巡る、
突然、国の掲示板に張り出されたお触れに国民たちはとても驚きました。いつもは足早に通り過ぎていく風や、雲までもがそのお触れを見つめ、少し嬉しそうに音を立てていきました。冬の終わりを待ち望んでいるのは人間だけでなく、風や雲もまた同じ気持ちでした。
春が来ない。それは国民たちにとって、とても大きな問題です。雪も降り続け、作物は育たず、冬の間にと貯えておいた食料も徐々に底を尽き始めています。国民たちの間で何とか冬の女王と春の女王を交代させられないかと考えた者もいましたが、勝手にそんなことをしてしまっては王の怒りに触れるのではないかと今まで一向に動けずにいたのです。
お触れが出されたその日から早速国民たちは動き出しました。
まず、開かれたのはとても豪勢な料理が並ぶ国をあげてのお祭りでした。各家庭が少しずつの食料を持ち寄り、「我々が楽しそうにしていれば、きっと冬の女王も塔から出てきてくれるはずだ」と思ったのです。国民全員が輪になって踊り、久しぶりの豪勢な食事を楽しみ、「冬の女王様もいかがですか!」と声を掛けました。
冬の女王が塔の二階から顔を出したので、国民たちは期待に胸を膨らませましたが冬の女王は静かな声でこう言いました。
「ごめんなさい。何かを楽しむ気持ちになれないの」
冬の空気によく似合うその静かで凛とした声は、国民たちの耳にまっすぐに届き、その言葉の意味に気づいた国民たちは落胆しました。豪勢な食事も、国中に吊るした飾りも色あせて見えました。冬の女王が塔を出る意思がないということは、この先いつまで冬が続くか分からないということ。このお祭りは冬の間の貯えを無駄になくしてしまう結果になったと思ったからです。
「私の子どもたちも、国の子どもたちも、みんな春が大好きなのです。お願いですから、子どもたちに春を楽しませてあげてはもらえませんか」
ひとりの国民が一歩前へ出て縋るような声を出しましたが、冬の女王はただ静かに首を横に振りました。
「ごめんなさい。私も、春に舞う花びらが好き。淡くたなびく雲を眺めるのも好き。だけれど、冬を終わらせることが出来ないの」
その声はとても苦しそうで、国民たちが塔を見上げるとめったに表情を変えない冬の女王が唇を噛みしめていました。そのまま逃げるように塔の中へと戻ってしまった冬の女王の後ろ姿を見送って、国民たちは黙り込みました。冬の女王があんな表情を見せることはこれまで一度もなかったからです。しばらく、国民たちはその場でじっと寒さに耐えていましたが、「片づけようか。また策を練らねば」という誰かの一言をきっかけにお開きとなりました。
ひとりの男の子が何をするでもなくお祭りが終わっていく様子を見ていると、豪勢な食事をのせた大皿が運ばれていく向こうに春の女王が見えました。塔にいる間はいつも柔和な笑みを浮かべている春の女王ですが、今日は沈んだ表情をしています。
その様子が気になった男の子は祭りを片づけていく人たちをかき分けながら春の女王に近づいていき、そっと掌に触れました。女王の顔がゆっくりと男の子へ向き、少しだけいつもの笑顔を浮かべました。
「どうしましたか」
「ぼく、よくわからないけど、ふゆのじょおうさまとおはなししたい」
唐突な申し出に春の女王は少しだけ目を見開いて、またゆっくりと微笑みました。
「それはまた、どうして?」
「ぼくがともだちとけんかしたとき、おかあさんはいつもおこるんだ。ちゃんとはなさなきゃわからないのに、なぐってはいけませんって。だから、はなしたいの。なにがあったか、おはなししてみたい」
一気に話して疲れたのか、目の前の男の子はほうっと白い息を吐きだして、頬を紅くさせました。こちらを見つめる真っすぐな瞳に、春の女王は一瞬黙り込み、再び話し出しました。
「じゃあ、まず私の話を聞いてくれますか。私もずっとこのままではいけないと思っていたのです」
「うん。おはなししよう」
春の女王は男の子が分かりやすいよう、ゆっくりと話し出しました。女王の語り掛ける声がかき消されてしまわないよう、風は少しだけ歩みを遅めて、草木もその身が揺れないよう姿勢を良くしました。
女王が話した内容は、次のようなお話でした。
春の女王・夏の女王・秋の女王・冬の女王の四人は、王様の命令に従って交代をする。
交代した後、女王たちは次の番が来るまでただ静かに湖の底で眠る。夜になる度に、顔を出す月の満ち欠けを数え、こっそり話し出す草木の声を聴き、動物たちの生命を感じながら、自分の番が近づいていくのを悟る。春・夏・秋と季節を巡り、自分の番が来て塔へ上ると、冬の女王は冷たい風をずうっと発し続けた。草木は枯れ、動物たちは静かに寄り添いながら眠り、月だけがより一層美しく輝く様子を冬の女王は少しだけ切なく思った。
やがて、春の女王が訪れると暫しの連絡を終え、冬の女王は塔から凍てついた湖へと足を向ける。さくさくと自分のくるぶし辺りまで積もった雪を踏みしめ、いつも通り湖へ潜ろうと身を屈めるとぱしゃぱしゃと水をはねる音が聞こえた。不思議に思い、音がする方向を探るように左右を見回すと、はりねずみが一匹、凍った湖へ足を取られたらしく、じたばたともがいていた。
春の女王に交代したのだから、普段は草木を枯らしてばかりの私も少しは暖かくなっているかしら。
そんなことを思いながら、はりねずみをそっと掌で掬い上げ、出来るだけ優しく吐息を吹きかけながら背中を撫で続けた。ひくひくとはりねずみが鼻を動かし、くりっとした黒い瞳が冬の女王をとらえると「ああ、あなたが。ありがとうございました」と丁寧にお礼を伝えた。冬の女王もほんの少しだけ笑みを浮かべたが、他の女王たちの笑顔に比べれば引きつっているようにしか見えない笑みだ。それでも、はりねずみは朗らかに笑い、「素敵な笑顔ですね。よければ、もう少しだけお話をしませんか」と冬の女王に声を掛けた。
冬の女王はその日、湖には潜らなかった。春が終わっても、夏が来ても、秋になっても湖に潜ろうとはしなかった。はりねずみは冬の女王にとって初めて出来た話し相手であり、種族を超えた友達になろうとしていたものだから別れを惜しみ、はりねずみを残して湖に潜ることが出来なかったのだ。春は麗らかな風を受けながら生命の息吹を感じ、夏は照り付けるような陽の下ではりねずみと水遊びをし、秋には落ち葉が敷き詰められて絨毯のようになった森を転がるようにして駆けた。湖の中では味わうことの出来ない体験をして、冬の女王は喜びに満ち溢れていた。
夕陽が山の向こうに沈んでいく。落ち葉も、家も、はりねずみも、冬の女王も真っ赤に染められて、それぞれの境界線がぼやけていく。
「こういうのを黄昏時っていうのよね」
夏にはりねずみが教えてくれた言葉を得意げに冬の女王は繰り返した。ぼやけたままのはりねずみは「はい、そうですね」と言って笑う。はりねずみの体調は季節を追うごとにあまり良い状態ではなくなっていた。無意識なのだろうが、寒そうに針を立てたはりねずみを冬の女王は掌で包んだ。あたたかさに自然と瞼を閉じてしまいそうになったはりねずみだが、己を気遣ってくれた冬の女王に声を掛ける。
「あまり長くはない命なんですよ。短命種ですから」
「それは、とても悲しいことね」
「それがそうでもないのですよ。朝起きる度、目に映るすべてのものがきらきらと輝いて見えるんです。他の方々より短命な分、神様は私に世界を数倍美しく見せてくださっているのかもしれません」
夕陽はとっくに沈んでいったというのに、まだ境界がぼやけている。冬の女王はそこで初めて「自分は泣いているのだ」と気づいたが、はりねずみを抱いているので涙を拭うことも出来ずぽたりぽたりと落とした。何粒かがはりねずみにも当たったが、それに関して二人が何か言葉を交わすことはなかった。その代わりに、先ほどの会話を続ける。
「世界が数倍美しく見えているのだとすれば、それは、とても素敵なことね」
「はい。とっても」
人間でも幽霊でもない、死ぬことも出来ない冬の女王は今まで「生」を疎むことしか出来なかった。しかし、生は思っていたよりも残酷で、思っていたよりも躍動感に溢れていた。
やがて、季節は巡って冬の女王の番になり、秋の女王と交代に冬の女王は塔へと昇る。今頃はりねずみは洞穴で丸くなりながら冬を迎えているのだろう。そして、長い冬眠生活を経て再び春が来ればはりねずみは二度と目覚めないかもしれない。そこまで考えたとき、冬を終わらせることが怖くなってしまった。「生」を感じたことのなかった自分が、「死」を恐れている。それにひどく動揺し、冬の女王はこっそり塔へ持ち帰った沢山の落ち葉を胸に抱きしめながら涙をこぼした。
「私が塔へ昇った時も、まだ冬の女王は涙を流していたのです。はらはらと、まるで幼子のように泣いている冬の女王を見て、私は交代することが出来ませんでした。理由を聴けば尚更動くことが出来なくて、私は黙って塔を降りました」
男の子がどこまで理解出来ているのか、春の女王にはわかりませんでした。なにしろ、女王たちがこうして国民たちと話せる機会などほとんどないのです。
「ごめんなさい。上手な話し方を知らないので、退屈させてしまったかもしれませんね」
「ううん。だいじょうぶ」
ちゃんとつたわったから、と男の子は真面目な顔で頷き、春の女王ともう一度手を繋いでから塔を指さしました。
「いこう。はるのじょおうさま。ふゆのじょおうさまと、おはなししよう」
歯を出して笑うその屈託のない笑みに、春の女王は眩しそうに目を細めました。
「まだ、ふゆのじょおうさまのおはなしをきいただけでしょ。はるのじょおうさまも、きちんとおはなししなくちゃ。ぼくも、じぶんがはなしたいことをきちんとはなすよ」
「そうですね。私も逃げてばかりではいけませんものね」
春の女王も力をこめて男の子の手を握りました。「少しだけ、あなたの勇気をくださいね」と呟きましたが、左右に頭を振ってから言い直しました。「私も勇気を出して頑張りますね」そう春の女王がしっかり声を発すると「うん。がんばろうね」と振り向いた男の子が笑いました。
塔の重い扉をノックしてから開くと、冬の女王が安楽椅子へ腰掛けて窓から見える遠くの景色を眺めていました。春の女王が近づいていくと、冬の女王も立ち上がってまた静かに涙をこぼしました。
「言いたいことがあるの。聞いてくれる?」
春の女王は深呼吸をしてから、冬の女王を優しく抱きしめて言いました。
「もう交代しましょう。一番辛いときに、あなたを一人にしてしまってごめんなさい」
「私もそう思っていたの。もう、こんなバカげたことは終わりにしなくちゃいけないと思っていたのよ。私一人のわがままで、大変なことをしてしまった。本当にごめんなさい」
暗く静かな部屋で抱き合う二人を見た男の子は、さっと視線を逸らして床に落ちている葉っぱに興味を持つフリをしました。お母さんと妹が二人でひそひそ話をしているときに近くへ寄っていくと「お兄ちゃんは聞いちゃいけないんだよ。男だもん」とよく言われる台詞を思い出したのです。
冬の女王は春の女王としばしの抱擁を交わし、春の女王の傍らにいる小さな男の子に視線を移しました。膝を床に付いて、男の子と視線を合わせた冬の女王は申し訳なさそうに丁寧な言葉を紡ぎました。
「あなたにも、とても心配をさせてしまってごめんなさい。どんなことでも受け止めるので、何か言いたいことがあったら言ってください」
男の子は少しだけ考え込むと、再び満面の笑みを浮かべてこう言いました。
「いつもありがとう。ぼく、はるも、なつも、あきも、ふゆも、みんなすき。でも、ぼくたちはきせつをめぐらせることはできないから、いつもじょおうさまたちにかんしゃしなくちゃいけないよって、おとうさんもおかあさんもいうんだ。だから、いつもありがとう。じょおうさま」
冬の女王の胸にあたたかい気持ちがせり上がってきて、男の子をしっかりと抱きしめました。少しひんやりとしましたが、塔への道のりをほとんど駆け足で来たので、冬の女王の冷たさは火照った体に心地の良いものでした。
春の女王と男の子の顔を何度も何度もしっかりと見て、冬の女王は塔の二階から顔を出しました。まだ国民たちは忙しそうに片づけをしている最中で、塔を見ているものは誰一人いません。春の女王と、そして男の子も隣に並ぶと、男の子が今までで一番大きい声を出しました。空気をいっぱい吸い込んで、「はるがくるよー」と体全体を使って叫んだのです。そこでようやく、国民たちの何人かが手を止めて塔を見上げました。そこには春の女王と冬の女王が二人揃っているものですから、あちらこちらからすぐに人が集まってきて塔を取り囲みました。男の子は遠くの方で自分のお母さん、お父さん、妹を見つけ、そっぽを向きながら小さく手を振りました。
大勢の国民たちが集まったことを確認して、冬の女王は静かに話し始めました。
「今、永き冬が終わります。皆さまには何とお詫びを申していいか分かりません」
ひとり、ひとりの国民たちを見つめ、自分が奪ってしまうかもしれなかった多くの命をそこに感じた冬の女王は深く頭を下げました。「朝起きる度、目に映るすべてのものがきらきらと輝いて見えるんです」はりねずみの言葉が思い出されます。短い命を生きるものも、自分のようにこれからも生き続けるものと、何かを愛おしむ気持ちに差はないのだと冬の女王は改めて思いました。太陽も、風も、雲も、草木も、国民たち一人一人も、冬の女王にとってすべてがきらきらと輝いて見え、掛け替えのない存在であると気づいたのです。
「永き冬が、終わります。今このときにも、生まれる命と、失われていく命があります。しかし、悲しみやもどかしさを暖かさで包み込む春が訪れます。私が皆さまに言えることではありませんが、どうか皆さまの近くにある命を慈しみ、愛してください。私も皆さまのことを深く愛しています」
ぱらぱら、と拍手が聞こえ、次の瞬間には割れるような大歓声が起きました。誰もが心の底から声を上げて笑っています。
いつの間にか、王様も塔の二階へ現れて小さな勇者を抱き上げて言いました。
「ありがとう。約束通り、好きな褒美を取らせよう。何がいいかね」
「じゃあ、もういっかい、おまつりがしたい。ぼく、さっきおなかがあんまりすいてなくて、ごちそうたべれてないんだ」
「うむ。では、再び盛大な祭りを」と王様が片手を挙げ、力強い声で国民たちに呼びかけるとまた大きな歓声が起き、すぐに国全体がお祭り騒ぎとなりました。男の子を抱えたまま、白いあごひげを撫でながら「ありがとう。君のおかげで、季節を巡らせることが出来た。きちんとした褒美は必ず家まで届けよう。さあ、祭りを思う存分楽しんでおいで」と笑うと、男の子も笑って「おんなどうしのことは、ぼくたちにはむずかしいもんね」なんて一丁前なことを言うのでした。
男の子も広場へと降りていき、祭りの輪に加わった後、冬の女王と春の女王は正式に交代しました。
みんなが待ち望んだ春の鼓動を感じながら、冬の女王は湖の中でたゆたっていました。次に季節が巡るまで、湖の外へ出ることは出来ません。
ふと、頭上でぱしゃぱしゃと水をはねる音が聞こえて冬の女王は顔をあげました。冷たい湖にまた誰かが落ちてしまったのではないかと思いましたが、水をわざとはねていたのははりねずみでした。
「まさか、私の為に春を止めてくださっていたなんて思いもしませんでした。おかげで、少しだけ寝坊をしてしまったみたいです。あなたの優しさを感じて、この世界は前よりもきらきらして見えるので眩しいほどですよ」
「こんなところにまで来てくれたの? まだ、体は本調子じゃないのでしょう」
「本音を言ってしまうと、本調子ではないから友達のあなたに会いたかったのかもしれません。私の為に身を削ってくださったあなたと、最後にお話ししたかったものですから」
湖の中から冬の女王は手を伸ばしました。はりねずみも小さな手を一生懸命伸ばして、しっかりと手を握ります。
「行ってしまうのね」
「はい。でも、ひとつだけプレゼントをしたくて。最後の大切な友達に」
そう言って、はりねずみは黄色の小さな花を冬の女王へ手渡しました。小さな花びらがいくつも付いている可憐な花でした。
「これは、なに?」
「フクジュソウと言います。福に寿に草と書いて、フクジュソウです。春の訪れを知らせる花として有名ですが、実際は冬の間から咲き始める花なんです。前に、自分は草木を枯らしてしまうからとあなたがおっしゃっていたので、冬に咲く花もあるのだとお伝えしたくて」
貰った一輪の黄色い花を胸に抱くと、冬の女王はにこやかに笑んではりねずみにお礼を言いました。はりねずみは既に地面へ横たわっており、少しずつ命のともしびが消えようとしています。冬の女王は泣けませんでした。はりねずみが最後に見る自分の顔は、他のどんなものよりもきらきらと輝かせたいと思っていたからです。
「花言葉は、幸せを招く、です。あなたは私に幸せを運んでくださいましたから、あなたも幸せが訪れますようにと」
「ありがとう。この花を見る度、あなたのことを思い出すわ。何年先も、いくつ季節が廻ろうと、ずっとあなたのことを思うわ」
ありがとう。はりねずみは幸せそうに笑みを浮かべて、すうっと一度だけ息を吐きだすと、それからもう二度と呼吸をすることはありませんでした。
それからというもの、冬の女王がせっせと種を運んで植えた黄色い花びらは塔の周りに少しずつ増えていき、冬から春にかけて花を咲かせ続けているそうです。巡り巡る、季節とともに。
fin.