三国の答え、一つの沈黙
翌朝、レイドは司令室の通信卓に向かった。
卓上には三つの魔導通信球が並んでいる。北のファングランド、東のシルヴァリア、南のドゥルガン。大陸に散らばる三国との同時通信を可能にする、ノヴァ・アルカディアの最新インフラだった。
「ミーシャ、回線は安定しているか」
「三回線同時接続、マナ出力は安定域なのです。いつでもどうぞですよぅ」
ミーシャが虹色の瞳を輝かせながら、通信球の上に指を滑らせる。三つの球体が淡い光を放ち始めた。
レイドは深く息を吸い、通信を起動した。
「——各国の代表に告げる。深淵教団の脅威は、もはや一国で対処できる規模ではない。連合軍の結成を、正式に提案したい」
◇
最初に応じたのは、ファングランドだった。
通信球から響く声は複数——族長会議そのものが回線の向こうにいた。
「虎族族長ベルグが代弁する。我らファングランド七部族は、満場一致で賛同を表明する」
低く、地鳴りのような声だった。ガルムが微かに目を見開く。
「ベルグ——あの爺がまだ現役か」
「知り合いなの?」
フィーネの問いに、ガルムは短く頷いた。
「俺が傭兵団にいた頃の師匠みたいなもんだ。歳は取ったが、あの人の前では嘘はつけん」
通信越しに、ベルグの声が続く。
「先遣隊三百をこのベルグが直々に率い、辺境都市に向かう。五日で着く」
「五日? ファングランドからでは最短でも十日はかかるはずですわ」
リリアーナが地図を広げて眉をひそめた。
「もう動いておる。北部戦線の異変を受け、南下の準備は済ませてあった」
老将の判断の速さに、レイドは思わず口角を上げた。
「——ありがたい。ベルグ将軍、到着を待っている」
通信が一旦切れる前に、ベルグの声がガルムに向けられた。
「ガルム。北部戦線の敵将は異常だ。獣人の戦い方を知り尽くしている。牙陣も、爪撃も、全て読まれた。あれは——獣人の中にいた者だ」
ガルムの表情が凍りついた。
「……どういう意味だ」
「会って話す。通信では言えん」
それだけ言って、ファングランドの回線が閉じた。
◇
次に応じたのはドゥルガンだった。
鍛冶の槌音が遠くに響く通信の向こうで、ドゥルガン王グロムの太い声が轟いた。
「レイド・アシュフォード。儂の鉱山都市を救ってくれた恩、忘れておらん。工兵団五百と攻城兵器を出そう」
「感謝する、グロム王」
「感謝は要らん。あの暴走兵器の残骸を調べた。教団の連中、古代の禁術に手を出しておる。放っておけば次は我らの首都が狙われる」
グロムの声には怒りが滲んでいた。自国の被害を目の当たりにした王の決断は、誰よりも速い。
「工兵団の到着は七日後になる。重機材があるでな。だが——ひとつ条件がある」
「聞こう」
「連合の指揮権を一人に集約しろ。船頭が多ければ船は山に登る。儂はお前を推す」
レイドは一瞬言葉に詰まった。追放された宮廷魔術師が連合軍の総指揮を執る。皮肉な話だった。
「……検討させてくれ」
「検討などするな。お前しかおらん」
ドゥルガンの回線も閉じた。
◇
残るはシルヴァリア。
通信球が繋がった瞬間、空気が変わった。複数の声が重なり、明らかに議論の最中だった。
「——人間との軍事同盟など、千年前の悲劇を繰り返すだけだ」
反対派の長老の声が、鋭く通信に乗った。
「アルカディア連合の崩壊を忘れたか。あの時も人間は我らに共闘を求め、最後には——」
「長老ファルネーゼ。過去の話は——」
「過去ではない! 我らエルフは千年を生きる。あの惨禍は、この目で見た者がまだ生きておるのだ」
沈黙が落ちた。千年前の崩壊に、エルフが深く関わっていたことを示唆する言葉だった。ミーシャの表情が僅かに曇る。
レイドが言葉を探していると、隣でフィーネが一歩前に出た。
「——私に、話させてください」
「フィーネ?」
フィーネは通信球に手を置いた。その指先が微かに震えている。
「シルヴァリアの長老の皆様。私はフィーネ・ルーチェ。ハーフエルフです」
通信の向こうがざわめいた。
「人間の血が混じった半端者が——」
「はい。半端者です」
フィーネの声は静かだった。けれど、揺るぎがなかった。
「エルフの森では『汚れた血』と呼ばれました。人間の町では『尖耳の化け物』と石を投げられました。どこにも居場所がなかった」
司令室の空気が張り詰める。レイドはフィーネの横顔を見つめた。普段は明るい笑顔の下に隠している痛みが、今は剥き出しになっていた。
「でも、この辺境都市で——ノヴァ・アルカディアで、初めて居場所を見つけたんです。獣人も、ドワーフも、人間も、みんなが隣にいてくれる場所を」
フィーネの声が少し震えた。けれど、すぐに持ち直す。
「半端者の私でも、守りたいものがあります。この街と、ここで一緒に暮らす人たちを。だから——お願いします。力を貸してください」
長い沈黙があった。
やがて、老いた声がゆっくりと口を開いた。
「……ルーチェ、と言ったか。その姓は知っておる」
「え?」
「三十年前に森を出た娘がいた。人間と恋に落ちてな。——お前の母だろう」
フィーネの目が大きく見開かれた。
「シルヴァリアは賛成多数で同盟に参加する。ただし——条件がある。フィーネ・ルーチェ。連合会議にエルフ側の連絡役として出席せよ。お前のような者こそ、種族の橋渡しに相応しい」
フィーネは声を詰まらせながら、深く頭を下げた。
「——はい。必ず」
◇
三つの通信球が全て沈黙した。
司令室に、静かな安堵が広がる。
「三国同盟、成立ですわね」
リリアーナがすでにペンを走らせていた。兵站計画の草案だ。ファングランド先遣隊三百の宿営地、ドゥルガン工兵団の資材置き場、シルヴァリア弓兵部隊の配置——全てを辺境都市の既存インフラに組み込む計算を始めている。
「食糧備蓄は現状で二千人分が三ヶ月。連合軍の到着で最低五千人規模になりますから、農業区画の拡張と交易路の増設が急務ですわ」
「リリアーナ、頼む。俺は都市の魔法インフラを連合軍の後方支援用に再構成する」
レイドの目が研究者のそれに変わった。通信網の帯域拡張、防衛結界の範囲再設定、補給物資の転送魔法陣——やるべきことが山積みだった。
「つまりマナ供給ラインを軍事と民生で分離して、それぞれに独立した制御系統を——いや待て、そもそも転送魔法陣の同時稼働数を増やすなら、地下遺跡の第三層にあった増幅器が使えるかもしれない——」
「ご主人様、また独り言が始まったのです」
ミーシャが呆れたように肩をすくめたが、その目は嬉しそうだった。
フィーネが涙の跡を拭いながら笑う。
「レイドさんがああなったら止まらないですね」
「ああ。いつものことだ」
ガルムが短く言って、腕を組んだ。
だが、その目は笑っていなかった。
◇
夜になった。
司令室には、レイドとガルムだけが残っていた。
窓の外には、西の空に沈みゆく月が見える。クレスティア王国がある方角だ。
「団長」
ガルムが静かに口を開いた。
「三国は揃った。だが——一つ、足りないものがある」
「……わかっている」
「クレスティア王国だ。大陸最大の軍事力。あそこが動かなければ、千年前の二の舞になる。ミーシャもそう言っていた」
レイドは答えなかった。
ガルムが一歩近づいた。
「団長。王国が頭を下げてきたら——お前はどうする」
追放された国。自分を「役立たず」と切り捨てた国。そしてヴァルターが宰相として君臨し、教団との繋がりすら疑われる国。
その国に手を差し伸べるのか。それとも——。
レイドは答えられなかった。
窓の外の西の空を、ただ黙って見つめていた。




