩くひとりの若者の姿に見覚えがあり、それがどうにも気になって、視線が釘付けになってしまったのだ。

「どうかなさいましたか?」

供である若者が問いかける。

「ああ、うん…ちょっとね。」

騎士は視線はそのままで手を顎まで持っていき、しばらく考える素振りをした後で、怪訝な表情で自分を見ている弟子達に向かって告げた。

「急用ができた。君たちは先に戻っていなさい。」

彼らに背を向け、騎士は足早にその場を離れて行く。残された弟子達は互いの顔を見合わせて首をひねり、『師』である人の後ろ姿を見送った後、仕方なく帰り道を歩き始めた…


「ねえ、君…待ってくれ!」

背後から呼び止められたカインは振り返った。自分の耳を疑ったのは、それがボルドーの言葉ではなく、ルポワド語だったからだ。

「その様子ではやはりボルドーの民ではないね…君はルポワド人だろう?」

前置きもなく問いかけられ、カインは警戒しながら眉根を寄せた。流暢なルポワド語を話す男は明らかにボルドー人で、容姿や髪色にその特徴が色濃く現れている。

「確かに俺はルポワド人だ。」

カインはルポワド語で答えた。

見知らぬ人間に呼び止められれば警戒するのは当然だとして、それにしてもこの若者の表情はちょっと険し過ぎるな…と騎士は感じた。眼差しはまるで狼の様に鋭かったし、口調も態度も鬼気迫るものがある。服もたいそう汚れていて、顔も髪も埃まみれだった。

「突然声を掛けてすまない…君が知り合いによく似ていたものだから。」

「…俺が?」

「うん。もしや君、姓はアンペリエールではないかい?」

微笑みを浮かべながら問いかける謎の騎士を、カインは不審そうに瞠目した。

「…そうだとしたら?」

「ああやはり…そうなんだね!」

カインの答えを待たず、騎士は確信したように目を見開いた。

「君の父上はペリエ男爵…ユーリ殿だろう?君は彼にそっくりだ!」

「父上を…知っているのか?」

カインは問い返した。異国の地で思いもよらず父の名を耳にし、動揺を隠せなかった。

「知っているとも…母上のこともね。」

騎士はさらに口角を上げると右手を差し出し、躊躇うカインに握手を求めた。

「名乗るのが後になってしまったが…私の名はヴァルダー・フォン・フィッツバイデ。ボルドーの騎士にして、宮廷歌人だ。」

…宮廷歌人?

カインはヴァルダーを瞠目した。その名には聞き覚えがある...

「シャリナは元気かい?こんなに立派なご子息に恵まれていたなんて…本当に感無量だ。」

カインは我に帰ってヴァルダーの手を握った。姿勢を正し、片膝を着いて首を垂れる。

「不躾をお許しください。私はカイン・ド・アンペリエール。…貴方のことは母上より聞き及んでおります。まさかこんな場所でお会いできるとは…」

「それは私も同じだよ。」

ヴァルダーはカインに立つよう促し、ようやく表情を和ませた若者に言った。

「…君が何故ここに居るのか訊ねても構わないかい?時間があるなら少し話が聞きたいんだ。」

屈託のないヴァルダーの問いかけにカインは俯きながら押し黙った。任務を放棄して想い人を追って来たなどと言えるはずもない…自己嫌悪で吐きそうだ…

…なるほど。

ヴァルダーはすぐに察した。悩める人間の顔なら見慣れている。この若者にそっくりな高潔な騎士も、かつては同じように陰鬱な表情を浮かべていたことがあった。

「私に付いて来れば寝る場所にも食事にも困らない…さあ行こう。」

ヴァルダーはカインを連行すると心に決め、馬の手綱を奪って歩き出した。人々の往来の中、取り残されたカインは顔を上げ、大人しく歌人の後を付いていった。


ソリムの都に佇むリューデン城。

ここで開催される歌会に、ヴァルダーは弟子とともに招かれているという。

「細かい事情を説明するのは面倒だ。君は暫く私の門徒ということに事にしておくから、ここで寛いでいると良い。」

彼は気軽に言い放ち、カインを何なく城の中へと引き入れた。その後紹介された四人の歌人は彼の弟子で、「騎士」ではあったが騎士らしくなく、むしろ歌を奏でる思想家と表現する方が正しかった。

彼らは明日の大会に向け、それぞれの歌を入念に煮詰めており、カインの存在などまったく眼中にない様子だった。

カインはすぐに汚れた服を新しいものに変え、身体を洗って身綺麗にすることから始めた。麗しい歌人の中にあって自分が汚いままでは、ヴァルダーに申し訳が立たないと思ったからだ。

「…やあ、見違えたね!」

ヴァルダーは声を上げて言った。

「さすがは男爵家の御令息だ。シャリナはさぞかし君を自慢に思っているだろうな。」

ヴァルダーは手ずから銀杯にエールを注ぎながら言った。

「母上は本当に可憐で心優しい方だった…あの頃はまだ少女で、とても病弱そうだったが…」

母を語るヴァルダーの中に母への思慕があることをカインは感じた。マリアナと出会う以前なら気づくことのなかった愛する者への深い思い…それは陳腐な感情などではなく、とても崇高なものだった…

「さあ、本題に入ろう。」

ヴァルダーはカインと対座すると口火を切った。

「…君はなぜここに?」

「ある人に…謝罪をするためです。」

「謝罪…?」

「私はその人を酷く傷つけてしまった。そのことを謝りたい…彼女はネスバージにいるのです。それも、おそらくは王都に...」

ヴァルダーは表情を曇らせた。

「その方は貴婦人?」

「…多分。」

なるほど…と言ってヴァルダーは納得した。

「確かに、ネスバージへの入国はかなり厳しい。彼の国は強国バルドの王都により近接しているがゆえ、その圧政に対して常に神経を尖らせている…だから異邦者の出入国を厳しく制限しているんだ。」

「バルドが圧政?」

カインは眉根を寄せた。それは初耳だった。

「間接的にね…両国は根深い確執を何十年と抱え続けている…強大な戦力を擁しているバルドはネスバージにとって常に脅威でしかないし、アドモス王は一瞬だって気が抜けない状態なんだ。」

…そんな国にマリアナはいるのか。

カインはマリアナのことを想った。彼女が王族なら、国家間の陰謀に巻き込まれる可能性だって考えられる…調査によって得られたのはマリアナの祖国がネスバージであることのみだったが、あの騎士の言葉が真実であれば、彼女はおそらく高貴な身分なのだろう…

マリアナが最後に残した言葉がネスバージ語であったことも、今のカインは理解している。


「Te amare por siempre…」

あなたを永遠に愛しています


カインはその言葉を何度も思い返した。その度に、自分の罪の深さを思い知るのだった。

…残酷な言葉を吐き掛けた俺に…君は…


「カイン君…」

心痛な面持ちで黙り込むカインに、ヴァルダーは優しく語りかけた。

「何が君を打ちのめしているのかは解らない。…けれど、いかなる難題にも必ず打開する方法はあるものだよ。自分だけでは解決できない問題も、他者の知恵を得ることで前進する場合がある…かつて君の母上がそうした様にね…」

カインは顔を上げた。

ヴァルダーは顎に手を当てがいながら穏やかに微笑んでいた。

…これは奇跡だ。

カインは運命を感じた。きっと母上が自分を導いてくれたに違いない...そう思った。

「…力をお貸しください。フィッツバイデ卿。」

カインは言った。

「俺は何としても…マリアナに会わねばならないのです!」

「…マリアナ?」

ヴァルダーは首を傾げた。

その名をどこかで聞いたことがあるような気がする…それも、ごく最近に…

すぐには思い出せず、ヴァルダーはその疑問を脇に置いておく事にした…きっとそのうち思い出すだろう…その時はそう思った。

「私は歌会が終われば王都に帰る…まずは帰ってから一緒に解決策を探そう。」

「はい。感謝いたします。フィッツバイデ卿!」

「その呼称は嫌いなんだ…ヴァルダーと呼びなさい。」

ヴァルダーは苦笑すると、錆色の巻き毛を軽く掻き上げながら嗜めた。


つづく




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