「星に行くの」
短編SFです。
娘と母の物語。
思いついたので書き上げました。
一
私が四歳の夏、母は星へ行った。
母が向かったのはケンタウルス座α星系の第三惑星——より正確には、その惑星が持つと推定されていた液体水の痕跡だった。だが四歳の子供に惑星系の分類を説明する親はいない。母も例外ではなかった。
「星に行くの」と母は言った。
打ち上げの朝を、私はほとんど覚えていない。覚えているのは首が痛くなるほど空を見上げたこと、母の手が私の手より大きかったこと、それだけだ。
母を載せた船は、四年と七ヶ月をかけて目的地に到達した。到着の通信が地球に届いたのは、それからさらに四年と七ヶ月だった。私は十三歳になっていた。
父は私を起こして一緒に聞かせてくれた。観測データの報告が続いた。最後に短い個人的な言葉があった。私の名前が呼ばれた。
それが最後だった。
六十二時間後、船の軌道が変化した。針路は地球へ向けたものではなかった。理由の送信はなかった。信号は十四日後に途絶えた。
当時の宇宙機関の公式見解は「機材トラブルによる事故」だった。私は成人してから公開された内部文書を読んだ。そこには「原因不明の意図的進路変更」と書かれていた。
母は事故で死んだのではない。どこかへ行ったのだ。
その事実が私の人生の針路を変えた。ある一つの座標へと。
ニ
物理学者になることは、最初から決まっていた。
父はそれを心配した。医者や教師を勧めた。娘が母の亡霊を追いかけることを恐れたのだろう。父の懸念は正しかった。しかし私はより良い嘘つきだった。「宇宙が好きだから」と私は言い続けた。二十八年間。
母が遺した論文は十七本あった。私は十三歳で最初のものを読んだ。十八歳で全部を読んだ。二十五歳で全部を理解した——そのとき初めて、母が何をしようとしていたかを知った。
母の最後の論文は、発表当時ほとんど無視された。微細構造定数αの空間的変動に関する理論的考察——宇宙全体でα値が均一である保証はなく、特定の条件下では局所的な変動領域が存在しうる、という主張だった。
根拠がなかったわけではない。二十一世紀初頭から、複数の研究グループが大型望遠鏡を用いたクェーサー吸収線の精密観測を続けていた。クェーサーの光が星間ガス雲を通過する際に刻まれる吸収線の波長パターンは、その領域でのα値に依存する。それを地上の精密測定値と比較すると、宇宙はあらゆる方向で均一ではないかもしれなかった。
しかし、査読者のコメントは辛辣だった。
「思弁的に過ぎる」「観測的根拠に欠ける」
しかし二つ、引っかかることがあった。
第一に、母が論文を発表したのは乗船の三ヶ月前ということだ。
第二に、論文の付録に、ある座標が記されていたということ。ケンタウルス座α星系の方向、目的地のやや外れた位置。「理論的異常が最も顕在化しうる候補点」という但し書きとともに。
後に私は知った。母はこの座標をミッション計画に組み込むよう宇宙機関に三度要請し、三度却下されていた。理由は
「観測的根拠に欠ける」
母は何かを知っていた。そしてあの夏の朝、彼女は星に行った。
私が第二次恒星間飛行船の物理学者ポストに志願したとき、選考委員会は私の動機を家族への使命感だと解釈した。それは間違いではなかった。ただ、完全でもなかった。
出発前に、私は宇宙機関の全文書の複製を要請した。許可されたものだけだったが、それで十分だった。
私は母の計算を再現していた。そして同じ答えに辿り着いていた。
三
恒星間航行とは、本質的には待機の技術である。
私たちは五年と三ヶ月をかけて飛んだ。船内では時間が奇妙に伸縮した——日課と睡眠と研究が繰り返され、暦だけが着実に進んだ。
航行二年目の冬、私はあの文書の付録を開いた。
その文書には続きがあった。
進路変更から四年三ヶ月と八時間後、通信局が受信した記録。担当者の注記は一行だけだった。「解読不能。発信源の方向は一致。ノイズと判断し保留。」
信号データが添付されていた。
αの変動域を通過した電磁波は、搬送周波数がずれる。どの程度ずれるかは、変動の強度と伝播距離から計算できる。私は三ヶ月かけて補正をかけた。完全には復元できなかった。全体の六割が欠落していた。残った四割を繋ぐと、こうなった。
(以下原文)
- - -
日 の座標に異常がある。α値 の理論と 一致 進路変更を 機関には伝わら ないが 記しておく。
- - -
私は長い時間、その断片を見ていた。
母は叫んでいたのだ。ただ、その声が届かなかっただけだった。そして今、私は同じ座標へ向かっている。
目的地に到達したのは、三十四歳の誕生日の三日後だった。
観測を開始してから十九時間で、私は異常を発見した。
基準値からの相対偏差で言えば、一〇のマイナス六乗のオーダー。クェーサー観測で報告されてきた宇宙論的変動と同じスケール。しかしそれは億光年規模の緩やかな勾配ではなく、数十天文単位の範囲に局所的に集中していた。そして方向に規則性があった——ある一点を中心に、距離の二乗に反比例して変動が減衰する。
中心座標を計算した。
母の論文に記された座標と、誤差〇・〇〇三パーセントで一致した。
私は船長のもとへ行き、データを提示し、偵察を要請した。反対があった。議論があった。私は冷静に話し続けた。二十八年間の忍耐が、この瞬間のためにあった。
最終的に、四十八時間の偵察飛行が承認された。
四
母の船は、完全な形で漂っていた。
それが最初の驚きだった。事故を想定していた者たちは言葉を失った。船体に損傷はない。すべての電力が落ちていた。
内部は真空ではなかった。温度はマイナス四十度。与圧隔壁が機械的に閉じたまま保たれていた
乗組員の痕跡があった。しかし乗組員はいなかった。
私は母の研究室へ向かった。二十四年間、写真と映像でしか知らなかった空間。実際に踏み込むと、想像より狭かった。机の上に、固定されたノートが一冊あった。
五
タイムスタンプが、最初から矛盾していた。
最初のエントリは到着日の翌日。内容は、α値の異常を検出したこと、理論通りであること、予定通り座標へ向かうこと。
問題は次のエントリだった。日付が、最初のエントリより三年前だった。内容は、当時母がまだ到達していない恒星系の観測データだった。
私は順序を無視して読み始めた。
母の思考は明晰だった。日付が崩壊していても、論理の筋は追える。座標に近づくにつれて計測機器が、存在するはずのない値を返し始めた。時間の経過が場所によって違った。
終盤のエントリにこう書かれていた。
「全員がそこに行くことに同意した。みんな、神妙な面持ちだった。」
さらに後のエントリで——タイムスタンプはもはや意味をなさなかった——母は私の名前を書いていた。「彼女はもうすぐここに来る」と。
日付を確認した。私が生まれる十一ヶ月前だった。
私はしばらく動けなかった。宇宙服の中で、自分の呼吸だけが聞こえた。
さらに読んだ。末尾近くにこう書かれていた。
「彼女の声を記録した。再生ファイル:外部入力/受信/未分類/〇〇四七」
私の声だった。私がまだ録音していない声が、そこにあった。息が詰まりそうだった。
六
船の外に出ることを、当然他の乗組員は止めようとした。
通信に船長の声が入った。プロトコル違反。安全規則。帰還命令。私は応答しなかった。すべての計算が一つの方向を指しているとき、人は計算に従う。それだけのことだ。
座標の中心へ向かって歩いた—もっとも、飛んだという言葉が正しいのだろうが。
一歩ずつ確かめるような速度で。
変化は段階的だった。最初に気づいたのは思考ではなく、身体だった。
指先に違和感があった。痛みではなく——感触のが変わった。私の体を構成するすべての分子が、わずかに別の法則に従い始めるている感じだった。神経信号を伝える化学反応そのものが、ここでは少し違う速度で走っている。体の内側から感じる変化は、観測機器の数値より先に届いた。
それから思考が変容した。あの四歳の夏の朝と、まだ来ていない何かが、並列に知覚された。
私は録音を開始した。母へ話しかけた。ファイルで聞いた通りの言葉を、聞いた通りの抑揚で。
引き裂かれるのではなかった。溶けるのでもなかった。強いて言えば——選択された、という感覚。無数の可能性の束の中から、私という観測者が一つの経路に収束した。
七
見慣れた部屋だった。
私の部屋だった。しかし机の上のデジタル時計が、私の記憶より十年古い日付を示していた。
部屋にあるコンピュータを開いた。パスワードは私の生まれた日付だった。恒星間飛行について調べた。ヒットしたのはサイエンスフィクションものの小説や映画ばかりだった。
ケンタウルス座α星系の探査は、望遠鏡による観測のみで行われていた。
母の名前を検索した。
母は生きていた。ここでは母は大学の教授だった。宇宙へは一度も行っていなかった。
私は長い時間、画面を見ていた。
それから、母の研究リストを確認した。この世界の母は、α値の空間的変動について一行も書いていなかった。
私は新しいファイルを作成した。書き始めた。二十年かけて理解した数式を、論文の形に整えていく。母が辿り着いたはずの結論を、私が辿り着いた観測事実とともに。付録に座標を記した。
著者欄に、母の名前を書いた。それから、私の名前を。
八
玄関のドアが開いたのは夕方だった。
鍵の音。荷物を置く音。台所で水を飲む音。それから足音。
「ただいま」と母は言った。涙目の私を、母は少し不思議がった。
了




