兄
この部屋から 見える景色は限られている。
赤 黒 青 緑 黄色
原色のスクリーンが刻一刻とスライドしている。何度目を瞬かせても 見えるものは変わらない。
そのうち全てが黒に見えてくる。するともう何も分からない。限られているのは色だけではないのだと理解する。
「兄さん」
「何?」
「何も無い ってどういうこと?」
妹は窓の方に顔を向けている。表情が分からない。
「何も感じないってことだよ」
「私たちが生きていることを 知らなければ「何も無い」ってことね」
伏し目がちに僕の方に向けた彼女の顔はぼやけていた。
「こんな気分好きじゃないわ」
僕は大げさに彼女の横たわるベッドを避けて窓を開けた。
「風がいいわ」
「いつもどこかから吹いてくる。噂話と一緒だな。」
「そうね。でもそれは人の話。一緒にするなんて馬鹿ね兄さんは。」
「馬鹿なものか。お前は外を知らないんだよ。」
彼女は沈黙する。親指の爪で反対の掌を刺している。一度咳払いをすると 大きなため息をつく。
「私には 外は見えないけれど 内はだれよりも良く見える。」
「それは お前の思いあがりだよ。弱い人間が自分を守る為につく大仰な嘘と同じだ。」
「嘘じゃないわ。だって私には兄さんの心が見えるもの」
「・・・・嘘ばかり」
「本当よ。兄さんは私の事が嫌い」
僕は一時沈黙する。
「お前にはやっぱり分からないよ」
彼女は首を振る。長い髪も同じように拒否している。それ以上言うなと。
僕はそれ以上部屋にいるのが耐え難くなる。廊下にでる。母親に会う。
「あんた また意地悪を言ったの?」
「言ってないよ。ただ事実を教えているだけだよ」
「それが意地悪だというのよ」
「母さんこそ 誰であろうと 知る権利を奪う事はできないんだ」
「そして 自分の真実を押しつける権利もないわ。」
僕は 母親を睨む。母親は面白そうに見つめ返す。
「あんたは あの子に嫉妬している。あの子の才能にね」
「・・・・だとしたら どうなの?あいつはもう目が見えなくなる。もうじき 世界を失う。あいつには 言葉を作るだけの 世界を見る事はできなくなる。あいつは ぽんこつになる。」
母親は僕の頬を叩く。
「あんたが目になればいい。そうしたら あの子はまた世界を受け取る事ができる。大丈夫。あんたはあの子を愛せている。でなければ わざわざ会いにきたりしない。あんたの望んだものを あの子がたまたま持っていただけのこと。大丈夫。あんたにもあの子にはない 才能がちゃんと備わっているから」
僕は 堪えていた涙を流す。
「僕が欲しかったものをあいつは 奪ったんだ。だから僕はあいつを少しぐらい苦しめたっていいじゃないか。僕はこんなに苦しんだんだ。あいつのせいで僕の成功が無くなったんだ。」
少しでも有名にしてやりたかった。僕の妹はこんなに凄いのだと。でも僕以上、僕が霞んでしまう程の栄誉を与えるつもりなどなかった。女々しいと思った。情けないと。でも 僕が手にしたものを 妹は「才能」というものだけで手に入れた。
「あいつが妹じゃなければ。もしかしたら殺したかもしれない。もしかしたら恋したかもしれない。」
「仕方ない。あの子もあんたもあたしの子だから。」
「あいつが嫌いだ。」
「うん。」
「死んじまえばいいんだ」
「うん。」
母親は泣く僕を黙ってみている。泣く姿を見られるのがどれだけ恥ずかしい事か みっともないことか。
普通ならばこんな醜態さらすくらいなら 死んだ方がましだと思う。マザコンと言われても仕方ない程の醜態だ。 けれど妹に八つ当たりした自分の方が情けなくて 馬鹿馬鹿しくて 体裁などどうでもよくなっていた。
僕がグイと涙を拭うと 母親は一言こう言った。
「あんたはやっぱりお兄ちゃんよ。」
年をとる度に 他人になるのが兄弟。
あんなに近くにいたのに 「お金」の話しやら 下世話な事でしか繋がりが持てなくなるのだから。 けれど馬鹿野郎なんて 言ってる割に 顔を見ると直ぐに許してしまう。 兄弟って変ですよね。