戦箱
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うっへ〜、誰だよロッカーの奥に、お菓子の袋ほっぽっといた奴!
こういうのってさ、ヘタに口が開いているより、閉じている奴の方が気味悪くねえ?
腐ったり、変色したりしてんのを目にするのは、そりゃ気持ちが悪いさ。だが、「やべえ!」とひと目で分かるって点は、ありがたいともいえる。
フタをされているおかげで、こちらは中身が分からず悶々するし、たとえ中身が無害、無関係なものだとしても、それを知るまでにこちらが受けるダメージは計り知れない。
だが、中身を知っている側からしたら、相手の反応をうかがうのは面白いかもしれないな。
ポーカーやっているみたいによ、実力にせよはったりにせよ、相手を手玉に取っているかのように思えると、なんとも気分が良くなってくる。それが前者であったなら、なおのことだろうな。
俺も前者の気持ちを味わったことがあるが、それもだいぶ昔のこと。感覚はだいぶ薄れちまったが、もう一度経験したいとは思いづらいな。
少し箱をめぐる、楽しくもしんどいメモリーがあるのさ。興味があったら、聞いてみないか?
当時、子供だった俺たちがはまっていたのは、野球盤をはじめとするアナログゲームだった。
まだデジタルゲームがさほど流行っていなかったからな。リアルで顔をつき合わせる勝負を、俺たちは当たり前のように思っていた。
アナログはいい。相手の表情ひとつ、仕草ひとつ、息ひとつからも、多くを読み取ろうと神経を研ぎ澄ませる。画面とにらめっこをするよりも、ずっと真剣勝負の雰囲気は上で、そこに勝利とスリルを味付けできれば、何時間でも暇をつぶせる気さえする。
その俺たちが、ある時期にはまったのが俗に「ラビリンス」という、ビー玉転がしゲームだ。
一度はやったことがあるんじゃないか? ビー玉の入った箱を傾けて、玉を迷路の先へ進めていき、ゴールさせることを目指す。道中には穴をはじめとする障害物の姿があり、いかにうまいことかわすかが重要になってくる。
当初は箱いっぱいに、武骨な迷路が広がっているタイプが流行っていた。だがそのうち、多少は迷路の幅を縮めてでも、デザインに凝ったものが出てくるようになる。
俺が最初に目にしたのが、庭とその池をかたどったようなものだ。
迷路部分は石に囲われた、池の中をなぞるように作られ、箱の四隅には迷路と関係ない、庭園の造形が施されている。
花を茂らせた樹の模型や、その足元の茂みを連想させる綿、散りばめられた石を模すビーズの姿とか、子供心に手が込んでいると思ったもんさ。
迷路たちそのものに関しては、クリアできないうちこそ楽しいが、いざ到達できてしまうと、その迷路に対して一気に熱が引いていく。
この攻略法を使えば、その迷路は確実にクリアできる。そう考えると、タネの割れた手品にも似て、そのうち見向きもしなくなってしまうものだ。
だから絶えず、新しいものを求めたいゲーマーごころ。でも、それを許してくれないお小遣いの限度。迷路攻略へ慣れてくるにつれ、やきもきした気持ちを味わう機会は、どんどん増えていった。
――なんか、箱ひとつで限りないパターンを楽しむことができる、画期的な遊びはないだろうか。
そう悩みだした俺の前に、姿を現したのが「戦箱」という遊びだった。
この遊びには、ビー玉転がしの迷路用の箱を、少しいじったものが使われていた。
本来なら、ビー玉の動きを見るためかつ、ビー玉が外に飛び出ないように、箱には天井代わりの透明なカバーがかけられるもの。それが外され、代わりに箱全体へすっぽりと覆いかぶさるフタが用意されていたんだ。
そのフタには、個人の名前代わりに様々なものがあしらわれている。
尾を引く大きな流星を描く子もいれば、空をあおいで口を開ける大ガエルに、真似するような格好の小ガエルたちが周囲を取り巻いている子もいた。
戦箱はこれらの箱を持ち寄り、基本的には一対一での勝負を行う。
ゲームの進行は、見ている限りだと非常にシンプル。互いの箱をフタで閉じたままゆすりあい、一定の条件を満たした時点で勝敗を決するんだ。
両者同時のタイミングで8秒間、箱を向かい合わせ、およそ数十センチ離した地点でゆする。
手でしっかり保持でき、フタが外れたり、相手の箱や身体に触れたりしなければ揺らし方は自由。ゆえに、床に置いて行わず、立った状態で向き合うのが定番のスタイルだった。
戦箱はゆすっている間、様々な音を奏でる。
ぺちゃぺちゃと軟体めいたもの、かちんかちんと金属物の気配を漂わせるもの。果てにはお腹の虫や、獣の声のようなうめきが響くこともある。
しかし、中身に関して持ち主以外がのぞくことや、聞き出すことはご法度とされていた。箱の中身は持ち主の意志でカスタマイズが可能で、勝負前および、最初の8秒間が終わってより、8秒間のインターバルでのみ、いじることが許される。
そしてまた8秒間のゆすり、調整といったラウンドを繰り返し、最終的に自分より先に、相手の箱を「おもらし」させた方が勝ち、というものだった。
戦箱の底から水滴が垂れはじめたら、すみやかに競技を終えなくてはいけない、という決まりがあったんだ。
最初、クラスメートの二人から始まったこの戦箱だが、少しずつそのシェアを広げ始めた。
絶対最強、というものが存在しないのが、大きな魅力だったと思う。同じカスタマイズで連戦しても、連勝できることはめったにない。
ある程度はゆすり方でカバーできるらしいが、カスタマイズ時点での相性の良し悪しが、それ以上にものをいう。
勝負する者は、最初の8秒のゆすりと箱の状態から、相性の検討をつけ、自分が持ち寄ったカスタマイズ手段を用い、8秒間で調整して、相手をメタるようにする。
当然、相手もこちらへの対策を練ってくるわけで、裏をかくか、裏の裏をかくか、そのまた裏をつくか……同じ相手でも、箱が違えばそれだけで千変万化の試合変化が楽しめた。
何度か観戦してから俺も加わったクチだ。
戦箱は、最初に実演して見せた二人のうちの片割れに依頼し、箱を渡すと一日で「戦箱」に仕立ててくれる。
その状態でも一応の勝負はできた。相性抜群の相手なら、熟達者でも1ラウンド目で打ち倒してしまう。たいした「スターターキット」だよ。
だがカスタマイズ手段がなければ、2ラウンド目でメタられて敗色濃厚。いわば「ブースターパック」の用意は必須だった。
ただカードゲームと違うのが、箱におさめられるものなら、たとえタダでも用意できるという点だな。
――ん? 俺の戦箱の中身はどうかって?
おいおい、さっきも話したはずだぜ? 中身に関して持ち主以外が知ることは、ご法度だと。とはいえ、なんもしゃべらないで、パチモン呼ばわりも腹が立つしな。ちょこっとアレンジしたネタを伝えるぞ。
俺の愛用したカスタマイズのひとつが、「みかんの皮の砂糖漬け」だ。
菓子としても食べられるらしいが、俺が目指すは戦箱向けのアレンジ。そいつを砂糖に漬けながらも、様々なものをくわえて、一見、カビに支配されたんじゃないかと思わせる、緑がかった表面を形成させるんだ。
そんなほぼ化石のような、みかんの皮は俺が探した中でも、かなりのピーキーさを誇る性能だった。
みんなのレシピは知らないが、第一ラウンドから突っ込めば、7割近い相手を即座に倒し、残りも箱の底をかすかに湿らせるほどに追い詰めた。
だがときどき、俺の方が「噴射」するほどの勢いで、箱のおもらしに立ち会う羽目になる。
勝負は8秒のうちの、最初の1秒だ。
いまでも覚えているぜ。
カラコロ、カラコロ……。
小さい下駄を履いて、歩き回るような音がしたら、そいつがみかんの皮にとっての最大メタだ。じっとしていれば瞬殺は免れず、俺はほとんど反則すれすれな、振り回すような箱の動きで耐え忍ぶしかなかった。
2ラウンド目になればみかんの皮をリストラし、他の手を練った。それなりに経験を積んで、他のものの傾向も掴みかけている。瞬殺を免れれば、勝機はいくらでもある……はずだった。
だが俺はほどなく、戦箱を引退する。
放課後、二人きりでやった戦箱の勝負で、俺はこてんこてんにやられた。
箱の底が抜けるほどの大洪水。その液は俺の右足をしとどに濡らし、教室の床にも盛大にしみ込んだ。
とたん、俺の踏む床板が大きく「花開いた」。それはまるで、皮をむいたみかんのように思えたんだ。
それがばくん、と口を閉じるのと、俺がとっさに足を引いたのはほぼ同時。
閉じた口に引っかかった上履きは、そのまま床板の花に取り込まれたまま。もとのように板が戻るまでの、ほんの1秒ほどの間だったのさ。
俺と相手は目を見張ったよ。もしあのまま反応が遅れていたら、俺の足はどうなっていたのかと。
俺が引退してからも、戦箱の流行はしばらく続いたが、それもあるときにぱたりとなくなった。
戦箱作りを引き受けていたあいつが、ある日を境に、二度と学校へ来なくなってしまったからさ。