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蛇の刻印

 古代兵器の残骸が横たわる広場に、焦げた金属の匂いが漂っていた。


 ハルドゥームの地下深層。ドワーフ王国の誇る工房都市の一角が、つい数刻前まで暴走兵器によって蹂躙されていた痕跡を、まざまざと晒している。


 レイドは研究ノートを閉じ、目の前に座るドワーフの長老——地底王ドゥルガ・アイアンルートを真っ直ぐに見据えた。


「ドゥルガ殿。この兵器の起動術式には、深淵教団の紋章が刻まれていた」


 石のテーブルの上に、レイドが取り出した魔導記録板を置く。万象構築魔術で転写した術式の残滓が、青白い光を放ちながら宙に浮かび上がった。


「……間違いないのか」


 ドゥルガの声は低く、怒りを押し殺したものだった。白い髭の奥で、老いた瞳が鋭く光る。


「万象の書庫——古代アルカディアの記録庫と照合済みだ。千年前に封じられたはずの深淵教団の術式体系と、九十七パーセント一致する」


「九十七パーセント、ですって?」


 隣に立つフィーネが息を呑んだ。残りの三パーセントは何なのか、という問いが表情に浮かんでいる。


「残りは改良された部分だ。つまり、誰かが千年前の術式を研究し、現代の技術で更新している。教団は復活しただけじゃない。進化している」


 レイドの言葉に、広間が静まり返った。


 ドゥルガが椅子の肘掛けを握りしめる。岩のように硬い指が、木材に食い込んだ。


「わしらの工房都市を、実験場にしたということか。あの連中が」


「そう考えるのが自然だろう。古代兵器の暴走は偶発的な事故じゃない。意図的に起動された」


 ドゥルガは数秒の沈黙の後、深く頷いた。


「ドワーフ王国として全面的に協力する。必要な鍛造技術、兵站、情報網——すべて提供しよう。わしの民を脅かした連中を、地底の闇に叩き返してやる」


 その即断にレイドは内心で安堵した。実際に被害を受けた当事者だからこそ、証拠を見せれば話は早い。政治的な駆け引きに時間を費やす余裕は、今の大陸にはなかった。


「ありがたい。それと、もう一つ確認したいことがある」


 レイドはガルムに目配せした。虎族の巨漢が一歩前に出て、低い声で報告を始める。


「ハルドゥーム近郊の住民から証言を集めた。暴走の三日前、地上の交易路で不審な人物が複数回目撃されている」


「不審な人物?」


「灰色のローブを纏い、首筋に蛇の刺青がある人物だ。少なくとも四人の証言が一致している」


 ドゥルガの眉が跳ね上がった。ガルムが続ける。


「目撃者の一人、交易路の関所を守る門番の証言が特に重要だ。その灰色ローブの人物は——単独ではなかった」


 レイドが引き取った。


「王都から来た宰相の使者と一緒にいた、と証言している」


 広間の空気が、一瞬で凍りついた。


 フィーネが小さく「まさか」と呟く。ドゥルガの表情が険しさを増した。


「ヴァルターの使者と、深淵教団の者が共にいた、と?」


「門番は宰相府の紋章入りの通行証を確認している。偽造の可能性もあるが、それならそれで問題の根は同じだ」


 レイドは万象構築魔術で記録を呼び出し、二つの図像を並べて表示した。一つは門番が描写した蛇の刺青の特徴。もう一つは万象の書庫から引き出した古代の記録。


「蛇の司祭。深淵教団の高位祭司の称号だ。千年前の記録では、教団の実働部隊を率いる最高幹部にあたる。その特徴——灰色の祭服、首から左肩にかけての蛇の刺青、そして周囲のマナを微かに歪ませる特異体質。証言と完全に一致する」


「団長」とガルムが低く言った。「俺は戦場で多くの陰謀を見てきたが、これは想像以上に根が深い」


「ああ。だからこそ、慎重に全体像を把握する必要がある」


 レイドは通信用の魔導結晶を取り出した。万象構築魔術で安定化させた長距離通信回線——ノヴァ・アルカディアとの専用ラインだ。


「リリアーナ、聞こえるか」


『——ええ、聞こえていますわ。こちらでも並行して調査を進めていました』


 通信結晶から響くリリアーナの声は、いつもの快活さとは異なる緊張を帯びていた。


「ヴァルターと蛇の司祭の接点について、何か掴めたか」


『時系列を整理しましたの。ヴァルター宰相が就任してからの主要な政策と、深淵教団の痕跡が確認された事象を重ね合わせると——恐ろしいほど符合しますわ』


 リリアーナの声が、資料を読み上げるように正確になる。


『まず、レイド様の追放。万象構築魔術は古代アルカディアの技術体系に最も近い魔術です。教団にとっては、自分たちの計画を看破しうる最大の脅威だったはず。ヴァルターがレイド様を「役立たず」として排除したのは、教団の誘導があったと考えれば筋が通りますわ』


「続けてくれ」


『次に、辺境への執拗な妨害。経済封鎖、聖剣旅団の派遣。どれも過剰な対応でしたわ。辺境の小都市に対して、宰相が直接あれほどの労力を割く合理的理由がない——教団がレイド様の排除を最優先目標としていたなら、話は別ですけれど』


 フィーネが唇を噛んだ。


「じゃあ、ヴァルター宰相は教団に操られていた、ということですか?」


『操られていた、とまでは断言できませんわ。ただ——』


 リリアーナが一拍置いた。


『第四章でヴァルターが各国に流した偽情報——辺境が古代兵器を開発しているという虚偽の報告。あれの出所を改めて追跡しましたの。情報の原型は、宰相府の外から持ち込まれたものでした。つまりヴァルターは、自分で偽情報を作ったのではなく、誰かから与えられた情報をそのまま流した可能性が高い』


「教団が用意した筋書きを、ヴァルターが権力を使って実行した、ということか」


『ご明察ですわ。ヴァルターが意図的な共犯者だったのか、それとも巧妙に誘導されていたのかは不明ですけれど、結果として教団の目的——大陸の不安定化と古代遺跡への注目の分散——に、完璧に奉仕していたことは間違いありませんわ』


 レイドは眉間に皺を寄せた。


 ヴァルターという男の冷酷さは身をもって知っている。だが、あの男の合理主義は純粋なものだと思っていた。自分の信じる国益のために手段を選ばない——そういう種類の敵だと。


 その裏に、千年の闇を纏う教団の影があったとは。


「教団の浸透は想像以上だ。王都の中枢にまで根を張っている」


『レイド様、それについて——』


 リリアーナの声が、突然途切れた。通信結晶の向こうで、何か別の声が聞こえる。早口で報告するような、切迫した響き。


『……嘘でしょう』


「リリアーナ? 何があった」


 数秒の沈黙。そして彼女の声が戻ったとき、そこには隠しきれない動揺があった。


『王都の情報網から、たった今入った報告ですわ。ヴァルター宰相が——三日前から姿を消しています』


 広間の全員が息を呑んだ。


「消えた? 宰相が?」


『宰相府は厳重に封鎖されているそうです。そして、彼の執務室には——』


 リリアーナが声を震わせた。


『蛇の紋章が、残されていたと』


 沈黙が落ちた。


 重く、冷たい沈黙だった。


 レイドの脳裏に、一つの推測が稲妻のように走る。用済みになった駒は、盤上から取り除かれる。ヴァルターは教団に利用され尽くし、そして——。


「……事態は、次の段階に移ったということか」


 レイドの呟きに、誰も答えなかった。


 ハルドゥームの地下深層に、不気味な静寂だけが満ちていた。

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