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ペリエの黒騎士   作者: ヴェルネt.t
12/15

囚われの姫君

リュシアン率いる同盟軍がネスバージの国境を越えてバルド領内に入ると、カインの緊張は極限に達した。

先頭を行くのは旗を掲げる騎馬兵だが、そのすぐ後方にはリュシアンがおり、両脇にはユーリとエルナド、そして後方をアル・ファムドが守りを固める。

「…バルドの兵士が潜んでいるぞ…右の奥…それに左の崖上」

ヨルムドが告げた。

カインは頷き、視線を巡らせる。攻撃を仕掛ける兆しはないが、武装した兵や騎士が岩や樹木の陰に身を潜めており、こちらを監視している…

「やはり歓迎されているとは言い難いな。」

「当然だ…門扉を開いていたとは言え我らは仇敵…攻勢を掛けられず歯噛みしていることだろう。」

ヘルムに隠れた表情は見えないものの、ヨルムドは敢えて崖上に首を回わして敵を見遣った。拍子に白地に青で描かれた紋章入りのマントが翻る。

『…王太子の意気込み通りなら調印は問題なく終わる…だが、ラ・カンエがマリアナ様を素直に差し出すかどうかは別の話だ。』

先だってヨルムドが耳打ちして来た言葉をカインは何度も繰り返し思い出していた。

…父親からその方法を伝授されていないとはいえ、マリアナが封印を解く鍵であることに変わりはない。バルドは彼女を手放したくはないはず…もしも皇帝がリュシアンとマリアナの結婚を阻もうとするならルポワドとしては対抗せざるを得ない…その難題をどう解決すればいいのだろう…

和平協定の締結と調印がリュシアンの重大な責務だとすれば、皇太子妃の奪還はカインの絶対的な使命だ。

いかなる困難であろうとその責務を果たし、マリアナをルポワドに連れ帰らねばならない。


狭い谷間の道を抜けた一団は突如として眼下に広がる光景に目を眇め、慄然としながらそれを見遣った。

巨大なバルドの王城…それを取り囲むように展開した完璧なまでの城塞都市。戦に長けた帝国ならではの盤石な城構えだ。

「これがバルドの牙城か…」

リュシアンが口を開いた。

「…なるほど。雄大ではある…が、美しさには欠ける…強固なだけの要塞など、ルポワドの足元にも及ばぬぞ。」

「…御意」

自信に満ちた王太子の言葉にユーリも口角を上げて同意した。

この期に及んでのリュシアンの度胸は大したものだと感心する。

…徐々に父親に似て来る。マルセルの若い頃にそっくりだ…

王太子時代のマルセルは勇猛で、『雪上の銀狐』の異名は、厳冬下に勃発した戦役の際、苦戦と言われた戦において大勝をおさめた功績に由来している。

雪上戦をものともせず次々に敵を打ち倒すその姿は寒さに震える兵の指揮を奮い立たせ、従騎士達の希望の光となった。

…手の付けられんうつけ者と危ぶむ者も居るが、リュシアンはなかなかの優れ者かも知れん。

「よし、いざ参ろう、敵の渦中へ!」

リュシアンの先導によって、一団は丘を駆け降りた。

合わせて重厚なはね橋が降ろされる…

騎士たちは敵の渦中へと次々に足を踏み入れて行った。

王城は圧倒的な威圧感で訪れる者に畏怖の念を抱かせ、否応なくその戦意を喪失させる。鉄壁の防御に守られた城内には幾つもの罠が仕掛けられており、外部からの侵入者を阻み、容赦なく排除していると云う。


リュシアンは臆さず馬を降り、ラ・カンエの待つ謁見の間に至る間も脇見をせずに前だけを見つめた。

後ろには頼もしい騎士達がいる。背中は彼らが護ってくれるだろう…

「扉を開け、僕を立ち止まらせるな!」

大扉を前にリュシアンは命じた。

応じて大扉がゆっくりと開かれる…現れたのは真っ直ぐに延びた真紅の絨毯と、高い天井から降り注ぐ装飾窓の光だった。

その荘厳な空間の最奥に置かれた玉座に、強国バルドの帝王は鎮座していた。

…ラ・カンエ・バルド・グリスティアス

リュシアンは立ち止まり、彼を瞠目した。

深碧色の眼光、口元には顎を覆う長い髭…老齢と察するも大柄な体躯は頑強で、年齢ゆえの衰えは一切感じられない。

「決して及び腰になるまじ」と決意していたリュシアンでも、その威圧感に屈しそうになる...

「ルポワド王太子、リュシアン・ダ・ルポワールだ。」

リュシアンは顎を上げて告げた。

「ルポワド、ネスバージ、ボルドー、3国の同盟軍及び、ルポワド王の勅使として、和平協定の締結のため参じた。速やかに調印の儀を済ませたい。」

カンエの傍に立つ通訳がその言葉を伝える。

前置きなく単刀直入に告げるリュシアンを、カンエは無表情で凝視した。玉座は壇上にあるものの、長身のリュシアンの目線の方が僅かに高い。

…忌々しい小僧め。

「身分を弁えよ。王太子如きが大柄な口を叩くか。礼儀を知らぬ痴れ者め。」

カンエは低い声で嗜めた。

「この重大な局面に未熟な王子一人を差し向ける…マルセル王もとんだ臆病者よ。」

「…何と言った?」

リュシアンは背後に立つアル・ファムドに尋ねた。ファムドは眉を寄せながら顔を寄せ、聞いた通りを通訳する。

「…臆病者?」

リュシアンは目を剥き、カンエを睨んだ。

「聞き捨てならぬぞ、バルドの王!」

その抗議は通訳を通さずとも通じた様だった。

カンエは蔑む様な表情を滲ませると、口元を歪ませて笑った。

「カンエの揺動に釣られてはなりません殿下…」

ファムドが耳元で囁いた。

「どうか…冷静に。」

「…分かっている!」

リュシアンは苛立ちながらも怒りを鎮めて答えた。王太子という身分では軽んじられて然りであったし、マルセルにも散々な指摘を受けて来ている…不名誉承知で許可を与えた父の決断に報いる意味でも、恥辱に耐え、全ての責務を達成しなければならない。

「僕の手に在るのは同盟国の王が署名した調印の書だ。僕はその意志を携えてここへ来た。ルポワドの勅使、各国王の代行者として。雑言など利く耳を持たぬ…どれほど卑下しようが我が意志は揺るぎはしない。国を攻め落とされたく無くば要求に応じ、和平の道を選べ…それが貴国に与えられた唯一の選択だ。」

聴き終えた通訳係は、青褪めながら姿勢を正してリュシアンの言葉をカンエに伝えた。カンエは無言でリュシアンを睨んだものの、すぐに冷徹な表情に立ち返る。

「永劫に約束された和平など存在はせぬ。」

呟く様にカンエは言った。

「…なれど、時に『変革』は起こる。望む、望まざるに関わらず。」

玉座から立ち上がったカンエは自らリュシアンに歩み寄った。

張り詰めた場内に緊張が走る…二人は対峙し、互いに視線をぶつけ合った。

「和平協定に応ずる。調印の儀は今宵の晩餐に執り行うものとする。」

カンエの宣言に、リュシアンは頷いて見せた。

「賢明な判断だ、バルド王。…ならば、晩餐にて僕の許嫁にも面会できような?」

「許嫁?」

「そうだ。僕の妃となるマリアナだ。」

「その様な者に憶えはない。」

「…は?」

「我が一族にマリアナという名の皇女は居らぬ。何かの間違いであろう。」

「何を言ってる…見え透いた嘘を申すな。」

「嘘ではない。この城の誰もが知っていることだ。」

リュシアンは絶句し、カンエを穴の開くほど睨んだ。

そもそも皇女の争奪が事態の発端であったにも関わらず、この男は全てを否定しようとしている…ルポワドとネスバージによって取り交わされたかつての約束など意に介さず、孫娘である皇女を生涯、拘束という名の牢に繋ごうと言うのか!

…知っているぞ。もし、すでに何の値打ちも無いなら、そこまで頑なに隠そうとはしないはず…僕の許嫁は今もバルドにとっての切り札…だからこその価値なんだ!

「…どこへ隠した。」

リュシアンは尋ねた。

「マリアナは僕の婚約者だ。この婚約は僕が生まれた時から決められたもの…そなたに反故する権利はない。素直に引き渡せ。」

「戯言を…」

カンエは嘲るように言った。

「存在せぬ者をどう引き渡せと申すか。」

「この…食わせ者」

一歩踏み出そうとするリュシアンを、再度アル・ファムドが引き止めた。通訳とは言えどファムドもリュシアンと気持ちは同じ…辛い立場だったが、今は事を荒立ててはならない。

「偽りと申すなら城内を隅々まで探せば良い。許しを与える…ただし、張り巡らされた罠には気をつけることだ。」

カンエは見下す様に一瞥すると、リュシアンを置いて謁見の間を出て行った。

憤然とした面持ちで立ちすくむ王太子に、エルナドからの通訳を聞き終えたユーリが歩み寄る。

「顔色がお悪い…少し休まれた方が良い。」



一団が設営した天幕に戻って来たリュシアンを、カインはヨルムドと共に出迎えた。

リュシアンは天幕に入るなり正装用のマントを脱ぎ捨て、用意されたベッドへと体を投げ出す。

外にいるカイン達にはよく聞き取れなかったが、一人で何かを喚き散らしている様だった。

「…何があったのだろう。」

ヨルムドがカインを見遣るも、カインは首を横に振って見せた。

リュシアンの癇癪は幼い頃からのもので、こうなるとしばらくは誰も手が付けられない。気が治るのを待つ他はないのだ。

「マルセル王が王太子殿を差し向けたことに対して、カンエが臆病者と侮蔑したのだ…」

背後からエルナドの声が聞こえ、二人は振り返った。

ユーリも肩を並べており、こちらを見つめている。

「あの場では毅然として対応なされていたが…その反動であろう。」

穏やかな口調でエルナドが言う。任務における『曙光』は常に無表情だが、実際の物腰は柔らかく、ふとした時に彼の性格が垣間見える…

「ひとしきり憂さを晴らせば機嫌は治る…アーレスが上手く宥めるだろう…それより、お前達に話がある…一緒に来い。」

ユーリに促された二人は別の天幕に入り、四人は向き合って座った。一団は広場に天幕を張って宿営することになっており、それはリュシアンも同様だった。バルドからの招きはあったが、城の内では警護が難しく、辞退は当然のことだった。

「早速だが二人に特務を命じる。早急に皇女の行方を探り、居場所を見つけ出せ。」

「マリアナの…?」

「行方…?」

二人は同時に声を上げた。互いに顔を見合わせる。

「皇帝の発言から見て、どうやら皇女はこの城に居らん様だ。…おそらくどこかに移送されたのだろう。」

「移送…まさか、どこかに幽閉されたのでは…」

ヨルムドは言い、エルナドに視線を向けた。

「カンエはリュシアン王太子からの接見要求を拒絶したうえ、姫君の存在をも否定した。その可能性は高い。」

「そんな…マリアナ様…」

落胆するユルムドをカインは憮然として見つめた。

マリアナはそうなることを覚悟していた様だったが、幼い頃から慕い支えてきたヨルムドにとって、何よりも耐え難い事だろう…

「すぐに行動を開始します。」

カインは言った。

「1秒も無駄にしたくありません。姫君が待っているのです。」

「黒騎士…」

「危険な任務だ…失敗は許されないぞ。」

「承知しています。基より覚悟の上です。」

「うむ。君も承諾してくれるか『月光』?」

「もちろんです。一命を賭して我が君を救出してみせます。」

「よくぞ言った、ユルムド…」

エルナドも笑みを浮かべ、深く頷いた。

「王太子殿下の御身は私達でお守りする…お前達は何も案ずる事なく、任務に集中せよ。」

「はい!」

カインとヨルムド互いの視線を絡ませた。

何も語る必要などない。

二人にとってはマリアナの解放こそがここへ来た真の目的であり、悲願なのだ。



幽閉された皇女は、そびえ立つ王都と城塞都市を遠くに眺めながら溜息を吐いた。

王城から『白亜』と呼ばれる城に移送されて半月が経つ…

海を臨む場所に佇むこの純白の城は『砦』の管理や武器開発に従事している者達が集う極めて特殊な場所だった。

城には多くの兵士が居留しており、敵の襲来に対して常に警戒を欠かさない。後方には険しい崖線があり、逃亡する者の退路を阻んでいるかの様だった。

「本当に袋のネズミね…」

マリアナは独り言を言った。

「森の魔女が一転、今度は海岸の魔女になった…」

時おり強く吹く海風と漂う潮の匂いがいつまでも馴染めない…森の静寂と木々の香りが懐かしい…

「カイン…」

カインの優しい瞳を思い浮かべた。

ブローボーニで過ごした幸せな日々を想う…彼に会いたい。

皇帝である祖父は、マリアナが『無知』である事実を知ると激昂し、孫娘への興味を失って幽閉を命じた。

「それでも誰かに嫁がされないだけマシよね…ヨルンを傷つけたあのアムンストという人は私が欲しいと望んだけれど、お祖父様はお許しにならなかった。本当に幸いなことだわ。」

今となっては、平凡な皇女ではなく、技術者ゼナの娘であることが助けになったと思う…例えここで生涯を終えるとしても、カインへの愛があれば生きて行ける…


…必ず迎えに行くよ。


カインの優しい眼差しと温もりを思い出してマリアナは涙ぐんだ。

「…カインの言葉を信じたい…でも、ここに来たら、あなたは…」

彼の身を案じればこそ、何も行動をして欲しくはなかった。万が一彼が命を落としてしまったら、それこそ生きる希望すら失ってしまう…

「駄目…来ないで、カイン…」

マリアナは泣きながら言った。それが嘘であることも解っていた。

憧れの『黒騎士』がいつか現れる…その日を『魔女』は信じて待っている…

「マリアナ…」

扉越しに声が聞こえ、マリアナは顔を上げた。やさしい女性の声…

フィアナに違いない。

「お祖母様。」

開いた扉の前に貴婦人が立っていた。手には果物の入った籠…その中には毛糸の玉も入っている。

「まあ…また泣いていたの?」

目を赤く腫らしているマリアナを見るなりフィアナは言った。

「泣いてばかりは体に良くないわ…気分を変えなくては…」

フィアナはマリアナの部屋に入ると、持っていた籠をテーブルに置き、鮮やかな色のオレンジを手に取った。

「お座りなさい。一緒に食べましょう。」

穏やかな口調と差し向けられる笑顔に慰められ、マリアナは素直に従って頷いた。

老貴婦人は小振のナイフで器用にオレンジの皮をむき、食べやすい大きさに切り分けていく…

城には召使いや侍女が大勢いるが、彼女が彼らを必要以上にこき使うことはない。


『白亜の城』のフィアナ

それが彼女の名前だった。皇帝ラ・カンエの正妻でゼナの実母…マリアナにとっては祖母にあたる女性だ。

「カンエの無慈悲には節操と言うものがない…私やゼナだけでは飽き足りず、孫のあなたまで幽閉するなど…」

ゼナの面影を写した美しい祖母は、呟く様に不満を漏らすとため息を吐いた。

「お父様も…ここに?」

「ええ、ゼナはこの城で育ったの…宮廷ではなくね。」

「なぜ?」

「あの子が二人の兄とは違い、私の子であったからよ。」

「お祖母様の?」

悲しげな表情になるフィアナをマリアナはじっと見つめた。カンエの正妻で父の実母であること以外に彼女のことは何も知らない。なぜ妃でありながら隔離されているのか…それが疑問だった。

「…さ、お上がりなさい。」

フィアナは小さく切り分けたオレンジを小皿に乗せ、それをマリアナへと手渡した。

「収穫したばかりの物を持って来させたの。新鮮よ。」

「…ありがとう。」

マリアナは水々しいオレンジを口の中に入れた。甘酸っぱい香りの果実は豊潤で、信じられないほど甘味だ。

「何て美味しいの…こんなの初めて」

「…そう。口に合って良かった。」

フィアナは言い、穏やかに微笑んでみせた。


その後フィアナはマリアナの部屋に留まり、二人は編み物をしながらお喋りを楽しんだ。

マリアナはフィアナから初めて手編みを教わり、今は少しだけ上手になっている。まだフィアナの様には編めないけれど、もっと練習してきちんとしたものを仕上げたい…

「あまり目を詰め過ぎない方がいいわ。でも、緩すぎてもだめよ。」

フィアナは優しく指南した。始めたばかりだというのにマリアナは覚えがとても早い。毎日少しずつ編み進めていて、もうすぐ束を一つ使い切るところだった。

…賢い子だわ。

フィアナは微笑んだ。置かれた状況は最悪でも、今が一番幸せだと感じる。幼いゼナを取り上げられた時からの孤独…たまさかにその娘に会えるとは思いもしなかった…

…あの子が若くして亡くなったと聞かされた時、私は生きる希望を失った…死ぬことも許されない身なればあの子の後を追う事も叶わなかったけれど…生きているからこそマリアナに会えた。もう思い残すことはない。

ボルドーの元首を母に持つ孫娘を幽閉するなど、カンエは真に愚かだとフィアナは思う。

バルドの侵略によって属国となったヴァルカナン…遥か海の向こうに在るその国の王女であったフィアナは、バルドへの忠誠の証としてカンエに差し出された人質だった。

当時、カンエには正妃がいたが、ヴァルカナンを統制下に置きたいたいカンエは、国王のたった一人の息女を奪い、妃として迎え入れた後、この城に幽閉したのだ。

…私は海洋からの侵攻を防ぐ『砦』の一部に過ぎなかった。ゼナも大人しく従順な子で、運命に流され、その宿命に抗えなかった。…でもマリアナは違う。あの子よりずっと意志が強い…リザエナ陛下の娘であるから当然かもしれない…決して、無力な娘ではないわ。

フィアナは孫娘を自分の様にしてはならないと決意していた…そのためには強力な助け手が必要だった。


「毛糸がもうすぐ無くなるわね…」

マリアナに視線を移してフィアナは言った。

「今日はここまでにしましょう。続きはまた明日。」

「でも私、この束が終わるまで続けたいわ。」

「…では、そうなさい。私は少し用事があるから…」

「はい、そうします。お祖母様。」

再び編み始めるマリアナを残してフィアナは部屋を出た。

扉を閉じ、廊下を少し歩いて振り返る…

「マリアナ…あなたは私の希望の光…必ずこの牢獄から出してあげるわ。」

『囚われの王妃』は静かにその場を後にした。

長く待ち望んだ真の解放が、もうすぐ現実のものとなるかも知れなかった。



リュシアンが注視する中、ラ・カンエは和平協定に応じ、調印式は滞りなく終了した。

歴史的な快挙ではあったものの、その場に賞賛や歓喜の拍手が湧かなかった事は、バルドが盟約に対していかに肯定的ではないかを暗に示唆するものであったに違いない。

…この和平が恒久的なものではないと誰もが知っている。いずれ再び争いが起ころう事は日を見るより明らかだ。

リュシアンは密かにほぞを噛んだ。

…その時、僕は国王になっているのかも知れない。


「直ちに国境の包囲を解き、軍を撤退させよ。」

カンエはリュシアンに向かって告げた。

「調印は済んだ。貴公も早々に帰還するが良かろう。」

その言葉にリュシアンは顔を眉を寄せた。冷めた眼差しでカンエを瞠目する。

「…何を申すか。本来僕のものであるマリアナをルポワドに連れ帰ることが条件だ。それ以上の譲歩は無い。」

「まだその様な妄言を…」

カンエは嘲笑った。

「該当する者は存在せぬ…そう申したはずだが…」

「偽りを言っても無駄だ。マリアナはバルドの第三皇子とボルドー国家元首の娘…その存在を抹消することなどできない。」

リュシアンの応酬にカンエは軽く鼻を鳴らし、それ以上は何も語る事なく応接の間を去って行く…

「僕を侮るなよ…」

リュシアンは呟いた。

カインとヨルムドは未だ姿を消しままだが、程なく吉報がもたらされるだろう。

…僕はそなたを信じているぞ。

リュシアンは天を見上げ、拳を強く握りしめた。


「王太子殿下を国境線まで退去させるのが賢明の策と存ずるが…」

エルナドはユーリに提言した。

しかし、彼は予想通りに首を縦に振らず「息子たちの報告を待とう。」と答えるに留まる。

「…とは言え、これ以上の居留に意味は無い。まずは壁の外に退去して策を練り直そう。」

どんなに王太子が訝ろうと受諾させねばならないとユーリは思った。同盟国になったといっても、城内での「不慮の事故」に見舞われる恐れは捨てきれない…そんな危険を冒すくらいなら、野営の方が遥かに気が楽だった。

その日のうちに、王太子に随行する一団は城内から退去し、城の裾野に広がる城下町へと拠点を移した。

ユーリとエルナド、そしてアル・ファムドがリュシアンの周囲を固め警護を務める。

近衞の騎士達に安息は無いものの、兵には一時的な休息が与えられた。緊張感から解放され、それぞれに自由な時間を過ごしている様だ。


「屋根がある場所で寝られるのは有難いことだ。」

エルナドとファムドと共にテーブルを囲みながらユーリは言った。

「美味い肉もあるし…悪くない状況だ。」

「そうですね。まだ予断を許しませんが、一先ず祝杯を上げても構わないでしょう」

「仮初の和平に…」

三人は静かに杯を挙げる。

ファムドとエルナドはルポワド語で話しをしており、ユーリにとってはありがたい事だった。もし互いに通訳を介せば、こうまで親交を深めることは出来なかっただろう。

「このまま終われば苦労はないんだがな…問題はここからだ。」

「如何にも…ああまでシラを切るとは…」

「姫君の存在はどの国に於いても非公認…ゼナ様は皇子と言ってもネスバージへ帰化しておられるし、リザエナ陛下との結婚も秘密裏ではある…従って姫君は今までどの国にも帰属しておらず、確かにバルド王が否定すれば、公にその存在を証明することは不可能となります。」

「何を言う。マリアナ姫はリザエナ様のただ一人のご息女、我がボルドーにとっては大切なお方…亡霊の様に扱うなど言語道断だ。」

珍しく語気を強めるエルナドにユーリは黙って酒を勧めた。

エルナドとヨルムドはよく似ている…常に感情を抑制しているが、秘めたる想いはその真逆だ。

「なんの…我が国の偉大な王太子は強硬姿勢だぞ。存在せぬと言うなら都合がいい。例え誘拐しても実態がないのだから文句は言えまい!と仰せだ。」

「…何と豪気な。」

ファムドが微笑んだ。

「だが…そのお言葉には一理ある。実態無くば証明もできず、奪われた事実をルポワドに訴える術もありません。」

「…なるほど。それならば一度姫君を母君のもとへと帰還させ、改めてボルドーの姫君としてルポワドに嫁ぐことも可能となる…」

「おいおい、二人とも王太子のこじつけに賛同するつもりか?」

ユーリはさも驚いた様に声を上げた。

「これは意外な展開だな。」

「例えこじつけであろうと、リュシアン殿下がマリアナ姫を救おうとなさっているのは事実…私はそれを支持したいと思う…姫君の帰還を待っているリザエナ様のためにも…」

「確かに。それ以外に策はなさそうだ…」

エルナドとファムドの意見は一致した様だった。

ユーリは口角を上げて頷き、黙って酒を飲み干した。

「ご子息二人は今どこにいるのでしょうか…」

ファムドが問うた。

「見当もつかん…だが息子は潜入捜査に特化した『黒騎士』だ。

『月光』も策を弄することに長けている…必ず任務を果たすだろう。」

「同じく…」

二人の父親に共通するものは息子に対する信頼だった。

原動力が姫君への“思慕“である限り、それがいかに困難であろうと彼らはやり遂げるに違いない…



「…?」

床に転がっった丸い物を拾い上げ、マリアナは首を傾げた。

「…何だろう。」

それは毛糸の玉の中に入っていたらしく、羊毛紙を丸めた物だった。毛糸の巻きが無くなったので転がり出たのだろう…

不思議に思いながら毛糸の色とは違う赤の糸で縛られた結びを解いてみる…


“ルポワドの使者が訪れている“


マリアナは思わず口を手で塞ぎ、両目を見開いた。

それは明らかにフィアナの文字であり、隠された伝文だった。


「ルポワドの…使者…?」



つづく










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