奪還
バルドの宮廷内に潜り込んだ後、カインとヨルムドは接触を避けて行動していた。
周囲に疑念を抱かせない為であることがその理由だが、本音は各々の手の内を明かしたくないという点にある。
見るともなし、聞くともなしに伝わるのは『不誠実』な動き…
二人はありとあらゆる手を駆使し、如何に非道であろうと躊躇せず、“全ては我が君のためと、徹底的にその意志を貫いた。
「…居るか、黒騎士」
深夜の闇に紛れてヨルムドが言った。
側にいるはずだが、互いに気配を消しているため、声を掛け合わなければ相手を見つけ出すことはできない...
「ここだ、月光...」
声が聞こえ、音もなくカインが姿を現した。薄暗闇の中浮かび上がる姿…いつものチュニックではなく、今夜は自前のマントを羽織っている。
「その服装…どうやら裏が取れた様だな。」
「…ああ。」
カインは言葉少なげに答えた。
「マリアナは『白亜』と呼ばれる城に幽閉されてる…間違いない。」
「うむ…」
ヨルムドも頷いた。
「該当の城は沿岸にある…海を望む場所だ。」
「絶壁を護りとした『砦』らしい。ただの城ではなく…な」
「海上戦の防壁か…」
二人は押し黙った。マリアナの境遇を思うと心が痛む。生まれ育った静かな森しか知らない姫君…どんなにか心細いに違いない。
「…だとすると、正面からの突破しか道はない。」
ヨルムドが低い声で言った。
「策を練らねば…」
ぼんやりとした月明かりに浮かぶ銀糸の髪…両腕を組みつつ、一心に考えを巡らす月光の騎士にカインは目を細めた。
最近のヨルムドは手袋を着けており、それも毎度のことだった。毒物の扱いに特化しているこの騎士は、どうやら直接手で触れてはならないものを使っているらしい…
「実はもう一つ解ったことがある。」
「…解ったこと?」
「その城には王の妃がいて、彼女も一緒に幽閉されてる様だ。」
「…王妃?」
「ああ。名はフィアナ。カンエの2番目の妃で、ゼナ・ヴェルネスの実母だそうだ。」
「…ゼナ様の?…ではマリアナ様の御祖母?」
「そういうことになるな。」
「なぜ皇帝の正妃が幽閉されている?」
「そこまでは解らない…接触した人間にそれを知っている者はいなかった…その事実を口にすること自体、固く禁じられてきたのかもしれない。」
…ならば、貴様はその禁忌を誰から聞き出した?
ヨルムドは心の内で問うた。
淡々と語るカインだが、任務に入って以来『黒騎士』は様子が変わった。「役者に徹する」との発言通り、今はヨルムドの胸がざわつくほどに魅惑的な男の様相を滲ませている…
…マリアナ様への思慕を吹っ切る意味でも、黒騎士とってこの特務は必要なことだったのかも知れぬ...
マリアナへの思いについては自身も同じ心境だが、より深く結びあったカインの絶望感は、更に計り知れないことだろう。
…自暴自棄になるのも解らなくは無いが…
「それが真実ならお気の毒なことだ。」
ヨルムドは眉根を寄せて言った。
「…御祖母の件はともかく、マリアナ様の所在は特定できた。すぐに宿営地に撤退した方がよかろう。奇襲するにしても、王太子殿下のご指示を仰ぐ必要がある。」
「…いや、俺はこのまま現地へ向かう。すまないが、父上達への報告は一人で行ってくれ。」
「…なにを言う。単独で行動しようというのか?」
「マリアナ様の救出は俺に与えられた特務...先発で行く。」
「黒騎士!」
「マリアナが待っている。...頼む、月光」
カインは語尾を強めて主張した。
「作戦は任せる…どのみち部隊の協力無くしては問題は解決しない。突破口を開いておく…追いかけて来てくれ。」
「…勝手なことを!」
ヨルムドは思わずにじり寄った。しかしカインは動じず、ただ悲しげに自分を見つめ返すだけだった。
乾いた風が二人の間を吹き抜け、カインの漆黒の髪がたなびく…やがてヨルムドは吐き捨てる様に言った。
「貴様の身勝手さにはつける薬がない…勝手に滅びるがいい!」
カインは薄く微笑み、僅かに頷いてみせた。
「…現地で会おう。」
ヨルムドと別れたカインは、事前に城下町に預けておいた馬を回収し、その足で一路『白亜の城』を目指した。
南方に待ち構えるのは海岸…大海の覇者、バルド帝国が実権を握る諸国への起点だ。
先へと進むにつれ、潮の香りが徐々に増してくる。
夜明けは近いが辺りはまだ薄暗かった。地図はヨルムドに託したため、闇雲に走れば行き先を見失う恐れもあったが、目的地はすでに頭に叩き込んである…
「マリアナのいる城は地図に記載されていなかった…苦労して得た情報だが、信憑性には疑問が残る…」
呟きながら渋面になった。任務とは言え今回の手段はあまりに酷過ぎた。とてもマリアナを正視できない...
会えたとしても触れることは許されないとカインは思った。自分を信じて待つ純粋なマリアナ…どうして汚れた手を君に差し伸べることが出来よう…
「俺はルポワドの騎士として君を奪還する…それだけだ。」
自分に言い聞かせた。ブローボーニの森での出来事は全て幻し...記憶から抹消すべきだと…
数時間後、夜明けを迎えて周囲を把握する。
方角は概ね正解だった。海岸へと延びる一本の道…さらに進むと地平線が見えてくる。開けた土地の向こうに出現する純白の城壁は太陽の光によって反射し、その眩しさに思わず目を眇めなければならないほどだった。
「何だ…この城は…」
カインは困惑しながら呟いた。
間近に見る白亜城の構造はあまりにも特異だった。
確かに城に至る一本の道には警備兵の宿営地が多く配備されてはいる。しかし、敵の襲来を恐れていないのか、見張りの兵が圧倒的に少ない。
「こんな城は見たことがないぞ…」
疑念を抱きながらも、カインは遠目に純白の壁を見上げながら観察を続けた。
当然、野宿を余儀なくされたが、この土地が温暖であるため夜に凍えることもなく、夜には闇に紛れて城へと接近しては潜入への糸口を探し続けた...
「フィアナ様…」
就寝のため侍女を下がらせた後、ベッドに入ろうとしていたフィアナは扉越しに声を聞いて振り返った。
「…クロエ?」
フィアナは小声で応えると扉に近づき、自ら錠を外して彼を出迎える。立っていたのは背が低く貧弱な体格の青年で、彼はその場で深く一礼したあと、部屋に足を踏み入れた。
「何か異変でもあったの?」
フィアナが訊くと、クロエは素早く扉を閉じて振り返り、首を垂れて口を開いた。
「ルポワドの者と思しき者が城内に侵入した様です。」
「…まあ」
フィアナは瞳を輝かせた。
「それは確か?」
「同志の情報ですので、間違いありません。」
「人数は?」
「一人です。」
「騎士達には気付かれていないわね?」
「はい。導き通りに入りましたので。」
「…良かった。」
フィアナは微笑み、クロエをその場に待たせてガウンを羽織った。
「その者を貯蔵室へ、マリアナを連れて行きます。」
「承知しました。」
クロエは小さく頷くと踵を返した。フィアナも暖炉の上に置かれた燭台を手に取り、急ぎ暗い廊下へと出る。
…たった一人で乗りこんで来るとは、よほど腕に自信がある者に違いない。
侵入口は技術者達が使用する通用門…むろん警備は固く、安易に侵入できる訳ではないが、彼らの頭脳は兵士や騎士のそれを遥かに凌駕しているため、まさに抜け穴として密かに開かれていた。
…だとしても、侵入口を見つける事は容易じゃない...すぐに正体を確かめなければ。
「マリアナ、起きていて?」
フィアナはマリアナの部屋の前に立ち、静かに扉を叩いた。
「…お祖母様?」
扉が開き、夜着姿のマリアナが姿を見せた。
「こんな夜更けに、どうなさったの?」
「すぐにガウンを着なさい。さあ早く!」
理由を聞く暇も与えられず、マリアナは戸惑いながらも急いでガウンを身につけた。
「…どこへ?」
「静かに…」
フィアナはマリアナの手を握ると先を急いだ。暗闇と静寂に包まれた廊下を進み、階段を降りる。更に長い回廊を進んだ後、貯蔵庫へと続く扉の前に立っていた若者に声をかけた。
「中に居るのね?」
「はい。」
若者は答え、錠が掛けられた鉄製の扉の覗き窓を静かに開く。
「そっと覗いて…中に居る者を確かめなさい。」
フィアナは真剣な眼差しでマリアナに言った。その緊張した様子に、マリアナは不安になる…
「彼は侵入者。騎士達に見つかれば殺される…早くなさい。」
マリアナは驚き、目を大きく見開いた。
静かに窓へと顔を近づけ中を覗いて見る…
「…カイン!」
小声でマリアナは叫んだ。松明の火に照らされた懐かしい顔…
そこにいたのは紛れもないカインだった。
「カイン…カイン」
涙を溢すマリアナを見て、フィアナはすぐに理解した。
…中に居るのはマリアナの想い人?泣いてばかりいたのは彼への思慕だったの?
「…鍵を外して。」
フィアナはクロエに命じ、ついでマリアナの背に手を添えると、優しく撫でながら尋ねた。
「彼を知っているのね?」
「…はい。」
「ルポワド人?」
「はい。」
持っていた鍵でクロエが錠を外し扉が開かれる…マリアナは躊躇わずに走り出した。カインに抱きしめて欲しかった。
前触れなく開いた扉にカインは即座に身構え、背にある鞘から短剣を引き抜いた。気配には既に気づいていたが、殺気は感じられず、動きを洞察していたところだったのだ。
「カイン…」
声とともに飛び込んできた人物を凝視したカインは咄嗟に身を引いた。躊躇なく走り寄るのは明らかに貴婦人…その背後には二人の姿が見える。
「カイン…私よ…」
両腕を差し伸べて貴婦人は言った。
「来てくれたのね…」
「…マリアナ?」
カインは目を眇めた。マリアナが目の前にいる…美しく澄んだ瞳が自分を見つめている…
「マリアナ…」
手を伸ばそうとした。マリアナを強く抱き締めたかった。
…駄目だ。
カインは咄嗟に床へと膝を落とし、すぐさまその場に跪いた。マリアナを直視せずに首を垂れ、恭順の意を示した。
「ご無事で何よりです…姫君」
マリアナはすくみ、カインを見下ろした。俯く彼の顔に笑顔はなく、喜ぶ様子も見えない…
「お迎えに上がりました。ルポワドの希望。」
マリアナは衝撃を受けた。カインは再会を喜んでいない…そう感じた。
「あなたはルポワドの使者?」
マリアナの横に並んだフィアナが言った。
言葉は通じなかったが、カインは貴婦人を仰ぎ見ながら「然り」と答えた。『高貴』を絵に描いた様な優雅さ…フィアナ王妃であるのは間違いない。
「そうであれば、ここに留まっているのは危険よ。ついていらっしゃい…」
カインはフィアナに誘われるがままマリアナと並んで歩いた。廊下ではなく、貯蔵庫からつながる狭い通路だ。
驚くべきことに、通路は隠し部屋につながっていた。やがて先導していた小柄な若者によって扉が開かれると、そこには広い部屋が待っていた。
「さあ、詳しい話を聞かせてちょうだい。」
波の音が聞こえる窓辺に立ち、フィアナはカインに尋ねた。
「あなたがここに来た理由は?」
マリアナはカインに視線を向け、通訳をする。バルド語はネスバージ語とほぼ同じで、両国の民ならば言葉は通じる。しかし、ルポワド語は全く違う言語であるため、相互理解は難しかった。
「我が名は黒騎士…ルポワド王直属の騎士にして、王太子殿下の僕です。国王陛下の命により、皇女殿下をお迎えに参りました。」
カインは跪き恭しく口上した。感情のない淡々とした口調…マリアナは気落ちしながら彼の言葉をフィアナに伝える。
「迎えに?…では、ルポワドはマリアナに然るべき立場を用意しているのですね?」
…然るべき立場?
マリアナは驚いてフィアナを見遣った。いったい何の話だろう。
「…御意。我が国の王太子と皇女殿下のご婚約は遥か以前に結ばれた約束…ルポワドに帰還された後、殿下は王太子妃の御身分となられましょう。」
「王太子妃?」
マリアナは思わず声を上げた。
「どう言うこと…カイン?」
カインは苦渋の表情を浮かべた。微動だにせず、床を見つめる…
「マリアナ…通訳を。」
フィアナは静かに促した。動揺ぶりから孫娘が自身の宿命を知ったことは明らかだったが、今は慰めようもない…
…多国との婚姻は王家に生まれた者の義務…辛いけれど、抗うことはできない。
通訳を聞き終えたフィアナは納得し、カインに向かって告げた。
「カンエが認めていない事は承知しています。…けれどマリアナはゼナとリザエナ陛下の息女、ここに留めるべきではありません。」
「お祖母様…」
「私の責任において、マリアナをルポワドにお預けします。」
王妃の決然たる言葉を、カインは通訳を通して理解した。
「有難きお言葉…」
カインは感謝の意を伝えた。
責務をひとつ果たすことができたが、心はとてつもなく重かった。
「マリアナ…」
フィアナは泣き出しそうな顔のマリアナに歩み寄り、両腕で抱き寄せた。
「どんなにか驚いたでしょう。あなたにとって重大な話を、こんな形で告げてしまったことを許してちょうだい…でも、この結婚によって諸国の安寧は保たれる…あなた自身も呪いから解放されるのよ。」
「安寧?」
「…ええ、カンエは初めて諸国と同盟を結び、和平の道を選んだ。けれど、グリスティアスの呪いと呼ばれた『兵器を動かす鍵』があの人の手に在る限り、諸国から脅威は消えないわ。ルポワドはバルド侵攻に唯一成功した強国…だからこそ、この結婚には意味があるの。」
「私が嫁げば…戦争が防げる?」
「…そうよ。」
ゼナを写した金糸の髪を、フィアナは愛おしげに幾度も撫でた。
マリアナが不憫で仕方がない…カンエの孫でさえなければ、母親であるリザエナも愛娘を決して手放したりはしなかったろうに…
「…解りました。」
マリアナは気丈に答えた。
「ルポワドに参ります。」
「マリアナ…」
「…大丈夫。ルポワドには彼がいますから。」
そう告げると、マリアナは視線を移した。見つめる先に跪いたままの黒騎士がいる。危険を顧みず、たった独りで乗り込んで来たのはマリアナへの愛ゆえ…二人の気持ちが痛いほどに伝わってくる…
「黒騎士」
「は。」
「マリアナはあなたの様には動けない…脱出するには援護が必要です。」
「御意…」
「策はありますか?」
カインは顔を上げて答えた。
「ほどなく援軍が参ります。その期に乗じ、私が殿下をお連れします。」
「では、準備をします。あなたは指示があるまでここから動かないで。」
フィアナはマリアナに言い残し、待っていたクロエと共に部屋を出て行った。再び扉が閉じられ、静寂が訪れる…波の音だけが室内に残された。
二人になると、マリアナはカインに歩み寄って笑顔を浮かべた。
カインは立ち上がってはいたが、マリアナから視線を背けたまま、どんなに見つめても視線を合わせようとはしなかった。
「…こんなに早く来てくれるなんて思っても見なかった…」
マリアナは臆せずに言った。
「…実はね、ちょっと諦めてたの…もう二度と会えないかも…って、だってここは王都から遠いし、お城はとても複雑な作りになっているんだもの…いくらカインが優秀でも、ちょっと無理かなって…思っちゃった。」
明るい口調で説明したが、カインは何の反応を見せなかった。少し俯いたまま、微動だにしない…
…なぜ私を見てくれないの?
心の中で問いかける…
「カインと一緒にルポワドに行けるなんて嬉しい。ぜひご両親を紹介してね。ご挨拶したいの…それから、リオーネさんにもお会いしたいな…良いでしょう?」
心が折れそうになりながらもマリアナは話し続けた…カインに微笑んで欲しかった。
「…王子様と結婚しても…時々会いに来てね…」
躊躇いながら告げたが、それでも黒騎士は無言だった。沈黙の時が流れる…波の音だけが虚しくマリアナの耳に響く…
「カイン…?」
意を決し、マリアナは一歩踏み出した。おずおずと近寄り、カインに触れようと手を差し伸べた。
「ご容赦を」
カインは低い声で応え、僅かに身を引いた。躊躇は感じられず、マリアナは深く傷ついた。
「…どうして?」
マリアナは問いかけた。
「私が…王太子の婚約者だと知ったから?」
…違う。
カインは心の中で否定した。
…触れてしまえば歯止めが効かなくなる…自制することは不可能だ。
「国王の孫とか…王太子の妃とか…そんなの関係ない…本当の私はただのマリアナ…ブローボーニの森で生まれた…貧しいお城の魔女よ…」
涙声で告げるマリアナに、カインは思わず顔を上げた。
「結婚が与えられた責務なら従う…道具と蔑まれても構わない…でも…カインに嫌われてしまったら…」
そこまで言うとマリアナは堰を切ったように泣き出した。
肩を震わせ声をあげて子供のように泣き崩れた…
カインは狼狽した。こんなマリアナを見たのは初めてだった。
…ああ…俺は本当に馬鹿だ。
己を心の底から蔑んだ。マリアナを永遠に失った虚しさに負け、運命に翻弄され続ける彼女の悲しみなど微塵も慮ることができなかった…
「ごめん…泣かないで、マリアナ…」
マリアナを抱き寄せてカインは言った。
「君を嫌いになるわけがない…誤解だよ。」
カインの温もりに包まれたマリアナは嗚咽しながらカインを見上げた。目の前に優しい微笑みが見える…
「待たせたね。会いたかったよ…我が愛しの姫君。」
カインは告げると、マリアナにそっとキスをした。マリアナも応じ、カインに顔を押し付けた。
「大好き…カイン…私の黒い騎士」
その夜、フィアナはマリアナを迎えには行かなかった。
孫娘の旅立ちの準備を急がねばならず、様子を観に行く余裕などなかった。
…黒騎士と姫君の恋物語…まるであのおとぎ話のようだわ。
禁断の恋に与えられし最後の夜…
フィアナは苦笑し、マリアナの編んでいた黒のマフラーを布袋に入れた。その上に編み終えたばかりの小さな靴下を添えて袋の口を閉じる…
…どうか、リュシアン王太子が『良き夫』でありますように。
ユーリを先頭とした騎士団が『白亜』の城に到着した時、そこにはすでにバルド騎士の防衛部隊が待ち構えていた。
その数は少ないが全ての者が騎乗しており、彼らが高位騎士の精鋭であることが伺える。
「やはり一筋縄ではいかんか...」
ユーリは呟いた。
想定はしていたものの、こうも騎士が多いと厄介だ…
「どうしますか?」
ヨルムドが尋ねた。
「ここにいても何も始まらん…それに、相手はやる気満々だ。」
「…その様ですね。」
ユーリの表情を見て、ヨルムドは僅かに口の端を上げる…
彼らが黒騎士を引き合いに出さないということは、彼が生きて城内に潜伏している何よりの証…援軍が到着したと知れば、彼はすぐに行動を開始するはずだ…
「…進むぞ。」
ユーリはゆっくりと馬を進ませた。追随する騎士達も後に続いた。
「止まれ!」
ヘルムに羽飾りを付けたバルドの騎士が告げた。
「それ以上近寄るなら容赦はせぬぞ!」
「我らは未来のルポワド王太子妃を迎えに来た。戦う意志はない。そこを退いて貰おう。」
ユーリの意志をヨルムドが代わって伝えた。緩い言葉の投げかけ程度で収まらない事は熟知している…戦闘は避けられないだろう。
なおも足を止めないユーリ軍に対し、業を煮やしたバルド騎士は次々に剣を鞘から抜いた。それに応じて、ユーリも長剣を手に取った。
一方、カインも立ちはだかる敵と対峙していた。
先刻、援軍の到着をフィアナに告げられ、脱出のためマリアナを連れて通路を歩いた。
通用門までの道のりは安全で、どうやらクロエが『同志』と共に何らかの手段で兵士を阻止しているらしい…
「門までは安全を保証できるわ…でもそこから先は…」
フィアナは不安そうに吐露した。
「ご心配には及びません。私の命に代えても、必ずや殿下をルポワドへお連れします。」
力強く断言するカインに、マリアナも笑顔で頷いた。
固く結ばれている二人の手…
過酷な運命は、まもなく彼らを引き裂いてしまう…
そう思うたび、フィアナは哀れで仕方なかった。
やがて、同志の一人が現れ、門につながる扉が開かれる。
明るい光が辺りを照らし、カインは思わず目を眇めた。
「お別れね、マリアナ…」
フィアナはマリアナの頬を優しく撫で、寂しそうに微笑んだ。
「お祖母様…!」
マリアナはフィアナに抱きついた。
「お祖母様も一緒に行きましょう…」
「それは無理…そう言ったでしょう?」
「…でも、このままでは…」
「大丈夫、何も案ずる事はないのよ。『白亜』は私の城であり、カンエは私の夫…ここが私の生きる場所なのだから…」
「お祖母様…」
両腕に力を込めるマリアナを、フィアナも強く抱きしめた。
「元気でね…立派なお妃になるのよ。」
「…はい。お祖母様も…どうかお元気で…」
泣きながら別れを惜しむ孫娘から身を離し、フィアナは黒騎士を見遣った。
「さあ、お行きなさい。貴方に全てを託します。」
「御意に!」
カインは軽く首を垂れた後、再びマリアナの手を握って門から外へと脱出した…
…援軍の姿が見える。
カインはその光景にほぞを噛んだ。
騎士達が壮絶な戦いを繰り広げていた。
その渦中にいるのは漆黒の武具を身につけた騎士…
巧みに馬を操りながら剣を敵に打ち付けている。
「…父上」
参戦したかったが、今はマリアナを安全な場所まで連れて行くことが最優先だった。彼女さえ奪還できれば、彼らはすぐに撤退できる…
「…どこを見ている。」
傍から声が聞こえた。
呆然とするカインの前に立ちはだかったのは武具に身を包んだ騎士だった。二人の騎士を従え、向かう先を防ぐ。
「忌々しいネズミめ…鉄壁の『白亜城』から如何にして皇女を盗み出したか?」
「アムンスト卿…?」
マリアナは思わず声を上げた。
ヘルムを被っているが間違いない。アムンスト・ヴォードだ…
「マリアナ様…高貴なるお方よ…どうかお留まり下さい。バルドは貴女の祖国…そして私こそが貴女の手を取るに相応しい者です。」
跪きこそしなかったが、アムンストは恭しく左手を前へと差し出した。マリアナは首を横に振りながらカインの背に隠れる。
「私はルポワド人よ…貴方なんて大嫌い!」
カインはマリアナを一瞥した。ルポワド語だったため、発言が理解できたのだ。
アムンストは舌打ちを鳴らした。
「愚かなお方だ…私の妻になれば、いずれは王妃となれるやも知れぬというのに…」
侮蔑の言葉を呟くと、彼は長剣を引き抜いた。同時に伴の騎士も身構える。
「カイン…」
「大丈夫だ…心配は要らないよ。」
カインはマリアナを少し下がらせると自身も長剣を手にした。
…フィアナ王妃から賜りし剣…きっとマリアナを護ってくれるだろう…
「…殺せ。」
アムンストが命じた。二人の騎士がカインに向かって襲いかかる。
カインは低く身構え、素早い動きで身を翻しながら敵に剣をぶつけた。相手に攻撃の隙を与えず、多方の動きを見極めながら防御と攻撃を繰り返す。
「ああ、カイン…」
マリアナは彼の邪魔にならぬよう間合いを計りながら、カインの凄まじい闘いぶりに打ち震えた。二人の敵を相手にしても決して冷静さを失うことのない屈強な戦士。これが彼の本当の姿…『ペリエの黒騎士』なのだ…
先ずは一人目に傷を負わせたカインは、瞬時に体勢を立て直し、向き直って剣を突き出した。怯む猶予も与えられず、騎士は胸を刺し貫かれて崩れ落ちた。
「残るは1人…」
二人目はカインの実力を知って明らかに動揺していた。恐怖で剣が鈍り、退き気味に攻撃を繰り出している…
「退け!」
カインは騎士に向かって告げた。
「退くなら逃す!」
騎士は一瞬、躊躇した。ちらとアムンストの方向を一瞥し、無言で一歩退いた。
戦意を失った騎士は身を翻して逃亡した。
「残りは1人」
カインはすぐさま踵を返した。しかし、アムンストはそこにいなかった。カインは視線を巡らし、彼の姿を探した。
「マリアナ…」
視線の先でアムンストがマリアナに迫っていた。マリアナはジリジリと後退りながら逃げている…
「マリアナ!
叫びながら向かおうと一歩踏み出す…その時だった。
「マリアナ様に触れるな…」
背後から声が聞こえ、騎士が飛び出して来る。疾風の如き速さでマリアナの前に立ちはだかり身構える。
それは月光の騎士だった。武具は血まみれであり、剣にも血糊がついている。
「おのれ…二度も邪魔をするか…月光!」
「我は姫君を守護する騎士…当然のことだ。」
氷のような灰色の目に捉えられたあげく、前後をヨルムドとカインに挟まれたアムンストは戦慄し、思わず手を剣から離して床に落とした。
「部隊も全滅した。大人しく退くがいい。」
「全滅…」
アムンストは愕然として振り返った。彼が目にしたのは騎士が乗っていた数頭の馬だけ…立っている騎士は皆無だった。
「そんな…馬鹿な…」
茫然自失となるアムンストを横目に、ヨルムドは蒼白になったマリアナの手をとって目を細めた。
「お元気な様子…安心しました。」
「ヨルン…また会えて嬉しいわ…怪我はない?」
「大丈夫です。問題ありません。」
二人は互いを労い、笑顔で頷き合った。
「王太子がお待ちだ。貴様は先発し、マリアナ様を殿下のもとにお連れしろ。」
マリアナの手を取り、カインに歩み寄りながらヨルムドは言った。
カインはヘルムの下に光るヨルムドの瞳を覗き見た。
おそらくヨルムドの心境も自分と同じ…虚しさに苛まれているに違いない。
「…承知した。」
カインは短く答えて頷いた。
「行こう…マリアナ。」
日当たりの良い窓辺に置かれた椅子に座り、フィアナは静かに編み物をしていた。
マリアナが居なくなって一日が経ち、さすがに寂しさを感じてはいたものの、マリアナが呪いから解放されたことが何よりも嬉しく、穏やかな心持ちだ…
「貴方もさぞかし安堵したでしょう…ゼナ?」
紺碧の空を見上げながらゼナを想う…
最後の記憶は8歳の頃、成長し父親になった彼はどんな男性になっていたのか、今は知る術もない…
「フィ…」
不意に呼ばれ、フィアナは目を丸くした。
その愛称を呼ぶ者は一人しかおらず、すぐに視線を巡らせる…
「陛下…」
背後にいたのはカンエだった。扉の前に立ち、フィアナを瞠目していた。
「いつからそこに?」
「少し前からだ。」
「全く気づかなかったわ。」
「お前はいつもそうだ。」
カンエはフィアナの傍にある椅子に座ると足を組み、頬杖を付きつつ、じっと妃を見据えた。
「前置きなしにおいでになるなんて…」
フィアナは編み物を再開しながら文句を言った。
「私を“お手打ち“に?」
「俺は丸腰だぞ。」
「そう。ではなんとか首は繋がったのね…」
整然と答える妃に、カンエが僅かに唸りをあげる。
「なぜマリアナをルポワドに引き渡した?」
カンエの問いかけに、フィアナは手を止めた。
「あの子はルポワドに行く運命だった。もう呪いを解く鍵ではないのだから、ここに幽閉しておく理由はないでしょう?」
「…幽閉?」
「ええ。私と同じ様に。」
「いったい何のことだ。」
カンエは問うた。
「マリアナをここに来させたのはお前のためぞ。」
「…私の?」
「そうだとも。」
フィアナは眉をひそめた。カンエの言葉の意味が理解できない。
「孫娘に会いたがっていたであろうが…」
「もちろんよ。」
「だから連れてきてやった…それだけだ。」
フィアナはますます困惑した。
「それだけ?」
「他にどんな理由がある。」
カンエは訝しげに顔をしかめた。
「幽閉と申したな…俺はお前を幽閉した覚えはない。ヴァルカナンから連れて来た当時、お前は祖国に帰りたいと泣いてばかりいた。…だから海の見えるこの城をお前の居城としたのだ。」
「今さら…そんな偽りを…」
「…偽り?謀略と暗殺が常態化していた宮廷に呼ばれなかった事が不満か?“陽だまりの王女“と呼ばれて甘やかされ育ったお前が、暗く陰鬱なあの城で暮らしたかったとは意外だな。」
フィアナは言葉を失い、押し黙った。
確かに、当時は正妃が宮廷に鎮座していたことに不満があったのは間違いない…けれど、その正妃もすぐに毒殺の憂き目に遭って亡くなった。カンエが自分を『幽閉』したのが、暗殺者の魔の手から護るためと言われれば、否定できなくはなかった。
「フィ…」
カンエはもう一度その愛称を口にした。
「バルドは休戦を余儀なくされた。戦のない国に何の興味もない…摂政は皇子二人に任せ、俺は暫く王座を退く。」
「…何ですって?」
フィアナは驚き、思わず立ち上がった。拍子に、毛糸がカンエの足下まで転がり落ちる…
カンエはそれを拾い上げ、フィアナに歩み寄った。
「今後はお前の傍で生きよう。我が妃よ。」
「カンエ…」
フィアナは呆然と“夫“を見つめた。
若き皇帝が“陽だまりの王女“を見初めて半世紀…
時代はバルド帝国の侵攻を止め、歳月はカンエを変えた…
「仕方ないわね…」
フィアナは軽くため息を吐き、カンエの手から毛糸玉を奪い取った。
二人の間に暖かな潮風が凪いでいた…
つづく