夏半袖で極寒トリップ
ははあー。
圧倒される。幾十いや幾百か。人が整列し、頭を下げ、拝している。
これがもし、通常運転の俺ならば、その壮観さに驚いただろう。何せ、平凡な家庭に生まれた男だ。月十万ほどのマンションに父と母と弟。
頭を下げられるより下げる方が多かった、下っ端社員。23歳。
「御仁よ」
正面に頭を下げた、真っ白い顔の男が、狩衣に似たゆったりとした衣装を揺らして礼をする。正直、答えるどころじゃない。
ガタカチカチ、カチカチガチガチ。細かな音が、耳殻まで響いている。
歯の音が合わない。その意味をはじめて知った気がした。
流生 広基、銀色の雪の中で、かちかちに凍りついた台座に座らせられている。じんと素肌に響いた。
当然だ。俺は、半袖半ズボンの真夏真っ盛りからいきなり此処に連れて来られたのだから。
「御仁よ」
俺は喋れない。段々と全身が凍り付いてくるような錯覚。感覚がなくなっていく。
「お願いだ、我らを救ってくれ」
その前に俺を救って欲しい。というか何故誰も防寒していない俺の苦境に気付かない。全員、それぞれ暖かそうな着膨れをしている。俺のすぐ足元に平伏している人なんて、一瞬毛玉と見紛う程の重装備。軽装な人は、目の前の狩衣だけだ。
冬服の中に夏服以上の違和感を、誰か指摘してくれ。
「我らは、今窮地。このままではユビ族に支配されるも時間の問題」
「今度こそ、我らにみことばを」
あかんわ。俺は思った。どことも知れないこの場所で凍死することになるだろう自分について。気が遠くなりそうな中、突然、金切り声が上がった。
「来たぞ!ユビ族だ」
一瞬だった。一瞬で彼らは立ち上がるや方々逃げ散った。
まるで出来レースのような見事さで、ユビ族と呼ばれた毛皮をもこもこにに着込んだ男たちが俺を取り囲んだときには、人っ子1人影も形もない。
男の中の1人が、威圧感凄まじく進み出て俺に問いかける。
「貴様が御仁か」
真っ白い毛皮を、緩く腰に巻き付けている。奪えそう。
俺は、とっさに白い毛皮を掴んで引っ張った。しゅるり。下履きが見えた。白い。男は、否、男たちは俺の予想外の行動に固まった。すまん、まさか素肌にin毛皮とは……知らなかったので勘弁して欲しい。此方は、死活問題である。
とりあえず、奪い取った毛皮を羽織る。ポンチョのように上半身のみだが、暖かい。脚が冷たいが。贅沢は、言ってられない。
さらに、その横。視線を流して、首輪に繋がれた巨大な鳥を発見した。なんともふもふしていることか。
今、俺は、生存本能中心に動いていた。
いやあ、昔忍者部とか意味分からないサークルに入ってて良かった。いかに素早く生き残るに最適な行動をとれるかというので、炎天下に水の入ったペットボトルを1本腰にぶら下げた部員全員でグラウンド戦闘とか。警備員の誰何さんから何かを盗ってきてまた戻すとか。
意味が分からなすぎて、大学側も認可してなかったサークル。
俺は、回想しながら、巨大鳥に飛び付きまたがった。首輪といっても、縄だったので、忍者部以下略の技術で1秒突破。
横腹を蹴ると、巨大鳥は驚いて翼を広げた。丁度良い、このまま逃げよう。
「逃げるぞ!」
「待て、ヴ**セ*ル!」
不鮮明な発音が混じっていた。なんだ、ヴィセル? この鳥の名前だろうか。
巨大な鳥は、細かな積雪を舞い上げて灰色の空へ羽ばたいた。
3日経ちました。半袖半ズボン上にポンチョな皮というスタイルのままです。
あの時逃げ出したお供の巨大な鳥は、完全に俺を自分の雛か子供だと思い込んでいる節がある。高い崖の上にある洞窟のつららを体当たりで壊して、ねぐらにしたヴィセルは、毎夜毎夜、俺を潰さない程度に懐に押し込んでくれた。
魚とかうさぎとか(冷凍されてるが)狩ってきてくれている。
火がないので、食えんが。
「餓死か」
儚いというより、訳分からん人生だった。そう、考えながら、うつらうつらしていたときだ。
「ヴ**セ*ル…?なぜ、こんな場所に」
透明度の高い声が俺の耳に滑り込んでくる。
あ、チャンス。食料調達の。力の入らない四肢を動かし(2日でここまでガタがくるとは正直思わなかったが、よくよく考えると三食きっちりがっつり食ってた燃費悪い身体だったわ俺)、ヴィセルの下から這い出した。
「あの、すみません。食料恵んでくだ…」
「貴様は!」
「あれ?」
腰に巻かれた毛皮の下がり具合に見覚えがある。
「俺のマルトを返せ!」
凄まじい殺気に、俺より先にヴィセルが反応した。
ギョボギョボ!
と威嚇だろうか。不思議かつ不気味な鳴き声と共に、ヴィセルは鋭い嘴を男に突き出す。
待てヴ**セ*ル!と、慌てたように男が静止をかけるが、全くもって効き目はない。
ヴィセルは、張り切ったミシンのごとく、カカカカカとひたすらに嘴を繰り出している。岩肌が削り飛ぶ。男が必死に避ける傍ら、若干、ヴィセルが楽しそうなのは、見ないふりをした方が良いのかもしれない。
それにしても…。
「腹減った」
「ヴ**セ*ル****!」
男が何か低く呟くとヴィセルの動きが完全に静止する。
男は、荒い息を吐きながら、ぐったりヴィセルにもたれかかる俺に近付いてきた。
「御仁」
すでにその声には、殺気も怒りもなかった。気が削がれてしまったらしい。
「ゴジンじゃねえ、広基だ」
「ヒロ、キ…は、腹が減るのか」
「ああ、減るなあ」
「御仁らは、人でないゆえに食べることをしないのだと思っていた」
「詳しいことは置いとくとして、食料、いや火を恵んで欲しい」
「…御仁らは雪が母だと聞いている。火など当たって溶けぬのか」
誤解が激しすぎる。なにがなんだかさっぱりだが、それだけはわかる。
薄闇の中、男を見た。
近付く度に揺れる長髪。灰色? いや、白かもしれない。綺麗な腕の線を辿ると、毛皮の衣装。前に見たとき彼ら全員が被っていた帽子は、今はない。怜悧な顔立ちだ。すっと下に入る顔の線が刃物を思い出す。
轟々と吹雪く背後を引き連れて、恐る恐る俺に手を伸ばしてくる。
頬に指先が触れた瞬間、びくりと大袈裟なほど肩を揺らして指を引っ込める。
「暖かい!」
「そりゃ、良かったな。とりあえず、食わないと俺死んじゃうと思うんだが、どうだろう。その辺、協力とかしてくれたりする心あったりする?」
「…しばし待て」
言うや否や、男は入り口に身を翻した。
気のせいでなければ、飛び降りたように見える。風に煽られた髪が靡いたのが見えた。
(いやいや、まさかね)
絶壁といっても良いここから飛び降りるなど、正気の沙汰じゃない。俺は、それで下に行くことを諦めたんだから。
御仁というのは、俺のように唐突に現れる者たちのことをのいうのだそうだ。何者にも侵されていない真白い大地に、ある日ぽつりと立っている。
動くときも動かないときもあるが、一貫して、誰も言葉を喋らなかったのだそうだ。彫像のように立ち尽くす、冷たい御仁たち。
いつからか、御仁たちはこの白銀の大地に遣わされた使者であると考えられるようになっていった。言葉を与えられれば、それは、きっとそれは雪たちの、または彼らこの地に住むものたちの世界の意に違いない。
ようは、俺のような境遇の人々が寒さに口を開けないまま凍死し、科学があったとしても解明できないような現れ方をしているために誤解を産んだのではないか。というのが、俺の解釈だ。
説明をしてくれたのは、ユビ族の部族長である。がっちりした体格に濃く黒い髭。この人と火を通した雑穀に似た何かを持って、長髪の男は帰ってきた。どうやって登って来たのかは、聞かないことにした。肉体派な答えが返ってきそうな予感がしたので。
俺は、落ち着かなさそうに身じろぎするヴィセルの側で無心に、恵まれた食い物を貪っていた。あれだ。忍者部以下略で、作っていた非常食の兵糧に似ている。
「ヒロキ、といったか」
部族長が、ナイスミドルなやたら良い声を出した。きっと俺と向こうに帰れば、動画サイト界か声優界辺りで素敵な活躍をするに違いない。
口が塞がっていたため、俺は、頷くだけにとどめた。無理に口を開いたら、きっと真正面に座る長髪に粒が飛んでいく。
「あなたは、我らユビ族の味方か。それとも、彼奴らアシ族の味方か」
アシ族…狩衣が脳裏に浮かぶ。多分あれらで間違いない。
「どういった基準でそれは決まるんですかね?」
「…ワシの横の男。名をツキヨミと申してな。我ら部族の次代を担う力がある。決して油断したとて、あっさりと腰のマルトを奪われるような男ではない。また、アシ族を牽制に行った部隊は優秀な者たちだ。神獣ヴ**セ*ルをあっさり奪われるような者どもではない」
俺が長髪から奪った毛皮、次にヴィセルを指さして部族長は、どういう意味か分かるか?と問い掛けた。
つまり、俺の生存本能と密接に仲良しな忍者部技術は、敵に回すと厄介だということらしい。
「分かった。…部族長さんの名前は?」
「アシペケ」
「アシペケさんと俺の約束だ。アシペケさんの敵には回らない。アシ族の味方もしない」
「…ふむ。ヒロキは小賢しいな。さすがは御仁だ」
いやいや、どっちの味方?って2択しか出さないあんたよりマシだって。
俺はこのとき、まさかこの先一生此方側で過ごさなきゃ行けないだとか、ずっと半袖半ズボンのままだとか、幸せにも知ることはなかった。
勿論、俺が変わった御仁さまとして後世に語り継がれる存在になるなんて、夢にも思っていなかったのである。
20120406
広基がトリップした世界は、原始的な生活基準。荒々しい感じで、敬語を使わないイメージ。
凍死は、有りますが、凍傷や壊死はありません。ファンタジー。