マナ脈を駆ける者たち
夜明けの光が、ノヴァ・アルカディアの城壁を白く染めた。
南門の前に、五つの影が並んでいる。
「全員揃ったな」
レイドは遊撃隊の面々を見渡した。ガルム、ミーシャ、そして精鋭の斥候兵二名。いずれもブランフェルト荒野の過酷な環境で鍛え上げられた猛者だ。
「団長、補給物資の確認は済んだ。三日分の携行食と回復薬、それに緊急用の魔力結晶が十個だ」
ガルムが背中の大剣を揺らしながら報告する。
「ありがとう、ガルム。——さて、通常の馬車なら片道十日の距離だが」
レイドは足元の地面に魔術式を展開した。淡い緑色の光が複雑な紋様を描き、やがて大地の奥深くへと浸透していく。
「マナ脈跳躍で、二日に縮める」
「ご主人様が開発した新しい移動術なのです!」
ミーシャが小さな手を挙げた。だがその声には、いつもの弾むような調子がない。レイドはそれに気づいたが、あえて触れなかった。
「仕組みを簡単に説明する。大陸の地下にはマナの流れる脈——いわば魔力の大河がある。この脈の合流点を中継地として、短距離の空間跳躍を繰り返す。一回の跳躍距離はせいぜい五十里程度だが、七回繰り返せばドゥルガン国境に届く」
「つまり、石を投げるように飛ぶのではなく、川の流れに乗って跳ねる——ということか」
ガルムの的確な要約に、レイドは口元を緩めた。
「そういうことだ。ただし中継点ごとに魔術式の再構築が要る。俺の集中力が切れたら即座に停止するから、移動中は話しかけないでくれ」
「了解した」
レイドが両手を地面につけると、魔術式が一際強く輝いた。
「第一跳躍——起動」
五人の足元から光が噴き上がり、次の瞬間、景色が弾けるように変わった。
荒野の赤土が消え、緑深い丘陵地帯が広がる。空気が変わった。湿度を含んだ風が、旅装を揺らした。
「……一回目、成功だ」
レイドは額の汗を拭い、すぐさま次の中継点の座標を計算し始めた。研究ノートを開き、マナ脈の地図と照合する。
二度目の跳躍。三度目の跳躍。
景色が目まぐるしく変わるたび、大地の色合いが変化していく。丘陵から針葉樹林へ。針葉樹林から岩がちの山岳地帯へ。
四度目の跳躍を終えた中継点で、レイドは小休止を宣言した。
「ここで三十分休む。マナの補充が必要だ」
斥候兵たちが周囲の警戒に散り、ガルムが携行食を配り始める。レイドは魔力結晶を一つ握りしめ、消耗した魔力を回復させていた。
そのガルムが、不意にレイドの隣に腰を下ろした。
「団長」
低い声。周囲に聞こえないよう配慮した音量だった。
「あの嬢ちゃんの様子がおかしい」
レイドは視線だけで、少し離れた岩に座るミーシャを見た。銀髪の少女は膝を抱え、時折頭を押さえては何かを呟いている。虹色の瞳はどこか焦点が合っていない。
「跳躍の途中からだ。最初は酔ったのかと思ったが、違う。あれは——何かを聞いている顔だ。戦場で、遠くの敵の足音を拾う時の俺たちと同じ目をしている」
さすがは歴戦の傭兵。観察眼が鋭い。
「ガルム、ありがとう。気にかけてくれて」
「礼はいらん。あの嬢ちゃんは俺の娘たちの遊び相手だ。何かあれば言え」
ガルムはそれだけ言って立ち上がり、携行食を持ってミーシャのもとへ歩いていった。不器用な優しさが、その大きな背中に滲んでいる。
レイドはミーシャの傍に移動した。ガルムが気を利かせて距離を取る。
「ミーシャ、調子はどうだ」
「……大丈夫、なのです」
嘘だった。小さな手が、こめかみを押さえたまま離れない。
「南に近づくほど、頭の中がうるさいのです。知らない声が、知らない言葉で、何かを叫んでいる。でも——知らないはずなのに、意味が分かりそうで」
ミーシャは顔を上げた。虹色の瞳が揺れていた。
「ご主人様」
「ん?」
「もしミーシャが……ミーシャでなくなっても、捨てないでくださいね?」
その声は、千年を生きた人工精霊のものではなかった。迷子の少女が、暗闇の中で手を伸ばすような声だった。
レイドは迷わなかった。
ミーシャの頭に手を置き、銀色の髪をゆっくりと撫でた。
「お前は仲間だ。俺たちの大切な家族だ。何があっても——たとえ古代の記憶が全部戻って、お前が変わったとしても、その事実は変わらない」
「……約束、ですか?」
「約束だ。魔術師の契約より重い、仲間の誓いだ」
ミーシャの目に光が滲んだ。小さな手が、レイドの袖をぎゅっと掴む。
「——ミーシャ、頑張るのです」
それは自分自身に言い聞かせるような呟きだった。
残りの跳躍を三度繰り返し、日が傾く頃、一行はドゥルガン王国の北部国境に到達した。
岩山を削って造られた巨大な関門。その手前で、レイドは異変を感じ取った。
「——地面が、震えている」
足裏から伝わる微かな振動。一定のリズムではなく、不規則に。まるで大地そのものが苦しんでいるかのような脈動。
「マナの流れも歪んでいるな。ここまで酷いのは初めてだ」
レイドの目に映るマナの奔流が、あちこちで渦を巻き、逆流している。大陸のマナ脈に異常が起きているという報告は聞いていたが、実際に目の当たりにすると想像以上だった。
「止まれ! 何者だ!」
関門から武装したドワーフの一隊が駆け降りてきた。全身を覆う重厚な鎧。手には魔力で輝くルーン斧。
「ノヴァ・アルカディアのレイド・アシュフォードだ。万象の盟約に基づき、ドゥルガンへの入境を求める」
先頭のドワーフ——国境守備隊長が足を止めた。赤茶色の豊かな髭が、険しい表情を縁取っている。
「……盟約都市の。噂は聞いとる。来てくれたか」
その声に、明らかな安堵が混じっていた。
「状況を聞かせてくれ」
「南部の鉱山都市ハルドゥーム。三日前、鉱脈の最深部から——出てきよった。巨大な、鋼の化け物が」
守備隊長の声が震えた。歴戦のドワーフ戦士を、恐怖が蝕んでいる。
「古代の兵器だ。何もかもを薙ぎ払いながら、地上を目指して這い上がってきた。鉱山は壊滅。周辺の集落も三つやられた。討伐隊を五度送ったが——」
言葉が途切れた。
「全滅したか?」
ガルムの問いに、守備隊長は首を横に振った。
「全滅ならまだいい。あの兵器は——倒した兵士の武具を取り込みよる。戦えば戦うほど、奴は強くなる。もう手がつけられん」
レイドとガルムが目を見合わせた。
「案内してくれ。高台から状況を確認したい」
守備隊長に導かれ、国境の見張り塔に登る。最上階からは南方の山岳地帯が一望できた。
そして——全員が息を呑んだ。
地平線の向こう。山々の稜線を越えて、天を貫く光柱が立ち昇っていた。青白い光が夕暮れの空を裂き、周囲のマナを巻き上げている。
その光柱の根元に、影があった。
山よりも、巨大な影。
鋼鉄の体躯が大地を踏みしめるたび、地震のような振動が伝わってくる。腕の一振りで岩山が砕け、胸部から放たれる光線が地表を焼き払う。
レイドの隣で、ミーシャが目を見開いた。
虹色の瞳に、光柱の青白い光が映り込む。
そしてミーシャは——初めて見せる表情で、震える声を絞り出した。
「……ティターン級守護機兵」
その名を口にした瞬間、ミーシャの体が大きく震えた。
「アルカディアの、最終防衛兵器……」
守備隊長が驚愕の目でミーシャを見る。ガルムが反射的に大剣の柄に手をかける。
ミーシャの瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
「どうして。どうして起きてしまったのです。あなたは——もう、眠っていてよかったのに」
その言葉は、かつての仲間に向けるもののように聞こえた。




