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深淵への宣戦

 沈黙が、重かった。


 ヴァルターの言葉が夜気に溶けた後も、レイドはその場から動けなかった。七つのマナ脈の活性化。都市の起動。自分がやったことの全てが、深淵教団に最後の鍵を与えてしまった——その事実が、鉛のように胸に沈んでいく。


「俺が……条件を揃えた、のか」


 呟きは、誰に向けたものでもなかった。膝に力が入らない。仲間を守るために築いた街が、世界を滅ぼす引き金になっていたなど。


「ご主人様」


 ミーシャの声が、静かに割り込んだ。銀髪の人工精霊は虹色の瞳でレイドをまっすぐに見つめていた。いつもの幼い軽さは、そこにはない。


「ミーシャは千年前のことを知っているのです。だから、はっきり言えるのです」


 一歩、近づく。


「ご主人様が都市を起動しなくても、教団は別の方法でマナ脈を活性化させたはずなのです。古代アルカディアの時代にも、彼らは同じことをやったのですから」


「……別の方法?」


「強制的なマナ抽出。大地を汚染して、無理やり脈を開く。千年前はそうやって大陸の半分を焦土に変えたのですよぅ」


 ミーシャの声に、珍しく怒りが滲んだ。


「むしろ、ご主人様が都市を起動して正規の手順でマナ脈を安定させたからこそ、ミーシャたちは対抗する力を手に入れたのです。都市級の魔術基盤なしに、深淵門を止める方法なんて存在しないのですよ」


 論理的で、明快な言葉だった。千年の知識に裏打ちされた、揺るぎない事実。レイドは深く息を吸い込み、そして吐いた。


「……ありがとう、ミーシャ。助かった」


「えへへ。ご主人様を支えるのが、ミーシャの存在意義なのです」


 いつもの笑顔が戻る。だが、その瞳の奥にある決意の光は消えていなかった。


 レイドは背筋を伸ばした。自責に浸っている時間はない。やるべきことは、一つだ。



  ◇



 深夜にもかかわらず、アルカディア・ノヴァの会議室には全員が揃った。


 円卓を囲むように座る仲間たちの顔を、レイドは一人ひとり見渡した。右にフィーネ、左にガルム。向かいにリリアーナ、その隣にミーシャ。都市の主要な部門長たちも後方の席に着いている。


「全員に、包み隠さず話す」


 レイドは立ち上がり、状況を説明し始めた。七つのマナ脈の活性化。深淵教団の最終儀式。都市の起動が条件の一つだったこと。ヴァルターから得た情報の全て。


 説明が終わると、会議室は水を打ったように静まり返った。


 最初に沈黙を破ったのは、ガルムだった。


「つまり——戦うべき敵がはっきりしたってことだな」


 巨躯の獣人は腕を組んだまま、不敵に笑った。牙が覗く。


「千年前の化け物だろうが何だろうが関係ない。目の前に来るなら叩き潰す。俺たちはそうやってここまで来ただろう、団長」


「ガルム……ああ、その通りだ」


「防衛の指揮は俺に任せろ。三千体の魔獣を退けた守備隊は伊達じゃない。獣人連合にも動員をかける。ファングランドの戦士たちは、こういう戦いを待っていたはずだ」


 力強い言葉に、後方の部門長たちの表情が僅かに和らいだ。


「政治と外交はわたくしにお任せくださいまし」


 リリアーナが扇子を畳み、鋭い目でレイドを見た。いつものお嬢様然とした雰囲気の奥に、交渉者としての切れ味が光る。


「万象の盟約に基づいて、ドワーフ王国とエルフのシルヴァリアに正式な援軍要請を出しますわ。クレスティア王国に対しても——ヴァルターが失脚した今、穏健派の貴族を通じて共闘を打診できるはずですの」


「王国が応じると思うか?」


「応じざるを得ない状況を作るのが、外交というものでしょう?」


 リリアーナは不敵に微笑んだ。


「大陸全土の危機ですもの。自国だけ安全だと思っている愚か者がいたら、事実を突きつけて差し上げますわ」


 その言葉に、レイドは小さく頷いた。かつて借金に追われていた少女は、いつの間にか大陸規模の外交を語る参謀に成長していた。


「私も」


 フィーネの声は小さかったが、会議室の全員に届いた。金髪の下から覗くエルフの耳が、僅かに震えている。


「……もう逃げません」


 碧い瞳が、真っすぐにレイドを見つめた。


「人間にもエルフにも居場所がなかった私に、この街は帰る場所をくれました。守りたいと思える人たちをくれました」


 フィーネは両手を胸の前で握りしめた。その掌に、薄緑色の光が灯る。植物魔法の、柔らかな輝き。


「みんなを守れる力を、この街は私にくれたんです。だから——私は私の全力で、この街と、ここにいる全員を守ります」


 会議室に温かい空気が流れた。ガルムが小さく鼻を鳴らし、リリアーナが目元を拭う素振りを見せた。


「ミーシャも誓うのです」


 人工精霊が円卓の上に飛び乗り、胸を張った。


「千年前、ミーシャは封印されるしかできなかったのです。でも今は違う。ご主人様がミーシャを見つけてくれて、もう一度世界と向き合う機会をくれたのです」


 虹色の瞳が、千年分の記憶を映すように揺れた。


「古代アルカディアの知識と記録。深淵教団の弱点。封印術式の理論。ミーシャが持つ全てを、この戦いに捧げるのですよぅ」


 全員の視線が、レイドに集まった。


 銀灰色の髪の魔術師は、一瞬だけ目を閉じた。追放されたあの日のことを思い出す。「お前の魔法は役立たずだ」と言われ、荒野に放り出された日。あの時の自分は一人だった。


 だが今は違う。


「——ありがとう」


 レイドは目を開いた。深緑の瞳に、迷いはもうなかった。


「全員で行くぞ。中心塔へ」



  ◇



 アルカディア・ノヴァの中心塔。都市の魔導インフラの中核であり、七つのマナ脈と接続する古代の通信施設。


 レイドはその最上階に立ち、万象構築魔術を起動した。


 魔術式が空中に展開される。通常の六属性に属さない、現象そのものを記述するメタ魔術の輝き。その光が通信用のマナ波に乗り、大陸全土に張り巡らされた魔導通信網を通じて拡散していく。


 ドワーフの地底都市へ。エルフの森林国家へ。獣人連合の草原へ。そして——クレスティア王国の王都へ。


「聞こえるか。俺はレイド・アシュフォード。アルカディア・ノヴァの——いや、ただの一人の魔術師だ」


 声が、大陸中に響き渡る。


「深淵教団が復活の儀式を企てている。千年前に大陸を焦土に変えた、あの闇が再び蘇ろうとしている。これは一つの都市の問題じゃない。一つの国の問題でもない。大陸に生きる全ての種族——全ての命に関わる危機だ」


 背後で、フィーネが祈るように手を組んでいた。ガルムが腕を組んで頷き、リリアーナが静かに目を閉じている。ミーシャがレイドの肩に手を置いた。小さな手から、千年分の力が流れ込んでくるようだった。


「俺はかつて、役立たずだと言われて追放された。だが、この辺境で出会った仲間たちが教えてくれた。力とは、誰かを打ち倒すためだけのものじゃない。守るために、築くために、繋ぐために使うものだと」


 レイドは拳を握った。


「全ての国と種族に呼びかける。共に戦ってほしい。千年前に一度砕かれた闇に——今度こそ、終止符を打つ」


 宣言が終わり、魔術式の光がゆっくりと消えていく。


 静寂が訪れた。


 フィーネが「レイドさん……」と呟き、ガルムが「いい演説だったぞ、団長」と低く笑った。リリアーナが「さあ、忙しくなりますわね」と扇子を開いた。


 その時だった。


 大陸南東の空が——真っ黒に染まった。


 夜空とは違う、光を一切通さない完全な暗黒。まるで空そのものが壊死したかのように、闇が広がっていく。


「な——何なのです、あれは!?」


 フィーネが窓に駆け寄る。遠い水平線の彼方、海底遺跡のマナ脈がある方角から、禍々しい瘴気が天を衝くように噴き上がっていた。


 そして——魔導通信網に、ノイズが走った。


 レイドが構築した通信術式に、外部から何者かが割り込んでくる。あり得ない精度で。あり得ない強度で。


 聞き覚えのある声が、大陸中に響き渡った。


「——美しい宣言だ、万象の術師よ」


 蛇の司祭。粘りつくような声が、通信網を侵食する。


「だが我が主は既に目覚めの眠りについている」


 レイドの背筋に悪寒が走った。我が主。蛇の司祭でさえ従う、上位の存在がいるというのか。


「お前たちに残された時間は——あと七日だ」


 通信が途切れた。


 会議室に、重い沈黙が落ちた。七日。たった七日で、千年の因縁に決着をつけなければならない。


 レイドは南東の空を見つめた。漆黒の瘴気が、刻一刻と広がっていく。


 最終章の幕が——今、上がった。

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