表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/125

騎士の矜持と密命の影

 聖剣旅団の行軍は、三日目を迎えていた。


 王都クレスティアを出発してから、千五百の兵士たちは黙々と西へ進み続けている。蹄鉄が街道の石畳を叩く音が、規則正しいリズムで荒野に響いていた。


 先頭を行く巨馬の上で、団長グレイヴ・ランカスターは鉄兜の面頬を上げ、前方を見据えていた。


 五十を過ぎた歴戦の騎士だ。顔の左半分を走る古傷は、二十年前の北方遠征で負ったもの。白髪交じりの短髪を風になびかせ、鋼鉄の鎧に身を包んだその姿は、王国騎士の理想像そのものだった。


 だが、その胸中は穏やかではない。


「——団長」


 横に馬を並べた副官が声をかけてきた。


 セラフィーナ・ヴェルデ。三十代前半の女騎士で、栗色の髪を高い位置で束ねている。端正な顔立ちに似合わぬ鋭い眼光が印象的だった。


「そろそろ休息を入れてはいかがでしょう。兵の足が重くなっております」


「……そうだな。あの丘の手前で小休止とする」


 グレイヴは短く答え、伝令を走らせた。


 隊列が停止し、兵士たちが各所で水筒を傾け始める。グレイヴは馬から降り、街道脇の岩に腰を下ろした。


 懐から取り出したのは、宰相ヴァルター・ゼーリヒから直接手渡された命令書だ。


 ——辺境都市ノヴァ・アルカディアの武装解除、及び首謀者レイド・アシュフォードの拘束。


 簡潔な文面だった。だが、グレイヴには引っかかるものがあった。


「たかが追放された宮廷魔術師一人に、聖剣旅団を丸ごと差し向ける」


 独り言が漏れた。過剰な戦力だ。辺境の小都市を制圧するだけなら、一個中隊で事足りる。


「何か仰いましたか、団長」


 セラフィーナが近づいてきた。腰に佩いた細剣の柄に手を添え、表情は涼しげなまま。


「いや。——セラフィーナ、お前は宰相閣下から何か聞いているか」


「と、申しますと?」


「今回の派遣の真意だ。武装解除と拘束だけなら、この規模は不自然だろう」


 セラフィーナはわずかに目を細めた。一瞬の沈黙のあと、淡々と答える。


「宰相閣下は慎重な御方です。辺境都市には獣人連合やドワーフとの同盟があると聞きます。万が一の介入に備えた布陣かと」


「ふん。政治家らしい理屈だ」


 グレイヴはそれ以上追及しなかった。だが、副官の目の奥に一瞬だけ揺らいだものを、彼は見逃していなかった。



  ◇



 行軍を再開して半日。風景が変わり始めた。


 ブランフェルト荒野と呼ばれるこの一帯は、グレイヴの記憶では灰色の不毛地帯だった。二十年前に北方遠征の帰路で通過した際、草一本生えない荒れ地が延々と続いていたはずだ。


 だが、今。


「……なんだ、これは」


 グレイヴは思わず手綱を引いた。


 街道の両脇に、若い麦の穂が風に揺れている。遠くには果樹園らしき緑の帯が見え、用水路が陽光を反射して銀色に光っていた。


「荒野、ではないな。もはや」


 隊列の兵士たちからもざわめきが起きた。


「あれは——灌漑設備か。かなり整備されている」


 セラフィーナが冷静に分析した。


「魔術式の痕跡がありますね。水脈を人工的に引いているようです。相当な技量がなければ不可能かと」


「一人の魔術師がこれを?」


 グレイヴの声に、驚嘆が滲んだ。


 街道沿いの小さな村に差し掛かると、旅団の接近に気づいた住民たちが不安げに顔を見合わせていた。グレイヴは馬を止め、村長らしき老人に声をかけた。


「水を分けてもらいたい。代金は払う」


「は、はい……どうぞ、どうぞお使いください」


 老人はおどおどしながらも、井戸へ案内した。水は清冽で、冷たかった。


「良い水だな。この井戸は?」


「あ、ああ——辺境都市の方々が掘ってくだすったんです。魔術で地下水脈を見つけてくださって。おかげで村は生き返りました」


 老人の目に光が宿った。


「それだけじゃありません。薬師の方が巡回してくださるし、獣人の若者たちが魔獣の見回りもしてくれる。以前は夜になれば家から出られなかったのに、今では子供たちが日暮れまで遊んでおります」


 グレイヴは黙って聞いていた。


「旦那さま方は王都の兵隊さんですかい? まさか、辺境都市に何か——」


「いや。通りがかりだ」


 短く遮ったグレイヴの顔を、セラフィーナが横目で観察していた。



  ◇



 同じ頃。王都クレスティア、宰相執務室。


 ヴァルター・ゼーリヒは机を拳で叩いた。


「困難だと? たかが辺境の小都市の側近を始末することが、黒蛇にとって困難だと?」


 影のように佇む男——暗殺者ギルド「黒蛇」の連絡役は、微動だにしなかった。


「はい。標的の周囲には獣人の元傭兵、古代精霊、さらに防諜体制が尋常ではありません。我々の工作員二名が既に拘束されております」


「使えん」


 ヴァルターは椅子に深く沈み込み、指を組んだ。冷たい目が暖炉の炎を映す。


「聖剣旅団の到着まであと五日。それまでにあの都市の結束を崩す必要がある」


「どのような手を?」


「種族間の対立を煽れ。あの都市の強みは多種族の融和だ。ならば、それを内側から壊せばよい」


 ヴァルターは引き出しから封蝋のされた書簡を取り出した。


「獣人居住区で人間による暴行事件を偽装し、同時にエルフ商館への嫌がらせを仕掛ける。工作員を追加で五名送り込め。旅団が到着する頃には、あの街は疑心暗鬼で自壊しているだろう」


「承知いたしました」


 連絡役が影に溶けるように退出した後、ヴァルターは窓辺に立った。


「アシュフォード。お前が拾い上げた古代遺跡——あれさえ手に入れば、余の計画は完成する」


 その呟きには、単なる政敵への敵意以上の何かが含まれていた。



  ◇



 夜。聖剣旅団の野営地。


 篝火が暗闇を照らす中、グレイヴは自陣の天幕で一人、杯を傾けていた。


 あの村の老人の言葉が、頭から離れない。辺境都市の恩恵を受けて蘇った土地。種族を超えて協力する人々。


 騎士として三十年、グレイヴは常に王国のために剣を振るってきた。民を守ることが騎士の本懐だと信じてきた。


 だが今回の任務は、民に支持される都市を攻めることだ。


「……何が正しい」


 そう呟いた時、天幕の外でかすかな気配がした。


 グレイヴは杯を置き、幕を細く開けた。


 月明かりの下、セラフィーナが野営地の外れへ歩いていく姿が見えた。夜間見回りにしては、持ち物が妙だ。手のひらに淡く光るもの——通信魔具を握っている。


 グレイヴは眉をひそめたが、追うことはしなかった。


 野営地から百歩ほど離れた岩陰で、セラフィーナは通信魔具に魔力を込めた。


 淡い紫光が岩壁を照らす。それは、王国軍の標準装備とは異なる光の色だった。


「——こちら"影の杯"。予定通り、旅団は辺境へ向かっています」


 魔具から返ってきたのは、低く歪んだ声。


「ご苦労。宰相の思惑通りに進めろ。だが、忘れるな——遺跡の"核"はあの男に渡すな。我らが先に確保する」


「了解しました、司祭様」


 セラフィーナの唇が、闇の中で弧を描いた。


 それは忠実な副官の顔ではなかった。


 通信が切れ、紫光が消える。セラフィーナは何事もなかったかのように野営地へ戻っていく。


 月だけが、その密談の一部始終を見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ