おばあちゃんのクリーニング
クリスマスの夜。
「う〜ん」
クローゼットに並んだクリーニングから帰って来たばかりのコートたちを眺め、何を着ていこうか、大学生のまなちゃんは悩んでいました。
悩んでいる間に家を出る時間は近付いてきて、やっと決定。可愛らしいピンク色のコート。そのまま着て行こうとするとお母さんに止められました。
「まな、タグ取った?」
「あ」
見ると首ねっこのところにクリーニングのタグが付いたままでした。
手を伸ばしホッチキスをはずします。そして、あることに気付き、照れたように微笑みました。そっとポケットにしまいます。
「あら、捨てないの?」
不思議そうにたずねるお母さんに「うん、これはすてちゃだめ」とにっこり笑います。
「行ってきます」
玄関に向かって歩き出します。
待ち合わせ場所に着くまでの間、まなちゃんは思い出そうと思いました。あの日のことを。クリーニングのタグとおばあちゃんとの思い出を。
9歳の時のことです。
まなちゃんには大好きなおばあちゃんがいました。
小さなまなちゃんよりも子どもっぽくて、いつもどこか抜けていたおっちょこちょいなおばあちゃん。
おばあちゃんと散歩に出掛けるとそこにはよく四季がくっついていました。
春。
「地面に落ちる前に桜の花びらをつかまえると願いごとがかなうんだよ」とまなちゃんが教えてあげたら、1枚の花びらをつかまえて、目をつぶって手を組んで、一生懸命に祈っていました。あまりに長く祈るものだからその頭にはたくさんの花びらが積もっていて。
まなちゃんは仕方ないなあと笑って花びらをとってあげながら、この花びらの方が願いごとがかなうような気がしていました。
夏。
公園のベンチに座ってお母さんに内緒で食べたバニラの棒アイス。
ちょっとづつちょっとづつ食べるおばあちゃんはアイスがとける早さに追いつかなくて洋服にアイスが落ちてしまいました。
まなちゃんは仕方ないなあと笑ってハンカチでふいてあげました。
ハンカチから香るバニラの匂いでお母さんにアイスを食べたことがばれてしまいました。
秋。
2人で両手いっぱいにどんぐりをあつめようと言ったら、おばあちゃんは見つける度に自分じゃなくてまなちゃんの手にどんぐりをのせてくれました。だから、小さなまなちゃんの手はすぐにいっぱいになったけれど、おばあちゃんのしわしわの手は中々いっぱいにならなくて。
「おばあちゃんは私ばっかり」とまなちゃんが怒ったら、一生懸命に探し始めて、どんぐりに足をすべらせてしりもちをついてしまいました。まなちゃんが手を伸ばして起こしてあげると、そのおしりにはたくさんの葉っぱがくっついていて。
まなちゃんは仕方ないなあと笑って取ってあげました。
そこに綺麗な真っ赤な紅葉があったから、おばあちゃんのからっぽの手に乗せてあげると、本当に嬉しそうに笑いました。
そして、冬。
クリーニングからコートが返ってくるとおばあちゃんは嬉しくなって、その日のお気に入りのものをひとつ選んでまなちゃんを冬のお散歩に誘いました。
にこにこ笑ってまなちゃんの手を握り、「まなちゃん、行きましょう?」と。
まなちゃんはちょいっと握られた手をひっぱって「だめだよ」と言いました。
おばあちゃんは不思議そうに首を傾げて、その後に「ああ」とぽんっと手をたたいて、まなちゃんの前にちょこんと座りました。
まなちゃんは仕方ないなあと笑って、その首ねっこに手を伸ばして取ってあげました。
クリーニングのタグを。
おばあちゃんはクリーニングのコートを着る度にそれを繰り返しました。
タグをつけたまま出掛けようとしてまなちゃんが止めて、まなちゃんの前にちょこんと座って取ってあげて。その間、おばあちゃんはとても幸せそうに微笑んでいました。
でも、その時間は当たり前のもの過ぎました。
あの日、とても寒い日。
おばあちゃんがいつものようにコートを着てまなちゃんの手を握った時、玄関のチャイムが鳴りました。 出るとまなちゃんの学校の友達が立っていました。「あそぼう?」とまなちゃんの手を握りました。
おばあちゃんのしわしわの温かい手と友達の冷たく柔らかい手。2つの手をくらべ、まなちゃんは当たり前じゃない方を選びました。
散ることもとけることも誰かにひろわれることもないものは大切にするのがむずかしく、さびしそうに笑うおばあちゃんの手をはなし、遊びに出掛けたのです。
その日、おばあちゃんは亡くなりました。
交通事故でした。
一人で散歩に出掛け、横断歩道で車にはねられ亡くなりました。
まなちゃんは泣きました。たくさんたくさん後悔しました。
もし、お友達ではなくおばあちゃんの方を選んでいたら、事故にあわなかったのではないか。おばあちゃんはゆっくりな人だから、まなちゃんが手をひき横断歩道をわたってあげなければいけなかったのに。
おばあちゃんが亡くならないための選択が思い出され、してあげればよかった事ばかりが浮かんできました。
お母さんが言うには、あの日、まなちゃんが遊びに出掛けた後、おばあちゃんは自分でタグをはずし、「まなちゃんは大きくなったものね」とぽつりと言っていたそうです。
嬉しそうに笑う顔をたくさん知っていたはずなのに、その時のまなちゃんには最後のさびしそうに笑うおばあちゃんの顔しか思い出すことが出来ませんでした。
クリスマスのことでした。
もうはずしてあげることが出来ないタグがついたままのおばあちゃんのコートを抱き締めながら、まなちゃんはその日もおばあちゃんの部屋で泣いていました。
本当ならそれは幸せな日のはずでした。ケーキとごちそうを食べて、枕元のプレゼントを期待して眠りについて。子どもが幸せになれる日でした。
でも、まなちゃんは全然幸せな気持ちになんてなれませんでした。お父さんもお母さんも心配しながらもどうすることも出来なかったのです。まなちゃんがサンタさんへお願いしたプレゼントは「おばあちゃん」。それは絶対にあげられないものでした。
泣いて泣いて泣き疲れたまなちゃんはそのまま眠ってしまいました。目が覚めるとベッドの中にいました。お父さんが運んでくれたのでしょう。その枕元には抱き締めたまま眠ってしまったおばあちゃんのコートが置いてありました。
「あれ?」
まなちゃんは不思議に思いました。
電気が消された部屋。真っ暗なはずなのにそこには確かに光がありました。コートの上に灯る小さな光。光に向かって手を伸ばすとそれはクリーニングのタグでした。おそるおそるホッチキスをはずすとそこにはこんな言葉が書かれていました。
「どうぞ、こちらへいらっしゃい」
おばあちゃんの文字でした。
まぶしいほどの光に包まれて、まなちゃんはぎゅっと目を閉じました。
きれいにしましょう きれいに きれいに
あなたがたくさん笑えますように
あなたがたくさん幸せになりますように
祈りをこめて贈りましょう
素敵なひとときになりますように
歌が聴こえてきてまなちゃんはゆっくりと目を開けました。
聴いたことのある歌声でした。決してうまくはないけれど、どうしようもなく優しい歌声。
だれかの寝室のようでした。白い雲のベッドの上にまなちゃんは寝ていました。包み込むようにふわふわのベッドはお日さまのにおいがして、いつまでも寝ていたいと思うほど気持ちのいいものでした。でも、まなちゃんはがんばって起き上がりました。歌声は扉の向こうから聴こえていました。
がちゃり。
ゆっくりと扉を開けると歌声は大きくなりました。空色のエプロンを着けて、その人は歌っていました。ふわふわの雲の机の上で水色の花柄ワンピースをていねいにていねいにたたみながら。
ああ、やっぱり。
まなちゃんは呼びました。
「おばあちゃん……」
その人は、おばあちゃんは、ぴたりと手を止めました。そして、にっこり微笑みました。
「起きましたか、まなちゃん」
まなちゃんに近づいて来るとそっと赤くなった目元をなでました。
「たくさん泣かせてしまいましたね……」
痛みを取り払うように何度も何度もなでました。でも、ふれればふれるほどまなちゃんの目からはぽろぽろと涙があふれてきました。おばあちゃんはこまったように「あらあら」と言って一生懸命ぬぐってくれます。でも、もっとたくさんまなちゃんは泣いてしまいます。仕方がなかったのです。おばあちゃんがふれるたびに願いごとがかなうのです。そこにいる。ちゃんといる。それが分かるとうれしくてうれしくて。まなちゃんは力いっぱいおばあちゃんに抱き付きました。
もう一度会えたら伝えたいことがありました。
「ごめんなさい」
積もっていた気持ちがありました。
「もっともっと大切にしてあげればよかったの。ぜんぜんたりなかったの。もっともっとできることがあったの」
おばあちゃんは抱き締め返し、大切に大切に頭をなでました。
「何言ってるの、まなちゃん。足りなかったことなんてあるものですか。十分でしたよ。あなたが与えてくれた四季の日々はどんなにどんなに温かいものだったか。これ以上なんてそんなぜいたくなことがあるものですか。幸せでしたよ。おばあちゃんはちゃんと幸せだったんです。でも、」
まなちゃんのほっぺたを両手で包み、顔を上げさせ言いました。
「ひとつだけお願いごとをしてもいいかしら?」
「……お願いごと?」
おばあちゃんはこっくりとうなずきます。
「「ごめんなさい」より「笑顔」をちょうだい。たくさんたくさん笑ってちょうだい。知らないかもしれないけれど、あなたの笑顔はとってもとってもステキなんですよ?」
まなちゃんはびっくりした顔をしました。そして、ぐっと新しい涙をのみこみ、ぐしぐしと顔をぬぐいました。笑いました。顔いっぱいに笑いました。おばあちゃんが亡くなってから初めて浮かべた笑顔でした。
おばあちゃんはとても嬉しそうに笑いました。それはまなちゃんが忘れていた笑顔でした。
光っていたクリーニングのタグはおばあちゃんからの天国への招待状でした。
「でも、おばあちゃん、どうしてクリーニングのタグなの?」
まなちゃんは不思議でした。それは中々めずらしい招待状ではないでしょうか。おばあちゃんは「ふふふ」と楽しそうに笑いました。
「実はおばあちゃん、今、クリスマス限定のクリーニング屋さんをしているんです」
「クリスマス限定のクリーニング屋さん?」
おばあちゃんはさっき、たたんでいたワンピースをひとつなでます。
「ええ、お洋服でもマフラーでもクリーニング出来るものならどんなものでもいいんですよ。歌を歌ってきれいにきれいにするんです。そうして、少しの間だけそれを身に着けて大切な人に会いに行くことが出来る。おめかしをしたキセキの時間をプレゼントするんです」
その時、「すみません」という声が入り口から聞こえてきました。見ると腰の曲がった上品なおばあさんが立っていました。
「出来ていますでしょうか?」
おばあちゃんは「はいはい」とワンピースを持っていきます。受け取ったおばあさんはそれを広げると少し恥ずかしそうに微笑みました。
「まだ似合うかしら?」
おばあちゃんはにっこり笑って、そっとおばあさんの右手首に空色のリボンをちょうちょ結びしてあげました。
「きっととっても可愛らしいと思いますよ。さあ、これはクリーニングが終わった証。リボンが消えるまでキセキは続きますよ。どうか良いクリスマスを」
おばあさんは「ありがとうございます」とワンピースを両手で抱き締めて深く深くおじぎをしました。
「おばあちゃん、今のおばあさんはおめかししてだれに会いに行くの?」
おばあさんがいなくなったあと、まなちゃんはおばあちゃんの手をちょいちょいとひっぱってききました。おばあちゃんは優しく目を細めました。
「大好きなおじいさんに会いに行くそうですよ。あのワンピースは昔、初めておじいさんがくれたプレゼントなんだそうです」
まなちゃんは想像しました。あのワンピースを着ておばあさんが大好きなおじいさんに会いに行く姿を。
「とってもステキね」
自然とそんな言葉が出てきました。
「ええ、おばあちゃんもそう思います」
にこにこ笑いあう二人。
そして、おばあちゃんはまなちゃんの手をきゅっと握り返すと言ったのです。
「まなちゃん、おばあちゃんのお手伝いをしてくれますか?」
まなちゃんは「うん!」と元気よくうなずきました。
それから、たくさんの人がおばあちゃんのお店を訪れました。
ムスッとした怖い顔のおじさんは父の日に娘さんにもらった水玉の可愛らしいネクタイを受け取りにきました。
とてもきれいなお姉さんは着ることが出来なかったまっ白なウェディングドレスを受け取りにきました。
小さな女の子は不器用なお母さんが一生懸命作ってくれた毛糸の帽子を受け取りに来ました。
楽しそうだったり、泣きそうだったり、懐かしそうだったり。受け取りに来る人の表情はそれぞれでした。でも、みんな、いっしょのことがありました。それは、おばあちゃんに「ありがとう」と言って深く深くおじぎをしてくれることでした。
まなちゃんはいっしょに歌を歌ったり、いっしょにきれいになった大切なモノを渡したり、いっしょにリボンを結んであげながら、おばあちゃんはなんて幸せなお仕事をしているのだろうと思いました。とってもとってもほこらしく思いました。でも、お客さんが帰った後、それを伝えるとおばあちゃんは照れたようにふるふると横に首を振りました。
「おばあちゃんがこのお仕事が出来るのはまなちゃんのおかげなんですよ」
「私のおかげ?」
「ええ、おばあちゃんね。ここで毎日、泣いているまなちゃんを見ていて思ったんです。ああ、一度でもいい。会いに行けたらいいのに。そうしたら、伝えられるのに。涙を止めてあげられるのにって。まなちゃんとの最後の思い出を繰り返し繰り返し思い出しながら、しょぼんとしていたんです。そしたらね、思い付いたんですよ。そうだ、クリーニングだって。天国ではね、自分の好きなお仕事が出来るんです。だから、神さまにお願いしたんですよ。クリスマスの一日だけでいい。特別なクリーニング屋さんをさせて下さいって。せっかくのクリスマスですもの。おめかしをして会いに行きたいじゃないですか。大切な人に会いに行く時、身に着けたいと思うものにはいっぱいいっぱいの気持ちがつまっていますからね」
「おばあちゃん……」
全て見ていてくれました。お空の上からまなちゃんのことをおばあちゃんはちゃんと見ていてくれたのです。そうして、このお店は開かれたのです。また泣いてしまいそうなまなちゃんにおばあちゃんは目線を合わせて伝えました。
「まなちゃん、今日のひとときはね、神さまからのプレゼントなんですよ。おばあちゃん、うっかりしてたんですよ。キセキを与える側にまわったらおばあちゃんにキセキは起きないんです。「あら、どうしましょう」と思ったら神さまが言ってくれたんですよ。「一度だけ招待状を出すことを許します。どうか、初めてのお仕事はまなちゃんといっしょにして下さい」って。まなちゃん、お手伝いありがとう。でも、お仕事はこれでおしまい。もう帰る時間ですよ」
まなちゃんは強く横に首を振り、おばあちゃんにぎゅっと抱き付きます。
「やだ、帰ったらおばあちゃんいないもん! ずっとここにいる! もっともっとお手伝いする!」
おばあちゃんはその背中を優しくなでます。
「だめですよ、あなたは大きくなるんです。これから大人になったから、大好きな人が出来たから、生まれるたくさんのおめかしがありますよ。おばあちゃんはここで待っています。全てが終わってこのお店に来た時、あなたが何を選ぶのかおばあちゃんは楽しみにしていますよ」
まなちゃんはおばあちゃんを見ました。おばあちゃんは愛しくて仕方が無いようにまなちゃんの頭をなでました。
「さあ、クリスマスの夜が終わりますよ」
途端、まなちゃんに強い眠気がおそってきました。一生懸命起きていようとしましたが、まぶたは自然と閉じていきます。遠ざかっていく景色の中、まなちゃんはおばあちゃんが「バイバイ」と手を振るのを見ました。
目覚めるとまなちゃんはベッドの中にいました。枕元にはおばあちゃんのコートが置かれたままでした。
全ては夢だったのでしょうか?
いいえ、まなちゃんの手の中にはちゃんと残っていました。
「どうぞ、こちらへいらっしゃい」
そう書かれたおばあちゃんの招待状が。
まなちゃんはじっとそれを見つめるとそっと机の引き出しにしまいました。
がちゃり。
部屋の扉を開けて歩いていきます。
さびしいけれどかなしいけれど、ちゃんと笑おうと思いました。おばあちゃんにステキだと言ってもらえた笑顔でちゃんと。
待ち合わせ場所に着きました。
駅の改札前、空を見上げます。おばあちゃんは今日もあのお店で歌っているでしょうか。決してうまくはないけれど、どうしようもなく優しい歌声を響かせて。
まなちゃんは駆けて行きます。大好きな人のところへ。おめかしをした格好で、おばあちゃんのクリーニングのタグに指先で触れながら。
そこにはおばあちゃんの文字でこう書かれていました。
「大丈夫、とってもとっても可愛いですよ」
どうやら、おばあちゃんは全てお見通しのようです。
まなちゃんは大きくなっていこうと思いました。たくさんのおめかしと出会おうと思いました。
いつか向こうの世界に行った時、おばあちゃんのお店でいっぱい悩むことが出来るように。