前日、蝶音の部屋にて
「……明日、天使がくるらしい」
気だるげな声が部屋に響き渡った。
声を発したのは長い黒髪を2つに結った小柄な少女だ。
幼さを残した顔には似つかわしくない般若の刺繍が入った藍色の竹刀袋を背負っている。
「それは、主が言ったことですか?それとも嘘ですか?」
少女――蝶音の右隣に座っている少年がやや棘を含んだ口調で問いかける。
明るい金色の前髪と白い縁のメガネの奥から覗く紫色の瞳は氷のような冷たさを含んでいる。
目を合わせただけで凍り付いてしまいそうな視線で睨めつけられた蝶音は小さく鼻を鳴らしソファーに寝転がった。
「あのゴミ屑神が言ったことにきまってるじゃん。私がこんなことで嘘つくわけないって分らないの、トイレ?」
「そのあだ名で呼ぶのはやめなさい。私にはレイト・ウルフスタンという名前があるのです」
忌々しげに舌打ちをし、レイトは寝転がっている蝶音の横に座った。
「……そのことは、私以外に言ったのですか?」
ため息を零しながらレイトは問いかける。
「んにゃ、ついさっき連絡が来たからまだ言ってない」
「そうですか。……その新しい天使はどういった人物なのかは聞いていますか?」
そう尋ねられると蝶音はソファーの上に座り直し、ポケットから竹刀袋と同じ藍色のスマートフォンを取り出し、写真フォルダのアイコンをタップした。
「これ、三条朔夜。17歳」
茶髪の小柄な少年の写真を表示すると、レイトにスマートフォンを差し出した。
それを受け取ったレイトはしばらく眺めたあと
「すごく弱そうですね」
と、半ば馬鹿にしたような感想をぽつりと漏らした。
「それで、この方の罪は一体なんなのですか?」
電源を切ったスマートフォンを蝶音に突き返し問いかける。
「ああ、えっとね、怠惰だって。……予定だと、お父さんに絞殺されるんだってさ」
「怠惰……生への執着はなさそうですね。どうしてまた」
「……さあね?天使になる条件は、あれでしょう。七つの大罪のうちどれかを犯して死んで、且つ生への執着が強い人間だけでしょう」
「怠惰の罪を犯して死んだ人間に生への執着はあるのでしょうか。めんどくさがって死んだのに」
あはは、と蝶音は乾いた笑いをもらしてソファーから立ち上がり、レイトの方へと向き直った。
「……意外とあるのかもしれないよ?それに……」
そこで言葉を区切ると、蝶音は悪魔のような冷たい笑みを浮かべて
「私みたいな悪魔と契約人間かもしれないじゃん?……七つの大罪を犯して死んだ」
「……確かにそうですね。七つの大罪を犯して死んで、悪魔に憑かれた人間は天使になれますからね。貴女然り、セレス然り、亜里沙然り」
「レイトは確かギャンブルで破産させた相手に殺されて、それで傲慢の罪を犯して且つ生への執着が強かったから天使になったんだよね?」
「ええ、貴女は執事が姉たちによって殺害されて、その方を連れて逃げていればよかったのについ欲を出して姉を殺そうとして槍で全身を貫かれて死んだんですよね。……強欲の罪を犯して、悪魔に憑かれてそれで天使に」
「……だって殺したかったんだもん」
「だってじゃありません」
軽くため息をつきながらレイトはソファーから立ち上がり蝶音の額をかるく小突いた。
「新しい天使がくるなら、その方が住む部屋を掃除しないといけませんね。手伝ってくれますか?」
「手伝わないからね」
額を抑えながら蝶音はにっこりと、さっきの冷たい笑みが嘘のような明るい笑顔で笑う。
そう蝶音が言うと予めわかっていたのか、腹を立てた様子もなくレイトは柔らかい笑みを浮かべて部屋から出た。
一人取り残された蝶音は、再びソファーに座り直し、ポツリと呟いた。
「あーあ可哀想に」