リュシアンの決意
マリアナが祖国への帰国を宣言したことにより、先立ってバルドの勅使がネスバージを来訪し、一時的な平和交渉が締結された。
これにより両国における確執は当面のあいだ回避され、ネスバージは一応の安寧を得る。しかし、バルドの圧政と脅威そのものが解消された訳ではなく、いずれ再び紛争が起こるであろうことは火を見るより明らかだった。
ほどなく、マリアナは使者団とともに帰国し、名実ともにバルド王国の皇女の地位に着いた。
『封印』解除の鍵を握る孫姫の帰還に、国王ラ・カンエは大いに喜び、盛大な祝賀会を開いて歓迎したと言う。
カインはマリアナがバルドへと去った後もネスバージに居留を続けていた。
早急にルポワドへと帰還しようとする自分を押し留めたのは他でもないリザエナであり、彼女は自らもマリアナの城に留まりながら、
その場にカインを呼び寄せると、厳しい眼差しを向けながら念を押したのだった。
「そなた一人が血気に逸り、急ぎ行動に及んだとて解決には至らぬ…。マリアナの件は私とネスバージ王が成さねばならぬ大事…今後の道筋が見えてくるまで静かに待つのだ。」
その戒めは忠告というより命令だったが、カインはあえて不服を申し立てた。
「僭越ながら陛下…私が戻り事態を伝えねばマルセル陛下に真相が伝わらぬものと思われます。」
「案ずるな…王都に置いてきたお節介な詩人がすでに一筆したためておる様だぞ…あの賢者の語彙は凄まじき説得力がある。おそらくそなたの進言などよりも遥かにな。」
「フィッツバイデ卿が…?」
「ヴァルダーとそなたの父は昔馴染みだそうだな。そして『漆黒の狼』はルポワドの英雄…男爵は必ずマルセル王を動かすだろう…そなたが深く関わっているのならなおさらだ。」
…父上がこの件に関わる?
カインは気持ちを引き締めた。
確かにユーリとマルセルは盟友で、国王でありながらも父に一目置いているのは事実だ。父の進言があれば、陛下も真摯に耳を傾けるに違いない…
「…カイン。マリアナを現状から救うには策が必要だ。幸い、私とアドモスの意見は一致している…我らは共に力を合わせることで同意した。急がずとも事は進む…今は慎重に策を弄する事に専念しよう。」
…そうかもしれないが…
カインはほぞを噛んだ。
正直なところ、今は一刻も早く帰国し、国王に希って公爵の地位に就きたかった。権力さえあれば交渉の場に立てる…公の立場でマリアナの支えになることができるのだ。
「三国を相手に戦をするほどカンエも馬鹿ではあるまい…それこそ、今のマリアナには『封印』は解けない。そんな価値すらないのだからな。」
「価値…」
「嫌な表現だな…だがそれがマリアナの現実だ。本来なら戦の道具としてバルドに囚われる宿命だった…逃れられたとしても自由はなく、生涯追われる身であっただろう…」
リザエナは苦渋に満ちた表情を浮かべて言った。
「マリアナは戦の道具ではありません。」
「勿論だとも。私もアドモスもあの子を大切に思っている…戦の道具になどさせはしない。」
リザエナは頷き、目を細めた。
「そなたがマリアナを愛したのは運命…その導きによって救う手立てが見つかった…感謝しているぞ。」
カインは首を横に振った。自分は運命に翻弄されているだけだった。何の策も弄せない…無力な人間でしかなかった。
…感謝など要らない。例えマリアナを救えたとしても、俺は彼女を失ってしまうのだから…
マリアナの身の上を思うと胸が苦しかった。自分の身を滅ぼすことで救えるのなら、今すぐにでも迎えに行きたかった。
…あいつも同じことを言っていたな。
カインはヨルムドの物憂げな顔を思い浮かべた…きっと自分も同じ顔をしているんだろう…そう思った。
その夜、カインはヨルムドと向かい合って酒を飲んだ。
ルポワドの勅使がネスバージに向かって出立したという報告を、ヨルムドが自分に告げに来たついでだった。
城内は静寂に包まれていて、召使い達もすでに就寝しているため、テーブルの上にあるのは大器に入ったエールだけ…夏季のため暖炉の灯火もなく、燭台の仄暗い灯りの中で、二人は静かに杯を傾けているところだった。
「マルセル王の決断は早かった。使者は数日後には到着するらしい…リザエナ様は勅使とお会いになった後、帰国してバルドとの交渉準備を進めるおつもりのようだ。」
ヨルムドは淡々と語りながら手にした杯の酒を口に流し込んだ。
「動きが速い…マルセル王はよほど貴様を重用している様だな、黒騎士。」
「俺ではなく、父を…な。」
カインも杯を口にしながら答えた。
「俺はまだ下級の騎士…何の権力も持ってはいない。おそらくはヴァルダー殿の親書が父上に届き、父の進言が陛下を動かしたんだろう…」
「ふん…身の程を弁えているではないか…殊勝な心掛けだな。」
「は…嫌味か」
「褒めているつもりだが?」
「そうは聞こえないぞ、嘘つきめ」
「賞賛の言葉は素直に受け取るものだ…ひねくれ者。」
二人は睨み合った。全く相容れない…だが、今後のことを思えば互いに譲歩しなければならなかった…だからこそこうして向き合っているのだ。
「俺が公爵になるのは先代に後継ぎがなく、母上が全てを相続したからだ。父は母との結婚によってアンペリエールの名と封土を手にはしたが、ブランピエールにはならなかった。父にとっては母こそが正当な継承者で、自分にその権利はないと語っていた。」
「ゆえに、貴様がその名を世襲するという訳か…」
「ああ、俺は父上を飛び越え何の努力もせずに公爵になる…周囲もそれを知っている…だから俺は『特務』を希望した。優れた領主であることを証明するために。」
「なるほどな…」
ヨルムドは椅子の背もたれに寄りかかって鼻を鳴らした。
「親の七光り…その不名誉な呼び名を払拭するのは容易じゃない…貴様は嫌いだが、その気持ちは理解できるぞ…」
「理解?…お前が?」
カインは反問した。
「私の父は『曙光』だ。リザエナ様の側近で近衛騎士団の長…騎士の鏡と崇められ、バルドにもその名が知れ渡るほどの存在…その息子たる私にどれほどの期待が掛けられたか察しがつこう?」
「まあな…」
『曙光』はただの騎士ではない…薬物の知識に特化した学者だ。私は父から毒物の知識を徹底的に叩き込まれた。知識、武力、感情の抑制…その全てを体得せよと教えられ育った。…だがそれにも限界がある。私は『曙光』ではなく『月光』だ。父のような英雄にはなれない…」
「月光…」
カインはヨルムドを瞠目した。気持ちは痛いほど解かる。英雄を父に持つ苦悩は自分も同じ…ユーリ・ド・バスティオンは高名であり、その存在はあまりに絶大だ。
「だとしても、一石を投じる事は出来よう。気負うばかりの私に律するきっかけをくれたのは姫君だ…あの方を護ることこそが我が誇り…例えこの身を滅ぼしてでも、私は我が君を救い出す。」
…同感だ。
カインは天井を仰ぎ見た。
…君は俺に気付かせてくれた…真実の愛が何であるかを。
「何にせよ事は動き出した…バルドに圧力を掛け、マリアナを元首殿の下へ返す…それが俺の使命だ。」
カインは言った。
「そうだ黒騎士…我らは姫君に誠を捧げた。如何なる手を駆使してでも奪い返し、あの方を縛る呪いから解放するのだ。」
二人の騎士は反目しながらも手を握り、ともに協力することを誓った。
それは騎士としての意地…そしてマリアナへの敬愛からだった。
「開門!開門!」
門番の声が轟くと同時に重厚な鉄城門が開かれ、ルポワドの旗を翻した一団が馬を走らせ通り抜ける。
先頭を切るのは黒馬を駆る騎士、そしてその後ろに狼の紋章を施したリブリーを身につけたの騎士達が続く…
カインはボルドー騎士団と共に彼らを出迎えていた。
対岸にはネスバージの騎士達がいる。そうそうたる出迎えだ。
「…父上⁉︎」
到着した騎士の姿を見るなりカインは声を上げた。
馬上にいるのは漆黒の甲冑を身につけたユーリ…見まごうことなき父だった。
ユーリは高い位置から瞬時にカインを見極めて一瞥した後、駆けつけた馬丁の補助を受けて馬を降りた。
続く一団も次々に地に降り立ち、即座にユーリの周囲を固める。
「ルポワドの男爵、ユーリ・ド・アンペリエールだ。ネスバージ国王アドモス陛下、及び、ボルドー元首リザエナ陛下の招致により、急ぎ馳せ参じた。…我が主君の代行として、ルポワドの意向を告示したい。」
バリトンの効いたユーリの声が広場に轟いた。語調を強めている訳ではなかったが、その重厚さには周囲の背筋を正させるほどの迫力がある。頑強な躯体である彼の立ち姿は悠然としており、まさに英雄の名に相応しいものだった。
「ようこそ、アンペリエール卿…」
呼応したのはアル・ファムドだった。エントランスから現れた彼はユーリの前へと歩み寄り、右手を差し出し穏やかな笑みを浮かべたる。
「ムアル・アル・ファムドと申します。軍部の参謀を務めております…以後、お見知り置きを。」
「しばらく世話になる、よろしく頼む。」
ムアルの差し出す小麦色の手を躊躇なく握り返してユーリは言った。温厚な口調の『ルポワドの英雄』を間近に見遣り、ファムドは密かに感服する。
…肌色の違う我が手を躊躇わず握るとは…このお方は何と寛大なのだろう…
「先ずは旅の疲れと埃を落とされよ。両国の陛下とは今宵の晩餐にてお会いできましょう。」
「有難い…遠慮なくそうさせてもらおう。」
ユーリは口角を上げると頷き、ムアルに誘われてエントランスへと歩み去って行った。
「あれがお前の父か…」
カインの横にいたヨルムドが言った。
「さすがは『漆黒の狼』だな…覇気がある…お前とは雲泥の差だ。」
「は…一緒にするな。比べる方が間違ってる。」
カインは撫然として答えたが、内心では激しく動揺していた。
父上が来るとは思いもよらなかった…おそらくはヴァルダー殿の報告によるものだろうが…
物憂げに俯くカインに気づいたヨルムドは、黙ってカインの肩を軽く叩くとその場から離れて行った。
代わりにカインの姿を認めたルポワドの騎士が歩み寄って来る。フードを深く被り、勢いづきながら早足で近づいて来た一人がカインの名を呼んだ。
「誰だ…」
カインは顔を上げ目を凝らした…その途端、左頬に衝撃が走った。
「な…」
カインは呆然として相手を見遣った。頬に痛みが走る…俺は殴られたのか?
「無礼だぞ黒騎士!」
フードを外して相手が言った。
「その場に跪け!」
「殿下…?」
そこにいたのはリュシアンだった。大きな瞳が自分を睨み、その目に涙が浮かんでいる。違和感を感じたのは髪が短くなっていたせいだった。少年の様だった印象が、今は少し大人びて見える。
カインは我に返って跪いた。王太子が何故ここにいるのか理解できなかったが、その疑問は後回しだ…
「カイン…僕が何故ここにいるのかそなたには解らないだろう?
そなたが黙ってブローボーニへと発ち、そのまま行方不明になった後、僕にはいろいろなことが起きた。知りたくない現実も知ったし、承諾し難い約束もさせられた…それでも構わないと思ったのは、そなたを失うよりはマシだと思ったからだ!」
リュシアンは捲し立てるように言った。興奮しているのか、肩を大きく揺らしている....
「殿下...落ち着いてください…皆が見ています。」
すぐ後ろに控えていた騎士が小声で嗜めた。聞き覚えのある声に顔を向けると、炎のように赤い髪と紺碧の瞳がカインに視線を落としていた。
「アーレス…君まで…」
カインは困惑した。いったい何がどうなっているんだ…
「私は殿下のお供だ。君がいなくなってからずっと殿下のお守りを仰せ使っている。」
アーレスは穏やかな口調で言った。日頃から「良い性格」で定評のある彼だが、険しい表情のリュシアンに比べるとことさら柔和な顔に見える…
「もう良い…立て黒騎士。」
落ち着きを取り戻したリュシアンが命じた。カインは言われた通り立ち上がり、少しだけ背の低いリュシアンと対峙した。
「心配したんだぞ…散々探した…どこかで屍になってるんじゃないかと…それなのに…」
「リュシアン…」
「女にうつつを抜かしていただと?…ふざけるな。心配で夜も眠れなかった僕の気持ちなど、そなたは何一つ考えてはいなかったんだ…」
悲しそうに告げる王太子に、カインは何も言えず押し黙った。確かにマリアナに夢中になった時から周囲を慮ることを怠っていた…何もかもがどうでもよかった…
「すまない…リュシアン」
カインは言った。
「謝るよ…」
リュシアンは唇を噛んだ。愛する女を脇目も振らず追いかけたくせに、自分には腕一つ開かない…悔しかったが、それでもリュシアンは耐えた。マルセルにもユーリにも釘を刺されている。疑われるような行動は控えよと。
「これからは僕に従え。ここへは国王の代行として来た。バルドに渡り、この問題に決着をつける。良いな!」
「は…仰せのままに」
リュシアンは、カインを一瞥するとエントランスに向かって歩き出した。控えていたルポワドの騎士達も後に従った。
居残ったアーレスがカインを促し、二人も並んで歩き出した。
「詳しいことは後で話すが…殿下はここに至るまで相当な努力した。陛下の反対を説き伏せ、厳しい条件を全て飲むと誓って承服させたんだ。」
「髪を切ったのもそのせいか?」
カインの問いに、アーレスが僅かにたじろいだ。紺碧の瞳に翳りが見える…
「そうとも。君を取り戻したい一念でね。…だからその功績は褒めてあげて欲しい。」
答えるアーレスの言葉に違和感を感じたが、カインはそれ以上の言及を避けた。この状況ならルポワドで何が起きていてもおかしくはない。急がずとも追々知ることになるだろう…
リュシアンが自らの身分を明かし、王太子としての厚遇を受ける間、カインはユーリに対面し、父の前に立っていた。
身綺麗になったユーリはシャリナ手製のチュニックを身につけていて、その精悍さは相変わらずだったものの、最後に会った時に比べると少し老けた様に感じる。髪に白いものが増えたからだろうか…
「思ったより元気そうじゃないか…ヴァルダーの報告では、かなり落胆していると聞き及んでいたが…」
ユーリは叱咤するでもなく静かに言った。
「お前が何故ここにいるのか…言い訳を聞こう。」
父の穏やかさに安堵するどころか、むしろ戦慄を感じたカインはその場に跪いた。『漆黒の狼』の厳しさは既知のところだ…決して自分を許しているわけではない。
「申し訳ありません。我が愚行に正当性など微塵もなく、暗に感情に流されたとしか言いようがない…この失態に対するどのような罰も甘んじて受けるつもりでおります。」
「失態か…ブローボーニの魔女に心を奪われ任務を放棄し、我を忘れて異国まで追いかけるとは…確かに厳罰は免れんぞ。」
ユーリはカインに歩み寄ると腕を掴んで立つよう促した。自分にそっくりな若者は上背があり、今や少しだけ自分を上回っている。
「王太子に殴られただろう?城をでる時から鼻息が荒かった…あの剣幕でマルセルも黙らせたんだぞ。なかなかに勇ましい姿だった。」
「王太子殿下が?」
「ああ。」
ユーリは頷いた。
「お前に対する免罪符は全て王太子が引き受けた…従って、お前は生涯、王太子に頭が上がらん…気の毒なことだ。」
「どう言う意味です?」
「言った通りの意味だ。」
父子は顔を見合わせて眉を寄せた。マルセルにしろリュシアンにせよ、二人の性格に問題があるのは周知の事実であり、大きな借りを作ったからには負荷を覚悟する必要があった。
「それから…これはシャリナからの伝言だ。」
「母上から?」
「リュシアン様の恩に報いるためにも、今後は忠誠を誓い付き従う様に…と」
母上らしい…とカインは思った。政治にも王宮にも縁遠い暮らしを好む母だが、自身を取り巻く全員が騎士である以上、いつでも騎士の道に寄り添わなければならなかった。それは少女の頃に父と兄を同時に失った日から始まり、父との結婚によって現在も続いている。
「言われるまでもありません。リュシアン様は尊ぶべき我が主君…もとより忠誠を誓っております。」
「…うむ。その言葉、決して忘れるな。」
そう言うと、ユーリはようやく目元を緩めた。
…カインはこの先痛いほどの償いを強いられる。俺が叱咤するまでもない。愚かしいほど似ている我が息子…俺の血は次の世代へと引き継がれて行くんだな…
「リオーネの子も順調に育っているぞ…シャリナは着々と準備中だ。おかげで城を離れる時も責められずに済んだ。幸いなことにな。」
「良かった…リオンがいれば母上も寂しくないでしょう。」
「うむ。留守はシセルに任せてあるし、何も問題はない。」
「『バルド戦役の英雄』が二人…いや、三人を守っているなら万全ですね。」
父と息子は笑顔で頷き合った。心に秘めた思いは互いに複雑だったものの、今は素直に再会を喜び合う二人だった。
その晩、リュシアンは王太子としてアドモスとリザエナに対面し、父マルセルからの返答を二人に告げた。
「ルポワドはネスバージとボルドー両国と和平を締結し、仇敵であるバルドの脅威を回避するため協力を惜しまない。」
三国はこの条約に同意し、それぞれの誓約書に調印した。
歴史上初めての事だった。
東ルポワド グスターニュ城
月明かりの下、シャリナが一人でテラスに立っているのを見かけたシセルは、しばらくの間、声をかけるべきかどうかを躊躇っていた。
通常ならば男爵と二人で寄り添い談笑する時間…彼が出立してからは、こうして佇んでいる事が多く、その後ろ姿は心細げだ。
…本当はお寂しいのだろう。
シセルは慮った。
シャリナの事は幼い日から知っている…身内の縁に薄い少女はとても寂しい身の上だった。男爵とは『契約結婚』という形での結婚だったが、実際は相思相愛の大恋愛であり、今や周囲が羨むほどの仲睦まじさだった。
「あら、シセル…」
シセルに気付いたシャリナが言った。
「どうしたの、何か用事?」」
「あ、いえ、たいした用では…」
シセルは歩み寄りながら言った。シャリナはいつもの優しい微笑みを差し向けながら、彼を静かに迎え入れる。
「リオーネはもう眠ったの?」
「はい。近ごろは常に眠い様子で…夜更かしも控えめで助かります。」
「そうね…お腹に赤ちゃんがいる時は、すぐに眠くなってしまうものよ…リオンには丁度いいわ。」
シャリナはそう言って眉を上げた。
リオーネはユーリに似て気さくな性格だけに破天荒さも際立っている。シャリナもシセルも手を焼いているところだったのだ。
「…そうだわ。シセル、少し時間をもらえるかしら。ユーリもいない事だし、たまには一緒にお酒を飲ましょう。」
「え…はい。構いませんが…」
突然の申し入れに驚き、シセルは目を丸くした。シャリナはアルコールに弱く、日頃はほとんど嗜む事がないからだ…
真夏の城内は風通しが悪く、歓談するには少し暑かった。
シャリナはテラスに果実酒を運ぶよう侍女に頼み、室内から箱に出された椅子に座った。
「今夜は月が明るいわ…星も綺麗…」
「本当ですね…灯り要らずだ。」
「考えてみたら貴方と二人だけでお酒を飲むなんて初めてね?」
「…確かに。」
「子供の頃からの知り合いなのに、親子になってからようやくなんて…変よね。」
「は…」
シセルは思わず苦笑した。リオーネの母君である以上、確かにシャリナは義母にあたるが、実際二人の年齢差はたったの3歳…改めて親子と言われると複雑な気持ちになる…
「クグロワ大伯父様がこのお城に初めて招待して下さった時、私はまだ15歳だった…シセルは声変わりもしていなかったわ…可愛い少年だなって思って見ていたのよ。」
「恐れ入ります…」
「貴婦人達の話題の的だったもの…いったい誰が彼の心を射止めるのかしらって…もちろん私も思ってた。」
「はあ…」
「それなのに、まさか私の娘と結婚してしまうなんて…私の息子になるだなんて…誰が想像できて?」
「…申し訳ありません。」
謝罪するシセルにシャリナは吹き出し、グラスの酒を口にしながら言った。
「いやね…謝るところじゃないでしょう。それどころか、リオーネの様な変わった娘を選んでくれて、母親としては感謝しきれない思いなの…本当よ。」
「シャリナ様…」
「貴方のような立派な騎士がユーリと私の孫の父親だなんて…なんて素敵なことなのかしら…夢の様だわ…」
…私の方こそ。
シセルは心中で呟いた。
…クグロワ様の姪孫であったシャリナ様…美しく可憐な姫君に、私の心がどれほどときめいていたか貴女はご存じではないでしょう。
「お褒めのお言葉…痛み入ります。ユーリ閣下にも同じように仰って頂きました。本来ならリオンを妻になどできない身分でありながら結婚をお許し頂けたこと…真実、感謝に絶えません。」
「何を言っているの…ユーリはリオーネが生まれた時から、「嫁になどやらん!」って豪語してたのよ…それなのに、貴方の申し出をあっさり受け入れてしまった…よほど嬉しかったに違いないわ。」
シャリナは穏やかな口調で話しながら、グラスの果実酒を飲み干した。シセルは少し心配になって瞠目したが、シャリナはお構いなしに二杯めに手を伸ばそうとする…
「貴方を信頼すればこそ、安心してお城を留守にできるのよ…カインの事だって、何も特務に就かせる必要なんてなかった…爵位を継がせるのを遅らせていたのも、シセルが息子になってくれた安心感からだったの…」
シャリナは言いながら二杯めの酒を一気に飲み干した。シセルは驚き、思わず腰を浮かせて身構える。
「ねえ、シセル…もしもカインが帰って来なかったら、リオンのお腹の子をブランピエールにしても構わない?」
「…何を仰るんです」
「真面目な話よ…そして大切な事だわ。」
「シャリナ様…」
「これはまだ誰にも言っていない事だけれど…貴方だけには話して置かなければと思っていたの…実はね、ユーリは重い病を患っていて、あまり体調が優れないのよ。彼はそのことを隠している…でも私には判るわ…妻だもの。」
「…病?」
シセルは反問した。
「それは…どのような…」
シャリナは瞳を潤ませて首を横に振った。だが、その表情を見れば事態が深刻であると察することはできる…
「…不安なの。ユーリが遠くへ行ってしまうかもしれない…そう思うと…」
「…シャリナ様」
シセルは立ち上がってシャリナの背後に回った。
「御免なさい…驚かせてしまって…リオンが無事出産するまで黙っていようと思ったのに…駄目だった。」
そっと支えるシセルの腕に、シャリナが僅かにしなだれかかった。
シャリナはすでに酔っていて、頬が涙で濡れている…
シセルはその事実に茫然となり、遥か遠地のユーリへと想いを馳せた。無事の帰還をと心から願うしかなかった。
つづく