異世界で政権交代
「おめでとうございます!」
「おめでとうございます!」
支援者らの歓声の響き渡る中で、私は壇上に登り深々と頭を下げた。マイクを手に取り「ありがとうございます」と笑顔を浮かべる。選挙の事務所には既に多くの人々とマスコミが詰め掛けている。これほど気持ちのいい日は久々だった。
「この度の選挙での快勝は皆様のおかげでございます。一丸となって勝ち取った勝利を、今後の地方及び国政に生かし、日本国の更なる発展を目指す所存です」
再びわっと歓声が上がり部屋全体が揺れる。同時に舞台脇から司会が進み出てくると、私に筆を差し出し「さぁ、どうぞ」と促した。向かう先には机に置かれたダルマがある。
――やっとここまで来た。いいや、これからが勝負なのだ。
私は目のないダルマを前に、万感の思いを込めて筆を握った。
私の名は鳥羽響子。日本国における衆議院議員であり、今回の選挙で四期連続の当選となる。もちろん小選挙区での代表であり、二位と大差をつけての当選だった。我が民民党の党首である首相からは、今回の政権での外務大臣の地位を約束されている。
同じく外務大臣であった父の地盤を受け継ぎ早数十年。私を所詮は世襲政治家、あるいは女と舐め、甘い汁を啜ろうとした輩は片端から失脚させてやった。公職選挙法違反や政治献金問題などのマスコミへのリークもあったが、最も効果的だった攻撃手段はセックススキャンダルだろう。
不倫にホストクラブにSM風俗まで、どれほど地位と名誉があろうと、人の下半身とは締まりのないものらしい。政敵の積み上げたキャリアが一瞬にして崩壊し、跡形もなくなるのはバベルの塔さながらだった。
当然恨みつらみを受けこちらの腹も探られる。が、私は法律への対策は完璧であり、献金のチェックは一切怠らない。男については鼻から興味がなく、結婚も夫も息子も家庭円満を演出する道具のようなものだ。
ただし道具の手入れは怠ってはいない。夫に対しては良妻、息子に対しては賢母であろうと勤め続けた。いくら私本人が潔癖であろうと夫が馬鹿な真似をする、あるいは息子がグレるなどと言うことがあれば、それも政治家として命取りとなってしまうからだ。
いずれは初の女性首相となり、この腐り切った日本の病巣を根元からぶったぎる。それが私の唯一の欲望であり目的だった。
「では、議員、よろしくお願いいたします」
司会の進行に私が大きく頷き、ダルマに目を入れようとした――次の瞬間のことだった。足もとに突如として数メートルの光の輪が生まれ、かっと輝くのと同時に中に穴が開いたのだ。
「……なっ!?」
悲鳴を上げる間もなかった。一気に逆らい難い力で吸い込まれ、私は筆を手放してしまう。
「議員、議員!?」
「何が起きたの!?」
――それは私が一番聞きたい。
そう思いながら私は意識を失った。
*
頭がずきずきと痛む。全身も叩き付けられたかのように痛い。健康管理は万全のはずである。人間ドックでも無病この上なしだとお墨付きをもらったはずだが、選挙運動での疲れが出たのだろうか。
私はゆっくりと目を開け身体を起こした。ここは一体どこなのだと目を見開く。まず間違いなく選挙の事務所ではない。ぼんやりと光る石でできた変わった形のホールだ。天井が高く広々とした十六角形となっており、それぞれの頂点には円柱が立っている。私はそのど真ん中に倒れていたらしかった。
「あいたたた……」
四つん這いになり改めて辺りを伺う。薄闇に目が慣れると周りに人がいるのが分かった。それも結構な人数であり十人はいるだろうか。私がそれよりも何よりも驚いたのは、彼らの髪や目が金、銀、紺、紅だからではなく、中世さながらの鎧、またはローブを身に纏い、手には杖や剣を持っていたからだった。皆口々に何かを呟いている。
「召喚が成功した」
「成功したぞ。これで国は救われる」
「それにしても女勇者か。何と美しい少女だ」
はて、ここは映画の撮影のロケ地なのだろうか? いくら外人タレントとは言え、なかなかなりきりも堂に入っている。
タレントらの中から一人の若い男が進み出る。この男が長髪で長さは腰の下まであった。髪型などは個人の自由でしかないが、男の長髪は不潔な気がして私は好きではない。例え女と見紛う美貌の持ち主であってもだ。
長髪は私の前に片膝をつき手を差し伸べた。
「――勇者よ、我らが勇者」
「は?ゆうしゃ?」
「そうです。あなたは勇者です」
勇者は確か息子がプレイしていたゲームにそんな職業があったような……。そう言えば最近はネット小説とやらにもハマっていた。イセカイにショウカンされて勇者になり、チートでハーレムがマイブームなのだとか。何が何だか分からなかったが、取りあえずは無害らしいので放っておいた記憶がある。
「どうぞ我々の世界をお救い下さい。魔王が復活し人間は危機にあります」
「……?……?」
「ですから、魔王が復活したのです」
長髪が魔王、復活と繰り返すが、意味がさっぱり分からない。
「おかしい……。これまで召喚した勇者や聖女は皆魔王の存在を知っていたのに」
長髪は「とにかく事情を説明せねば」と私の手を取った。
「どうぞおいでください。国王陛下がお待ちです」
「は、はあ」
私は長髪に促され立ち上がりながら、取られた手に我が身の異変を悟った。この手は私の手ではない。いいや、やはり私の手だ。ただし皺も無ければ骨も浮いていない。正確には「私が若かった頃」の手だった。
*
結論として私の若返りは気のせいではないらしい。来年四十八歳になるはずの私の姿は、十代の生意気そうな小娘に戻っていた。
私は客間で鏡を覗きしばし呆然としていたが、三十秒後には立ち直り「状況を説明しろ」と長髪に詰め寄った。何事にも対策のためにはまず適切な現状把握が必要である。最もこの連中が正直に説明するのかも怪しいが。
長髪は落ち着き払って椅子に堂々と座る私に、「い、今までの勇者とは趣が違いますね……」、と冷や汗をかいた。はて、今までの勇者とはどのような態度だったのだろうか。
私の質問に長髪は黙り込み答えようとしない。私は鼻でフンと笑った。全くどこの坊ちゃんだか知らないが、黙り込むのは一番の悪手であり、答えを言ったようなものだと親に教わらなかったのだろうか。
長髪は後ろめたさがあるのか、目を伏せたまま事情を語り始める。
「この世界は勇者様のいらっしゃった地球ではありません。人間と魔物がおり魔法のある世界です。魔物からは百年に一度魔王が生まれ、人間を滅ぼすべく王国に侵攻してくるのです」
何だ、どこにでもある人種間、民族間の抗争かと呆れる。魔物だ人間だと大袈裟に言ってはいるが、大方敵を魔と断じているだけだろう。実に馬鹿馬鹿しいと溜息を吐く私に、長髪はとんでもないことを言い出した。
「勇者様には……この魔王を討伐していただきます」
「……は?」
私が、倒す? 自分と全く無関係の魔王とやらを? なんで?
「魔王の討伐にはその度に勇者が召喚されます。地球で最も勇者にふさわしい、力ある者が選ばれるのです」
私は「はーぁ?」と大声を上げた。
「それで私には何かメリットがあるの? 防衛費の名目で金銀財宝でもいただけるのかしら?」
「い、いや、勇者様には……地位と、名誉を。た、ただ、望めば陛下も考えないことはないかと」
これ以上は時間の無駄、話にならないと席を立つ。
「断るわ。あなた方には脳みそってものがないの? 軍事のプロでもない異世界人を呼び出して、それで戦わせるって愚の骨頂よ。たかだか人ひとりに何ができると思っているわけ? 負けるに決まっているじゃないの。核兵器でもさっさと開発した方が早いわ」
「そ、それはあり得ません!!」
長髪は私の足に縋り付いた。
「この世界に召喚された時点で、女神に勇者としての膨大な力を与えられているはずなのです!! 勇者以外に魔王は倒せない!!」
女神、膨大な力――私はそれらの非現実的な言葉にはっとなった。
この若返りも力とやらのせいなのだろうか? そう言えば全身に妙な力が漲っている。けれども今更そんなものが何になる? 第一若い女の姿など政治家には何の役にも立たない。舐められ狙われるだけだ。私が欲しいものはただひとつ――権力なのだ。
私が軽く長髪を振り払うと、長髪はそれだけで吹き飛ばされ、背中をしたたかに壁に打ち付けた。ずるずると座り込みぐったりとなる。私は思わず自分の右手を凝視した。確かに膨大な力と言うのも頷けるのかもしれない。だが、だから何だと言う心境でもある。
見ず知らずの国なぞどうでもいい。日本の国益となるならともかく、異世界では何のメリットもないではないか。
私はつかつかと歩み寄り長髪の襟首を掴むと、ぐいと宙に持ち上げ首を締め上げた。
「う……ぐっ」
「私をさっさと地球に――日本に返しなさい。下らない茶番に付き合う暇などないのよ」
この上なく冷えた声が辺りに響く。それでも長髪は頷かずに首を振るばかりだった。
「でき、ません」
「できないじゃない。やるのよ」
「無理、なのです」
長髪は呻くようにこう言った。
「召喚魔法は存在しても、送還魔法は存在しない。あなたを、送り返すことが、できないのです」
*
全くこの世の中は腹の立つ話ばかりだ。
私はそれでも仏頂面を瞬時に笑顔へと変え、召喚二日目となった今日、国王、貴族、騎士らとの夜会に臨んだ。今度の勇者が美しい少女だと聞き付け、顔を拝んでみたいと皆が浮き立ったらしい。どこにそんな余裕があるのかとも思うが、国が危機にあるからこそ浮かれ騒ぎたくもなるのだろう。
そうした理由で私は王宮の侍女らにドレスを着せられ、化粧を施され大広間へと送り出された。幸か不幸かこうした集まりの場には慣れている。資金集めのパーティなどしょっちゅうだったからだ。ただし相手は今日のような煌びやかな連中などではなく、支援者や党員、あるいは人を食った老政治家だった。
光の眩いシャンデリアのもと、国王と私を中心に輪ができる。貴族や騎士らが口々に私の美しさを湛えた。
「おお、何と美しい。黒髪に黒目はもはや珍しくはないが、勇者殿ほどこの夜の色が似つかわしい女性もいないでしょう」
「ははは、そうだろう、そうだろう」
国王は上機嫌で私の肩を抱き寄せた。
「歴代の勇者の中で最も聖剣の輝きにふさわしい」
聖剣とは王家が所有する魔法の掛けられた剣だ。この聖剣とやらが実にこの世界に――この世界の人間に都合よくできていた。
勇者は確かに膨大な力を与えられてはいるが、その力の発現は生身の人間の範囲内でしかない。私も現在は怪力を振るえる少女と言うだけだ。勇者としての力を最大限にするためには、聖剣を手にしなければならない。聖剣には勇者が女神に与えられた膨大な力を、魔物にのみ通用する魔力へと変換する機能があった。
そう、魔物にしか通用しないのだ。人間にとってはただの一振りの剣でしかない。つまり勇者はこの世界の人間には力を発揮できない。一気に集団で襲い掛かられてしまえば、勇者にはこの世界の人間に抵抗する術がない。私もその事実を長髪にほのめかされ、命が惜しいと思うのなら、魔王を討伐しろと暗に脅された。
このままでは魔王を討伐できたところで、その後は用済みとして消される危険がある。むしろその可能性が高いだろう。地球の歴史でも英雄は永遠に英雄ではいられなかった。平和と平和な時代を望む残虐な人々に抹殺される、あるいは社会から追いやられる運命にあるのだ。
だが、私はそんな運命を受け入れるつもりはさらさらない。この私を、鳥羽響子を駒扱いした報いは必ず受けてもらう。
私は貴族に向かって微笑みを浮かべながら、心のうちで国王と長髪、この場にいる全員を数度殺した。それでも不愉快を意志の力で振り払い、会話に挟まれる情報を素早く分析していく。
先ほど貴族の一人がぽろりと漏らしていたが、黒髪に黒目がもはや珍しくない――これは一体どう言うことなのだろうか。先ほど城下町で行われた勇者お披露目パレードでは、庶民は皆金、銀、紺、紅いずれかの色彩だった。黒い者など一人もいない。
まさか私以外にも召喚された日本人がいるのだろうか?
この件についてはいずれはっきりさせる必要がある――私は蝶のごとくひらりひらりと貴族の間を渡り歩き、この世界についての情報を収集していった。そして、ある一つの事実に気が付いたのだ。
*
いよいよ魔王討伐の旅に出る日がやって来た。パーティのメンバーは勇者の私、弓の手練れの金髪の騎士、サポート役である魔術師、最後に深くフードを被り、顔を覆い隠したローブ姿の薬師だった。薬師はメンバーが負傷した際、治癒のために同行するのだと言う。それに加えて三〇人の歩兵からなる小隊が当てられた。いざと言う時勇者を守るためだと説明されたが、大方私が逃げ出さないよう監視する役割なのだろう。
華々しいラッパの音と人々の歓声に見送られ、私達は城門の前にずらりと並んだ。出発の儀式を行い国王に激励を受けるためだ。選挙に四期目の当選をし、ダルマに目を入れかけたあの日を思い出す。つい数ヶ月前でしかないと言うのに、遙か昔の出来事のように思えた。
王がうやうやしく進み出ると、私達一人一人に激励を贈る。金髪、長髪、薬師には通り一辺倒の言葉しかかけなかったが、私の前に来たとたんに手を伸ばし、掌を嫌らしく包み込んだ。
「無事魔王を討伐して帰還した折には、私があなたの身柄を預かろう。それが一番安全なのだとあなたもお分かりだろう? 何も心配することはない。王妃にもよく言い聞かせておく」
……つまりは愛人となれば生かしてやると言うことか。
この私相手によく勃つものだと呆れる。貴様など青二才の小僧でしかないわ。
「光栄ですわ。この旅が終わるまでに心を決めようかと思います」
私は拳を握り親指を立てると、その方向を地面に向けた。国王が戸惑いながら首を傾げる。
「……? その仕草は何だ?」
私はわずかにはにかみを含んだ、少女らしい微笑みを浮かべた。
「地球で”行ってきます”の代わりに、愛する方に送るジェスチャーですわ」
*
それからパーティ+小隊の一行は、魔物を退治しつつ魔王城を目指した。私は魔物とは敵国人の比喩なのかと思っていたが、半透明のブヨブヨとした生き物、宙に浮いて針を飛ばすクラゲに双頭の竜、そんな物体どもに雨あられと襲い掛かられ驚いた。最も肝を潰したのは初めのみだ。戦いにもあっと言う間に慣れてしまい、旅も半ばにさしかかる頃には、昼食ついでに片付けられるようになった。
討伐隊の休息は道中の村々で行われた。私は村ごとにある事実を密かに調査し、やはりそうだったのかと確信を深めて行った。やがて辺境のダンジョンでアイテムを入手するため、近くにある集落に立ち寄った時のことである。小隊の兵士と村人との間に事件が起こった。正確には兵士が起こしたと言った方がいいだろう。
「おい、こっち来いよ!!」
闇が深まりもうじき夜となりそうな夕べ、宿の外から兵士の野太い声が聞こえた。続いてきゃあっと若い女の悲鳴が聞こえる。若い女、そう、「珍しくも」若い女なのだ。私は聖剣を取り外へと飛び出た。予想通りの光景にうんざりとなり、次に目を見開きまじまじと女を見つめる。女ではなくまだ少女と言っていい年頃だ。それはともかく少女は黒髪に黒目、おまけに――
「――誰か、誰か助けて下さい!!」
その悲鳴は日本語だったのだ。
兵士は少女を森へ連れて行こうとしている。人目のない場所で暴行するつもりだったのだろう。ところがそうは問屋が卸さない。私は背後からこっそりと忍び寄ると、後頭部を聖剣で思い切り殴り付けた。
*
その後私は兵士の処分を小隊の連中に任せ、少女を宿屋の薬師のもとへ連れて行った。幸いレイプは未遂で終わったが、捻挫や擦り傷を負っていたからだ。この世界に来て長いのだろうか。厳しい生活なのか長く伸びた髪には艶がない。粗末なドレスにエプロンを付けて、手は水仕事に荒れに荒れていた。
少女は大人しくベッドに腰掛け、診察と治療を受けていたが、やがて遠慮がちに薬師に頭を下げた。
「手当てをしてくれてありがとうございます。そちらのお姉さんもありがとうございます」
壁に背を預ける私にも目を向け、「あの……」と恐る恐る声をかける。
「私の言うこと、分かりますか?お姉さんは日本人ですか?」
その時私はようやく少女の不便を悟った。私はこの世界の言語を不自由なく行使できる。ところがこの子とっては未知の外国語でしかないらしい。言語を不自由なく使いこなせるのは勇者のみの能力のようだ。
私は少女を怖がらせぬよう優しく笑いかける。
「ええ、分かるわ」
少女の顔が一瞬ぱっと明るくなった。ところがすぐに目を伏せてしまう。
「お、お姉さんもこの世界に召喚されたんですね? わ、私みたいに子どもを産まされるためですか?」
私は目を瞬かせ少女を見つめた。何を言っているのかが分からなかった。いや、分かりたくはなかったのだろう。私も生物学的にはれっきとした女である。彼女の舐めた辛酸の味を理解できてしまった。
「わ、私、もうあの家に戻りたくはありません。もう、男の人に抱かれるのは嫌です……!!」
「……っ!!」
薬師が突如として立ち上がり椅子が倒れた。握り締められた拳が震えている。何事かと私と少女が目を剥いていると、薬師はさっとフードとローブを脱ぎ捨てた。こちらも黒髪に黒目の黄色味を帯びた肌――おまけに眼鏡をかけている。恐らく私と同年代、あるいは少し若い程度だろう。ただしその顔は半分が焼かれ無残なものとなっていた。
少女がひっと息を呑む。
彼も日本人だと言うのだろうか? なぜもっと早くに告白してくれなかったのか?
薬師は懐からメモ帳とボールペン取り出した。どちらも間違いなく地球のものである。メモ帳は表も裏も使っているのか、既にボロボロとなっていた。医師は溜息を吐き椅子を立て直すと、ゆっくりと腰掛けメモ帳をめくった。すらすらと懐かしの日本語を書き付け私達に見せる。
『僕は大島省吾と申します。日本で外科医をしておりました』
外科医!?
これにはさすがに私も少女も驚いた。
『ただし声が出せません。……王妃に奪われました』
大島医師は唇を噛み締め喉元を指差した。私と少女は口に手を当て絶句する。十字に深く傷が刻み込まれており、喉元の一部が変形していた。刃物で声帯を抉られ潰されていたのだ。
*
私の見立て通りにやはりこの世界は現在、女性不足と少子化に悩まされているらしい。道理でどの町にも若い女が少なかったはずだ。
二つの原因は異世界人の風習と遺伝子の変化にあった。まず明治の日本以上の男尊女卑である。人権などあったものではない。特に身分の低い女については、生まれるより死んだ方が幸福だ――などと言う文言があるほどだ。
おまけに結婚するには女に持参金が無ければならず、この出費に耐えられない貧しい家庭は、生まれた女児を間引くことが多かった。加えてこの二十年で原因不明の流行病が蔓延した。現地人の女性のみが罹患する奇病であり、高熱で一週間も経たぬ間に死んでしまう。
女がいなければ当然子どもが生まれない。少子化がもたらすものは人口減少だけではない。労働力が一気に不足し国が成り立たなくなって来た。にも関わらず、この世界の人間は長年の習慣を変えなかった。変えようともしなかったのだ。
権力者達は考えた。最も手っ取り早い方法を考えた。結果、ならば異世界から労働力、女を略取すればいいと思い付いたのだ。二十年に渡る大規模な召喚の結果、呼び出された日本人は八万人に及ぶ。日本人の年間行方不明者は八万人を超えると昔聞いたことがある。その中の四千人は異世界に召喚されていたと言うわけか。
少女が再び嗚咽を始める。
「わ、私は高校一年で彼氏がいたのに、あ、ある日突然この世界に召喚されて、この村に連れて来られて、子どもを二人も生まされて……」
とてもではないがレイプ犯の夫とその子どもを愛せはしないと言う。更に悲惨なことに、少女は夫の兄弟や客人の相手もさせられているのだそうだ。このままでは父親違いの子どもを産んでしまう――少女は両親に会いたい、家に帰りたいと泣いた。
一方大島医師は指導中の研修医と共に召喚され、すぐさま引き離され王宮に連れて行かれたらしい。どうやら医療技術を持つ人材が不足していたらしかった。ところが右も左も分からぬ世界で王妃の何らかの逆鱗に触れ、罰として抵抗虚しく顔と声と利き手の腱を奪われたのだと言う。
今回の討伐に同行することになったのは、医師が邪魔となった王妃の推薦なのだそうだ。声もなく文字も書けず私に余計な事実も話せない、早い段階で死ぬだろうと踏まれたかららしい。ところが医師は執念を以て左手を密かに鍛え上げ、こうして筆談ができるようになっていたのだった。兵士の監視にほぞを噛みながら、私と話す機会を窺っていたらしい。
『……僕も日本に妻と娘がいました。娘はお嬢さん方と同じ年頃です。僕は様々な地へ連れて行かれましたが、あなた方のような女性をいくつもの街や村で見かけました。女性だけではありません。中学生、高校生の少年、大学生、社会人の若者を数多く目にしました。多くが鉱山での労働力や農奴として扱われ、一つの町や村に偏らないように人数が調整されていました』
なるほど、現地人も忌避する危険な仕事や重労働を押し付け、結託して反乱を起こさないよう人口を分断していたと言うことか。全く愚か者に限って悪巧みにだけは頭が回る。
『連れて来られた日本人の男性には自殺者が多い。現実と重労働に耐えきれず死を選ぶのです。僕は薬師としての使い道があったからか、こうして顔と声と右手を失うだけで済みましたが……』
「……」
私は命を絶った彼らを弱いと断ずることはできない。どれだけ美形に溢れていようが所詮は後進国の世界。清潔感や食事のレベルは低く、家電もインターネットもろくな娯楽もない。そんなろくでもない世界での過酷な生活に、昨今の文明国の若者が耐えられるわけもない。
第一こちらの連中は日本人を男なら労働力、女であればセックス付の子産みマシーン、食い物程度にしか捉えていないのだ。まだペットの方がましかもしれない。
胸に静かな怒りの炎が立ち上るのを感じる。どの世界だろうが人も国も腐るということか。自分達では責任を取らず、根本的な解決策を模索もせず、他人に痛みを押し付けようとする。もとの世界ではそれが国民や若者であり、この世界では日本人なのだ。
馬鹿らしいと私は鼻を鳴らした。
なぜ本来であれば生産性も知性も高い私達が、中世レベルの無能どもに従わなければならない? そう、私達こそがこの世界のルールとなるべきなのだ。
私はこの段階で決意する。
「大島先生、私は見ての通りの年齢ではありません。女神とやらにこんな姿にされてしまいましたが、実は四十七歳なんですよ」
大島医師はぎょっとした表情になり、まじまじと私を見つめた。
「鳥羽響子をご存知ないでしょうか? 東京第二区から民民党の公認で立候補していた者です」
「……!!」
私の言葉に医師が何度も大きく頷き、興奮した面持ちでメモに文章を書き付ける。
『そう言えば面影があります!! もちろん存じております。僕は鳥羽さんの医療保険制度の見直しと、子どもの医療について共感を覚えまして、四年前一票入れたんですよ!! お綺麗な方だったと言うのもありまして、ははは』
おや、私に清き一票を投じてくれた方だった。
私はありがとうございますと深々と頭を下げた。それからと決意を込めた眼差しを向ける。
「大島先生、お願いがあります。知る限りでよいので、どの街や村にどの程度の日本人の若者がいるのかを教えていただけませんか? 私は全てを変えたいのです」
何、やることは議員時代と同じなのだと私は笑った。違いは暴力を伴うかどうかでしかない。その暴力も他でもないこの世界が許容しているのである。地球には郷に入っては郷に従えと言う諺がある。ならばこの世界の掟に従い、思う存分暴れてやろうではないか。
*
――あれから五年の月日が過ぎた。
私はついに魔王を激戦の末に打ち取り、大島医師と共に王国へ凱旋していた。ただし残念なことに騎士と魔術師は戦死し、小隊の兵士も全滅してしまっている。
ああ、本当に残念だ!!
私はずらりと重鎮の並ぶ謁見の間で、国王に魔王の首を乗せた皿を差し出した。どよめきが広がりほっと安堵の息が吐き出される。
「お、おお。さすがは勇者」
「こやつが魔王か。凶悪な面構えだ」
「光の側である我々に敵うはずがないではないか」
「残る魔物はどうなるのだ?」
「魔王さえ片付けてしまえば簡単だ。片端から叩き潰していけばいいだけのこと」
「魔王領はどうなる? どの貴族の領地となるのだ」
私は内心、腹を抱えけたたましく笑っていた。あれほど魔王に怯えていたくせに、既に死んだと知った途端に勇ましくなるとは滑稽だ。全く魔王より、魔物より、よほど卑小で邪悪な存在とは人間である。おのれの力のみを頼りとするだけ、魔物の方がよほどまし、よほどまともだろう。
唇の端に浮かんだ私の笑みに気が付いたのだろうか。重鎮の一人が怪訝な顔で私を見つめている。私は重鎮には構わず「恐れながら」と断り、国王の前に片膝を付くと胸に手を当てた。
「魔王こそは男の中の男、王の中の王でした。あれほどの王は恐らく彼が最後でしょう」
そう、魔王こそが最後の王なのだ。
「なっ……」
国王、重鎮らの目が一斉に見開かれる。私が間接的に国王を侮辱したと分かったからだろう。だが、事実なのだから仕方がない。私は国王に邪気の一切ない目でにこやかに笑いかけた。
「魔王は私に倒される間際、口から血を吐きながらもこう言ったのですよ」
『――勇者よ、お前が約束を守る女だと信じているぞ』
そして私は強く頷きこう答えたのだ。
『魔王領の魔物らの身の安全は保障すると私の名と誇りにかけて誓う。大陸に散らばる魔物もこちらに危害を加えない限りは倒さない。ただし約束した通りに今後は私の配下となってもらう』
魔王は不敵に笑い瞼を閉じた。
『ふ、お前の配下ならば、皆納得するだろう。魔族は、強さを尊ぶ。……俺も来世はいい女の、お前の側近となるのも、いいかもしれんな』
場の空気が一気に凍り付き、動揺に重鎮らがざわめく。国王が玉座から立ち上がり、「どう言うことだ」と喚き始めた。
「魔物がお前の軍門に下るだと!?」
その時私は魔女のように笑っていただろう。すくりと立ち上がり聖剣を引き抜く。
「申し上げた通りですよ。既に私は、いいえ、私達は、貴様らに従う道理などない」
直後に謁見の間の扉が一気に開かれ、血塗れとなった近衛兵が転がり込んだ。ヒステリーを起こした国王が喚き立てる。
「な、何事だ!!」
近衛兵は息も絶え絶えに顔を上げた。
「へ、陛下。魔物の、魔物の軍勢が、王宮に。城下は、城門を突破され、日本人が雪崩込んでおります。その数、約いちま」
声はそこで前触れもなく途絶えてしまう。やってきたファイアードラゴンにぐしゃりと踏み潰されたからだ。巨大な獣口から火炎と咆哮とが吐き出され、それを合図に竜の群れが謁見の間に雪崩れ込んだ。次々と重鎮らを屠り、食らい、わずかな肉片を残し腹へ納めて行く。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
私はその最中で優雅に剣を床につき立っていた。国王は玉座の前にへたり込み、口を開けたまま失禁してしている。
「な、何故だ。何故、こうなった……?」
私は親切にもごく簡単に説明をしてやった。
「ご存知ありませんでしたか? 我々日本人、そして日本人の血を引く混血はこの世界では既に十三万人を越えています。もはや少数派ではありません」
ところが呆れたことにこの世界の連中は日本人だけではない、自分達との間に生まれた混血まで差別していた。所詮は異世界人の血を引く子ども――純血には遠く及ばないと嘲笑っていたのだ。特に王族や貴族、裕福な商人らは日本人の女を嫌い、純血の女を妻とするのがステータスにまでなっていた。
そうした扱いに混血らの鬱憤が溜まらないはずもない。むしろ彼らは親世代よりも過激な思想を持つようになっていた。混血第一世代は既に十代後半から二十代半ば。立派に戦力として使える年代だ。私は五年の旅の中で彼らと語り、煽り、その怒りに火を付け武器を与えた。今頃各地で彼らが蜂起し、街や村を制圧していることだろう。
「そもそも異世界の人間がなきゃやってけないって時点でもう終わり」
私は国王に背を向け出口を目指す。
「この国も世界も、ジ・エンド。ご苦労様でした」
以後、私に逆らう保守派の現地人は有無を言わさず皆殺し、国王夫妻については見せしめに公開処刑を行った。最も公開処刑などと言う野蛮な風習もこれが最後だ。今日からこの国も世界も新しく生まれ変わるのだから。
私はかつての国王の首が高々と掲げられる様を眺めながら、四期目の当選時と同じ満足感と達成感を覚えていた。
*
――何故こんなことになってしまったのだろう。
どれだけ考えても分からない。
私はかつてとある王国の魔術師だった。若くして映えある魔術師団長の地位を賜り、国家戦略の一環として日本人の召喚を行ってきた。日本人は異世界人の中でもこと勤勉で従順、更には勇者や聖女としての適性があったからだ。労働力、戦力としては最適な人材だったと言える。だった、とは既にそうとは言えないからだ。
あのかつての勇者であるキョウコゥ・トッパ……日本人の名前はどうもうまく発音できない……は魔王討伐後に魔物と日本人から成る軍を率い、瞬く間に私の祖国を、この世界を統一してしまった。
既に王侯貴族はこの世にはなく、魔術師団も魔物に壊滅させられている。王都にいた私の親族も同じ運命を辿っているのだろう。だが、私はまだ死ぬわけにはいかない。死んだ両親が唯一残してくれた私の宝、弟がこの村に匿われていると知ったからだ。転移魔法で命からがら王都から脱出して三ヶ月。乞食のような格好でようやくこの村に辿り着いた。
なのに何故だ。
私はその場に呆然と手と足をついた。
何故村が焼き払われている!?
惨憺たる悪夢のような光景だった。燃え盛る炎が人の腕のごとく激しくうねっている。煉獄より救いを求め差し出されたように見えた。炎の腕は村を懐に抱き瞬く間に燃やし尽くして行く。
「――あら、長髪。やっと来たの。一歩遅かったわね」
確かに聞き覚えのある澄んだ声に、私は息を呑んで振り返った。
禍々しくも美しい一人の女が立っている。腰にまで伸びる艶やかな闇の髪に闇の瞳、きめ細かな肌に鮮やかな朱の唇が艶めかしい。身に纏った鎧は返り血で染められ、さながら死と戦の女神のようにも見えた。片手には聖剣、もう片手には何やら丸いものを鷲掴みにしている。
「悪いけど、あなたの一族は根絶やしにさせてもらったわ」
勇者はぽいと「丸い何か」私の手もとに放り投げた。「丸い何か」はごろりと一回転し、その正体を虚ろな目を以て私に示す。私によく似た銀の髪に銀の瞳、未だにあどけなくいとけない顔立ち――。
「ひいいいぃぃぃ!! エリオ、エリオぉぉぉっっ!!!」
それは誰よりも愛しい弟の首だった。
勇者は顔色一つ変えずに淡々と告げる。
「まだ子どもだから可哀想だとも思ったけど、代わりに苦しませずに殺したわよ。強い魔力のある者は、その血を残す可能性のある者は一人も生かしておけないの。人間は弱く狡く痛みから逃げる生き物だから」
そのためならばいとも容易く他人を傷つける。将来また何らかの危機が起こった時、私達の子孫がまた日本人を召喚しないとも限らない。それでは問題を解決したとは言えない。二度と召喚などに頼ってはならないのだ。第一日本も少子高齢化と人口減少が課題だと言うのに――勇者の言葉はわけが分からなかった。
「ううっ……。うあぁっ……」
私は弟の首を抱き締め滂沱の涙を流す。
一体私達が何をしたと言うのか? これほどの罰を受けるまでの罪を犯した記憶はない!!
そう、ただ私達は――
「国に従っただけです……!!」
勇者はこともなげに「あらそう」と微笑んだ。
「あなたの罪は自分の頭で考えなかったことよ。いつかこうなることはいくらでも予測ができたでしょうに」
恨むのなら無能なおのれの頭、おのれの国を恨むがいい――そう冷たく告げ勇者は聖剣を振り上げた。
「私達は帰ることができないけど、これで二度と日本人が無茶な召喚をされることもない」
それが私が最後に聞いた言葉だった。
*
――数百年後のこの世界の歴史は語る。
かくして日本人、キョウコゥ・トッパにより政権交代はなった。キョウコゥ・トッパは国名をシンニホンと変え、国王をシュショウと改めその初代となった。以降は戦禍からの復興、内政に力を入れ、簒奪者にして稀代の名君と称えられるようになる。
キョウコゥ・トッパ――そんなわけでとにかくすごい女だった、と最後の一文に書き加えられているのだそうだ。
なお何故歴代のシュショウ就任の際には、ダルマなる人形に目を入れる習慣となったのか、果たしてどんな意味が込められているのかは、歴史学者の間でも未だに謎のままとなっている。