騎士の矜持、荒野の誓い
月明かりの下、レイドはグレイヴの問いを正面から受け止めた。
「何のために戦うか、か」
城壁の上から見下ろす街並みが目に入る。夜半を過ぎても、あちこちに灯りが点っていた。獣人の鍛冶師が夜通し武具を打ち、ドワーフの職人が防壁の補修に汗を流し、エルフの薬師が朝に届ける薬を仕込んでいる。
「——俺は、追放された日のことをよく覚えている」
レイドは城壁に背を預け、語り始めた。
「宰相ヴァルターに言われたよ。『お前の魔法は何の役にも立たん』と。火も起こせず、敵も斬れない魔術師に用はないとな」
「実際のところ、合っていたのか」
「半分はな」
レイドは苦笑した。
「俺の万象構築魔術は、確かに戦場向きじゃない。火球一つ撃てないんだから、宮廷魔術師としては落第だろう。だが——」
眼下の街を手で示した。
「水道を引くこと、通信網を張ること、結界を自動修復させること。そういう『地味な魔法』が、ここでは人の命を支えている」
グレイヴは黙って街を見下ろしていた。その目が、何かを追っているようだった。
「今日、一人で街を見て回った」
グレイヴの声には、戦場で聞いたものとは違う色があった。
「獣人の子供が人間の子供と遊んでいた。エルフの職人がドワーフに鍛造を教わっていた。あれは——王都では見られん光景だ」
「だろうな。俺が目指したのは、そういう場所だ」
レイドは真っ直ぐに言った。
「誰もが居場所を見つけられる場所を作りたかった。それだけだ。王国に反旗を翻すつもりなんてない。ただ、ここに逃げてきた者たちを追い返すつもりもない」
風が荒野を渡った。グレイヴの表情が、月光の下で揺れた。
「——俺も辺境の出だ」
その一言に、レイドは目を見開いた。聖剣旅団の団長ともなれば、名門出身だと思い込んでいた。
「王都の南東、ラスゲートという開拓村だ。獣人と人間が隣り合って暮らしていた。小さな村だったが、悪い場所じゃなかった」
「だったということは——」
「十五年前、獣人排斥令が出た。村は分断された。幼馴染だった虎族のやつは、一夜にして『敵』になった」
グレイヴの拳が、微かに震えていた。
「俺は騎士になれば何かを変えられると思った。だが、騎士団に入り、位を上げ、旅団長にまでなっても——結局、上からの命令に従うだけだ」
「なら、なぜ従う」
「騎士だからだ」
即答だった。迷いのない、しかし痛みを含んだ声だった。
「忠誠を誓った以上、命令に背くことは俺の存在を否定することになる。たとえその命令が——正しくないと感じても」
レイドは何も言わなかった。言葉で覆せるものではないと分かっていた。これは信念の問題だ。
「グレイヴ卿。一つだけ聞いてもいいか」
「何だ」
「あなたがこの街を滅ぼしたとして——その後、眠れると思うか」
沈黙が降りた。長い、重い沈黙だった。荒野の風すら止んだように感じられた。
やがてグレイヴは背を向けた。
「三日後——猶予の最終日だ。全力で行く」
その声は硬く、揺るぎなかった。
「お前たちが抵抗するなら、容赦はしない。それが俺の務めだ」
「ああ。受けて立つ」
「——だが」
グレイヴは一瞬だけ振り返った。月光が、その瞳を照らした。
「俺を、力ではなく——納得させてみろ。レイド・アシュフォード」
そう言い残して、グレイヴは闇の中へ消えていった。
レイドはしばらく城壁の上に立ち尽くしていた。冷たい風が頬を打ったが、胸の奥には熱いものが残っていた。
翌朝。レイドは仲間たちを執務室に集めた。
「昨夜、グレイヴ卿と話した」
レイドは包み隠さず、全てを伝えた。グレイヴの出自、騎士としての苦悩、そして最後の言葉。
「殺さずに勝て、ということか」
ガルムが腕を組み、低く唸った。
「相手は聖剣旅団五百騎。一人残らず無力化しろってのは、正直殺すより難しいぞ」
「分かっている。だが、グレイヴは本物の騎士だ。力で黙らせても意味がない。認めさせなければならない」
「ふむ」
ガルムは牙を見せて笑った。
「殺さず勝つのが一番難しいが——やるしかないか。団長がそう言うなら、従うまでだ」
「フィーネ、薬の備蓄はどうだ」
「全員分の体力回復薬と魔力賦活薬、準備できてますよ」
フィーネは棚に並ぶ薬瓶を指さした。三日間、寝る間を惜しんで調合していたことは、その目の下の隈が物語っていた。
「敵側の分も用意してあります。殺さずに勝つなら、倒した後の治療も必要でしょう?」
「さすがだな」
「当然です。この街は、そういう場所ですから」
フィーネの声に迷いはなかった。
「わたくしからも報告がありますわ」
リリアーナが書類の束を広げた。その厚さに、ガルムが露骨に顔をしかめた。
「戦後の外交シナリオを複数用意しましたの。聖剣旅団を撃退した場合、膠着状態になった場合、そしてグレイヴ卿が翻意した場合——いずれの結果でも、王国との交渉テーブルにつけるよう根回しは済んでいます」
「根回し?」
「ドワーフのブロンド議長とエルフのセレナ長老に書簡を送りましたわ。万象の盟約に基づく共同声明の草案も添えて。王国が辺境を攻めることは、三種族連合への敵対行為と見なされる——そう明確にしておく必要がありますもの」
「完璧だ、リリアーナ」
「当然ですわ。これくらいの手配、朝食前に片付きます」
しれっと言ったリリアーナの机には、空になった茶杯が五つ並んでいた。徹夜で仕上げたことは明白だった。
「ご主人様、ミーシャからも報告なのです」
ミーシャが宙に古代文字の図を展開した。
「防衛結界の出力をさらに上げられるのです。アルカディアの第三層制御コアを起動すれば、非殺傷モードでの範囲拘束が可能ですよぅ」
「非殺傷の範囲拘束——それは使えるな」
「えへへ。ただし、マナ消費がとんでもないことになるのです。ご主人様の魔力が保つかは——」
「俺の心配はいい。概念構築の応用で、マナ効率を上げる算段はある」
全員の視線がレイドに集まった。不安と信頼が入り混じった目だった。
「三日後——いや、あと二日だ。やれることを全てやろう」
レイドの言葉に、全員が頷いた。
そして猶予最終日。夜明け前。
荒野に張られた聖剣旅団の陣営は、静寂に包まれていた。篝火が低く燃え、見張りの兵士が欠伸を噛み殺している。
その陣から、一つの影が密かに離れた。
セラフィーナ・ヴァイス。聖剣旅団の副官にして、ヴァルター宰相が送り込んだ監視役。銀の鎧を脱ぎ、黒いローブを纏ったその姿は、夜闇に溶けるようだった。
荒野のある地点——古代遺跡の崩れた柱が点在する場所で、彼女は足を止めた。
「——来たか」
誰もいないはずの空間に、声をかける。すると足元の影が蠢き、黒い霧のようなものが立ち昇った。霧は人の形を取らず、ただ不定形に揺らめいている。
「予定通りだ。聖剣旅団は三日後に——いえ、今日、動く」
セラフィーナの声は冷たく、感情の欠片もなかった。普段の副官としての顔とは、まるで別人だった。
『——辺境の魔術師、排除の進捗は』
霧から響く声は、人間のものではなかった。複数の声が重なり合い、耳の奥に直接届くような不快な音だった。
「宰相の駒では不十分。だから、あなたたちの力が必要なのでしょう」
セラフィーナは膝をつき、黒い霧に手を差し伸べた。霧が彼女の指先に絡みつく。その瞬間、彼女の瞳が一瞬だけ——深い紫に染まった。
『器は順調に育っている。あの都市が混乱した隙に——』
「ええ。全て、計画通りに」
夜明けの最初の光が、東の空を染め始めていた。黒い霧は光を嫌うように地面へ沈み、消えた。
セラフィーナは立ち上がり、ローブの砂を払った。その顔に浮かんだのは、微かな——しかし確かな笑みだった。
荒野に朝日が差す。決戦の日が、始まろうとしていた。




