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五つの旗、一つの誓い

 長い沈黙だった。


 アルカディア・ノヴァの大広間に満ちる静寂を、レイドは静かに受け止めていた。


 ヴィルヘルム三世の視線が、古代の研究ノートから離れ、ゆっくりとレイドに戻る。老王の瞳には、葛藤と——そして、諦めに似た覚悟が宿っていた。


「——よかろう」


 その一言が、歴史を動かした。


「クレスティア王国は、辺境都市アルカディア・ノヴァを中核とする大陸連合軍に参加する。統一指揮権は、レイド・アシュフォードに委ねる」


 王国随行団の貴族たちがざわめいた。だが、ヴィルヘルム三世が片手を上げると、波紋のように静まり返る。


「ただし条件がある。余の目の届く場に、王国軍の連絡将校を置くことを認めよ」


「もちろんです。情報の透明性は連合の基盤ですから」


 レイドが頷くと、老王はわずかに目を細めた。信頼ではない。だが、少なくとも——対話の余地を認めた顔だった。



  ◇



 三日後。


 アルカディア・ノヴァの中央広場は、かつてない熱気に包まれていた。


 五つの旗が風にはためく。辺境都市の銀と緑。ファングランドの深紅の牙。シルヴァリアの翠緑の葉。ドゥルガンの鉄灰色の槌。そしてクレスティア王国の蒼と金の獅子。


 大陸の歴史上、五つの勢力が同じ場所に旗を掲げたことは一度もない。


「まさか、この目で見ることになるとはな」


 ガルムが腕を組んだまま、低く呟いた。虎の耳がわずかに動く。広場を埋め尽くす各国の代表団を、鋭い目が見渡していた。


「感慨深いか?」


「いや。これからが本番だと思っただけだ」


 レイドは小さく笑った。ガルムらしい答えだった。


 大広間の中央には巨大な円卓が据えられている。古代アルカディアの遺跡から発掘された白石を磨き上げたもので、ミーシャが三日がかりで修復した。五つの席が等間隔に配置されている。上座はない。


「等間隔の配置——リリアーナの提案ですわね」


 フィーネが微笑んだ。


「序列を設けないことが、連合の精神を体現するんだって。さすがですよね」


「さすがリリアーナですわ、って言おうとしたのに先を越されましたわ」


 当のリリアーナが横から顔を出し、悪戯っぽく笑う。だがその目には、緊張の色がかすかに滲んでいた。


 無理もない。今日の調印式には、クレスティア王国の貴族団も出席している。かつてリリアーナの家を没落に追い込んだ者たちが。



  ◇



 調印式は、粛々と進んだ。


 各勢力の代表が順に条約文に署名する。ファングランドの族長グラオが獣人特有の太い筆跡で名を刻み、シルヴァリアの長老使節が流麗なエルフ文字を添え、ドゥルガンの大使が頑丈な鉄印を押した。ヴィルヘルム三世は一瞬だけ手を止めたが、やがて王家の紋章入りの署名を記す。


 最後にレイドが立ち上がった。


「連合軍の指揮体制について、発表します」


 大広間が静まる。


「前線指揮は、ガルム・ドラグハートがファングランド軍との合同で担う」


 ガルムが無言で一歩前に出た。ファングランドの族長グラオが深く頷く。獣人同士、戦場で背中を預けた経験がある。言葉は不要だった。


「医療・補給ネットワークの統括は、フィーネ・ルーチェ。シルヴァリアの癒し手と連携し、全戦線の生命線を守ってもらう」


 フィーネが一礼した。その瞬間——シルヴァリアの使者が一歩進み出た。


「フィーネ殿」


 翡翠色の長衣をまとった女性エルフが、静かに告げる。


「本題の前に、一つお伝えしたいことがございます。あなたの母上——エレノーラの名は、先の長老会議にて正式に復権されました」


 フィーネの目が見開かれた。


「……母の名が?」


「長老会議は、過去の追放決議が誤りであったと認めました。詳細は後日お伝えしますが——あなたの母上は、森を追われるべき方ではなかった」


 フィーネの唇がわずかに震えた。だがすぐに表情を引き締め、深く頭を下げる。


「……ありがとうございます。今は、連合軍の任務に集中します」


 レイドはフィーネの横顔をちらりと見た。後で話を聞こう。エレノーラという名前の裏に、まだ語られていない何かがある。


「兵站管理の全権は、リリアーナ・フォン・クレスティアに委ねる」


 リリアーナが前に出た瞬間、王国貴族団の間にさざ波が走った。


「あれは……クレスティア家の?」


「馬鹿な、没落したはずの——」


 囁き声が広間を這う。リリアーナは背筋を伸ばしたまま、一切の動揺を見せなかった。


「ドワーフとの鉄鋼交易協定、シルヴァリアとの薬草輸入網、ファングランドとの食糧交換ルート。全て彼女が築き上げたものです」


 レイドの言葉に、ドゥルガンの大使が重々しく頷いた。


「我らドゥルガンが認めた商人だ。異論のある者は、まず彼女の実績を超えてから申し出よ」


 貴族団が黙り込んだ。


 かつてリリアーナの没落を嘲笑い、借金取りを差し向けた者たちが、今は口を閉ざして彼女の背を見つめている。


 リリアーナは振り返らなかった。ただ一度だけ、小さく息を吐いた。


「そして」レイドが最後の名を告げる。「全戦線を繋ぐ戦略情報通信網の中枢は、ミーシャが担う」


「はいなのです!」


 ミーシャが元気よく手を挙げた。


「古代アルカディアの通信魔術を拡張して、全軍のリアルタイム情報共有を実現するのです。どんなに離れた戦場でも、三秒以内に情報が届くのですよぅ」


 各国の使節団が息を呑んだ。リアルタイム通信——それは千年前のアルカディアですら完全には実用化できなかった技術だ。


「可能なのか?」ヴィルヘルム三世が問う。


「ミーシャがやると言ったら、できるのです」


 小さな胸を張るミーシャに、ガルムが珍しく口角を上げた。



  ◇



 体制発表が終わり、レイドは円卓の中央に立った。


 五つの勢力の代表が見つめる中、彼は静かに口を開く。


「この場にいる全員が、何かを奪われた経験を持っている」


 広間が静まり返った。


「土地を奪われた者。名誉を奪われた者。家族を奪われた者。故郷を、誇りを、居場所を——」


 一拍の間。


「俺もそうだ。宮廷を追われ、荒野に放り出された。恨みがなかったと言えば嘘になる」


 ヴィルヘルム三世の表情がかすかに強張った。


「だがこの連合は、恨みを忘れるためのものじゃない」


 レイドの声が、大広間の隅々まで響く。


「恨みを超えて——守るべきものを守るためのものだ」


 フィーネが目を伏せ、ガルムが静かに拳を握り、リリアーナが唇を引き結んだ。それぞれの胸に、それぞれの痛みがある。だが今、その痛みが一つの方角を向いている。


「明日から、俺たちは一つの軍として動く。種族も国境も過去も関係ない。この場所から始まった共存の理念を——大陸全土に証明する」


 静寂。


 そして——族長グラオが立ち上がり、獣人の流儀で右拳を胸に叩きつけた。ファングランドの最高位の敬礼。


 シルヴァリアの使節が手を胸に当て、エルフの祝福の仕草を示した。ドゥルガンの大使が鉄兜を脱ぎ、頭を垂れる。


 最後に、ヴィルヘルム三世がゆっくりと椅子から立ち上がった。


 老王は何も言わなかった。ただ一度、深く頷いた。


 大広間に拍手と歓声が満ちた。五つの旗が、同じ風に揺れている。



  ◇



 祝賀の空気が広場を満たし、各国の代表団が杯を交わし始めた矢先だった。


 大広間の扉が、けたたましく開け放たれた。


「ご主人様っ——!」


 ミーシャが蒼白な顔で駆け込んでくる。通信用の魔術式を耳元に展開したまま、その虹色の瞳は恐怖に揺れていた。


「南部戦線が——ドゥルガンの首都防衛線が突破されました」


 広間の空気が凍った。


「四蛇の一人が、直接出てきたのです」

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