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概念の彼方、地の底の共鳴

 嵐の到来まで、三日。


 レイドはノヴァ・アルカディア中央塔の地下訓練場に籠もっていた。万象の書庫から持ち帰った知識は膨大だが、実戦で使えなければ意味がない。


「——概念構築。物質でも現象でもなく、法則そのものを書き換える術、か」


 研究ノートを広げたまま、レイドは呟く。万象構築魔術の到達点ともいうべき領域。重力の方向、摩擦係数、空間の密度。世界の根底を成すルールに直接干渉する——理論上は。


「ご主人様、理論上と実践の間には古代語で『クレヴァス』と呼ばれる深い溝があるのです」


 ミーシャが宙に浮かびながら、虹色の瞳をくるくると回す。


「アルカディアの魔導師でも、概念構築を実用化できたのはほんの一握りだったのですよぅ」


「だろうな。だが俺たちには三日しかない」


 レイドは魔術式を空中に展開した。通常の万象構築とは根本から異なる、多層的な術式構造。書庫で学んだ理論を元に、独自のアプローチを組み上げる。


「まず重力の方向を局所的に変える。範囲は半径一メートル、持続時間は十秒。——行くぞ」


 魔力を注ぎ込んだ瞬間、空気が震えた。


 訓練場の床石が一枚、ゆっくりと浮かび上がる。成功か——と思った刹那、石が弾丸のように天井へ飛んだ。轟音とともに岩盤に突き刺さり、破片が降り注ぐ。


「うわっ——制御が全然足りてない」


「当然なのです。概念に干渉する際の魔力波形は、通常の百二十八倍の精密さが求められるのですよぅ」


 ミーシャが破片を障壁で弾きながら、平然と解説する。


「ソフィア様も同じことを仰っておりました。遠隔通信で指示書が届いているのです」


 ミーシャが取り出した通信石に、古代魔導師ソフィアの声が刻まれている。レイドは耳を傾けた。


『概念構築の要は、世界との対話です。力で法則をねじ曲げるのではなく、世界に"提案"するのです。あなたの万象構築魔術なら、それができるはず』


「世界に提案、か」


 レイドは目を閉じた。力任せではなく、対話。万象構築魔術の本質は、現象を記述し再現すること。ならば法則もまた、記述の延長線上にある。


 二度目の試行。今度は術式の出力を絞り、魔力波形を丁寧に整えた。


 ——世界よ、この空間の重力を、ほんの少しだけ緩めてくれ。


 床石がふわりと浮いた。一センチ、二センチ。ゆっくりと、静かに。


「おお、浮いたのです!」


 ミーシャが手を叩く。だが次の瞬間、レイドの体から嫌な音がした。ばきり、と魔力回路に亀裂が走るような衝撃。


「っ——」


 膝をつく。視界が明滅し、意識が遠のきかける。概念への干渉は、術者の魔力を通常の何倍も消耗させる。


「レイドさん!」


 駆け込んできたのはフィーネだった。手には調合したばかりの薬瓶を握っている。


「無茶しすぎです。はい、これ飲んでください」


 翡翠色の液体を口に含むと、暴れていた魔力が嘘のように凪いだ。体の芯から温かさが広がり、回路の軋みが和らいでいく。


「……助かった。さすがだな、フィーネ」


「さすがじゃないです。訓練するなら事前に言ってください。魔力安定剤、もっと濃い配合のものを用意しておきますから」


 フィーネの声は怒っているようで、その実、目元に安堵の色がにじんでいる。レイドは素直に頭を下げた。


「すまない。次からはちゃんと声をかける」


「約束ですよ?」


 フィーネは薬瓶をもう一本手渡すと、訓練場の隅に腰を下ろした。どうやら見届けるつもりらしい。



  ◇



 同じ頃、ガルムは都市の西側外壁で防衛陣地の構築を指揮していた。


「第二防衛線の塹壕、もう三十センチ深く掘れ。聖剣旅団の突撃騎兵は馬上槍が主力だ。浅い溝じゃ止まらん」


 獣人兵と人間兵が入り混じった部隊が、黙々と土を掘る。魔獣襲撃戦の経験が活きていた。あの時の多層防御——前衛の足止め、中衛の火力集中、後衛の治癒支援——を、対人戦向けに再構築する。


「第一防衛線に落とし穴と魔導地雷を配置。第二線で主力が迎撃。第三線は予備兵力と負傷者の後退路。これで三段構えになる」


 傍らの副官が地図に書き込む。ガルムは腕を組み、西の地平線を睨んだ。


「団長の新しい魔術が間に合えば、もっと楽になるんだがな」


 呟きは風に溶けて消えた。



  ◇



 一方、リリアーナは執務室で外交文書の最終確認を行っていた。


「——以上の内容で、ドゥルガン経由の緊急通信を送りますわ」


 羽ペンを置き、封蝋を押す。宛先はシルヴァリアとファングランド。内容は簡潔かつ明瞭——「クレスティア王国が、万象の盟約に加盟する同盟都市を軍事攻撃しようとしている」。


「同盟の意味が問われる局面ですわね」


 第四章で結んだ多国間同盟。あの時は経済と文化の結びつきが主だった。だが今、軍事的な局面で機能するか否か。リリアーナの賭けでもある。


 数時間後、ドゥルガンの通信士から返答が届いた。


「シルヴァリアは森林評議会の緊急招集を決定。ファングランドは族長会議で対応を協議中。両国とも即時の軍事介入は困難だが、外交的圧力をかけることを確約……ですわね」


 リリアーナは小さく息を吐いた。軍が来るわけではない。だが、外交的な包囲網が形成されつつある。ヴァルターの聖剣旅団が攻撃を仕掛ければ、王国は国際的な非難を浴びることになる。


「三日で戦況は変わらなくても、政治の地図は変えられますわ」


 赤毛を揺らし、リリアーナは次の書簡に取りかかった。



  ◇



 夜が来た。


 レイドは城壁の上に立ち、一人で概念構築の練習を続けていた。日中の訓練で感覚は掴みつつある。フィーネの薬のおかげで魔力も安定している。


 月光が荒野を銀色に染める中、レイドは足元の石に意識を向けた。


「——重力方向の局所反転。範囲、半径五十センチ。持続時間、三十秒」


 術式を展開する。今度は力ではなく、世界への"提案"として。


 拳大の石が、ふわりと浮き上がった。一つ、二つ、三つ。月明かりを受けて銀色に輝きながら、石たちがゆっくりと上昇していく。まるで重力を忘れたかのように。


「……できた」


 レイドの唇に、静かな笑みが浮かぶ。概念構築。まだ小規模で、持続時間も短い。だがこれは確かに、物理法則への干渉だ。聖剣旅団の重装騎兵が突撃してきた時——足元の重力を反転させれば、どうなるか。


「綺麗……」


 背後から声が聞こえた。振り返ると、フィーネが城壁の階段に佇んでいた。碧の瞳が月光と浮遊する石を映し、宝石のように煌めいている。


「フィーネ。まだ起きてたのか」


「眠れなくて。それより、今の……石が、浮いて……」


 フィーネは言葉を失ったまま、宙を漂う石に手を伸ばす。指先が触れると、石はくるりと回って彼女の掌に収まった。


「温かい。魔力で満ちてる」


「概念構築っていう新しい術でな。まだ石を浮かせるのが精一杯だが」


「精一杯って……物理法則を変えてるんですよね? それ、とんでもないことなんですけど」


 フィーネの声に呆れと感嘆が混じる。レイドは頭を掻いた。


「まあ、聖剣旅団に対抗するには、これくらい必要だ」


「……無理はしないでくださいね。昼間、倒れかけたの、忘れてませんから」


「ああ。約束する」


 二人の間に、穏やかな沈黙が落ちる。月光が城壁を照らし、荒野の向こうには星々が瞬いている。戦いの前の、束の間の静けさ。


 その時だった。


 レイドの足元から、微かな振動が伝わってきた。地震ではない。もっと深い場所から——都市の地下、遺跡のさらに奥底から響いてくる、波のようなもの。


「——何だ、これは」


 レイドは眉をひそめた。概念構築の術式がまだ残留している右手に、奇妙な感覚が走る。共鳴。自分の魔術に「応えている」何かが、地の底深くにいる。


 それは都市核の反応ではない。もっと古く、もっと巨大な存在の気配。


 ミーシャの言葉が脳裏をよぎった。千年前の封印。深淵教団が封じたもの——あるいは、封じられたもの。


「レイドさん? どうしたんですか?」


 フィーネが不安げに覗き込む。レイドは振動が消えるのを待ってから、努めて平静に答えた。


「……いや、何でもない。少し、気になることがあっただけだ」


 だが右手の共鳴は、しばらくの間消えなかった。


 地の底で、何かが目覚めようとしている。レイドの概念構築に呼応するかのように——静かに、確実に。

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