王太子、城出する
カインがルポワドから姿を消してから二十日あまり、アーレスはリュシアンが徐々に落ち着きを取り戻してきたことにはひとまず胸を撫で下ろしていた。
最近では、毎日起床後に付近への乗馬に勤しむようになり、勉学や教養の時間も物静かに受け、3日に一度はアーレスとともに狩場にも出かけていて、その効果もあって弓を射る正確さも格段に上達している。まるで別人のように無口になった王太子を見るにつけ、周囲の者達は口々に「やはり黒騎士を遠ざけたのは正解だった」と噂した。
…本当にそうか?
身近に付き添ってきたアーレスの考えは懐疑的だった。確かにリュシアンは見違えるように大人しくなり、優等生になった…だが自分の目には、彼が暗にもの想いに耽ったり、何か思い詰めている様にしか見えなかったからだ。
「このまま何も起きなければいいが…」
楽観視はしないほうが身のためだ…とアーレスは思った。なにしろリュシアンの破天荒ぶりは尋常ではない。国王から受け継いだのは見た目だけではなく、思いつきを現実化させる行動力と決断力をもすべからく踏襲しているのだ。
その早朝、まだベッドの中だったアーレスのもとにリュシアン付きの近衛たいが訪れ、リュシアンが来ていないかと尋ねた。夜が明けきれておらず、外は薄暗い状態だ…
「…ここに居るはずもなかろう。」
アーレスは呆れて答えた。
「他を探したのか?」
「はい。心当たりは全て…」
「では、少なくとも、城内には居らぬのだな?」
「おそらくは…」
顔色を失っている隊長に密かに同情しながらも、アーレスは厳しく言った。
「王太子如きにだし抜かれるなど、警備が甘いにも程があるぞ…」
「は…申し訳ございません。」
深く首を垂れる彼に、アーレスはため息を吐いた。
「父上はこのことを?」
「いえ…まだ。」
「そうか…では急ごう。城中の騒動になる前に王太子の部屋に行く。ついて参れ。」
アーレスはとり急ぎ上衣とショーツを身につけて部屋を出た。静まり返った廊下を歩きながら舌打ちをする。
…やはり目論んでいたのか…
王太子の部屋にはすでに兵士が数名立っていたが、当然、ベッドはもぬけの殻だった。起きがけに出て行ったのか寝具は乱雑に押しやられ、夜着は脱ぎ捨てられている…
アーレスは慎重に部屋の隅々を観察した。
…急に思い立って行動したとは思えない…必ず何か痕跡があるはずだ。
日頃出入りのある場所でなければ判断が難しいところだが、この20日間リュシアンのお守りに徹してきたアーレスは、すぐに思い至って机の引き出しを開いた。
…やはりな。
予感は的中した。そこに入っていたはずのダガー(短剣)と私有物である宝石、それに地図が無かった。地図はリュシアンが自分に強請って与えたものだ…
くまなく探したが長剣も見つからず、彼が持ち出したのは明らかだった。
…間違いない、王太子は家出した。
「馬の頭数を数えよ。王太子殿下のものだけではなく、全てだ。」
アーレスは指示を出し、自身もすぐに自室へと向かった。
…あの愚か者、カインが知ったら破竹の勢いで追いかけ、あげくコテンパンにされるところだぞ!
すぐに追いかけるにしても装備が必要だとアーレスは思った。どの方向を探したらいいのか検討がつかない以上、何日彷徨うかわからない。
…とにかく探し出して捕まえねば!
「父上への報告は私が立った後にしろ。」
自室に戻ったアーレスは、革製の防備の装着を隊長に手伝って貰いながら言った。
「皆に知られるのはいちいち面倒だ…必ず私が連れ帰ると、そう伝えてくれ。」
「伴を連れずお一人で?」
「伴を連れているとかえって王太子は逃げる…目立たない方がいいだろう。」
アーレスはそつなく言って支度を終えマントを羽織った。
外へ出て厩舎に向かって歩む間に、太陽の光がその身を照らし始める...
…リュシアンの目的はカインの行方捜しに違いない…
馬に跨ったアーレスは、朝日の差す方角、東に進路を定めた。
いくらリュシアンが痴れ者でも闇雲に出て行くわけはない…確信はないが、それしか心当たりは無かった。東に向かって馬を走らせるアーレスの胸が躍る…行く先はグスターニュ城ーーすなわち、シャリナがいる城だ。
「ふむ…まだ誰も追ってこない様だな。」
リュシアンはわずかに口角を上げてほくそ笑んだ。
街道にある道標近くで馬を休ませながら、自身は深夜に厨房からくすねてきた干し肉と果実酒を口にしているところだった。
「グスターニュ領など目と鼻の先だ。」
周囲を上手く出し抜けた事にリュシアンは満足していた。この日のために言いたい事を我慢し、従順なふりをして下準備を密かに進めてきた。兵たちの休憩所に忍び込み、マントや服を盗み出したり、街で使うための硬貨も手に入れた…
「だいたい、僕からカインを遠ざけるなど言語道断…僕が大人しくなる?…笑わせるな!」
リュシアンの瞼にカインの顔が映る…蔑んだ黒い瞳の眼差しが懐かしい…
「何もせず鬱々としているなど耐えられぬ…誰も教えてくれぬのならこっちから出向き、『漆黒の狼』自身に尋問するまでだ。」
グスターニュ領主ユーリ・ド・アンペリエール男爵は父王マルセルでさえ一目置いているルポワドの英雄だ。折に触れ王都を訪れるユーリの尊大さは『漆黒の狼』の異名と相まって、幼い頃のリュシアンに強烈な印象と畏怖の念を抱かせたものだった。幼い頃に出会ったカインは彼に見た目がそっくりであったものの、その性格は父よりもずっと気さくで親しみやすく、リュシアンはすぐに彼を好きになった。
「あの者を前にして尋問など出来るのか…僕は。」
狼のような眼光のユーリに直視されて毅然としていられるかは疑問だったが、手段を選んでいる場合ではない。マルセルの耳に入ればたちまちに強制送還だし、もう機会は二度と巡ってこないだろう…
「…そこにそなたが居ないことだって知ってるさ…でも僕はどこにいるのか知りたいんだ。傍には行けずとも、男爵の口を割らせて居場所を必ず掴んでやる。」
リュシアンは残った干し肉と地図をバッグに収めた。供もいない旅は生まれて初めてだったが、たった数日程度のことで問題なかろう…と自分を納得させた。
西ルポワドからグスターニュ領までの道のりは平坦で、馬での移動が容易く、リュシアンの一人旅は快適だった。追っ手の事を考えればのんびりもしていられないが、日が暮れるまでに宿泊する場所を決め、今夜はそこで寝れば良い…
ゲイツに到着したリュシアンは興味本位で街中を見て回りながら観光を楽しんだ。ルポワドの城下町に出向いた経験はあってもその他の街に訪れた経験がないため、その光景は本当に斬新だ…
”常に周囲への警戒を怠るな”とのカインの教えどおり、服装は地味、行動は極力控えめを心がける。その甲斐あって周囲は自分に関心すら差し向けることなく、幸いトラブルに遭うこともなかった。
「そろそろ宿場を決めねばな。」
街の中心から少し離れた場所で辺りを見回し、小さな食堂を見つけた。看板には宿を併設している旨の表記があり、中では年配の女と少女が二人で働いている。
「部屋はあるか?」
リュシアンは女店主に向かって言った。
「はい。相部屋が二つと、一人部屋が一つございます。」
「相部屋とはなんだ?」
リュシアンが知らないのは当然のことだったが、女店主は一瞬ぽかんとした後、戸惑い気味に詳しい説明をした。リュシアンはなるほど…と納得してすぐに料金を払い、一人部屋を選んだ。
食事を部屋に運んで来るよう言ってから指定された部屋に入ると一息吐くことができ、リュシアンはようやく安堵した。マントと上着、それに靴を脱ぎ捨ててベッドに横になる…
「明日はグスターニュ城のベッドで眠れる…寝心地の悪さは我慢せねばな…」
そこにカインが待っているならどんなに嬉しいか…しかし、そんな期待は虚しいだけだと自嘲する。実家に戻っているだけなら、何も隠す必要などないはずだ。
「カイン…今どこにいる?」
リュシアンは腕を前に伸ばした。カインがひたすら恋しかった。
盆に料理を乗せた少女がやって来たのはそれから少し経った頃だ。
少女は黙ったままベッド脇にある丸テーブルに食事を置き、そのまま立ち去ろうと背中を見せる。年の頃は10歳くらいであろうか…とても痩せていて、手足が細い…
「待て。」リュシアンは思わず声をかけた。
振り返った少女はリュシアンをみつめる。急に声を掛けられて驚いたようだ。
「幼いのに感心だな…こちらに来い。褒美をやろう…」
リュシアンは上着のポケットを探り、中に入っている硬貨を掴もうと手を伸ばした。しかし、残っているのは宝石ばかりで、硬貨は一枚もなかった。
「何と…」
そういえば、用意した貨幣はすべて宿の支払いに使ってしまった…持っている宝石は街の換金場で換えることもできるが、そういう場所は目立って危険であるし、ここまで来て自分が誰なのかを疑われるのはやっかいな事だった。
「手持ちはこれしかないか…まあ良い。これをやるから明日にでも換金するといいぞ。」
リュシアンは言いながら、小さな赤い宝石を少女の小さな手に握らせた。
少女は瞳を輝かせて食い入るようにそれを見つめたが、直後に無言でリュシアンをじっと見つめる。
「…どうした?それで充分であろう?」
再び手のひらに視線を落とした少女は、躊躇いながらも頷いてみせるとすぐに部屋を出て行った。
「我ながら良い考えだ…」
自分の行いを自画自賛しながらリュシアンは食事と地場産のエールを味わい、食事が終わるとすぐにベッドへと体を横たえた。
「食事はまずまず…煮込み肉は美味かった。」
空腹が満たされると急激な睡魔に襲われる…抵抗する間もなく、リュシアンは深い眠りに落ちていった。早朝からの疲れは極限に達していた…
一方で、アーレスは早駆けで先を急いでいた。リュシアンとの時間差はせいぜい二時間程度と思われ、行き先が同じだとすれば今夜中に捕まえられる計算だ。
グスターニュまでの道のりに宿場街は三つ。一つ目はすでに通過し、二つ目は時間的に該当外…だとすれば、リュシアンがどこかで野宿でもしない限り、ゲイツで宿を探すのは間違いない。
「今頃、王宮は大騒ぎだろう。」アーレスは眉根を寄せて呟いた。
父、フォルトも報告を受けてすでに動き出したに違いない。グスターニュに進路を定めたことは報告しなかったため、今夜中に捜索隊が追いつくことはありえない。
「リュシアンを捕まえたとして…それからどうする。」
アーレスは迷っていた。無理やり拘束しても彼は抵抗するに決まっている。話し合ってもおそらく口論になるだけだ…
「むしろユーリ殿の手に委ね、大人しくさせる方が良いのではないか?」
リュシアンの目的地がグスターニュ城なら、すべての問題は解決するし、おのずとそのまま拘束という運びになる…
「それにきっと、お優しいあの方がきっとリュシアンの心を癒してくださるはずだ…」
シャリナの笑顔を思い浮かべながらアーレスは微笑んだ。
…リュシアンを見つけても静観すべきだ。無茶をしないよう密かに監視しながら後をつければ良い。
「とにかく、あのわがまま王子を見つけ出さなければならぬ…」
夕刻を迎え、やがてゲイツに到着したアーレスは宿場をつぶさに回ってリュシアンを探した。一軒一軒聞き込みをするのは骨が折れたが、小さな街であるゲイツの宿が少なかったのが幸いして、存外すぐに見つけ出すことに成功した。
宿の女主人に該当の者がいるか問いかけると、彼女は「はい、その方なら居りますよ」と好意的な態度を見せる。
「部屋はどこだ。」
「一番奥です。」
アーレスは彼女を促し、狭い廊下を奥へと進んだ。すぐに目に入ったのは幼い少女の姿…無言で扉の前に立っている…
「…ここで何をしている?」アーレスは静かに問いただした。
少女はアーレスの方を見遣り、困ったように自分の右手を差し出して握った手のひらを開いて見せる…ひび割れた指先が痛々しいその小さな手の上には深紅の宝石が乗っていた。こんな貧しい少女が持っているわけがない不相応の品だ。
「これをどうした?」
少女は何も言わずに扉を指差し、自分の胸に手を当てた。
「中にいる者に貰った…と言いたいのか?」
少女は小さく頷いた。
「リュシアンがか…」
経緯はまったく解らないものの、なんとなく察しがついた。おそらく無知なリュシアンが考えなしに与えた『施し』だろう。
少女はすがるような目でアーレスを見つめ、宝石をまた差しだした。
「…要らないと?」
頷く少女にアーレスは微笑んだ。こんなに貧しくやせ細っているというのに…欲のないことだ…
「これはお前への贈り物…この国の王太子からのな。」
アーレスは少女の目線に合わせて姿勢を低くし、小さな頭を撫でながら小声で言った。
「名前は…?」
少女はわずかに口を動かしたものの、その声はなく、その名は聞き取れない。
「…もしや、話せないのか?」
少女は無言で頷き、悲しそうな眼差しで瞬いて見せる…改めて覗き込むと、その瞳は瑠璃色で、自分の瞳の色によく似ていた。
「あの店主はお前の母親か?」
少女は首を横に振って否定した。
「血のつながりは?」
再び否定する少女を見て、アーレスは頷いた。
「...良いか、その宝石をどこかに隠すんだ。次に私に会うまで、決して誰にも見せてはならぬぞ。」
瑠璃色の瞳の少女は不思議そうな眼差しでアーレスの瞳を覗いたあと、やがて安心したように頷き、微笑んで見せた…
「よし...」
アーレスも笑顔を浮かべて少女の頭を撫でた。
その後、リュシアンの様子を確認したアーレスは彼を残したまま部屋を後にした。女店主に代金を上乗せして口止めをし、隣の相部屋に部屋をとって一夜を過ごした。
ふと目覚めたリュシアンは小さな木戸から差し込む光に、すでに朝であることを知った。
「…僕はいつの間に寝ていたんだ?」
寝落ちしたことすら覚えていない…泥のように寝たおかげで頭はすっきりしていた。
テーブルを見ると食器はすでに片付けられている。人が部屋に入ってきたことにもまったく気づかなかった。
「すぐに出発せねば…」
リュシアンは靴を履き、上着とマントを身につけて部屋を出た。思ったより早朝だったためか、女店主の姿はなかったが、そんなことは御構いなしだ。
「さあ、一気にグスターニュ城まで駆け抜けるぞ!」
昼下がりに予告もなく現れた王太子に、グスターニュ城は大騒ぎになった。
報告を受けたユーリは我が耳を疑いながらも急いで出迎えに向かったが、その姿を見るまでは真実かどうかさえ懐疑的だった。リュシアンの破天荒ぶりは有名だが、たまさかに供の一人も連れず訪れるなど到底信じ難かったからだ。
エントランスに着くと、そこに立つ一人の青年の姿が見えた。極めて地味な服装だが、肩の長さで切り揃えられた見事な銀髪は国王マルセルのそれと同じ…確かに王太子本人だ。
リュシアンの前まで歩み寄ると、ユーリは即座に跪き首を下げた。
「突然のお越し…驚きましたぞ。王太子殿下。」
「久しいな…漆黒の狼。」
「いったい何ゆえの来訪でしょう?しかもお一人でとは…」
「何ゆえ?」リュシアンは反問した。
「決まっておろう、カインの消息を知るためだ!」
王太子がいきなり声を荒げたので、ユーリは顔を上げて彼を瞠目した。
「カインの消息?」
「そうとも、父親のそなたなら把握しているであろう?」
リュシアンは自ら一歩を踏み出し、ユーリに迫った。
「城では誰もが知らぬ存ぜぬの一点張り…終いにはカインが帰ってこなければ国は安泰とまで噂する始末だ!僕は…もう耐えられない!」
「ほう…」
「僕はカインに会いたい…単に今どこに居るのか…知りたいだけなんだ。」
「なるほど…」
そこまで聞くと、ユーリはすくと立ち上がった。強靭な体躯の彼の前ではリュシアンなど子供同然であり、その威圧感は凄まじい…
「国王陛下はこのことを?」
「言えるわけがなかろう!」
「まあ、そうでしょうな…」
ユーリは嗜める素振りは見せず、穏やかな笑みを浮かべた。
「事情は理解致しました。とにかく一先ず中へ…歓待いたしますぞ。」
一方、アーレスの来訪を知ったシャリナは事情を聞き、ユーリとは別に彼を迎えていた。
歩み寄りながら両腕を広げ、その身を優しく抱きしめる…
「久しぶりね。元気そうで安心したわ。」
子供の様に頬を撫でながら微笑むシャリナに、アーレスの心が喜びに満ち溢れる…優しい声と柔らかな感触…陽だまりのように暖かく…全てを包み込んでくれる愛しい女性…
「ご無沙汰しております…夫人。」
頬を染めながら挨拶をするアーレスに愛おしさを感じながら、シャリナは癖の強い彼の赤毛を撫でた。
フォルトに託された時はまだ幼な子だったアーレス…母の愛が得られず情緒が不安定で、いつも泣いてばかりの子供だった…シャリナは彼の不憫さを補うため、グスターニュ城に滞在しながら二年の歳月をかけてアーレスに愛情を注いだ。リオーネやカインと等しく、シャリナにとってアーレスは我が子同然...愛おしい息子だ...
「夫人だなんて…二人の時は母と呼んでちょうだい。」
シャリナは小声で耳打ちした。
「お帰りなさい…アーレス。」
「…はい。ただいま帰りました...母上」
この瞬間をどれほど待ち望んだことだろう…父が知れば皮肉の二つや三つは飛んできそうだが、こればかりは譲れない。自分だけに許された唯一つの特権なのだから…
ひとしきり挨拶を済ませると、二人は向かい合って話をした。シャリナは背の高いアーレスを仰ぎ見ながら詳しい経緯を静かに聞き、事情の全てを把握すると、「まあ…」と言って困惑した。
「…それで、あなたもここにいる訳ね?」
「はい。」
アーレスは頷いた。
「リュシアン様にも困ったものだわ...あの子のことでそんなにも思いつめるなんて…」
カインが発つ前に話していたことを、シャリナもリオーネから聞き及んでいた。任務の内容については話せないと口を閉ざしていたが、特務で遠地に派遣されたということは知っている。
「男爵はカインの行き先をご存知なのでしょうか?」
「判らないわ…それこそ、ユーリは軽率に口を開く人ではないもの。」
「確かに…」
顔をしかめるアーレスを見て、シャリナは目を細めた。
…容姿も性格も似ていないけれど、そういう表情をするとフォルトの面影があるわね…
「安心して。今頃きっと、ユーリとリオーネがリュシアン様をなだめているわ…ユーリ以上にリオーネはなだめ役にぴったりよ…だって、カインに最も近い存在だもの。」
優しい笑顔を浮かべるシャリナに、アーレスもそうですね…と言って口角を上げた。いつもながらこの母は本当に穏やかで角がない...父がずっと心を寄せ続けているのも、この屈託のなさ故だろう。
「さあ、お呼びが掛かるまであなたは食事をお摂りなさい…リュシアン様に会う前に、そのお腹の虫を収めなければね。」
「あ…」
アーレスは赤面した。空腹で鳴っていた腹の音を、シャリナにしっかり聞かれていたのだった。
大広間の暖炉の前に席を用意されたリュシアンは、対面に座るユーリを瞠目していた。その後ろにはリオーネが立っており、大きな菫色の瞳でこちらを見ている。
久しく会ったユーリは幾分歳を重ねたせいか少しやつれた印象で、威厳はそのままでも、何か翳りのようなものを感じさせる…それは単なる直感であったが、もしかすると男爵は少し体調がすぐれないのでは…とリュシアンは思った。
「カインのいる場所を教えろ。」
リュシアンは単刀直入に尋ねた。
「僕にはあまり時間がないんだ。」
リオーネはユーリの方をちらりと見遣る…王太子の命令に対して父がどう答えるのか判断するためだ。
「一つだけ伺いましょう。」ユーリは言った。
「殿下がそれを知りたい理由は、あくまでも個人的な感情ゆえ…と考えてよろしいか?」
「ああ、そうだとも。」
リュシアンは躊躇うことなく即答した。他には何の意図もない。自分に何一つ伝えることなく消息を消したカインに対する怒りと寂しさ…それだけだった…
「なるほど…なかなかに豪気ですな。」
ユーリは穏やかに答えるとリュシアンを見据えた。
「…では、カインも殿下のそのお考えを肯定すると…そう思われるのですな?」
リュシアンは押し黙った。そうだと言えば嘘になる。あのカインが肯定するわけがない。
「残念ながら、カインはここには居りません。そして、その必要があるからこそ誰にも告げず何処かへ旅立った。奴は優れた騎士であり、職務のためなら手段を選ばない男だ。そう考えれば、一度姿を隠せば誰であれ奴の消息は追えないでしょう。」
「嘘をつくな!」リュシアンは立ち上がった。
「そなたまで私を騙そうというのか…僕の気持ちを慮らず、命令を無視してまでも!」
リュシアンの怒りの声が大広間に響き渡る。リオーネも、背後で警護しているシセルも驚き、思わず目を見張った。
「僕はルポワドの王太子…いずれ国王になる身だ!全てを知る権利があるんだぞ!」
「リュシアン…」
リオーネは思わずその名を口にした。暴言を吐いているにも関わらず、リュシアンの目には涙が浮かんでいたからだ。
「いずれ国王におなりになるのであれば、なおさらに非情であらねばなりませんぞ。」
ユーリはリュシアンを見上げながら毅然として言った。
「たった一人の騎士が居なくなろうと動揺などすべきではない。我ら騎士は国王の僕…従属物です。次代の治世を担う殿下には優れた統率力をもって我ら騎士を導いて頂きたく、カインもそれを望んでおりましょう。」
「カインが…僕に…?」
「勿論です。カインが将来に於いて長く支え従うのは現陛下ではなく、むしろ殿下...あなたの方です。さればこそ期待もし、忠誠を誓うこともする...奴にとってはこの責務を全うすることこそが殿下に対する誠意。...是非にもそれをご理解願いたい...」
「王太子殿下、私もそう思います。殿下のことを大切に思えばこそカインは何も告げなかった…だって殿下はそうして悲しむでしょう?弟はいつも殿下を慮っていましたよ。あなたは私たち若い騎士の希望…マルセル様をも凌ぐ立派な王になって欲しい…って。」
「リオーネ…まことか?」
「...はい。」
リュシアンは俯き、力無く椅子に座った。幼い頃から頼りになるカインだったが、密かに自分を思い、希望としていてくれた…それが嬉しかった。
いつの間にか隣まで歩み寄っていたリオーネがリュシアンの背にそっと手を置き、顔を覗き込んだ。
「カインがいなくなったのは殿下のせいではありません。ましてや厄介払いなどではね…」
それは耳打ち程度の囁きだった。リュシアンはリオーネを見上げた。リオーネは薄く微笑んでいた。
アンペリエール男爵は微笑みながらその二人を無視して席を立った。あとはリオーネが上手く宥めてくれるだろう。
未来の若き王と騎士達...永く見届けられないのは残念だが、彼らなら大丈夫と信じたい...
結局、捜索隊が到達したのはアーレスが報告のための使者を向かわせた翌日のことだった。
王太子はその後もグスターニュ城に数日間滞在し、リュシアンはリオーネとアーレスを相手に連日夜更けまではしゃいで思うさま憂さ晴らしをした。
そのお陰でリオーネはシセルとシャリナに散々嗜められる羽目になったが、どうにか王太子の機嫌を直すことには成功したのである。




