表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/3

【後編】

「よろしく……お願いしますね。どうか末永く。」



 レイモンは私の手を取り、手の甲に軽くキスをした。

 でもそれは昨日とは違い、まるで神に誓いを立てるように畏まった雰囲気だった。


 そしてさっき私が落とした手乗りペンギンのぬいぐるみを拾い、手で汚れをパッパッと払うと私の手に握らせると、まだ夢見心地で地に足の付いていない状態の私を支えて家まで送ってくれた。



「それでは――今度は土曜日の夜に。」



 それだけ言うと、レイモンは風のように私の目の前から去っていった。

 翌日、目が覚めても自分の周りは普段と何も変わらずにあれはもしかしたら夢なのかもしれないと少し疑った。


 だけど会社に行くと昼休みに吉川先輩から昨日のデートの事について色々と聞かれ、あれは夢ではなかったと改めて自覚したのだった。

 私のたった一日で決まった結婚に吉川先輩は驚き、悔しがってもいたがかなり心配もしていた。



「本当に大丈夫? 流石に急ぎすぎじゃない?」


「大丈夫です! 早すぎる理由も聞きました。私も納得したし……何より私が『この人だ!』って思ったんです。こんなにお世話になった吉川先輩ともう二度と会えなくなるのは辛いですが……結婚しても決して忘れず、吉川先輩の幸せを遠くから祈っていますね。」


「そこまで決心が固いなら、私も何も言わないわ。私も会えなくなるのは辛いけど……頑張ってね。」



 互いに手を握り締め、吉川先輩とは抱き合って泣いた。

 その後は会社に辞職願を出し、上司や同僚らに急に辞めることへのお詫びをしてまわった。

 だけど寿退社ということでもあり、こちらが申しわけないというぐらいお祝いもしてくれたのだった。


 会社から帰ると荷物の整理やら家財道具の処分などのリストを作り、実家へと電話もした。

 海外へと行ってしまうと簡単に口座管理もできないし、日本円を持って行ってもレイモンの国で使えるお金に換えるのは難しいと言われたから。


 それに日本を離れた後には両親に何かあっても簡単に助けることもできなくなるということで、家財道具の処分費用とか必要なお金を払った後に残った全てのお金を両親に残すということを伝える為だ。

 私が結婚すると言うと喜んでくれたが、相手が海外の人で国に付いて来てほしいと言われた事……もう二度と会えなくなるかもしれないという事を伝えると無言となった。


 いつものうるさい母が黙った事で胸がギュッと苦しくなったが「あなたが幸せになると……信じた道を行きなさい。母さんたちの事は心配しないで良いから。」と励ましてくれた。

 その言葉に私は涙し、電話の向こうからも母の泣いている音が聞こえてきたのだった。

 母は「お前も忙しいだろう」と電話を切り、その日は涙で溢れてなかなか寝付けなかった。


 確かに一週間で全てを片付けなきゃいけない私には時間がなく、とても忙しかったのだ。

 それでも上司や同僚らからの理解もあり、日本での結婚式はしないということもあってかちょっとしたお祝いの意味も込めて火曜日の午後から早々と、辞める日まで特別に休みにしてくれた。


 まだまだ新米扱いとはいえそれなりに仕事を抱えていた私が急に抜けるというのが確定した中、ここまで急なお休みを作るというのは大変だろうにととてもありがたかったのだった。

 お陰で木曜日の夜には粗方片付き、金曜日には実家に少しだけ行くことのできる時間ができた。



「本当はレイモンにも一緒に行って欲しかったけど……連絡手段も無いし、そもそも忙しいだろうから無理よね~。」



 なんてことを言いながら実家へと行く為に自宅のドアを開けると――。



「おはよう。ミサキ……さん。」


「おっ――おはよう。……どうしたの!?」



 そこに何故かいたレイモンの姿に私は驚いた。



「ミサキ……さんを急かし過ぎちゃって言い忘れていたけども、ご両親に挨拶に行ける時間があるならば是非に同行したいと思ってね。――訪ねてきてきてしまいました。朝から驚かせてしまって、ごめんね。」


「う、ううん。ちょうど今から行こうとしてて……レイモンにも一緒に来てほしいって、思っていたところなの。」


「それはちょうど良かった。」



 まるで分っていたかのように訪ねて来たレイモンには驚きが隠せなかったが、私が一緒に居てほしい時に姿を現してニコリと微笑んでくる優しい笑顔に嬉しくなった。



「それじゃあ……行こうか。」



 先日のようにスッと腕を差し出し、一路レイモンを連れての私の実家訪問へと向かった。

 それまでずっと落ち着いていたレイモンも私の実家の前まで来るとさすがに緊張しているようで、数秒目を閉じて深呼吸をしていた。



「ただいま~。」


「えっ? ――美咲!? どうしたの??」



 私の「ただいま」という声に玄関へと出迎えに出た母は突然の娘の訪問に驚き、目をパチクリとさせる。



「少しは時間ができたから――こちらさん。ご挨拶にって。」


「『レイモン・アルヴィエ』と言います。」



 レイモンはペコリと軽くお辞儀をした。



「まぁまぁまぁ……。やだわっ! ちょっと美咲。事前に連絡ぐらいしてよ。」


「ごめん……。本当は一人でちょっとだけ来るつもりだったし、急だったからさ。」


「とりあえず、あがって。」


「うん……。」



 私たちは母にリビングへと通され、隣の部屋ではカチャカチャと――たぶんお茶を淹れている。



「何のお構いもできませんで……。お紅茶で――良かったかしら? 大したお茶菓子もありませんが。」


「いいって、そんな――。」


「だって――――。」



 上品そうなレイモンに一生懸命に合わせてもてなそうとする母と、畏まられた事で少し気恥ずかしくなった私が言い合いをするそんな何気ないやり取りを見て、レイモンはクスクスと笑いだした。



「いや――すみません。ミサキ……さんとお母様はとても仲良しなようで、良いなと思いまして。」


「やだわ~ぁ!」



 母はそんな風に言われた事が嬉しかったようで、キャッと両手で顔を覆って照れていた。

 暫し私を交えてレイモンと母は歓談をし、落ち着いてきたところで場の空気を整えるようにレイモンがコホンと一つ咳払いをした。



「お母様。本日は突然の訪問を受け入れてくださりありがとうございます。わけあって時間もなく、他の御家族様にはお会いすることもできないこと、お許しください。」



 和やかな空気から一変してピリッと引き締まった空気で包まれている中、真剣な顔をしたレイモンが母に深く頭を下げたのだった。



「いえ……娘から少し話は聞きました。そりゃいずれは娘も結婚をとは望んでいましたが……ここまで急に決まり、この先会うことも難しいと知って色々戸惑っているのも事実です。でも――それでも、娘が幸せになるならと。今は理解しているつもりです。」



 母はレイモンの手を取って話を続けた。



「どうぞ頭を上げてください。こうして時間が無い中急にとはいえ、挨拶に来てくださったあなたを信じます。二度と会えなくなったとしても、私だって娘の結婚は嬉しいのです。どうぞ――どうぞ、娘のことをよろしくお願いしますね。」


「はい。何があっても――何があってもミサキ……さんのことは守り、悲しい涙を流させることは無く、共に幸せになりたいと思います。」


「えぇ……えぇ…………。」



 最後には母の顔は涙でグショグショになってしまっていた。

 母への挨拶も終わり、長い時間ここに居る事の出来ない私たちは帰路へと着いた。



「ごめんね、ミサキ……さん。あんな仲の良いお母様とお別れになる事にしてしまって……。」


「いいのよ。どうせいずれはお別れが来るものでしょ? それがちょっと早まっただけの事よ。」



 すごく申しわけなさそうに謝るレイモンを励まし、自宅のある建物の前で別れると部屋の中で一人で泣いた。

 私だって寂しい――けど、心配をかけるわけにはいかないし誰が悪いわけでもない。


 私が私にとって幸せになる道を選んだ結果だから後悔なんてしていない――けども、今日ぐらいは泣くまいと我慢していた心の蓋を開けて思いっきり泣くことにしたのだった。

 そんな中、帰ってからもやることは多くて泣きながら荷造りをしていた。



「あぁ~! 明日の朝には日本を発つって言うのに、流石に無理ね。日本って何をするにも時間がかかり過ぎっ!」



 土曜日のギリギリの時間になってまでかかったが――この部屋を引き払うにあたって最後の不動産会社立ち合いの部屋の確認作業とか、どうしても終わらない作業が残ってしまう。



「まぁ、普通は一か月前ぐらいから申請してするものだし、仕方ないわよね。そう思って母さんに代理でやってもらう為に色々と必要な書類とか色々この前渡しにいってお願いしてきたわけだし……。」



 時間が少ない中でこれだけできていれば充分だろうと、だいぶ変わった部屋の様子を眺めながらひとりウンウンと頷く。

 そこへ――ピンポーンと玄関のチャイム音が鳴った。



「は~い!」


「こんばんは。ミサキ……さん。」



 ドアを開けると、来ると約束していた通りレイモンが立っていた。



「レイモン! さっ、どうぞ。」



 もう殆ど何もなくなった部屋の中へと、私はレイモンを招き入れた。



「失礼します……。」



 明日には結婚の為に一緒にレイモンの国に飛び立つというのに、私の部屋にレイモンが入ったのはこれが初だということになんだか不思議な気持ちがした。



「ふふっ。もうすぐ結婚するっていうのに、なんだか不思議ね。」


「そう……かな?」


「うん。だって、私の部屋の中に入ったのってこれが初めてよ。しかも出会ってから一週間しか経ってないの……。人生ってどこでどうなるか分からないものね。」



 ギリギリの時間となってあとは旅立つだけとなった私に少し心の余裕が生まれ、この先から人生が変わるのだという実感から思わず笑い声が零れたのだった。



「ミサキ……さん。不安はないかい?」


「ないっ!――って言ったら噓になるわね。でも、あなたがいるなら平気よ。」



 その言葉に、レイモンはホッとしたような顔をしていた。

 この夜、何もなくなった部屋の中で二人、大判のブランケットに包まって仮眠をとった。



「さあ――出発よ!」



 夜も明けていないまだ空の暗い早朝、レイモンに起こされて私は家を出た。

 ガチャリと閉めた家の鍵はそのまま封筒へと入れ、封をしてポストに投函した。


 一応マスターキーは渡してあるけども、持っておくこともできない私は最後の作業をしてもらう母へと送り、そのまま不動産会社に返すことにしたのだった。



「これでスッキリね!」



 レイモンへと晴れやかな表情を見せて笑いかけると、逆にレイモンの緊張感が増していっているのに気が付いた。

 私がどうしたのかと顔を覗き込むと、目が合ったレイモンは少し上ずった声でこう話すのだった。



「さ、最後に――記念に桜を見に行こう。」


「いいけど……そろそろ少し散っている頃よ? 時間は大丈夫?」


「大丈夫! 記念に――ねっ。少しだけ。」



 どうしても最後に日本の象徴ともいえる桜を見たいというレイモンに、私も最後かもしれないとその提案に乗ってついて行くことにした。


 日曜日にデートしたあの場所、お花見スポットへと始発の電車に乗って向かう。

 電車の中も街中も人がまばらで少なく、いつも通っている道もまるでどこか別の場所のようだった。



「わ~ぁ…………。」



 少しばかり明るさの見えだした空を背景に、緩やかな風に乗ってチラチラと舞う薄ピンクの桜の花びらはどこか幻想的で――感動した。

 そんな私を置いておき、レイモンはキョロキョロと周りを警戒して気にしている様子であった、



「――――?」


「ミサキ……さん。どうか驚かないでね。――できたら目を瞑っていてほしい。」



 何が何やら分からなかった私はサプライズプレゼントでも渡されるのかなって程度に捉え、いわれるがまま目を閉じた。



「――――キャッ!」



 すると私の腰の辺りを掴んで抱き寄せる手の感触が当たった。



「ちょっとだけ……ちょっとだけ、ごめんなさい。夜が明けるまでは――。」



 その言葉で手の主がレイモンだと分かったので抵抗はしなかった。

 目を閉じる前、それは夜明けの直前だった。


 横では私の分からない外国語でレイモンが何かブツブツと呪文めいたものを唱えだす。

 数分の後、目を閉じていても分かるほどの眩い光線に襲われてギュッと目に力を入れた。


 と――――。



「もう、大丈夫だよ。」



 優し気なレイモンのその言葉を信じ、恐々と私は目を開けた。

 とはいっても、先程の眩しすぎる光の所為で視界もぼんやりとしていたのだが……。



「――――はいっ?」



 一目でそれがおかしいと私は気が付いた。

 目に入ったのは桜ではなく、外でもなく……おそらく日本でもなければ――――地球でもないことに。



「ごめんね。騙したように連れてきてしまって……。それと、色々と言えなかったことも多かったわたくしをここまで信じて付いて来てくれてありがとう。」



 横にいたレイモンはスッと私の目の前に立ち、片膝を突いてお辞儀をした。



「今こそ本当のことを言うよ。ここはミサキ……さんの居た日本――いや、地球からいえば異世界と呼ばれる場所。その異世界での世界一位である大国、エムロード皇国のわたくしの領地にある家の一室。」


「――――りょ、領地?」


「そう……。わたくしの本当の正式な名は――レイモン・コーム・ヴァレール・アルヴィエ。公爵の地位を我が皇帝から賜り、この地を治めることを任されている貴族の一人なのです。」


「きっ――――へっ? ――えぇっ?」



 頭が付いて行けずにパニックになっている私の手を取り、手の甲に額を付けてレイモンは懺悔し始めるのだった。



「怒るのも無理はないと分かっている。ミサキ……さんからならば、わたくしはどんな罰でも甘んじて受けよう。だけど落ち着いて聞いてほしいんだ。」



 私の手を握るレイモンの手が過度の緊張から汗ばみ、プルプルと震えだしているのが分かって私は逆に落ち着きを取り戻しつつあった。

 一旦、これからともに人生を歩むパートナーであるレイモンからちゃんと話を聞こうと深呼吸をし、なんとか思考力がそれなりに戻る程度には落ち着いた。



「ちゃんと――私に本当のことを話してください。今まで話していたのは全て嘘なんですか?」



 私の言葉に反応するように、繋いだ手をギュッとレイモンは握ってきた。



「両親から受け継いだ『家業』というのは公爵という地位と、その領地の事。――あとは本当の事です。勿論、遠縁の者から乗っ取りにあいそうになっているって言うのも本当です。ただ――。」


「――ただ?」



 そこまで話すとレイモンは急に目を伏せてモジモジとしだした。



「わたくし――いえ、わたくしの家には代々呪いがかけられていまして……。この家に生まれてくる男子は代々必ず、運命の(ひと)以外には心も体も反応せず……つまりは神の定めたそのたった一人の運命の(ひと)としか子作りができない体なのです。」


「こっ――!」



 『子作り』という言葉に過剰反応をしてしまった私はボンッとお湯が沸騰でもするように顔から湯気を出し、顔を真っ赤に染めた。



「まだうら若き淑女(レディ)に向かってする話ではないので少々わたくしも躊躇(ためら)われたのですが……。今は正直に話さなければと……思いまして…………。すみません。」



 恥ずかしがる私を気遣いながらも、レイモンは私以上に照れて目を床に向けていた。



「ですから長年、この公爵家の跡取りであるわたくしはその運命の(ひと)となる存在を探してきました。ですが――この国、更にはこの世界には居ないと知り……。著名な占い師に視てもらった結果、地球という世界にいるミサキ……さん。あなたがそうだと分かり、渡界したのです。」



 下から上目遣いで懇願する様に見つめてくるレイモンに、私はドキドキと心臓が早鐘を打つのを感じた。



「嘘――のように感じられるでしょうが……これが事実です。わたくしの運命の(ひと)であり、初恋のひとであり、生涯唯一恋をし、愛したひと。ミサキ……さん。呪いが無くとも、きっとわたくしはあなたに恋をしたことでしょう。」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ