新生アルカディア・ノヴァ
大地が、歌っていた。
それ以外に表現のしようがなかった。地鳴りとも振動とも違う、深く澄んだ共鳴音が足元から全身を貫いている。レイドは制御塔の最上層から眼下の光景を見つめ、息を呑んだ。
荒野だったはずの大地から、白亜の建造物が次々と隆起していく。千年の眠りから覚めた古代アルカディアの遺構が、まるで巨大な花が咲くように地表へ姿を現した。
だが、それは単なる遺跡の復元ではなかった。
住民たちが汗を流して建てた木造の家屋、石積みの工房、レンガの商店。それらと古代の白亜の壁面が、魔力の光を帯びながら滑らかに融合していく。木の梁が白い石柱に接ぎ、屋根瓦が古代の結晶タイルと一体化する。
「すごい……」
隣に立つフィーネが、両手で口元を覆った。碧い瞳に光の粒子が映り込んでいる。
「建物が壊れるんじゃなくて、繋がってる。まるで街全体が一つの生き物みたいです」
「古代アルカディアの都市設計思想だ」
レイドは研究ノートを握りしめたまま答えた。
「既存の構造物を破壊せず、補強し、取り込む。排除ではなく共生。……千年前の技術者たちも、同じ理念で都市を作ったんだろう」
空中に淡い光球が次々と灯り始めた。魔導灯だ。等間隔に浮遊し、街路を昼のように照らしていく。道路のひび割れが端から修復され、滑らかな白い石畳へと変わっていく。自動修復機能の起動だった。
「ご主人様、気候制御結界も展開完了なのです!」
ミーシャが虹色の瞳を輝かせながら宙に浮かんだ。
「都市全域の気温を常時快適帯に維持。降水量も自動調節されますよぅ。これでもう荒野の砂嵐に悩まされることはないのです」
眼下の広場から、歓声が聞こえた。
住民たちが家から飛び出し、変貌する街並みを指差している。獣人の子供たちが魔導灯を追いかけ、エルフの職人が白亜の壁面に触れて感嘆の声を上げていた。
「団長」
背後からガルムの低い声がした。腕を組み、眼下の光景を見渡している。
「……悪くない眺めだ」
寡黙な虎族の戦士が、わずかに口元を緩めている。レイドは思わず笑った。ガルムのその一言は、長い賞賛よりも重い。
「リリアーナ、通信の準備はどうだ?」
「万全ですわ」
リリアーナが制御盤の前で振り返った。赤毛を揺らし、自信に満ちた笑みを浮かべている。
「古代の魔導通信網を応用した映像付き同時通信。シルヴァリア、ファングランド、ドゥルガン、そしてクレスティア王国。四カ国同時に送信できますわ」
「よし」
レイドは一つ深呼吸をした。
これは単なる都市の起動報告ではない。大陸全土への宣言だ。
「送信を開始してくれ」
◇
通信が繋がった瞬間、各国の反応は即座に返ってきた。
最初に声を上げたのは、ドワーフ王ドゥルバンだった。映像の中で白い髭を撫で、豪快に笑っている。
「はっはっは! 百聞は一見にしかず、とはまさにこのことじゃ。あの坊主は本物じゃぞ、各国の頭の固い連中よ!」
シルヴァリアの長老評議会は沈黙していた。だが、映像に映る古代建築の優美さ——エルフの美意識にも通じる有機的な曲線——を前に、表情が変わっていくのがわかった。
「……千年前のアルカディアは、我らの祖とも交流があった」
長老の一人が、ゆっくりと口を開いた。
「その遺産を正しく継承する者がいるならば、我らが背を向ける道理はない」
獣人連合の族長会議もまた、態度を一変させていた。映像の中で獣人の子供たちが笑顔で駆け回る姿が、何よりの説得材料になったのだろう。
「深淵教団の脅威については、我らも報告を受けている」
族長の声に、決意が滲んでいた。
「対教団連合の提案、前向きに検討する」
レイドは各国の反応を確認しながら、言葉を選んだ。
「深淵教団は一国で対処できる相手ではありません。だからこそ、種族の壁を超えた連合が必要です。アルカディア・ノヴァは——」
一度、言葉を切った。都市の新しい名前を、初めて公の場で口にする。
「——この都市の名は、アルカディア・ノヴァ。新たなるアルカディア。かつて滅びた文明の名を継ぐのは、過去の栄光にすがるためではない。あの時代に実現できなかった多種族共存を、今度こそ成し遂げるためです」
沈黙が流れた。
そしてドゥルバンが、再び口を開いた。
「……よかろう。ドゥルガンは対教団連合に参加する。条件交渉は追って行うが、方針は決まりじゃ」
堰を切ったように、シルヴァリアと獣人連合も賛意を示した。
通信が終わり、制御室に安堵の空気が広がった。リリアーナが「交渉成功ですわ!」と拳を握り、ガルムが静かに頷く。ミーシャは「お祝いなのです!」と宙返りをしている。
だがレイドの胸には、歓喜とは別の感情が渦巻いていた。
◇
その夜、制御塔のバルコニーにレイドは一人で立っていた。
魔導灯に照らされたアルカディア・ノヴァの夜景は、息を呑むほど美しい。白亜の建物が淡い光を帯び、空中の灯りが星のように瞬いている。
だが、レイドの目はその光景を見ていなかった。
「レイドさん?」
フィーネが静かに歩み寄ってきた。薬草の香りがふわりと漂う。
「……みんなには言えないんだが」
レイドは欄干に手をかけたまま、低い声で続けた。
「蛇の司祭の反応が気にかかる。あいつは、ヴァルターを通じて俺たちの動きを把握していた。都市の起動だって、事前に予測できたはずだ」
「でも、妨害してこなかったですよね」
フィーネの指摘に、レイドは頷いた。そこが引っかかるのだ。
「そうだ。妨害しなかった。まるで——都市の起動を待っていたかのように」
言葉にした瞬間、自分の中の不安が形を持った。
「俺たちが勝っているように見えて、実は蛇の司祭の筋書き通りに動かされているんじゃないか。この都市の起動すら、あいつの計算のうちだったとしたら——」
「レイドさん」
フィーネが、そっとレイドの手に自分の手を重ねた。
「不安なのは、わかります。でも、たとえ相手の計算通りだったとしても、この街が本物であることは変わらないですよ。住民の笑顔も、同盟の約束も」
「……ああ。そうだな」
レイドは小さく息を吐いた。フィーネの温もりが、冷えた指先に伝わってくる。
その時だった。
階下から、慌ただしい足音が聞こえた。ガルムの声だ。
「団長、来てくれ。門の前に——」
レイドとフィーネは顔を見合わせ、急いで階段を駆け下りた。
正門の前に、一人の男が倒れ込んでいた。
痩せ衰え、頬はこけ、かつての威厳は見る影もない。だが、その冷たい灰色の瞳をレイドは見間違えるはずがなかった。
「ヴァルター——!?」
新任宰相——いや、もはや元宰相というべきか。ヴァルター・ゼーリヒが、衰弱した身体を引きずるようにしてそこにいた。
「一つ……言い忘れていた」
掠れた声が、夜の空気を震わせる。
「蛇の司祭は……深淵門を開くために、七つのマナ脈が全て『活性化』した状態を必要としている」
レイドの背筋を、氷のような悪寒が駆け上がった。七つのマナ脈。第八十話で立てた仮説が、脳裏に蘇る。
「お前が……都市を起動したことで……最後の条件が、揃ってしまった」
ヴァルターの言葉が終わると同時に、大地が微かに震えた。
アルカディア・ノヴァの美しい夜景の下、深淵への門が開く条件が——すべて、整った。




