毒花の憂鬱
まるで彼は、百合の花のような人だ。
その透き通るような肌も、優しくもまっすぐな視線も、柔らかな物腰も。
放たれる気というものだろうか、どこか厳かで近寄りがたい。
なのにどこまでも美しい。
そう、彼は完璧だ。
外面は。
「おい、お前いっぺん死んで来い」
「えぇ?!会って一時間無視した後開口一番にそんな台詞?!」
「無駄口たたくな。四の五の言わずに死んで来い」
眉間にしわをこれでもかと寄せ、こちらを一瞥しそう告げるこの男の名は篠原旭。
私なら一生自分から手を出さないような難しい本を読み、時折コーヒーに口をつける仕草は思わずため息が出てしまうほど似合っている。
似合っているからこそこの台詞は胸にぐさぐさと容赦なく突き刺さるもので。
「あのー・・・」
「なんだ、まだいたのか」
「できればーその・・・何故にそこまで不機嫌でいらっしゃるのかご説明していただければと思いまして」
「必要ない」
抑揚のない声でばっさりと切られ、それ以上聞いたら確実に最悪の結果を招くことを肌で感じた私は、押し黙ることしかできなかった。
目の前のコーヒーもホットだったのに、今や立派なアイスと変わり果てている。
それぐらい、私はこの殺伐とした空間に長いこと取り残されている。
「・・・お前人の話し聞いてんの?」
盛大にため息をついた彼は、読み終えたのか持っていた本を机に乱暴に置いて腕を組んだ。
視線は合わない。
というか私が合わせていない。
恐ろしすぎる、絶対に合わせた瞬間に号泣する。
「あの・・・旭様のお怒りの理由を聞くまでは死んでも死にきれず・・・」
「本気で言ってんの?理由言ったら入水でもしてくれる?」
「この際入水でも飛び降りでも何でもします。どうかお教えください」
「ふーん・・・じゃあ約束ね」
あぁ!この男は!!
理不尽な約束を勝手にされたのに、この声には逆らえず思わずうっとりしながらうなずいてしまう私。
目に入った指先を追ってたどり着いたのは携帯の画面。
それも私の。
表示されていたのは今日の二日後の予定だった。
「何これ?」
「何って・・・カレンダー?」
「俺が聞いてんのは内容だよ。本当頭悪いな」
「おっしゃる通りで」
「質問にだけ答えろ。俺の尊い時間をこれ以上どぶに捨てるような行為は慎め」
さらに怒りのボルテージが上がったのか、私の携帯を折らんばかりに握り締め笑みを浮かべる。
彼はよく愛想笑いをしているが、今のような完全に人を見下すような笑顔は私ぐらいにしかむけない。
ある意味特別なんだろうが、こんなことなら愛想笑いのほうがずっとマシである。
「内容はそこにある10時に待ち合わせで食事と買い物の後、映画を見て20時に帰宅する予定なんですけど」
「男とか?」
「男?」
「この久史ってのが女だとは言わせないぞ」
「まぁ女ではないですね」
つらつらと並べた予定の最後に表示された名前。
最初と最後にはハートマークをご丁寧に付けて。
ちなみに私はハートマークを付けた覚えはない。
多分どっかの悪ガキのせいだろうけど、今はそんな言い訳さえ彼の神経を逆なでしそうなので黙っておいた。
「いい加減にしろ。こんなくだらない会話をしたくて今までここにいたんなら今すぐ埋める」
「う、埋めるのだけはご勘弁を!口の中に虫とか入ってくるなんて想像しただけで寒気がする!」
「は?そんなに埋められたいのか?」
「いやフリとかじゃなくて!」
「さっさと吐け。これ以上俺を不愉快にしたいなら話は別だが。ただしその場合簡単に死ねるとは思うな」
「結局待ってるのは死・・・」
「選ばせてやる」
そんな凶悪な笑顔で言われても。
何故ここまで状況が悪化するのか。
理由としては簡単だったが、何しろ答えた後の言及が目に見えているためそう易々と口走ることができない。
どうすべきか。
答えはひとつしかないのだが、どうしても私としては当日までは秘密にしておきたいのだ。
そう一人悶々と考えていると、ふいに椅子を引く音がした。
慌てて顔をあげると、かつてないほど冷めた視線が私を見下ろしていた。
「もういい。お前とはお別れだな」
人様に迷惑をかけないようどこででも野たれ死ね、とはき捨て彼は優雅に去っていった。
「あ、あの?!」
我に帰って彼の言葉を繰り返す。
お前とはお別れだな。
お別れ。
・・・お別れ?
つまりそれは
「別れるってこと?!」
優雅さのかけらもなく勢いよく立ち上がり、その拍子に盛大にコーヒーの入ったカップをひっくり返した。
幸い熱はすっかり失われてヤケドはせずにすんだが、この日のために新しく買った水色のワンピースが見事に被害にあい、お札が羽をつけて飛んでいくイメージが瞬時に浮かんだ。
しかし今はそんなことを気にしている場合ではない。
別れ話となると本末転倒になる。
この騒動と私の奇声に彼は一瞬足を止めたが、すぐに他人のごとく歩を進めた。
それはまるで肯定されたかのようで、私は追いかけることができなかった。
「違うの!あれはただの弟なの!浮気とかじゃないの!信じて!」
駆けつけた店員の制止も気にせず、私はがむしゃらに叫んだ。
それでも歩みは止まらない。
店員の数も増え、とうとう店長らしき人から「他のお客様のご迷惑になるので」と常套句が聞こえた。
もう、終わりなの?
「旭!!」
ひざを崩し、顔を覆った。
こんなことならさっさと言えばよかった。
その日、はるかに自分よりセンスのある弟に頼み事をしていた。
付き合い始めて初めてのイベント、旭の誕生日のプレゼントを選んでもらうはずだった。
食事も映画ももちろん自分持ち。
こっちの都合を押し付けるのならしょうがないことで、私は大して考えもせず予定を組み込んだ。
それがどこから旭にもれたのかはわからない。
しかし今更そんなことはどうでもいいのだ。
彼が。
旭がいなければ、何の意味もない。
「すみません、これはご迷惑をかけたお代です」
凛と。
どこまでも凛とした声。
確認するまでもなく、それは彼の。
「このような、コーヒー2杯ですので」
「いいえ、汚れたテーブルクロスの足しにもならないかもしれませんがお受け取りください」
「この方のお洋服が・・・」
「お気になさらず。これは自業自得なのでむしろ申し訳ないです」
「それでしたらありがたく頂戴いたします」
「ほら、行くぞ」
一通り話しが済んだのか、私の腕を引っ張る腕におとなしく従った。
見捨てずにいてくれた。
あんなに恥ずかしいまねをしたのにもかかわらず、迎えにきてくれたことに私は涙を抑えることができなかった。
いつも散々罵詈雑言を浴びせられても、この優しさに救われている。
その人があそこまで怒るなんて、きっとよっぽどの理由があるに違いない。
私が気づいていない何かがある。
「ごめんなさい・・・」
「それは俺に無駄な金を払わせた件についてか?それともさっさと口を割らずに店内で暴れた件についてか?」
「なんていうか・・・すべてにおいてごめんなさい・・・」
私は空いた手でどうにかハンカチを出そうとした。
しかしなかなか難しく、いったん腕を解いてもらうよう顔をあげた。
「ちょっとハンカチ取りた」
「なんだその顔・・・みっともないというか哀れというか・・・汚物とそう変わらないな」
「ははっ・・・!」
前言撤回。
仮にも彼女に対して・・・汚物!
汚物はないでしょう・・・?!
憂いを帯びた顔が今では笑顔より強大なダメージとなっている。
生きてきた中で最高に顔が綺麗な彼に、ここまで真剣に顔面を汚物と言われたら笑うしかない。
それにしても・・・汚物・・・。
「で、汚物がここまで隠す理由があるんだよね?話せ」
「もはや汚物が固有名詞になろうとは・・・」
「・・・次はない。吐け」
「はい、実はその日に旭様の誕生日プレゼントを買いに行こうと思いまして!私ではセンス皆無のため弟に援助してもらいたく、食事と映画でどうにか交渉しました!」
「・・・ふーん」
ふーん、て。
それだけですか。
あんなに聞きたがってたから話したのに、反応の薄さと言ったら。
「お前の心がけはいいとして、ひとつ忘れてることがある」
「忘れてること?」
「お前の頭は完全にお飾りだな。とりあえず捨てておけ」
「とりあえず捨てたらそのまま人生終わってしまうんでご勘弁を!そしてできれば内容を教えてください、お願いしますお代官様!」
「お前泣いた後無駄にテンション高くなるよな・・・死ねばいいのに」
今日一番のため息をついた後、彼は立ち止まり腕を放した。
まだわからないのか?とでも言いたそうに顔を見つめられたが、わからないものはわからないと胸を張るとパシーンッと両手で強かに頬をはさまれた。
「その日は付き合いだして半年記念日だろ。普通記念日とかに敏感なのは女のほうじゃないのか?」
「わ、忘れてた・・・」
「本当、お前いっぺん死んで来い」
数回ぐりぐりされた後解放され、彼はさっさと歩き出した。
私は少し痛む頬をさすり、すぐに後を追った。
なんとなく顔を見ると、なんだかいつもより赤い気がする。
気のせいだろうか。
予想していたよりかは怒ってない気がした。
「あの・・・どこに行くんですか?」
「は?俺の誕生日プレゼントを買いにだろ」
「そ、それは久史と」
「俺と行けば時間と金の節約になる。安心しろ、お前は金さえ払えばいい」
「結果的にはそうですけど・・・こーロマンとかサプライズとか、そういう要素がゼロになりますけど」
「必要ない。俺と一緒にいればその日も晴れて自由の身になるだろ。そのときは今回の詫びをさせてやる」
「さようでございますか・・・」
確かに今回の騒ぎは全面的に私のせいだが、なんとなく釈然としない。
だいたい勘違いをしたのは彼で、しかも私の携帯電話を許可なく操作していたのも彼で、一方的に別れを切り出したのも彼で。
でも記念日を忘れていたのは私で・・・。
「お前またくだらないこと考えてただろ」
「くだらなくない・・・と思う」
「はっきりしないやつだな・・・死ぬか?」
「せめて結婚してからお願いします」
「結婚する気だったのか・・・?!」
「なんですか!失礼ですね!私だって人並みの女の子の夢ぐらい抱きますよ!」
「そうだな、せっかく生んだ子がただの汚物で一生を終えたらそんな切ないことはないだろうな。まぁめげずに頑張れよ」
「候補としては旭様が有力なんですが・・・」
「冗談はよせ」
真顔で言っているけど、耳の色まではさすがにコントロールできないようだ。
そして私は、彼の言うプレゼントを買いに行くべく差し出された手を握り歩き出した。
口の悪いって言うか、なんかもう癖なんですかね。
反射的に「死ね!」って言ってるような気もしてきました(どんな家庭環境だ・・・
でもいいですよね〜鬼畜って☆
実際いたら完璧に泣いて帰りますがね。
ここまでお付き合いありがとうございました。
それでは今後ともよろしくお願いします。