シャーロットを妻にするということ
夜、寝台に入り目を閉じると、いつも瞼の裏に浮かぶのは、自分の姿を見つけると花のように笑うシャーロットの姿。
金糸のような美しい髪に、透き通ったサファイアの瞳。絹のように滑らかな白い肌に、目鼻立ちのはっきりした顔。
シャーロットは昔から、人形のように美しかった。
ルーカスは自分でも面食いだなと思う。
初めてシャーロットの姿を目にした時、彼はその美しさに心を奪われた。
シャーロットは、突然現れた義兄に戸惑う様子もなく、ルーカスを見つけては、いつも嬉しそうに笑顔で駆け寄った。
そして、要領の悪いルーカスを『自慢の兄だ』と言って笑う。
美しい容姿には不似合いなほどに、無邪気で天真爛漫な可愛いシャーロット。
ルーカスはあの頃からずっと、シャーロットに恋をしていた。
ずっとずっと、長い間シャーロットだけを見てきた。
だからルーカスは、シャーロットに幸せになって欲しかった。
愛しいシャーロットが皆に祝福され、幸せそうに笑いながら嫁ぐ日が来るのなら、その側に立つのは自分でなくても良かった。
***
王宮には、王太子の来客のためによく使われる応接室がある。
日が昇り、外が明るくなってきた頃、その部屋には二人の男がいた。
一人はソファで足をくみ、不機嫌なオーラを隠すことなく前面に押し出している、銀髪に翡翠の瞳を持つ大層美しい男。
そしてもう一人は、その前で額を床にこすりつけるようにして何かを懇願する、癖のある黒髪を持つ三白眼の男。
銀髪の男は徐に口を開く。
「休日は妻と過ごすと決めているのだが?ルーカス」
「そこを何とかっ!!」
銀髪の男こと、王太子レオンは、友であり自身の部下でもあるルーカスに、久しぶりの休日を潰されて苛立っていた。
朝っぱらから、半泣きで「話を聞いてくれ」とレオンの元を訪れたルーカス。
尋常でないほどに悲壮感を漂わせている王太子の側近の姿に、城の衛兵は思わず中に通してしまったらしい。
そして通された部屋で大人しく待っていたルーカスは、乱暴に扉を開け、鬼の形相で入室してきたレオンを見て、これは追い返される流れだと瞬時に判断した。
故に彼は今、床に額をこすりつけるようにして、どうか話を聞いてくれと懇願しているわけだ。
「ルーカス、私は朝食もまだなのだが」
「殿下が朝食を召し上がっておられる横で、俺は勝手に話をするだけなので!聞いてくださるだけで良いので!!ほんとお願いします!」
レオンはため息をつきながら、土下座する友を見下ろしていた。
早朝に押しかけてくる無礼極まりない友に、ため息が止まらないレオンだが、何だかんだと彼には甘い。
なんだか憎めない男ルーカスは、結局は次の休みは連休にできるようスケジュールを調整する事を条件に、話を聞いてもらえる事となった。
「で?何の用だよ」
天気が良いので、外の空気を吸いながら朝食を摂ることにしたレオンは、応接室のバルコニーへ出ると、向かいにルーカスを座らせた。
そして、メイド達に朝食の用意をさせる。
ルーカスは、テキパキと仕事をこなすメイド達を眺めながら、もじもじと手元をいじりだした。
レオンはそんなルーカスを、頬杖を突きながら半眼で見る。
「お前だって、休日は結婚式の準備で忙しいのだろう?こんな所にいて良いのか?」
「そ、それはそうなのですが…」
ルーカスは半年ほど前、義妹であったシャーロットの押しに負けて、彼女と婚約をした。
そしていつの間にか、気がついたら来月結婚式を挙げることになっていた。
「早くないですか?婚約から結婚まで早くないですか?」
「…まあ、少し早い気もするな」
ルーカスは困惑した表情を浮かべる。
レオンも、確かに早いとは思っていた。
通常、婚約から結婚まで最短でも1年はかかる。結婚の挨拶から手続きから、貴族の場合は色々と面倒なのだ。
だが、レオンにはこれだけスピード感のある展開になっている理由に心当たりがあった。
「結婚式については身重な姉を慮って、安定期にある今を狙ったのだろう」
レオンの妻で、シャーロットの姉でもあるミリアは現在妊娠中だ。
産後、赤子を連れて結婚式に参列するのも大変だろうと、シャーロットは安定期に入っている今、結婚式をすることにしたのだとレオンは言う。
「結婚式も簡素なものにしているようだし、男としてはかなり楽をさせてもらってるんじゃないか?」
レオンは朝食を運んできたメイドに、ルーカスの分の軽食も用意するように指示すると、プレートのトマトを端に避けながら興味なさそうに言う。
だが、レオンの言う通りで、結婚式に関してはルーカスが不安になる要素などない。
式の段取りは全てシャーロットが決めているし、式も身内だけの簡素なものにしているため、ルーカスは普通の花婿よりかなり楽をさせてもらっている。
「し、しかし…。姉上の産後、落ち着いてきた時期に結婚しても遅くないとは思うのですが…。わざわざ身重の姉上に無理をさせずとも…」
「まあ、ミリアも早く妹の花嫁姿が見たいと言っていたしな。本人が問題ないと言っているんだ。何の支障もあるまい」
レオンは朝食を頬張りながら、むしろ、早く結婚まで漕ぎ着けるように助言したのはミリアだということを思い出した。
ミリアは、先延ばしにしてルーカスの決意が揺らがないうちに、早いこと結婚してしまえと妹に助言した。シャーロットはその助言を素直に聞き入れ、結婚式の準備をサクサクと進めているというわけだ。
運ばれてきたサンドイッチを食べながら、暗い顔をするルーカスを、レオンは怪訝な顔で見る。
「何が不満なんだよ…」
「何か、あれよあれよという間に、気がついたら来月結婚式で…その…。急に不安になってきたというか」
俯きながら、またしても、モジモジと話すルーカス。
レオンはこの感じを、どこかで見たことがあると考えていた。
(あれだ、マリッジブルーってやつだ)
どうせルーカスに言っても、力一杯否定するだけで面倒なので口には出さないが、どう見ても彼はマリッジブルーだった。
レオンは「はぁー」と声に出してため息をつく。
「覚悟を決めたんじゃなかったのかよ…」
「か、覚悟は決めたんですよ?決めたんですが…なんというか…」
はっきりしないルーカスに、レオンは少し苛立つ。
「ルーカス、もういい加減に諦めろ。どうあがいても、お前はシャーロットから逃げられないんだよ」
「まさに人生の墓場…」
悲壮感を漂わせ、まるでシャーロットとの結婚が不幸であるかのように言うルーカスに、レオンはフォークを突きつける。
「言っておくがお前の悩みは贅沢なんだぞ?あのシャーロットが妻になるのだから」
「フォークを人に向けないでくださいよ」
「ナイフじゃないだけマシだろ」
シレッとそう言うと、レオンはフォークを下ろした。
「わかっていますよ。俺はシャーロットには不釣り合いです」
ルーカスは不貞腐れたように言う。
シャーロットは美しく聡明で、社交界では高嶺の花だ。男なら誰でも彼女を欲しがる。
本来なら、そんなシャーロットが頼りない義兄なんぞの手中に収まるなど、他の貴族連中が黙っているわけがない。
そう、普通は…。
「殿下!俺は怖いんですよ!何故、皆こんなに祝福してくれるんでしょう!?」
ルーカスはテーブルを勢いよく叩くと、青い顔をして立ち上がる。
結婚の挨拶に行くたびに、嫌味を言われることもなく、心からの祝福の言葉をもらってきたルーカスは、逆に不自然だと怖がっていたのだ。
そんな彼を見て、レオンは驚いたように尋ねる。
「…お前、もしかして知らないのか?」
「何をですか?」
キョトンとするルーカスに、レオンは額を押さえて深くため息をついた。
そしてジトッとした目でルーカスを見る。
「知りたいか?祝福される理由」
「知りたいような、知りたくないような…」
ハッキリしない答えに、レオンは思わず舌打ちした。
「舌打ちしないでくださいよ」
「お前がハッキリしないからだ。もういい、聞け。シャーロットを知る事はお前の義務だ」
そう言うと、ルーカスを座らせ、問答無用で話し始めた。
「2年ほど前、バルド伯爵が横領の罪で摘発された件、覚えているか?」
「それは、まあ。覚えていますが…」
2年前、国庫の管理の一端を任されていた財務部の官僚バルド伯爵が、横領の容疑で摘発された。
伯爵は他国とつながっており、横領した金で武器を買い込んでいたという。
この摘発がなかったら、この国は今戦火にあったかもしれないと言われている。
「伯爵には疑わしい動きがあったが、一向に尻尾が掴めなくてな。頭を抱えていた所に、ふらっとシャーロットが現れて、決定的な証拠となる裏帳簿を持ってきたんだ」
「え、あれはアデル子爵が摘発したのではないのですか!?」
当時、いつもバルド伯爵に目の敵にされていたアデル子爵が、まるで意趣返しのようにバルド伯爵に証拠を突きつけたのだとされている。
そう信じていたルーカスは、驚きのあまり声が大きくなる。
レオンはそんなルーカスの口に、プレートの端に寄せていたトマトを突っ込んだ。
ルーカスは渋々、突っ込まれたトマトを咀嚼し、飲み込む。
「ほんとトマト嫌いですね」
「これは人間の食べるものではない」
「はいはい。ホントその辺はいつまでも子どもですよね」
小馬鹿にしたように言うルーカスが腹立たしくなったレオンは、咳払いをして横領事件の続きを話し始めた。
「確かに、証拠を持ってきたのは子爵だ。だが、正直者の子爵はそれを自分の手柄ではないと話したそうだ。そして、シャーロットの名を出した」
レオンが知る、横領の事件解決の真相はこうだ。
シャーロットは元々、アデル子爵の娘と親しくしていた。
そして娘の話から、正直者の子爵がバルド伯爵から嫌がらせを受けていることを知った彼女は、横領の証拠を探し始める。
そして掴んだ証拠を、子爵の娘に託した。
子爵の娘は、それを友人のシャーロットからだと言って、父に渡す。
子爵はその証拠を持参し、王に横領の事実を進言する。
王は子爵に褒美を与えようとするが、正直者の子爵は、それは自分の功績ではないと告げ、シャーロットの名前を出す。
王は褒美を与えようとシャーロットを呼び出した。そして、どんな褒美が欲しいかと尋ねるとシャーロットこう言った。
『私は、私の知っていることを子爵様にお伝えしただけです。実際に行動を起こし、我が国を戦の危機から救って下さったのは、紛れもなく子爵様です。褒美はどうぞ、彼にお与えください』
「こんなことを言われたら、陛下も『なんて謙虚な娘だろうか』と思うだろう?いつか、この娘が自分を頼ってきたときは全力で味方してやろうと思うだろう?」
「ああ。だから、あの手紙ですか…」
ルーカスは、シャーロットに負けたあの日。何食わぬ顔で彼女が持ってきた、王からの手紙を思い出した。
「その話は知りませんでした…」
「まあ、気づかなくても仕方がない。シャーロットも、お前の耳にこの話が入らないようにしてくれと願い出ていたしな」
食事を終えたレオンは、ナプキンで口元を拭きながら、その後の話を続けた。
メイドはプレートを下げ、食後の紅茶を用意し始める。
「どこまで計算していたのかは知らんが、あの一件の真相は、位の高いごく一部の貴族には知られていてる。するとどうなると思う?」
「どうって…シャーロットは目をつけられますね」
「そうだ。聡明で謙虚なシャーロットを息子の嫁に欲しいと考える貴族が出てくる」
幸いなことに、どんなにシャーロットが優秀でも、姉が王太子妃である以上、彼女が王家に嫁ぐことはない。
王家に遠慮しなくて良いとなれば、真相を知る貴族たちは皆、シャーロットを自分の息子の嫁にしたいと考えた。だが、成人を迎えていないシャーロットはまだ婚約ができない。
だから、いずれその時が来たら真っ先に婚約を申し込むことができるように、真実を知る貴族たちは、横領事件を解決したのは彼女だと知りながらも、それを隠した。彼女の優秀さが知れ渡り、ライバルが増えると困るからだ。
そして、貴族たちはシャーロットを無理やり手に入れようとする不届きな輩がいないかを、互いに監視するようになる。
そうやって睨み合いを続けながらも、親に付いて夜会に出てきた彼女に対しては、競い合うように声をかける。自分の息子の名を覚えてもらおうとして。
だから、いつもシャーロットの周りには人が集まっていた。すると当然のように、いつも人々の中心にいる彼女の噂はたちまち社交界へと広がり、更に注目を集める事となる。
「シャーロットは一度でも言葉を交わせば、皆が聡明な娘であると気づく。加えてあの容姿だ。どんな男でも欲しくなるだろう?」
こうして、シャーロットは徐々に自分の価値を高めていったのだと、レオンは言う。
「いつも囲まれているとは思っていましたが、そんな経緯があったとは…」
当時は、ただシャーロットが美しいから人が寄ってきているのだと思っていたが、どうやらそれだけではなかったらしい。
ルーカスは、シャーロットならこのくらいの事はやりそうだと、妙に納得した。
「そして、皆がシャーロットを手に入れようと睨み合いをしている中で、成人を迎えた彼女に、突如として義兄との婚約話が持ち上がる。するとどうだ?こうは思わないか?」
『他家に取られるくらいなら、宮廷でも中立派の侯爵家から出さない方が良い』
価値の上がりすぎたシャーロットは、どの家に嫁いでも貴族社会のパワーバランスを崩してしまう。
そう考えた貴族たちは、ルーカスと彼女の結婚を後押ししたというわけだ。
レオンはメイドが持ってきた紅茶に口をつけ、「そういえば」と呟く。
「お前は、自分が女遊びをしているという噂を流そうと必死になっていたようだが、皆はあれが嘘だと気付いていたぞ?」
「ええ!?」
ルーカスはまた、大きな声を出してしまい、レオンに睨まれた。
咄嗟に目を逸らし、外の景色を見ると遠くで烏の鳴き声が聞こえた。
「烏も阿呆と言ってるぞ」
「最近の烏は無礼なやつが多いです」
「烏に礼儀を求めるなよ」
ルーカスは小さくため息をつく。
彼がシャーロットから逃げようと阿呆な画策をしていることなど、周囲にはバレバレだった。
そして、臣下としては優秀でも、謀りごとなどできそうもないルーカスなら、シャーロットを任せても良いだろうと貴族達は考えた。
そういった事情も後押しして、シャーロットは、ルーカスが望む『皆に祝福される結婚』を実現する事ができたのだ。
往生際の悪いルーカスは、恐る恐る向かいのレオンに尋ねる。
「さ、宰相閣下は、兄妹で結婚など嫌がりそうなものですが…」
「宰相は子爵を重用しているからな。子爵の味方をしたシャーロットが幸せになれるのなら、と言っていた」
「しかし、教会は…」
「大司教とシャーロットは茶飲み友だちだ。3年ほど前から」
なんでも、大司教は孫のようにシャーロットを可愛がっているらしい。
「早くに妻を亡くし、子もいない彼にとってシャーロットは救いだったようだな」
シレッと言うレオンに対し、ルーカスは開いた口が塞がらなかった。
どこまでも用意周到な女、シャーロット。恐るべし。
唖然とするルーカスに、レオンはさらに追い討ちをかける。
「ちなみに、俺はずっと前からシャーロットには逆らえない」
「何故に!?」
「覚えてるだろ?ミリアとの結婚を後押ししたのは彼女だ」
「…そういえばそうでしたね」
ルーカスは姉が婚約した頃の出来事を思い出した。
当時、王太子レオンには王妃の親族があてがわれる予定だった。しかし、レオンはミリアに恋をした。
そして、レオンは馬鹿正直にその事を王妃に告げる。それを知った王妃は、大層怒り狂ったという。
そんな怒れる王妃をなだめたのが、他でもないシャーロットだ。
「初めて母上の茶会に出席したシャーロットは、その日のうちに母上を篭絡した。次の日、すぐにミリアと婚約するようにと母上が言ってきたときには驚いたよ」
レオンは遠い目をした。
当時、シャーロットは確か10歳になったばかりだったな、などと物思いにふける。
ルーカスは、一体どんな手を使ったのかと考えると鳥肌が立った。
「そ、そんな娘を野放しにして良いのですか」
「野放しにできんから、お前が引き取れと言ってるんだよ」
シャーロットの才能は、一歩間違えれば国を傾ける。
レオンは真剣な眼差しで、ルーカスの目を見た。
「いいか?ルーカス。シャーロットを妻にするということは、アレを御せということだ。シャーロットの能力が悪用されぬよう、シャーロットがその能力を悪用せぬよう。だからお前たちの結婚は王命なんだ」
家族を愛するシャーロットが、姉の嫁ぎ先である王家に牙を剥く事はない。
横領事件とその他もろもろに関するシャーロット一連の行動は、義兄との結婚を実現させるためのものであり、そこに他意はない。だが、それはシャーロットがその気になれば何でもできてしまうという事。
「シャーロットは無意識に人を惹きつける。そして、意識すれば人の心すら動かせる能力を持つ。その能力は使い方を間違えるとこの国にとって、とんでもない爆弾となる」
レオンは低く言い放つ。
シャーロットが味方になれば、心強い事この上ないが、敵に回せばそれは破滅を意味する。
それ程までに厄介な娘なのだ。
動揺を隠せないルーカスは顔を伏せた。
そんな彼を、レオンは鼻で笑う。
「今更怖気付いたか?返品するなら今のうちだぞ?」
今ならまだ、他家に嫁がせることもできる。
だが、ルーカスはすぐ顔を上げて、困ったように笑った。
「今更、無理ですよ」
今更シャーロットを手放すなど、彼にできるわけがない。
ずっとずっと好きだった大切な女の子だ。
その笑顔に惚れ、その笑顔を守りたいと思った大切な女の子。
自分のことが好きで仕方がないシャーロットを今更手放し、彼女を悲しませるなどルーカスにはできなかった。
たとえ厄介な娘でも、ルーカスにとってシャーロットは、ただの可愛い義妹であり、ただの婚約者だ。
ルーカスは立ち上がり、覚悟を決めたように、真っ直ぐにレオンを見た。
そして頭を下げる。
「早朝から失礼いたしました、レオン殿下。シャーロットの元に帰ります」
「おう、是非ともそうしてくれ」
しっしっと追い払うように手を振る。
そして、レオンはふぅと小さく息を吐いた。
ルーカスと結婚するためだけに、これだけ奮闘したシャーロットに、今更他家に嫁げと言うなど、それこそ彼女がどんな暴挙に出るかわからない。ルーカスの返事を聞いて、レオンは内心ほっとしていた。
「では、私はミリアの検診にでも付き添うかな」
レオンは背伸びをした。
「今日は検診の予定でしたか、失礼しました」
話してスッキリしたルーカスは、笑顔でそのまま退室しようと扉の方に足を向けた。
しかし、ふと気がついてしまった。
「姉上はもう母になるのですね…」
ルーカスは遠くを見つめ、ボソッと呟いた。
「そうか…殿下と姉上も子供ができるようなことしたんですね…」
その発言に、レオンは思わず飲んでいた紅茶を吹き出してしまった。
控えていたメイドが、慌てて拭くものを持ってくる。
「汚いですよ、殿下」
「誰のせいだと思ってるんだよ!」
「…殿下、もう一つだけ聞いてくれますか?」
ルーカスはまた、神妙な面持ちで言う。
どうせまた面倒くさい事をウジウジと考えているのだろうとわかりつつも、ここまで付き合ったのだから最後まで話を聞いてやろうと、レオンは思ってしまった。
「聞きたくはないが、仕方がないので聞いてやろう」
腕を組み、心底面倒臭そうな顔をしながらルーカスを見る。
ルーカスはもう一度椅子に腰掛け、気恥ずかしそうに前髪を触りながら、髪の隙間からチラリとレオンの方を見た。
「俺、シャーロットとの初夜が怖いんです」
その言葉に、レオンは数秒思考を停止する。
そして、立ち上がり一言。
「帰れ」
「ああ!待って!!お願いします聞いてください!お願いします!」
立ち去ろうとすると、ルーカスに袖を掴まれた。
レオンは呆れた顔をしながら仕方なく、また椅子に腰掛けた。
「何が怖いんだよ…。そのセリフは女が言うセリフだろうが」
怖いことなどあるものか、とレオンは言う。
初夜で、怖い思いをするのも、痛い思いをするのも女であるシャーロットだ。
「いや、考えてみてくださいよ。ついこの間まで妹だったんですよ?」
「妹だが、義理だろ?」
「シャーロットと同じ事を言わんでください」
ルーカスの言いたい事はわかる。ついこの間まで妹だった女を抱けと言われてもそう簡単に割り切れるものではない。
だが、それはルーカスには当てはまらない事をレオンは知っていた。
レオンは往生際の悪い友の額に、人差し指を突きつける。
「ルーカス。お前は妹である事を理由に、ずっとシャーロットから逃げていたが、そもそもお前は初めからシャーロットを意識していたらしいじゃないか」
「一目惚れだったんだろ?」とレオンは不敵に笑う。
「何故それを知って…」
「ミリアから聞いた」
ルーカスは顔を赤くした。
お喋りな姉を持つと、弟は苦労する。
「お前は初めから、一度だってシャーロットを妹として見ていなかった。それを今更妹妹と、往生際の悪い」
「いや、しかしですね、殿下…」
「ああ、もしかしてアレか?兄妹ではなくなって、合法的に手が出せるとなれば、歯止めが利かなくなりそうで怖いのか?」
「ち、ちがっ!?」
図星だったのか、ルーカスは耳まで真っ赤にして、わかりやすく狼狽える。そんな彼に、レオンはニヤニヤと意地の悪い笑顔を向けた。
ふと、バルコニーの下から、「お兄様」とルーカスを呼ぶ声が聞こえた。その声は愛しい婚約者の声。
どうやらレオンは侯爵家に使いを出し、シャーロットを呼び出していたようだ。
「ルーカス、タイムリミットだ。諦めろ」
ルーカスは、迎えに来たシャーロットに連行されて行った。
***
初夜。
寝台には、メイドに磨き上げられ、何だか神々しい光を放つシャーロットと、何故か小刻みに震えているルーカスの姿。
「お兄様、あの、大丈夫ですよ?無理に今日初夜を迎えなくても…」
シャーロットは珍しく困り果てていた。
目の前に、顔面蒼白の夫がいるからだ。
何故か小刻みに体を震わせているルーカスを、シャーロットは困った顔で見つめる。
初夜、寝台で人生の終わりのような顔をするなど、女性に対して失礼極まりない所業だが、シャーロットは呆れるよりも先にルーカスが心配になる。
「だだだだ大丈夫。大丈夫だ。問題ない」
「けれど、顔色があまり良くありませんわ」
「心配するな。大丈夫だ。問題ない。いや、問題はあるかもしれないが問題ない」
ずいっとルーカスに顔を近づけ、自分の額を彼の額に引っ付けた。
「熱はなさそうですね?」
ルーカスは突然のことに固まる。
直ぐ目の前にはシャーロットの美しい顔。視線を下に向けると、夜着の隙間から見えるシャーロットの胸元。
(あ、意外に大きい)
心の中で、本能で反射的にそう思ってしまったルーカスは顔を真っ赤にし、寝台に突っ伏した。
そして枕を抱きしめ、ゴロゴロと寝台を移動する。
「あああああ!違う違う違う!違うんだ!!俺はそんな不埒な事は思っていない!決して!決して!!」
理解不能なルーカスの行動に、シャーロットは困り果てていた。
「えっと、お兄様、私はお兄様がしたくないと仰るのなら本当に…」
少し寂しそうな顔をするシャーロットの肩をガシッと掴み、ルーカスは真剣な目をして言う。
「頼むから!頼むから、お兄様と呼ぶのはやめてくれ」
「は、はい」
ルーカスのその謎の迫力に気圧され、シャーロットは「お兄様」という言葉を封印した。とりあえず。
シャーロットは、首を傾けながら
「えっと…お酒、飲みます?」
とルーカスに尋ねる。
ルーカスは無言で頷いた。
結局、最後まで覚悟の足りていなかったルーカスは『妹を抱く』という状況に耐えきれず、酒の力を借りた。
翌朝、ふと隣に眠る妻の姿を見ると、彼女の白い肌にはおびただしい数の鬱血痕があった。
………おまけ………
後日、姉ミリアが呆れたように「そんな初夜で良かったのか」とシャーロットに尋ねると、彼女は花の蕾が綻ぶように笑い、
「はいっ!幸せです!」
と言った。そして、詳しくその時のことをミリアに話し出す。
姉妹の間に、隠し事はなしだ。
初夜でルーカスが『兄と呼ぶな』と言っていたくせに、最中には『兄と呼んで欲しい』とほざいていた事は、この日の内に、王太子レオンの耳に届くこととなった。
レオンはドン引きした顔で言う。
「あいつ、変態だな」
ルーカスは変態でしたね。
ヘタレすぎるルーカスを、どうぞ生暖かい目で見てやってください。
人によってはちょっとイラッとするタイプかも知れませんが、どうかご容赦ください_:(´ཀ`」 ∠):
シャーロットシリーズは、また気分が乗れば書きます。




