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ペリエの黒騎士   作者: ヴェルネt.t
15/15

ルポワドの希望

「親方様がおかえりだ!」

騎兵の報告を受け、門番が大声をあげながらエントランスに駆け込んだ。

その知らせによって城内は騒然となり、騎士団や召使い達が次々に集る…


昼下がり、リオーネと居室で談笑していたシャリナは、城内の慌ただしさに気づいた直後、やって来たシセルによってユーリの帰還を告げられた。

「ユーリが…?」

「はい。先立って報告役が参りました。もうまもなくのご到着です。」

シセルは瞳を輝かせながら笑顔を浮かべた。視野にはリオーネがいて、大きなお腹を撫でながら、嬉しそうに口角を上げている。

「迎えに出なくては…」

シャリナは持っていたティーカップをテーブルに置いて席を立った。リオーネもシセルの手を借りてゆっくりと立ち上がる。

「あなたはシセルとゆっくりいらっしゃい。」

シャリナは二人に言い、足早に部屋を出て行った。

シセルはリオーネに視線を戻し、そっと腰に手を回す。

「…異変は?」

「なし!…重い以外はね。」

「そうだろうね…代われるものなら代わってやりたいが…」」

「本当、男だったらこんな苦労をしなくて済んだのになぁ…」

思わせぶりに目配せするリオーネに、シセルは思わず苦笑した。もちろん本音でないことは知っている…だが、身重になってからの妻には次々に試練が待ち受けていて、独りにその負担を強いていることには常々贖罪を感じているのだった。

「すまない…」

シセルが謝罪すると、リオーネは明るく笑い飛ばして言った。

「いやだなぁ…冗談よ、シセルったら本当に真面目なんだから。」

「…笑いすぎだ。」

二人は身を寄せながらゆっくり廊下を歩いた。対して、周囲は騒然としている。特にユーリ直下のグスターニュ騎士団は大わらわだ。

「お父様のお帰りが間に合って良かった…まだこの子の名前をつけて戴いてないもの…」

「閣下は名付け親となることに否定的だったからね…落ち着いたらもう一度お願いしてみよう。」

シセルは静かに答えた。ユーリが無事に帰還したことには心底安堵している…しかし、シャリナが杞憂していた体調の件が気掛かりで仕方なかった。

…リオーネにはまだ話せない。出産前に不安を与えたくはない。

「カインは…来ないでしょうね?」

リオーネは俯きながら言った。

「陛下のお許しを戴くまでは無理だろう。」

「リュシアン殿下は陛下との約束を果たした。マリアナ皇女のお輿入れに乗じて、陛下はきっと恩赦をお与え下さる…カインにお咎めはないはずよ。」

「…おそらくは。」

「カインを蔑む者がいるなら容赦はしない…私は全力で彼の名誉を守る。」

「リオン…」

「カインは今、深い悲しみの中にいる…私には解る…双子だもの。」

リオーネはカインの痛みを感じて瞼を閉じた…この痛みを分かち合えるのは自分だけ…今すぐ彼のもとへと駆けつけ抱きしめてあげたい…

「気持ちは解るが…」

シセルは不安げな表情になって言った。

「その役は私が務める…だから今は無茶しないでくれ。」

「それは、赤ちゃんのため?」

「君と子供のためだ。」

リオーネは悪戯っぽい笑みを浮かべた。シセルは本当に素晴らしい夫だ…

「了解です、教官。この子のために全力を尽くします。」



ユーリの姿を目にしたシャリナは大粒の涙をポロポロこぼして泣いていた。彼が出立してからずっと不安で、もう帰って来ないのではと心配でたまらなかった。

「シャリナ!」

馬から降りるなり、ユーリがシャリナの名を呼んだ。

脇目も振らずに歩み寄り、妻を両腕で抱きしめる。

シャリナも腕を背に回し、二人はきつく抱き合った。

「お帰りなさい…ユーリ…」

シャリナは体を預けてユーリを見上げた。

「寂しい思いをさせてすまなかった…」

「少し痩せたわ…」

「そうか?」

「ええ、怪我はないの?」

「…全く」

「良かった…」

変わらないユーリの笑顔にシャリナは心から安堵した。カインのことが気掛かりではあったが、とにかく今は夫の無事を喜びたい…

「留守中に問題はなかったか?」

「もちろん…シセルは完璧だもの。」

「…だろうな。」

ひとしきり温もりを確かめ合った後、寄り添いながらエントランに向かって歩き出す…視線の先にシセルが見え、その隣にはリオーネが立っていた。

…もう間近だな。

ユーリは目を細めた。リオーネは女性にしては長身で、騎士として体を鍛え上げている。小柄で華奢なシャリナと比べると、臨月を迎えても凛としていて安定感がある…

…シャリナの時は双子だったし、とにかく不安だった…まあ、二人一度に授かったのは幸いだったが…

次の子供が欲しいと望んだシャリナだったが、妻の小さな体にまたあの負担を背負わせるのは忍びなく、ユーリはとうとう子供を授けなかった。万が一シャリナを失っては、それこそ取り返しがつかないと思ったからだった。

「お帰りなさい、お父様。」

リオーネは笑顔で言った。

「任務の達成、おめでとうございます。」

「うむ。どうにか丸く収まった…お前も順調そうで何よりだ。」

「はい。もうじきお祖父様にして差し上げられます。」

「そいつは皮肉か…リオーネ?」

ユーリは眉を吊り上げた。リオーネはなかなかに発言が辛い…カインよりもよほど自分寄りだ…

「お怪我もなく安堵致しました、閣下。」

控えていたシセルが口を開き、一歩前に進み出る。

負担を強いたなシセル…色々大変だっただろう?」

「いえ、その様なことは全く…それよりも、カイン様の無事のご帰還、まことに嬉しく思っております。」

「俺もほっとした…カインが五体満足で帰国できたことにはな。」

「カインは…今どこに?」

シャリナが不安な表情になって尋ねた。

「王太子と王宮に向かった。皇女殿下の警護役として。」

「可哀想なカイン…どんなにか辛いでしょう…」

シャリナはまた涙を浮かべた。

「あの子は懸命に責務を果たそうとした…それなのに、あんまりだわ。」

「お母様…」

リオーネがシャリナの肩を抱いてなだめる…ユーリとシセルは言葉もなく、悲しむシャリナを見遣った。

「心配しないでお母様…悲しい結果に終わったけれど、カインは決して絶望なんかしていないから。」

「…リオーネ?」

「彼は誰より屈強な戦士…ペリエの黒騎士は、ルポワドの英雄、漆黒の狼“の息子だもの。」

「リオーネ…」

娘の言葉に心が震える…ユーリは柄にもなく感傷的になった。

…騎士になりたいと言って猛反発していた娘…今や母を支えるほどに逞しく成長してくれた。カインも試練を乗り越え、多くの事を学んだ…

…俺がいなくても、もう大丈夫だ。

ユーリは目を細めて微笑んだ…心からの安堵だった。

…何故そんな顔をなさるのですか?

シセルは問いかける。

…以前のあなたはそんな表情を浮かべる人ではなかった。

シャリナの吐露を聞いたからではない…ユーリは明らかに何かを覚悟している…

…ただの杞憂であってくれ。

シセルは思わず俯いた。

彼を前にして、不安を隠せる自信はなかった…



マリアナがリュシアンとともに玉座の間へと歩いて行く…

回廊には家臣や騎士が居並び、皆、恭順の意を示している。

カインは後方に控え、許される限りの視野でマリアナを見遣った。

身につけているのは、リザエナ陛下が娘へと贈ったボルドーの正装。紺青に金色の刺繍を散りばめた衣…頭には瑠璃色の宝石を配した冠を乗せ、ヴェールによって短かい髪は隠されている。

…君はすごい人だ。

カインは心の中で呟いた。

…美しいマリアナ…この宮廷に君ほど美しい女性はいない。その賢さを知れば、周囲は皆、君に平伏するだろう…

やがて、二人の姿が玉座の間へと消え、大扉が閉ざされた。

全てを見届けると、カインは静かに王宮を離れた。


自室に戻り、上衣を脱ぎ捨て、長剣を長椅子の脇へと置く。

フィアナ王妃に賜った剣…見事な仕上がりで、自分にとっては生涯の宝だ。パルティアーノ公爵からは「しばらく休息せよ」との命令を受けた。叱咤や処分の言い渡しはなく、彼は静かに「ご苦労であった。」と告げるに留まった。

「全て終わった…」

ベッドへと体を投げ出し、瞼を閉じる…

「マリアナ、周囲が君を傷付けないか心配だよ。」

リュシアンはともかく、国王は全ての事実を知っている…マリアナに対する偏見は、当然あるに違いない…

今回の失態でブランピエールの襲名は先延ばしになる。…すなわち、公爵の地位がさらに遠ざかるということだ。

「ブランピエールは王族に連なる家柄…公爵になれば、傍で君を支えることができるのに…」

罪を犯した自分をどうするかは国王が決める…厳しい罰を課せられる可能性は捨てきれなかった。

「首がつながっている自体が奇跡なんだ…贅沢は言えないな。」

一年で様々な経験をした。マリアナと出会い、人を愛する喜びを知り、真に何が大切であるかを学んだ…

「一人では何も出来なかった。周囲の助力がなければ、俺は愚かなままの男だった…」

ユーリ・バスティオンの息子として期待されて来た自分…その父によって厳しく鍛えられ、『ペリエの黒騎士』として国王の寵愛を受けて育った。生まれた時からグスターニュ城主になることを確約され、領民も貴族も皆、初めから自分を崇めていた。

「俺はそれが嫌で特務の騎士になった…自分の実力を証明することで、大伯父や父上からの七光りを払拭しようと躍起だった…」

生まれ持った地位に慢心していたのは事実だ。シセルのように不遇な身の上出身の騎士は大勢いる…自らの命を賭けなければ、彼らは欲しいものを手にすることすらできない。

「…俺の役目は、騎士として王を守護すること…そして、領主として民に恵みを与えることだ。」

カインはぼんやりと天井に描かれた彫刻を見つめた。花を愛でる貴婦人の姿…以前は関心を向けることもなかったが、今はそれすらも愛しく思える…

「できれば君と一緒にグスターニュに帰りたかった…」

マリアナとの幸せな日々…やがてカインは眠りに落ちた

…夢に見たのはおさげ髪の少女。静かに本を読むマリアナの姿だった。


王太子の婚儀の日が決まった日

カインは国王の命によって王宮に招かれた。

『黒騎士』が姿を現すと、宮中の貴婦人の注目が集まる…

もとより注目の的ではあったものの、しばらく消息を絶っていた彼が大人の様相を帯び、さらに魅力的な男性へと変貌したことで、その視線は以前にも増して熱を帯びていた。

「縁談が舞い込むぞ…」

隣を歩くアーレスが言った。

「それはもう毎日のように…」

「…まさか、俺は君とは違う。」

「甘いよ、君は…」

アーレスは口の端を上げて笑顔を浮かべた。

「今までは特務であるが故に目立たなかっただけだろう?…だが、これからは違う。」

「そうだとしても、俺にはどうでもいいことだ。」

「そうは言っても…君は嫡男じゃないか。」

「まあ、そうだが…」

「たった一人の嫡子だし、簡単に拒絶はできないぞ。」

「…」

黙り込むカインに、アーレスも渋面になった。嫡男同士、お互いに悩ましい問題だ。

「私は父の様になりたくはないから、結婚相手は自ら選ぼうと思っているんだ。」

「パルティアーノ卿の様な?」

「父は母と政略的に結婚した。子供を残すためだけに…」

カインは横を向いてアーレスを見遣る。その事実は有名だ。

「両親の相性は最悪でね…母は殆どの時間を別邸で過ごしていたし、父も母には関心を示さなかった…私は嫡子だが、一母には一度も愛されたことがない…」

「アーレス…」

「君も知っての通り、私を慈しんでくれたのはアンペリエール夫人だけだ。私にとってあの方は本当の母も同然…とても大切な存在だよ。」

「それは重々承知しているさ…」

カインは答えたが、アーレスはまだ何か言いたそうだった。いつもの彼らしくない、憂いのある表情を浮かべている…

「…何か言いたそうに見えるが…」

カインは眉を寄せて言った。

問われたアーレスは僅かに口を歪める…しばらく躊躇っていたが、やがて首を横に振った。

「…とにかく、お互いに辛い立場だな。」

謁見の間に着くと、アーレスは扉の前に控えた。

その場には王と王妃、リュシアンとフォルトの姿が見える。

カインはそのまま入室し、すぐさま跪いて口上した。

「カイン・アンペリエール、お招きにより参じました。」

「少し見ぬ間にずいぶんと成長したではないか…黒騎士。」

マルセルは静かに言った。

「良い男になった…ますます漆黒の狼に似て来たのう…」

王の口調は明るく軽快だった。見たままを信じるとすれば、むしろ機嫌が良い方だった。

「経験は人間を成長させる…男にとっては尚更だ。此度の件、そなたにとっては必要不可欠な任務であったと余は理解しておるのだ。」

「は…」

反応に困って短く応えた…これは単なる生殺しだ。

「マルセル…」

エミリアが咳払いをした。横を向いて夫を見遣る。

「私がいる前で、そのお話はあまりにも無粋よ。」

嗜められたマルセルが口角を下げる…エミリアも目も細めており、微妙な雰囲気になった…

「…では要件だけを端的に申そう。」

マルセルは再びカインを見据え、居住まいを正した。

「ペリエ男爵が嫡子、カイン・アンペリエール。此度の多大なる貢献と王太子の結婚を鑑み、そなたに特別の恩赦を与え、全ての罪を免ずる。長く空席のままであったブランピエールの地位と財産、及び、その領地をそなたへと相続し、本日よりブランピエール公爵と称することを許す。」

「公爵…?」

カインは思わず顔を上げてマルセルを見遣った。

「私を…公爵に?」

「そう申した…不服があるか?」

マルセルの紺碧の瞳が輝きに満ちている…片側の口角を上げ、強面の顔には不敵な笑みが浮かんでいた。

「不服など…あろう筈もございません。」

カインは再び顔を臥した。目から涙が溢れ出る…

「…そうか、ではこれよりは王族の一人としてルポワールに名を連ね、我が国の発展に貢献せよ。」

「…カイン・ブランピエール、この命の終わりまで、ルポワドと、マルセル陛下に忠誠を尽くすとお誓い申し上げます。」

カインは感極まって涙声になった。誰もが黒騎士の涙を見るのは初めてであり、エミリアは目頭を押さえていた。

「…黒騎士」

終始無言だったリュシアンが口を開く。

「皇女から僕に願いがあると告げられた。そなたと共に誓いを立てたいとな…」

「…皇女殿下?」

リュシアンが目で促すと、アーレスに導かれてマリアナが姿を現した。マリアナがカイン垣間見る…瞬く間、二人の視線が絡み合った…

皇女はゆっくりと進み出て、カインの横で膝を折った。

美しい横顔…体温が感じられるほどに近い…

「約束を果たして下さい…黒騎士」

マリアナが告げた。

「永遠の誓いを…」

…マリアナ。

カインはマリアナを直視せずに頷いた。

…この日のために考えた、君と俺との誓い。

「国王陛下、及び、王妃殿下…そして、私の伴侶となられる王太子殿下に申し上げます…」

マリアナは鈴の音のような美しい声で言った。

「私と黒騎士は、お互いの立場を重んじ、個であることを捨て、生涯をルポワドと…リュシアン殿下のために尽力する事をお誓い申し上げます。」

「“ルポワドの希望“たる皇女殿下の御意に従い、この誓いを主君、王太子殿下へと捧げます。」

言い終わると、二人は共に首を垂れた。その恭しい姿を、リュシアンは目を眇めながら見つめていた…



半月後、帰郷を許されたカインは、久しぶりにグスターニュ城へと帰った。

正式に主君となったカインを歓待し、家臣や騎士が祝福を告げる。

シャリナは泣きながら息子を抱きしめ、頬にキスをし、髪を撫でながら、文句を言った。

「心配したわ…あなたったら…もう!」

「申し訳ありません…母上。」

カインは面目なさそうに苦笑する。小柄な母に目線を合わせるため、跪いたままの姿勢だった。

「これからは公爵としての自覚を持たなくては。」

「はい。肝に銘じて。」

落ち着きを取り戻すと、シャリナはカインの腕をとって歩き出した。ユーリに生写しの息子は何より自慢で、とても愛おしい存在だ。

「父上は?」

「寝室でお待ちよ。」

「…寝室?」

カインは反問したが、シャリナは「ええ。」と頷くに留まる…

父の寝室に着くとリオーネが待っており、ベッドの上のユーリと談笑しているところだった。

「来たか…」

カインを見たユーリは笑顔を浮かべた。

「具合がお悪いのですか…父上?」

「まあ…少しな。」

「お疲れになったのよ…緊張の連続だったから…」

「お父様も歳よねぇ…」

「お前はそればかりだな…リオーネ」

ユーリが指摘すると、リオーネが肩をすくめて笑う。

シャリナも微笑みながらそれを見つめて口元に手を当てた。

「心配をおかけしたこと…心からお詫び致します。」

カインは深く頭を下げた。心配だけではない…どんなに迷惑をかけたことだろう…

「お前のせいではない…」

ユーリは穏やかな口調で言った。

「前にも言ったが、お前の誤ちはマルセルの嫌がらせが生んだ大失策だ…故に、王はお前を罰する事ができなかった…お前の首を刎ねれば、王太子は一生涯マルセルを許さんだろうからな…」

「…リュシアンに首を狙われたら、陛下も敵わないものね…」

リオーネの呟きにシャリナが目を丸くする…

「全て忘れろ…皇女は輿入れを果たす…王太子が気に入ったのなら大団円だ。」

「お父様の言う通り!」

「そうね。」

カインは嬉しかった…愚かな自分を責めることなく受け入れる…なんと素晴らしい家族だろう。


その夜、シセルを交えて食事をした。

祝杯にはリオーネも飲酒を許され、ユーリも少量の酒を楽しんだ。

家族の団らんはとても楽しく、カインは久しぶりに幸せな時間を過ごした。


「これでめでたくグスターニュ公だね…」

暖炉の前を陣取り、手にした人形を眺めながらリオーネが言った。それはカインがボルドーで買い求めた物で、リオーネへの土産品だった。

「お父様もだけど、お母様のほうがもっとほっとしていると思う…カインが失踪している間、ずっと不安そうにしていたから。」

「うん…それについては…すまないと思ってる。」

素直なカインに、リオーネが口角を上げた。黒騎士とか公爵とか呼ばれても、所詮は血を分けた双子の弟…カインが謙虚で繊細であることは自分が誰より知っている…

「まあ、本来ならアンペリエールを継ぐべきがブランピエールになった訳だけど…お母様はそれで良かったのかな?」

「俺はリオンがペリエを相続すると思っていたんだ。結婚するとは思わなかったし…」

「それは言わないで…あまりに痛すぎる...」

「まさか…後悔してるとか?」

「し…してないよ。ちょっとしか…」

「ちょっとって...してるんじゃないか。」

「カイン、声大きい…」

リオーネは振り返って扉の方向を見つめた。シセルに聞こえるようなことがあったら大変だ…

「後悔なんて贅沢だぞ…シセルは誰からも尊敬される騎士で、バルド戦役の英雄…宮廷での人気は凄まじいんだ。」

「解ってる…シセルは素敵だもん…私には勿体ないよね。」

「解ってるなら幸せに思え。」

「うー」

口を尖らせるリオーネに、カインは噴き出して笑った。リオンとの問答は子供の頃から変わらない。もし彼女が母のように貞淑な姉であったなら、こんな会話はできなかっただろう…

「カインはこれからどうするの?」

リオーネは目を細めて言った。

「王都に残るの?それともここで暮らすつもり?」

「ああ…うん…そうだな。」

カインは、口ごもりながら天を仰いだ。

「ここには父上もおられるし、シセルもいる…当分は王都に居るよ。」

「…マリアナ様のお側に?」

「…ああ。」

カインの気持ちが伝わって、リオーネの胸がチクチクと痛む…

彼がマリアナを想う時、決まってそれは起きるのだった…

「リオンは双子で俺の半身…自分に対する吐露なら、何を言っても構わない?」

「うん…問題ない。」

「そうか…」

カインは薄く微笑むと姿勢を正した。その物憂げな表情は父に似て、普段の彼よりも大人びて見える…

「俺はマリアナと結婚した…彼女と契りを結び、永遠の愛を誓った。だから生涯、妻は迎えない…」

「マリアナ様も…そのことを?」

「ずっと心にしまっておく、と…」

「そうだったんだ…」

リオーネは弟の顔をじっと見据えた。

「あなたは昔から意志が固い。一度決めたことは絶対に貫く…これはもう絶望的ね…」

「母上に似て頑固なんだよ。」

「うーん、確かに。…本当、これは自分に向かってしか吐露できないわねぇ...」

リオーネは深くため息を吐くと苦笑いをした。

「よりにもよって妃殿下とだなんて...ほんと馬鹿だな、カインは。」

「マリアナにもそう言われたよ。」

軽く肯定すると、カインは救われたように穏やかな笑顔を浮かべた…心のわだかまりが、すっと消えていく様だった。



10月の終わり、

王都では『結婚の義』が行われ、王太子が成婚した。

王太子妃となったマリアナは、諸国を同盟へと導いた和平の象徴として国民からの祝福を受ける。祝賀の催事は十四日間に及び、遠く離れた領地でも華やかな祝賀の宴が開かれた。

「変わり者」と囁かれ続けた王太子の結婚には宮廷貴族の好奇な視線が集中したものの、蓋を開ければ二人の仲は睦まじく、むしろ王太子の方が妃に夢中であることが判明する。

癇癪や不作法も形をひそめ、すっかり大人しくなったリュシアンの豹変ぶりに、家臣達は驚き、王妃エミリアは大変安堵したという。

一方、

翌11月初旬には、リオーネが無事に出産し、グスターニュ城が

慶びに包まれた。

子供は男児で、髪の色は黒…偉大な英雄から受け継がれるその髪色に、城の者達は歓喜し、シセルも感動を隠せなかった。

「おめでとう、シセル。」

シャリナが抱いていた赤児をそっとシセルに手渡しながら微笑んだ。

「今日からあなたも父親ね…」

小さな命が腕の中に納まり、シセルはその愛らしさに思わず目を眇める…

…リオーネが授けてくれた私の息子…なんと小さく儚いのだろう…

「バレル」

シセルは初めて名を呼んだ。

名付け親はユーリ、何度も願って、ようやく貰った名前だった。

「頑張ったね…ありがとう。」

シセルはリオーネに感謝した。

闘い疲れた妻はすでに眠りに就いていたが、とても穏やかな表情をしている…

「さあ、行こう、息子よ…」

シセルはバレルを抱いて歩き出した。

寝室で待つユーリに、この喜びを伝えなければならなかった...



…翌々年4月 

「...丘の上の花が咲いていたのよ。」

シャリナは花瓶に花を差しながら言った。

「もう春ね…」

開かれた窓から爽やかな風が吹き抜ける…外は少し肌寒かったが、暖かな日差しが降り注いでいて、今日は春を思わせる日和だった。

「…馬に乗ったのか?」

ユーリは微笑みながら訊いた。

「ええ、リオーネと一緒に。」

「…さすがは騎士の妻だ。」

「あなたの特訓のおかげよ…あの時はどんなに泣いても手を緩めて貰なくて恨んだけど、その甲斐はあったわ。」

「足が痛いとか尻の皮が剥けたとか…毎日、泣き言ばかり言ってたからな…」

「まあ…なんてことを…」

肩を震わせるユーリに、シャリナは目を丸くした。

「冗談にしても酷いわ…ユーリ」

顔を赤らめて抗議するシャリナを見てユーリは笑った。

「お前は桁外に世間知らずだった…だからこそ正しい乗り方を身につけられたんだ。」

「それ、褒めているつもり?」

「もちろんだ…」

シャリナは上目遣いで夫を見遣ると、傍へと歩み寄った。ベッドへと腰掛け、ユーリへともたれかかる…

「もっと上手な褒め方があると思うわ…」

「そうか?…俺は褒められたことがないからな。」

「嘘、信じられない…」

「本当だ。俺は六男だからすぐに外へ放りだされた。親に褒められた記憶がない…」

「苦労したのね…」

「そうでもないさ…継ぐものがないから自由だった。思いがけず、可愛い嫁も手に入れられたし…」

ユーリはシャリナに腕を伸ばして抱き寄せた。

「肉親にも財産にも縁が薄かった俺が、城と家族を持ち、充実した人生になった…それもこれも、全部お前のお陰だよ。」

「大伯父様のお陰…でしょ?」

「違う。お前が俺に愛をくれたからだ…」

シャリナは顔を上げ、ユーリを見つめて微笑んだ。

「…そう思ってくれているなら嬉しいわ。」

「奢って構わないぞ…俺は生涯お前の虜だ。」


二人が居を移してから一年半…

ペリエ城は春を迎えていた。

最期の時をシャリナと静かに過ごしたい…

それがユーリの願いだった。


花瓶の花が揺れている…丘はもう満開だろう


ユーリの心は馳せていた…シャリナと走った静かな湖畔…

馬の背で風を切る至上の喜び…


「またあの風を感じたいものだ…」


ユーリは目を眇めた。

その願いを叶える様に、一陣の風が吹き抜けた…





フォルトが到着すると、来訪を知ったカインとリオーネが二人揃って出迎えた。シャリナの姿はなく、ペリエ城は色を失った様にひっそりとしている。

「シャリナは?」

フォルトは尋ねた。

「父上の傍に…」

カインが言葉少なげに答える。その声はユーリに酷似していて、まるで彼が傍にいる様だ。

「様子は如何だ…手紙には体調が悪いとあったが?」

「…はい。父上が亡くなって以降、しばらくは気丈にふるまっておいででしたが…最近になって塞ぎ込むことが多く…」

「食事もあまり摂らないのです…とても痩せてしまって…」

リオーネは暗い表情で言った。カインも心配そうに俯いている…

「お父様に泣き虫って揶揄われていたお母様が…葬儀以来、泣いていないのも気になるわ…」

「そういえば、そうだな…」

カインも同意し、首を傾げる…

フォルトは黙り、シャリナの気持ちを慮った。

「…とにかく、シャリナに会おう…」


湖畔を望む丘の上にシャリナが一人佇んでいた。

墓標を前に視線を落としている…

「シャリナ…」

フォルトの呼びかけに、シャリナが顔を上げて振り返る。

「まあ、フォルト…」

シャリナが薄く笑みを浮かべた

「来て下さったの?」

フォルトは眉根を寄せた。シャリナの顔はやつれていて、肌の色も失われている…華奢な体はさらに細くなり、今にも折れてしまいそうだった。

「そなたを支えに…な。」

フォルトは告げると、シャリナの横に並び、そっと片腕で支えた。

「老狼め…こんなに悲しませるとは…」

棺で眠るユーリに向かってフォルトは文句を言った。

「寂しいだろう…そなたを置いて逝くなど愚かにも程がある…」

シャリナは何も答えなかった。墓標を見つめ、まつ毛を揺らしている。

「…なぜ泣かぬ?」

唐突に問うた。

「悲しいなら泣けば良い…胸を貸すぞ…」

シャリナはフォルトを見上げた。鳶色の瞳が見つめている…

「ユーリにも言われたわ…あなたを頼れ。って…」

「…狼が?」

「私の後見を引き受けて下さったと…」

「知っていたのか…」

シャリナは頷いた。

「…ユーリは身勝手だわ。勝手に私の将来を決めるなんて…あんまりよ。」

「シャリナ…」

「感謝します。…でも、そんな義務を背負う必要なんてない…私はもう子供ではないのだから。」

「…義務?」

「私にはペリエ城があるし、財産もあるわ。一人でちゃんと管理できる…だから心を偽らないで…」

「偽り…?」

フォルトは愕然とし、シャリナを瞠目した。

…シャリナは…何も気づいていないのか⁉︎

「違う!」

フォルトは言った。

「義務ではない…ましてや、偽りなどでは…」

「…フォルト?」

フォルトは意を決した。その場に膝を落として跪いた。

シャリナに右手を差し出し、視線を合わせて訴えた。

「私はそなたを愛している…どうか、この手を掴んでほしい。」

菫色の大きな瞳が見開かれた。

誰よりも気高い国王自慢の騎士…

遠い日の約束が、ようやく果たされ様としていた…





「歩くの早いよ〜おじうえ〜」

バレルはずっと不満を漏らしていた。身の丈が何倍もある伯父に手を引かれ、何度もつまずき、転びそうになりながら歩いていたからだ。

「目的地はもうすぐだ。…ほら、しっかり歩け!」

カインは歩調を緩めず、笑顔を浮かべて言った。

もちろん幼いバレルに合わせているが、それでも5歳の子供には早いらしい…

「どこまで行くのー?」

「この丘の向こうだ。」

「どうしてー?」

「お前の盟友に会うために。」

「めーゆー?」

バレルがついに手を離して立ち止まった。息を切らして咳き込んでいる。

「僕もう歩けないよー」

地面に座り込み、足を前に放り出す。もう一歩も歩かないと決めたのか、仰向けになって寝転んでしまった。

「仕方のない奴だな…」

カインは苦笑しながらバレルを抱き起こした。一度地面に立たせると背中を向ける。

「…さあ、乗れ。」

…バレルは喜び勇んでカインの背中に飛び乗った。地面から離れ、視界が一気に広がる。

カインが丘を駆け上り、疾風の様に突き進む…バレルは背後で大はしゃぎだった。…カインも声を上げて笑っていた。


丘を登ると平地が広がり、そこには待ち人が立っていた。

カインの姿を見ると、笑顔で手を振り歩み寄る…

「僕、もう降りる。」

バレルは自ら地面に降りた。視線の先に小さな子供が見えたからだ…

「…くろきし」

美しい金糸の髪の子供が走り寄る…カインが即座に跪き、両腕で優しく抱き止めた。

「シャルア様…」

カインが優しく微笑むと、シャルアはさらに体を密着させた。

「抱っこして、くろきし。」

「…構いませんが…」

シャルアの願いに顔を上げ、後ろに立つ人影へと目を向ける。シャルアと同じ金糸の髪…美しい貴婦人が微笑んでいる…

「宜しいでしょうか、妃殿下?」

カインが問うと、『妃殿下』は目を細めて頷いた。

「もちろんよ…我儘な子でごめんなさい。」

「我儘など…」

カインはシャルアを軽々と抱き上げた。3歳を迎えたばかりの幼い王子は、お気に入りの黒騎士に抱かれて上機嫌だ。

「こんにちは、バレル」

カインの足元で不思議そうにしているバレルに、マリアナは屈んで声をかけた。リオーネが時々宮廷に連れて来るので、マリアナはバレルと面識がある。

「少し背が高くなった?」

「うん。」

「騎士のお勉強してる?」

「うん、してるよ」

「おじさま…怖いでしょ?」

「…うん。すぐにお尻を叩くよ。」

「あらあら…そうなの?」

正直に答える甥っ子に、カインは思わず苦笑した。子供は嘘が言えない…気を付けないと痛い目に遭いそうだ…

「でも、バレルはおじさまを尊敬しているのよね?」

「うん!僕、大きくなっておじうえみたいな騎士になるんだ。」

マリアナは微笑み、バレルの髪を優しく撫でた。

母譲りの黒い髪と、父にそっくりな空色の瞳…バレル・バージニアスは、きっと素晴らしい騎士になるに違いない…

「…ところで、リュシアン殿下は?」

あたりを見回しながらカインは尋ねた。

「今朝になって予定を変えたの…狩に出かけてしまったわ。」

肩をすくめて呆れるマリアナに、カインは思わず白い歯を見せた。

リュシアンの性格は相変わらずで、さすがのマリアナも手を焼いているらしい…


「もう降りる…」

満足したシャルアが命じた。

願いに従い地上に下ろすと、バレルに近寄って追いかけっこを始める…

「二人は仲良くなれそうね…」

マリアナが言った。

「…そのようです。」

カインも答えた。


初夏の丘は鮮やかな緑に覆われている…

大はしゃぎの小さな騎士とルポワドの希望…

二人の道が未来に向かって光り輝く…


「そういえば、焼き菓子を焼いたの…食べてくれる?」

「光栄です、妃殿下。」

「…もう、二人の時は妃殿下じゃなくて…マリアナ…でしょ?」

「ああ、そうだったね。マリアナ…」


カインとマリアナは、お互いを見つめて微笑み合った。

穏やかな初夏の午後だった。



ペリエの黒騎士

終わり





























一年に渡る連載にお付き合い下さり、ありがとうございました。

ユーリとシャリナの出会いから始まったペリエ城シリーズも、本作品を持って完結です。

機会があれば、アフターストーリーやスピンオフなどの作品も書きたい…

今後は同人誌の公開、発行も予定しておりますので、どうぞよろしくお願いします。

なお、感想、評価など戴ければ嬉しいです。

…では、また。


ヴェルネt・t





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