千年の記録、深淵の前兆
万象の書庫の最深層は、青白い光に満ちていた。
壁一面を覆う古代文字が脈動するように明滅し、空中には半透明の記録結晶が無数に浮遊している。レイドはその中央に陣取り、三日三晩ほとんど眠らずに解析を続けていた。
目の前に展開された記録結晶は、千年前のアルカディア末期のものだ。
「マナ暴流の発生頻度、大陸東部で三倍……北部の魔獣進化報告、ここ半年で急増……」
レイドは研究ノートにペンを走らせながら、呟いた。手元には書庫から引き出した資料が山のように積まれている。古代アルカディアの記録は膨大で、一人の人間が読み解くには途方もない量だった。
「ご主人様、第七層記録の復号が終わりましたのです」
ミーシャが宙に浮かびながら、新たな記録結晶を差し出した。虹色の瞳がくるくると回転し、データの奔流を処理している。
「助かる。どんな内容だ?」
「えっとですね、アルカディア歴九九七年の観測記録なのです。滅亡の三年前にあたりますね。大陸各地のマナ脈動に異常な周期が確認されたと——あ、これ、専門用語でいうとプレ・コンバージェンス現象ですよぅ」
「プレ・コンバージェンス……マナの収束前兆か」
レイドは結晶を受け取り、万象構築魔術で内容を展開した。
空中に古代文字の羅列が浮かび上がる。レイドの瞳が素早くそれを追い、脳内で現代の報告と照合していく。
「……間違いない」
声が、思わず低くなった。
ここ数年、大陸各地で報告されているマナ異常。突発的なマナ暴流、魔獣の異常進化、そして古代遺跡の自然起動。それらを時系列で並べると、千年前の記録と酷似したパターンが浮かび上がる。
「ミーシャ、この周期変動のグラフを現代の観測データに重ねられるか?」
「もちろんなのです! ミーシャを誰だと思ってるんですか!」
小さな手が宙を撫でると、二つの波形が重なり合って表示された。
レイドは息を呑んだ。
千年前と現代の波形が、ほぼ完全に一致していた。位相のズレはわずか数パーセント。偶然で片付けられる誤差ではない。
「これは——深淵教団の復活儀式と同じ前兆現象だ」
「なのです……」
ミーシャの声が珍しく沈んでいた。
◇
書庫に篭って四日目の朝。
扉を叩く音が、静寂を破った。
「レイドさん、入りますよ」
フィーネが盆を手に入ってきた。湯気の立つスープと焼きたてのパン。それから、薬草を煎じた回復茶。
「また食事を忘れてるでしょう。昨日届けた分、手つかずのまま冷めてましたよ」
「……すまない。もう少しで——」
「もう少し、って三日前も同じこと言ってたんですけど!?」
フィーネの語尾が跳ね上がる。碧い瞳がレイドの顔をじっと見つめ、眉が寄った。
「目の下のクマ、ひどいことになってます。少しは寝てください」
「ああ……分かった。ただ、これだけは先に聞いてくれ」
レイドは椅子を引いてフィーネを座らせた。自分もスープに手を伸ばしながら——発見した事実を簡潔に語り始めた。
「大陸各地のマナ異常。魔獣の進化。遺跡の起動。全部、千年前にも起きていた」
「千年前って……アルカディアが滅んだ時の?」
「そうだ。そして当時、これらの現象を意図的に引き起こしていた存在がいた」
レイドは記録結晶を起動し、フィーネの前に古代文字を展開した。万象構築魔術で翻訳をかけると、現代語の文章が浮かび上がる。
「深淵教団……」
フィーネが息を呑んだ。
「書庫の記録によれば、彼らの最終目的は『深淵門』の開放だ。異界から無限の魔力を引き出す——そう聞けば魅力的に思えるかもしれないが、代償がある」
「代償?」
「大陸のマナを根こそぎ吸い尽くす。深淵門はこちら側のマナを触媒にして開くんだ。門が完全に開けば、エルディア大陸全土のマナが枯渇する。魔術は使えなくなり、マナに依存している生態系は崩壊し——」
「——全ての種族が、生きていけなくなる」
フィーネが顔を青くして、レイドの言葉を引き継いだ。
「ああ。千年前のアルカディアは、それを阻止するために全力を注いだ。その戦いの結果が——この荒野だ」
レイドの視線が、書庫の壁面に刻まれた古代の壁画に向けられた。そこには、光と闇がぶつかり合う壮絶な戦いの光景が描かれている。アルカディアは深淵門の封印に成功したが、その代償として文明そのものが崩壊した。
「でも封印したんですよね? 千年も前に」
「封印は永遠じゃない。記録には明記されている——封印が弱まれば、前兆現象が再び現れると」
レイドはスープを一口すすり、ノートを開いた。びっしりと書き込まれた解析結果の中から、一つの図を示す。
「特に重要なのがこれだ。深淵門を開くには、大陸七箇所のマナ脈を同時に汚染する必要がある。七つの脈点が共鳴して初めて門が開く仕組みらしい」
「七箇所……その場所は特定できるんですか?」
「今のところ三箇所までは推定できた。残りはまだ記録を精査する必要がある。だが——」
レイドの表情が暗く翳った。
「既に幾つかの脈点で異常が始まっている可能性が高い。各地のマナ暴流の発生地点と、古代の記録にある脈点の位置が重なるんだ」
「それって——もう誰かが意図的にやってるってことですか?」
フィーネの問いに、レイドは黙って頷いた。
前話のヴァルターの瞳が深紅に染まった光景を、レイドはまだ知らない。だが書庫の記録が示す事実は、偶然で片付けるには余りにも整合的だった。
「深淵教団は千年前に滅んだはずだ。でも教団の知識や儀式が完全に失われたとは限らない。もし誰かがそれを復活させようとしているなら——」
「レイドさん」
フィーネが、温かい手をレイドの手に重ねた。
「一人で抱え込まないでください。ノヴァ・アルカディアには仲間がいるんですから」
「……ああ。分かってる」
レイドは小さく笑った。フィーネの手の温もりが、張り詰めていた肩の力をわずかに緩めてくれる。
「まずはガルムとリリアーナにも共有しよう。対策を練るにしても情報の整理が先だ。ミーシャ、残りの記録の復号はどれくらいかかる?」
「あと二日もあれば全層いけると思うのです。でもご主人様、ちょっと気になることが——」
ミーシャが記録結晶の一つを手に取った瞬間だった。
◇
虹色の瞳が、激しく明滅した。
「——っ!」
ミーシャが両手で頭を押さえ、宙から落ちかけた。レイドが咄嗟に腕を伸ばして受け止める。小さな体が細かく震えていた。
「ミーシャ!? どうした!」
「ミーシャ! 大丈夫ですか!?」
フィーネが駆け寄り、回復魔術の光を手に灯す。だがミーシャの震えは収まらない。
「この記録……わたし、は……」
途切れ途切れの声。それは普段の幼い口調とは明らかに異質だった。もっと深く、もっと古い——まるで別人の声が重なっているかのような響き。
「知って、いる……これを、私は——」
レイドの腕の中で、ミーシャがゆっくりと顔を上げた。
その瞳から虹色が消えていた。
代わりに灯っていたのは、深く、底知れない金色の光。千年の時を封じ込めたような、古い古い輝き。
「ミーシャ……?」
レイドの呼びかけに、金色の瞳がゆらりと焦点を結ぶ。
半開きの唇から零れた声は、かすれていたが——確かにこう言った。
「深淵門の封印を施したのは——私、なのです」
書庫の古代文字が、呼応するように一斉に輝きを増した。




