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千年の心臓、目覚めの刻

 万象の書庫の最深部へ至る階段は、螺旋を描きながら果てしなく続いていた。


 壁面に刻まれた古代文字が、レイドとミーシャの足音に呼応するように淡い光を放つ。一段降りるごとに空気の質が変わり、マナの濃度が肌で分かるほどに増していく。


「ミーシャ、この先は——」


「もうすぐなのです」


 ミーシャの声が、いつもの無邪気な調子とは違っていた。硬く、張り詰めた響き。千年の時を越えて、この場所に戻ることの意味を、彼女自身が最もよく理解しているのだろう。


 最後の一段を踏み越えたとき、レイドは息を呑んだ。


 巨大な空洞が広がっている。


 天井は遥か高くに消え、壁面は滑らかな水晶で覆われていた。そしてその中央に——聳え立つ一本の樹。


 水晶で編まれた幹は直径十メートルを超え、透き通った枝が天蓋のように空間全体を覆い尽くしている。千年の歳月を経てなお、その内部には微かな光の脈動が走っていた。


「これが——」


「アルカディアの心臓。正式名称は『万象結晶樹マナ・クリスタリア』。大陸のマナ脈と直結し、都市全体のマナを増幅・循環させる中枢装置なのですよぅ」


 ミーシャの虹色の瞳に、水晶の樹の光が映り込む。懐かしさと、それ以上の痛みが入り混じった表情だった。


「まだ生きているのか。千年も——」


「最低限の出力で封印を維持し続けていたのです。ミーシャの封印も、この樹のエネルギーがなければとっくに解けていたのですよぅ」


 レイドは万象構築魔術で装置の構造を読み取る。脳裏に展開される魔術式の規模に、思わず目を見開いた。


「……桁が違う。都市核なんて比較にならない」


 現在のノヴァ・アルカディアの都市核は、レイド自身のマナを起点に稼働している。だからこそ、都市の規模が拡大するたびに消耗が激しくなる一方だった。


 だが、この装置が完全に起動すれば——


「ご主人様のマナに頼らずとも、都市全体が自律的に運用できるようになるのです」


 ミーシャが静かに告げる。


「マナ脈から直接エネルギーを汲み上げ、都市核を通じて全域に配分する。水道も、通信も、結界も、全てが自動で最適化されるのです」


「つまり、俺がいちいち魔術式を調整しなくても——いや待て、そもそもこの規模の装置を起動するには相応の手順が要るはずだ。認証システムは残っているのか」


「残っているのです。守護精霊による生体認証——そしてその鍵は」


 ミーシャが自分の胸に手を当てた。


「ミーシャ自身、なのです」



  ◇



 水晶の樹の根元に、円形の台座があった。古代文字の刻まれた認証装置。ミーシャはその前に立ち、じっと見つめている。


「怖いのか」


 レイドが穏やかに問いかける。


「……少しだけ、なのです」


 小さな声だった。外見年齢十二歳の体が、微かに震えている。


「ここに触れると、ミーシャの記憶が——千年前のことが、全部投影されるのです。認証プロセスの一部として」


「見られたくない記憶か」


「見せたくないのではないのです。ただ——思い出すのが」


 言葉が途切れる。レイドはミーシャの隣にしゃがみ込み、視線の高さを合わせた。


「無理にとは言わない。別の方法を探すこともできる」


「別の方法はないのですよぅ。守護精霊の認証は、ミーシャにしかできないのです」


 ミーシャが顔を上げる。虹色の瞳に決意の色が浮かんでいた。


「それに——ご主人様には、知っていてほしいのです。千年前に何があったのか。ミーシャが何をしたのか」


 小さな手が水晶の樹に触れた瞬間、空間が白い光に包まれた。



  ◇



 光景が変わる。


 同じ空洞。しかし今は水晶の樹が眩いほどの輝きを放ち、その周囲を数十体の精霊が取り囲んでいた。


「これは——」


「千年前の最終決戦の日、なのです」


 ミーシャの声が、投影された記憶の中から聞こえてくる。


 空洞の天井が揺れた。凄まじい衝撃が伝わってくる。地上で何かが——いや、何もかもが崩壊しつつあるのだ。


 精霊たちの顔に恐怖と覚悟が入り混じっていた。一体、また一体と、自らのマナを水晶の樹に注ぎ込んでいく。封印術式を完成させるために。


 だが、注ぎ込んだ精霊は——消えた。


「精霊にとって、全マナの放出は存在の消滅を意味するのです」


 ミーシャの声が震える。


 レイドは黙って見つめていた。仲間の精霊たちが一体ずつ笑顔を残して消えていく光景を。火の精霊、水の精霊、風の精霊——名もなき彼らが、最後の力を振り絞って封印の礎となっていく。


 やがて残ったのは一体だけ。


 銀髪に虹色の瞳。今よりもさらに幼い姿の——ミーシャだった。


「ミーシャちゃん、最後は任せたよ」


 消えゆく精霊の一体が、穏やかな声でそう言い残す。


「待って——待ってなのです。まだ、まだみんな——」


 千年前のミーシャが泣き叫ぶ。だが返事をする者はもういない。広大な空洞に、彼女だけが取り残されていた。


 涙を流しながら、それでも小さな手を水晶の樹に押し当てる。


「——封印術式、最終行程。守護精霊ミーシャの名において、アルカディアの心臓を休眠状態に移行するのです」


 声は途切れ途切れで、言葉の端々が嗚咽に滲んでいた。それでも術式は正確に紡がれ、水晶の樹の輝きがゆっくりと弱まり——沈黙が訪れる。


 千年前のミーシャが、暗闇の中で崩れ落ちた。


 その体も光の粒子に変わり始めている。全マナを使い切った証。けれど完全に消える直前、水晶の樹が最後の力で彼女を結晶の中に取り込んだ。


 封印されたのではない。守られたのだ。仲間たちの犠牲で完成した封印術が、最後に残った一体だけは消させまいと——



  ◇



 光が収まり、現在に戻る。


 レイドの頬を涙が伝っていた。自分でも気づかないうちに泣いていたらしい。


 ミーシャは水晶の樹に手を触れたまま、うつむいて肩を震わせている。


「——ずっと、一人だったのです」


 絞り出すような声だった。


「みんな消えて、ミーシャだけ残って。千年間、ずっと——」


 レイドはミーシャの小さな体をそっと抱き寄せた。


「もう一人で背負わなくていい」


「ご主人様——」


「お前が千年守り抜いたこの場所を、今度は俺たちが引き継ぐ。仲間の精霊たちが遺したものを、俺たちの手で活かしてみせる」


 ミーシャがレイドの胸に顔を埋め、声を上げて泣いた。千年分の孤独を吐き出すように。


 やがて——水晶の樹が応えた。


 認証完了。


 根元の台座に古代文字が燦然と浮かび上がり、幹の内部を光の奔流が駆け上がっていく。枝の一本一本が白銀の輝きを取り戻し、空洞全体が昼のように明るくなった。


「接続開始するのです」


 涙の跡を残したまま、ミーシャが凛とした声で宣言する。


「万象結晶樹と都市核の同期——リンク確立」


 足元から伝わる振動が変わった。都市核を通じて張り巡らせた魔術回路の全てに、圧倒的な量のマナが流れ込んでいく。


 レイドは万象構築魔術でその流れを感知し、驚嘆の息を漏らす。


「——凄まじいな。水道も通信も結界も、全ての魔術式が自律稼働を始めている」


 地上では何が起きているだろうか。おそらくフィーネやガルムたちが、突然活性化した都市機能に驚いているに違いない。


「千年ぶりに——アルカディアの都市が、完全に目覚めたのですよぅ」


 ミーシャが微笑む。涙と誇りが同居する、千年を生きた精霊だけが見せられる表情だった。


 ノヴァ・アルカディアは今、真の意味で古代魔導都市の後継者となった。



  ◇



 だが——その輝きは、見る者を選ばない。


 大陸の遥か東、地下深くの祭壇で。


 七本のマナ脈を模した祭壇の模型が一斉に脈動を始めた。六本はすでに淡い光を湛えていたが、最後の一本——西の脈が、今まさに目覚めの輝きを放っている。


 暗闇の中に、低い笑い声が響いた。


「ようやくか」


 蛇の意匠を纏った法衣の男が、七本全てが光る祭壇を見下ろして唇を歪める。


「最後の都市が目覚めた。これで——全ての駒が揃った」


 祭壇の光が男の顔を照らし出す。その瞳は縦に裂けた蛇の眼。歓喜とも狂気ともつかない色を湛えて、闇の中で爛々と輝いていた。

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