002
ピピピピッ、ピピピピッ、ピピッ……。
耳元で鳴り響くブツを止めるところから悠耶の朝は始まる。
時刻は朝の6時半。
学校までは自転車をこいで30分と、わりかし近い場所にある。
その分、遊びに行く範囲もおのずと狭くなるのだが。
登校時間は毎朝7時半。部活の朝練のためだ。
「ふわぁぁ……」
と情けない声を出しながらボリボリと頭をかいてベッドから脱出。
寝ぼけ眼をこすりながら階段をおり、洗面所へむかう。
洗面所のドアを開けると、意外にも先客がいた。
「あ〜。悠くんだぁ。おはよう」
「あれ、姉ちゃん。起きるの早くない?」
「うん?そうかなぁ?目が覚めたから起きたんだよ?」
「……。そっか、それなら問題ないね」
「うん。問題なんてないよね〜」
ピンクと白のストライプが入った部屋着を着て、自慢の黒髪は肩に少しかかって揺れている。
目は薄く開いているが、まだ眠そうな人物こそ、悠耶の実の姉の上永怜子だ。
性格は能天気(というか無防備)で、他人の行動を見て、ほにゃほにゃと笑っている。
天然すぎて何を考えているのかわからない時まである。ちなみに、大学4回生だ。
スタイルにいたっては申し分がない(というか目のやり場に困る)。
本人いわく、何度もモデルにスカウトされたそうだが、全て断ったと聞いている。
詳細な理由は不明だが、
「私って、OLの服をきてお仕事したいのよ〜」
とか言ってたっけ。
「そういや姉ちゃんって就職決まったの?」
「ん〜?今年の10月に試験受けるんだよ〜」
「何の?」
「OLの服を着るための試験だよ〜」
「ふーん」
OLの服ってただのスーツなんじゃないの、と言いそうになるが姉の夢を壊すことになりそうなので、やめておくことにした。
洗面所でさっぱりし、朝飯を食べようとリビングにむかうと、そこにも先客がいた。
「おう、悠耶。いつも早いな」
「あぁ、おはよう。父さん」
「さっき話し声が聞こえたようだが?」
「姉ちゃんが起きてたんだよ」
「何?怜子がか?早すぎるだろう」
「知らないよ。何か用事でもあるんじゃないの?」
「そうか」
そういいつつ新聞に顔を落としたのは悠耶の父親である、上永隼人である。
仕事は翻訳家。なので、こうして家にいることが珍しいくらいだ。
忙しい時は、半年以上も家空けることもある。
専門的な分野の翻訳をする人の場合は、2ヶ月ほど前からその分野の勉強をするらしい。
だから、専門的な分野の翻訳の仕事は、1回でかなりの報酬が出されるという。
そういった父親の努力のおかげで生活できていると思うと、自然と感謝できるのだ。
ただ、機嫌が悪い時に相手を罵倒する言葉が異国語になるのは少々やっかいなのだが。
「父さん、今日は休みなの?」
「いや、明日から長期の仕事があるから、その打ち合わせで会社だよ」
「今回はどれくらいになるの?」
「2ヶ月ほどで帰ってくる。ちょっとした付き添いを頼まれただけだ」
「そっか無理すんなよ」
「うはは。もうオレは息子に心配される年齢になってしもうたか」
「そうかもね」
普段の何気ない会話。何気ないやりとり。これだけで機嫌がいいのか悪いかはわかる。
今日の父親は機嫌がいいようだ。
機嫌が悪ければ黙りこくって下を向き、「おう」とだけ言うからである。
ま、機嫌がいいことにこしたことはない。その方が日常生活に影響が少ない。
少し狭い食卓に並べられた朝食を口に運んでゆく。
いつも通りの朝。
いつも通りじゃない悠耶の鼓動。
それはタイムリミットが近づいている証拠だからか。
あるいはその先のことを考えてかはわからない。
さっさと朝食をすませた悠耶は自室に戻って身だしなみを整え、高校指定のカバンを肩にかけて玄関を目指す。
「あれぇ?悠くんは今日どこかに行くの〜?」
「学校だよ、学校。今日は始業式だから」
「そっかぁ。エンジョイしてるな〜、高校生活」
「そんなことないって。部活で忙しいんだし」
「それもエンジョイの一つだよ〜」
「……それもそうか」
部活も生徒会も何もないのもエンジョイ!
これが怜子のモットーらしい。
「おう、今日も頑張ってこいよ」
「親父もあんまりムリすんなよ」
「わかってらぁ」
「なんだよ、その言い方」
「うはは。ふざけただけだよ」
家族に見送られながら上永家の玄関をでて、すぐに自転車のカゴにカバンを放り込み、高校までのんびりと走ってゆく。
4月とはいえ、早朝はまだ少しだけ肌寒い。
ゆったりとした上り坂を上り、今度は急勾配の下り坂にさしかかる。
それを下りきり、入り組んだ住宅地を抜けるとそこに悠耶の通っている高校がそびえたっている。
朝早いからか、登校してくる生徒はみな部活の道具を持っている。
悠耶は朝の登校風景を眺めながら自分の自転車を決められた位置に止め、部室へと向かう。
「いよいよ……今日、なんだよな…」
不安と期待が入り混じるこの感情は何度経験してきたことか。
人間、同じことが何度か起こると慣れが生まれるものだが、これには一向に慣れる気配がない。
そわそわするというか、キョロキョロするといか………。
「おはよっ、悠耶!」
「うおっ!!……びっくりした…。なんだ、明か」
「そんなに驚かなくてもいいじゃないか」
背後から肩を叩かれ、耳元で挨拶されて驚かない人がいたらすごいと思う。
「お前、今日は早いのな」
「いや〜、生徒会という素晴らしい集まりがあってだな」
「……つまり始業式の準備ってワケか」
「ふぇぇ……眠いよぉ…」
「男がふぇぇとか言うな、気持ち悪い」
細身で小顔、白髪頭の理知的な友人こそ、中学時代からのつきあいがある氷室明である。
明は中学の時から生徒会にずっと憧れており、高校に入ってようやく悲願を達成したのだ。
書類整理や行事の裏方といった悲しみを背負った願いを。
明曰く、
『生徒会といったら出会いだろ!?』
らしい。
まったく、外見は大人しそうなんだから、内面も草食系になればいいのにと思う。
「そういえば悠耶、例の件はどーなったんだ?」
「あのさ、突然内容を伏せられて質問されても困るだけなんだが……」
「とぼけんなよ〜、彼女だよ、彼女」
「…………っ!」
心臓が跳ねる。
「その反応ってことは、何か進展があったのかな〜?」
「うっ、うるさいなっ!進展なんて何も起こってねぇよっ」
「それ、自分で言って悲しくならない?」
「………うう」
実際、何も起こっていないのが更に悠耶の心を抉る。
何も起こっていないんじゃない。何も行動を起こしてないだけなんだ。
だが、
「今日さ・・・何もかもが決まるんだ・・・」
「決まるって何がさ?」
「彼女とオレの運命」
「ふーん。まぁ、良くても悪くても結果だけ連絡してくれよな」
「あぁ・・・伝えられる精神力が残ってたらな」
それからしばらくは二人とも言葉を交さず、沈黙を保ったまま昇降口へ。
ここで明とはお別れである。
「じゃあな、明」
「おうっ!今年も同じクラスになれたらいいな」
「……っ!」
「どした?」
「いやっ、なんでもないよ。じゃ、部活行ってくるわ」
「???」
会話を一方的に打ち切り、部室へと急ぐ。
あまり自分の考えを人には悟られたくないのだ、オレは。
さて………。
今からは何も考えずに朝練に励むとしよう、そうしよう。
そう思いつつ部室へと急ぐ。